第3話 銀色の毛玉と女神の疑念
腕の中のギンは、すっかり俺に懐いたのか、あるいは単に走る振動が心地よいのか、すやすやと寝息を立てている。
銀色の毛並みが太陽の光を受けてキラキラと輝き、なんとも愛らしい。
肩の上のサンテアも、時折腕の中のギンを覗き込んでは、嬉しそうに微笑んでいる。
「ギンちゃん、本当に可愛いですね。ふわふわです」
「ああ、毛並みは最高だな。これ、高く売れるんじゃ……いや、なんでもない」
「アンリ様?」
危ない危ない。
つい本音が。
まあ、こいつを売る気はさらさらないが。
『ふん、あのような毛玉のどこが良いのじゃ。もっとこう、神々しい聖獣とか、獰猛なる幻獣とかを連れるのが普通じゃろうに』
エルラードが早速、サンテアの声でケチをつけてくる。
アンリヴァルトが死んだ原因を作ったことへの反省はどこへやら、その態度はすっかり元の女神モードに戻っている。
「俺は別に普通じゃないからいいんだよ。それに、こいつ結構役に立つかもしれないぞ?」
『役に立つじゃと? あの毛玉が? 寝言は寝て言うが良いわ』
しかし、エルラードの疑念とは裏腹に、ギンはその後、時折不思議な能力の片鱗を見せるようになった。
例えば、俺たちが昼食のために街道から少し外れた森に入り、サンテアが木の実を集めている時だった。
色とりどりの木の実が茂る中、ひときわ鮮やかな赤い実を見つけ、サンテアが「わぁ、綺麗!」と手を伸ばそうとした瞬間。
それまで俺の腕の中で気持ちよさそうに眠っていたはずのギンが、突然「キャン!」と鋭く短く鳴き、俺の腕から飛び降りると、サンテアの足元に駆け寄り、その裾を軽く噛んで引っ張ったのだ。
「痛っ! ギンちゃん、どうしたの? いきなり……」
「ん? どうしたギン、腹でも減ったか?」
サンテアが驚いて手を引っ込め、俺も駆け寄る。
ギンはサンテアの裾を放すと、今度は赤い実が生っている低木に向かって低い唸り声を上げ、全身の毛を逆立てて威嚇するように激しく首を振っている。
明らかに「それに近づくな」と言っているようだった。
『ほう……? あの実は確か……』
俺の肩の上からサンテアの声色で、エルラードが何かに気づいたように呟く。
「なんだよ、知ってるのか? その変な反応」
『うむ。あれは確か……うん、「龍泣かせ」と呼ばれる猛毒を持つ実じゃな。古文書によれば、一つ食べただけで屈強なるドラゴンですら七日七晩苦しみ悶える……とか言われておる代物じゃ。人間が口にすれば……まあ、即死じゃろうな』
「マジかよ! 見た目は美味そうなのになぁ」
俺は思わず後ずさり、改めて赤い実を見る。
艶やかで、まるで宝石のようだ。
だが、その美しい見た目とは裏腹に、とんでもない毒物だったらしい。
もしギンが止めていなければ、サンテアは……。
「ありがとう、ギンちゃん! 危ないところを助けてくれたのね!」
サンテアはギンを優しく抱き上げ、頬ずりしながら心から礼を言う。
ギンは威嚇をやめ、代わりに得意げに「くぅん」と喉を鳴らした。
「やるじゃないか、ギン。大手柄だな! よしよし」
俺がそのふわふわの頭をわしわしと撫でてやると、ギンは尻尾をちぎれんばかりにぶんぶんと振って喜びを表現した。
『……偶然じゃろ。たまたま、その毒の実の匂いを知っておっただけかもしれん』
エルラードはまだギンの能力を認めたくないらしい。
だが、それだけではなかった。
その日の夕方、野営地を探して森の中を進んでいると、ギンが突然立ち止まり、進行方向に向かって唸り始めたのだ。
「どうした、ギン? また何か見つけたのか?」
『む? この気配は……少し厄介な魔物がおるようじゃな。数は……三体か』
エルラードが素早く状況を分析する。
俺にはまだ何も感じられないが、ギンとエルラードは何かを察知しているらしい。
「へぇ、結構鼻が利くんだな、お前」
俺が感心していると、ギンは俺のズボンの裾をくいっと引っ張り、別の方向を顎で示した。
まるで「あっちへ行け」と言っているようだ。
「なるほど、危険を避けて迂回しろってことか。賢いじゃないか」
『ふん、まあ、危険を事前に察知する程度の能力は、下級の魔獣でも持っておるわ。驚くほどのことでもあるまい』
エルラードは相変わらず素直じゃないが、俺はギンの賢さに素直に感心した。
面倒な戦闘を避けられるならそれに越したことはない。
俺はギンの示す方向へ進路を変えた。
そんなこんなで、新たな仲間ギンが意外なところで役に立つことが判明しつつ、俺たちの旅は続いていた。
アンリヴァルト特急俺の足は、時にエルラードの文句を聞き流しながら、時にサンテアの質問に答えながら、時にギンに助けられながら、アブリルへと続く街道を快調に進んでいく。
いくつかの小さな宿場町を通り過ぎた。
どの町もジモティやこれから目指すアブリルに比べればずっと小さく、素朴な雰囲気だった。
サンテアは初めて見る様々な町並みや人々の暮らしに目を輝かせ、道端に咲く見たことのない花や、珍しい鳥を見つけるたびに歓声を上げていた。
スラム街で育った彼女にとって、この旅は見るもの聞くものすべてが新鮮なのだろう。
その純粋な反応を見ていると、退屈しがちな道中も楽しく感じられるから不思議だ。
『まったく、子どもらはすぐにはしゃぎおって……。サンテアよ、少しは女神の依り代としての自覚と威厳を持たんか!』
「いいじゃないですか、女神様。だって、本当に綺麗なんですもの! 見てください、あの蝶々!」
『むぅ……まあ、確かに翅の模様は中々……いやいや、いかんいかん!』
エルラードは不満げな声を上げつつも、サンテア自身が心の底から旅を楽しんでいる様子を見ると、強くは言えないようだ。
最初はぎこちなかった女神と少女の奇妙な同居生活も、旅を通じて少しずつ変化し、馴染んできているのかもしれない。
日が暮れる時間も早まってきた。
その日の夕暮れ時、俺たちは街道から少し離れた小川の近く、開けた草地を見つけて野営の準備を始めた。
もはや手慣れたアンリヴァルト流野営術である。
まず、近くの枯れ木や倒木を適度な長さに折り、簡易的な風除け兼シェルターを組み立てる。
次に、地面を適度に掘って石を並べ、即席のかまどを作る。
サンテアとギンが周辺で枯れ枝を集めてくる間に、俺は小川で水を汲み、昼間に捕まえておいたウサギのような小動物を捌く。
そして仕上げは、一瞬にして焚き火を起こす。
あっという間に、文明的なキャンプ場もかくやという快適な野営地の完成だ。
「アンリ様、すごいです! いつ見ても魔法みたい!」
「まあな。これくらい出来なきゃ、魔瘴の森じゃ生きていけないからな」
俺はドヤ顔で胸を張る。
無敵の力はサバイバルにも非常に役立つのだ。
『……その有り余る力を、なぜもっとギガ回復という建設的な目的に使えんのじゃ、この脳筋は……』
エルラードの小さなぼやきは、焚き火の爆ぜる音にかき消された。
夕食は、ウサギもどきの丸焼きと、サンテアが集めた木の実や近くで採れたキノコを入れた具だくさんのスープ。
ギンにも焼いた肉を少し分けてやる。
焚き火を囲みながらの食事は、どんな立派なレストランの料理よりも美味しく感じられた。
食後は、焚き火の炎を見つめながら、他愛のない話をする時間だ。
サンテアがジモティの街の孤児院の子供たちのことを心配そうに話したり、俺が前世の科学技術について語って二人をポカンとさせたり。
エルラードは時折、「それは違うのじゃ!」「本来はこうじゃ!」と得意げに知識を披露するが、その大半は俺にはチンプンカンプンだった。
そんな穏やかな時間が流れていく。
旅に出てからまだ数日だが、ジモティの街での騒々しい日々が遠い昔のことのように感じられた。
翌日も、俺たちは街道をひた走った。
昼過ぎ、なだらかな丘を越えると、前方に石造りの大きな建造物が見えてきた。
街道を横切るように建てられた壁と、その中央にある物々しい門。
門の前には槍を持った兵士が数人立ち、街道を行き交う人々や馬車を検めているようだ。
「あれが、領境の関所か?」
「みたいですね。結構大きい……。それに、兵隊さんもたくさんいます……」
サンテアが不安そうな声を出す。
俺の肩の上で、わずかに身を縮こませるのがわかった。
無理もない。
俺には正式な身分証がない。
おまけに、腕には珍しい魔獣のギンを抱えている。
普通に考えて、すんなりと通れるとは思えない状況だ。
『ふん、我が行けば一発じゃ! 女神エルラードの威光、とくと見せてくれるわ!』
「だからやめろって。絶対ややこしくなるから!」
俺はエルラードの自信満々な提案を即座に却下する。
さて、どうしたものか。
正直に話すか?
それとも、また無敵パワーで突破してしまうか?
俺は小さく息を吐き、近づいてくる関所と、厳つい顔でこちらを見ている兵士たちを、少しばかり面倒くさそうに睨みつけたのだった。




