表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
一章. それぞれの葛藤

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/43

殻渡りの人喰(1)


夜は、音が遠のく。

遠くの車の走行音も、どこかの室外機の唸りも、薄い膜の向こうへ押しやられて――残るのは、自分の呼吸と、血の匂いだけだ。


「……ここやなぁ」


路地の奥。街灯が一つ切れている場所。

湿ったアスファルトに、黒い筋が引かれていた。引きずったみたいな跡。焦げたような臭いが、鼻の奥に刺さる。


人喰ひとばみ。異名――殻渡りの人喰。

宿主を捨てて次へ飛ぶ。捨てられた“殻”は空っぽになり、まだ動くこともあるが、もう人には戻らない。


つまり、対処が遅れた時点でその人間は詰みだ。


レイは短刀の鞘を押さえ、護符糸の束を指に巻いた。

糸は細い。けれど、空気に馴染ませた瞬間、刃より鋭くなる。


――怪異を逃がさないための檻だ。


「レイちゃん、相変わらず陰気な準備しとるなぁ」


背後からは、ふざけた声。

カナメが、壁にもたれたまま笑っていた。赤い瞳がゆっくり瞬く。


「……来たなら立て。邪魔すんな」


「つれなぁ。俺ら、チームやんかぁ。ニコイチやん」


チーム。都合のいい言葉で誤魔化しているつもりだろうが、実際にはカナメはレイの監視兼、教育係だ。隙を見せれば途端に牙を剥く。


レイは返事をしないまま、糸を一本、路地の入口に張った。次にもう一本。足元に、斜めに、低く。

人間の足首に引っかかる高さ。殻が突っ込んできた時に絡ませる。


突然、気配が背中の皮膚を引っ掻いた。


――来る。


路地の闇が、ひとつ濃くなる。

次の瞬間、男が飛び出してきた。刃物を握っている。

目が焦点を結んでいない。顔は汗で光っているのに、表情だけが抜け落ちている。


「……っ」


レイは踏み込まず、糸を弾いた。

ぴん、と張り詰めた音。護符糸が男の足首に絡み、体が前に崩れる。


倒れた体が地面に叩きつけられても、呻きが出ない。

痛みの反応が薄い。殻だ。中身が薄い。


「おいおい、可哀想やなぁ。もう空っぽやん」


カナメが軽く言う。軽いまま、足を動かす。


殻が起き上がる前に、カナメが靴先で刃物を蹴り飛ばした。金属が転がる音が、やけに大きく響く。


「右やっ!レイちゃん」


カナメの声が鋭くなる。

レイは反射で身を捻った。


別の殻が、横から突っ込んできていた。細身の女。制服の上着のまま、刃物を握っている。

顔は泣きそうなのに、腕だけが機械みたいに正確だ。


――殻が増えてる。


人喰が操るのは、目の前の“殻”だけじゃない。

複数の殻を手足みたいに使い、隙ができれば本体は別の器へ飛ぶ。寄生先を変える。その時、捨てられた宿主は廃人になる。


時間をかけるほど、被害者が増える。


レイは短刀を抜いた。黒い刃が街灯の薄い光を吸う。

刃を振るうのは人喰の本体にだけ。殻は止めるだけでいい。


「――縛れ」


護符糸を放つ。

糸が女の手首に絡み、刃物が落ちた。次に足。首。

致命傷になる締め方はしない。殻でも、そこに“人”の形が残ってる以上、レイには勝手に殺す権利はない。


……久世なら、笑って切るだろうが。


「ええ子ちゃんやなぁ」


カナメが笑う。けれど、動きは早い。


カナメは懐から短い札を二枚抜き、殻の額と胸に叩きつけた。

紙が貼りついた瞬間、殻の動きが鈍る。糸で止めた関節が、重く沈む。


「止まるで。今や」


「分かってる」


レイは息を詰めた。

次が来る。来る前に、本体の位置を炙り出す。


殻の足元――黒い影が、煙みたいにまとわりついている。殻の輪郭からはみ出して、路地の壁にまで薄く染みる。


……飛ぶ気だ。


レイは糸をもう一本、空中に張った。

見えない高さ。首の位置。飛んだ瞬間に絡め取るため。


糸を握る手に力を込めた瞬間――胸が熱を持った。


制服の胸元を押さえた指に、ぬるりとした感触が触れた。

汗じゃない。血だ。


人喰の“刃”は、実体の刃物だけではない。意思そのものが刃になる。殻の腕に乗って、皮膚を裂く。


「……ちっ」


全く見えなかった。


呼吸が浅くなる。

それでも、視線は外せない。


本体が飛ぶ瞬間を逃したら、次はもっと酷い状況を作るだろう。


「レイちゃん、血ぃ出とるで」


カナメが楽しそうに言う。


「黙れ。見えてる」


血は足元まで赤く染めていた。


「見えとるんやったら、倒れとったら?」


「……カナメ!集中しろ!」


口にした瞬間、殻がまた動いた。

札を貼られたはずの殻が、ぎくり、と首を上げる。

糸を張って縛っているのに、関節が無理やり軋む。


……本体がもう一段階、力を入れた。


殻の口が開き、そこから声が出た。殻の喉を借りた声だ。


「――灯」


その言葉が、妙に甘い。

怖気が背を撫でる。


(…狙いは灯郷家か?)


「なぁなぁ……レイちゃん。そいつ、やばめやで」


珍しく、カナメの声から軽さが抜けた。


「分かってる。だから――」


レイは踏み込んだ。

糸を引き絞り、殻の動きを一瞬止める。

その“止まった”瞬間だけが、刃を通す隙になる。


黒い刃が、影を裂く。

湿った布を裂く感触。

影が薄くなり、焦げた匂いが立つ。


今なら、捕まえられる。


「カナメ、左!逃げ道塞げ」


「了解……っと」


カナメが動いた。

レイの糸と、カナメの札。

殻を止め、影を削り、飛ぶ瞬間を縛る。

ここまでは、噛み合っていた。


殻が崩れ落ちる。

その背中から、黒い影が“抜ける”。

抜けた影は、蛇みたいにうねりながら路地の上へ跳ねた。


――飛ぶ。


レイは張っていた糸を弾いた。

空中の見えない線が、影を絡め取るはずだった。


……ぷつり。


音がした。

いや、音じゃない。感覚だ。

レイの指先から、一本の糸が途切れた感覚。


「……っ、カナメ!何した!」


視線を向けるより早く、足元が崩れた。

糸は罠じゃない。レイの“踏み込み”を支える支点でもある。

その一本が切れたせいで、体勢がわずかにずれる。


そのわずかなずれを、人喰は逃さない。


殻の腕が跳ねた。

刃物じゃない。影そのものが刃になっている。

横薙ぎ。肋のあたりに、冷たい線が走る。


「――っ!」


避けた。避けたはずなのに、遅かった。


制服の布が裂け、皮膚が裂ける。

熱が遅れて噴き上がり、次の瞬間、生ぬるいものが腹を伝った。

息を吸うと、痛みが深くなる。吐くと、血の匂いが喉に上がる。


レイは歯を食いしばり、倒れないまま、短刀で影を叩いた。

叩くというより、押し返す。


影がひるみ、ようやく体勢が戻る。


「……殺す気か?」


レイの声は低く出た。

怒鳴る余裕がない。


これまでにもカナメに裏切られたことはある。それでも、ここまで明確な殺意を向けられたのは初めてだった。


カナメは、路地の端で手を振っていた。

さっきまで共闘していたとは思えない距離で、見物している。


「えー? ちゃうちゃう。ちょっと糸、切れただけやん」


軽い。軽すぎる。


その隙に、人喰が“飛ぶ”。


影が、路地の外へ跳ねた。

ちょうど通りがかった男の背に吸い込まれるように溶ける。

男の肩がびくりと跳ね、歩幅が変わる。目が据わる。


捨てられた殻が、地面に倒れたまま動かなくなった。

そこには、もう“誰も”いない。


「……くそ……」


追う。追わなきゃいけない。

けど、足に力が入らない。呼吸が痛みで途切れる。

血が、制服の中で熱く広がっていく。


「追わへんの?」


背後で、カナメが楽しそうに言う。


「あ〜あ残念やなぁ。死ねへんかったんや?あとちょっとやったのになぁ?」


人喰に対してか。レイに対してか。


レイは振り返り、短刀を構えたまま睨んだ。


「……わざとだろ」


カナメは肩をすくめる。


「構ってくれへんから、ちょっといたずらしただけやん〜」


「……」


「死ぬか思た? あは、ええ顔してたで」


喉の奥が冷える。

こういうやつだと分かっているのに、何度でも腹が立つ。


「でも安心し。久世さんに怒られるん、レイちゃんだけやし」


人喰は逃げた。殻を捨てて、別の器へ渡った。

今この瞬間も、どこかで“殻”が増えていく。


レイは制服の胸元を押さえ直した。指が赤く染まる。

痛みが、ようやく現実になる。


追えない。追わないんじゃない。追えない。

その事実が、一番腹立たしい。


カナメが後ろで笑った。


「ほな、帰ろか。レイちゃん、血ぃ垂れてるで。校則違反やなぁ?」


カナメを無視して歩いた。相手にする気力も残ってはいなかった。

夜の空気がやけに冷たくて、傷口だけが熱い。


――殻渡りの人喰。

仕留め損ねた。

次に会う時は、もっと手遅れになっているかもしれない。


それでもレイは、熱い血を抱えたまま歩くしかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ