第4話 関所破り?と女神の威光(笑)
領境の関所は、思った以上に物々しい雰囲気を漂わせていた。
高い石壁が街道を遮断し、その中央には頑丈そうな木と鉄で補強された大きな門が構えられている。
門の両脇には見張り台があり、数人の兵士が鋭い目で街道を監視していた。
門の前では、槍を持った兵士たちが数人、通行する人々や馬車を一人ひとり、一台ずつ呼び止めては、書類を確認したり、荷物を改めたりしている。
「うへぇ、思ったより厳重だな……」
俺は少し離れた場所で足を止め、その様子を窺う。
他の旅人たちは、慣れた様子で兵士に通行証のようなものを提示し、簡単な質問に答えて門を通過していく。
中には、荷物を細かく調べられている商人もいるようだ。
「アンリ様、どうしましょう……私たち、通れるでしょうか?」
肩の上でサンテアが不安げに囁く。
彼女の声には心配の色が濃くにじんでいた。
俺の腕の中のギンも、何かを察したのか、少し身を固くしている。
「まあ、なんとかなるだろ。正直に話せば……いや、待てよ」
俺にはジモティの街でマーシュが作らせた、一応の身分証明書があるにはある。
ただ、「アンリヴァルト、職業:旅人、特記事項:ジモティ領主ルブレド子爵の知人」と書かれたそれは、どこまで通用するか怪しい。
それに、このギンをどう説明したものか。
ペットとして認められるのか、それとも危険な魔獣として没収されるのか。
『ふん、何をグズグズしておる。この我がおるのじゃぞ? 堂々と女神エルラードの御名において通ると宣言すればよかろう!』
エルラードが自信満々に言い放つ。
その声には、何の根拠もない絶対的な自信が満ち溢れていた。
「……なあ、それ本気で言ってる?」
『当然じゃ! 我は女神ぞ? たかが人間の関所の番人ごときが、我の通行を阻むなど、万死に値するわ!』
「いや、お前、今サンテアの体だし、誰も女神だって知らないだろ……」
この女神、力を失って感覚まで鈍っているのだろうか。
あるいは、元々こういう思考回路なのか。
いずれにせよ、彼女の提案は却下だ。
絶対に面倒なことになる。
「よし、ギン、ちょっとリュックに入れ。静かにしてろよ」
俺は腕の中のギンを、背負っていた大きめのリュックの中にそっと押し込む。
ギンは「きゅぅん」と小さく鳴いたが、大人しく布の中に潜り込んだ。
これで少なくとも、魔獣連れという問題は一時的に回避できるだろう。
「いいか、エルラード。お前は絶対に喋るなよ。俺がなんとかする」
『む……我の神々しい威光を示す絶好の機会じゃというに……』
「いいから黙ってろ!」
俺は念を押し、サンテアにも「大丈夫だから、俺に任せて」と小声で伝えると、意を決して関所の兵士の列に並んだ。
順番が来て、俺は門の前に立つ兵士に向き合う。
兵士は、俺の質素な旅装束と、肩に乗せた小さな少女を訝しげな目で見ている。
「止まれ。身分を示すものと、通行の目的を述べよ」
兵士の声は硬く、威圧的だ。
「ああ、旅の者だ。隣のアブリル港を目指している。身分証は……これなんだが」
俺は懐からマーシュ謹製の身分証明書を取り出し、兵士に差し出した。
兵士はそれを受け取り、眉間に皺を寄せながら内容を読み始めた。
「……アンリヴァルト? 聞かんな。どこの出身だ?」
「えっと、遠い東の方から……」
「東? どこの国だ?」
まずい。
適当なことを言ったらボロが出そうだ。
俺が言葉に詰まっていると、兵士の疑いの目はさらに深まる。
「それに、この『ルブレド子爵の知人』というのはどういうことだ? ジモティの領主が、こんな怪しい旅人の保証をするとは……」
兵士が証明書を突き返そうとした、その時だった。
『無礼者っ!!』
突然、サンテアの口から、凛とした、しかし妙に甲高い声が響き渡った。
しまった、黙ってろと言ったのに!
「な、なんだ、小娘?」
兵士は驚いてサンテアを見下ろす。
他の兵士や、列に並んでいた人々も、何事かとこちらに注目している。
『貴様、今、誰に向かって口を利いておるかわかっておるのか!? このアンリヴァルト様は、いずれ世界を……いや、この方をどなたと心得る! こちらは、かの高名なるジモティの領主、ルブレド子爵が直々に後見人を務める御方なるぞ! その身分証に疑いを持つなど、子爵への侮辱も甚だしいわ!』
サンテアは、小さな体を反らせ、ふんぞり返るようにして兵士を睨みつけている。
その姿は、子供が大人の真似をして虚勢を張っているようにしか見えず、威厳など欠片もない。
むしろ滑稽だ。
「……ぷっ」
近くにいた別の兵士が、思わず吹き出すのをこらえている。
最初に話していた兵士も、呆れたような、馬鹿にしたような表情を浮かべている。
「おい、旅人。お前の連れの小娘は、少し頭がおかしいのか? それとも、何かやましいことでもあるから、こんな芝居を打っているのか?」
「い、いや、これはその……こいつはちょっと夢見がちで……」
俺は慌てて取り繕おうとするが、もはや手遅れだ。
エルラードの余計な一言で、状況は最悪の方向へと転がり落ちている。
「ふん、怪しい奴らめ。念入りに調べさせて貰うぞ! おい、こいつらの荷物を改めろ! そこのリュックもだ!」
兵士が他の兵士に指示を出す。
まずい、リュックの中にはギンがいる!
『な、何を! 我の……いや、この方の荷物に気安く触れるでないわ! 不敬者めが!』
エルラードがさらに騒ぎ立て、兵士の一人が俺の背中のリュックに手をかけようとした、その瞬間。
「あ、わりぃ、ちょっと凭れるわ」
俺は、迫ってくる兵士を避けようとしたわけでも、抵抗しようとしたわけでもない。
ただ、一連の騒ぎで少し疲れたので、すぐ隣にあった頑丈そうな関所の門に、ほんの少しだけ、体重を預けようとしただけなのだ。
無意識に。
ゴッ……!!
バキィッ!!!
鈍い衝撃音と共に、俺が寄りかかった重厚な鉄と木でできた門の一部が、まるで粘土細工のように内側へ大きく凹み、蝶番が悲鳴を上げて捻じ曲がった。
門全体がギシギシと不気味な音を立て、今にも崩れ落ちそうだ。
「「「「「…………え?」」」」」
その場にいた全員――兵士たち、列に並んでいた旅人たち、そして肩の上のサンテアと、騒いでいたエルラードさえも――が、目の前で起こった信じられない光景に、完全に動きを止めた。
時間が凍り付いたかのような静寂が、関所を支配する。
俺も一瞬、何が起こったのかわからなかった。
ただ、寄りかかった感触が思ったより柔らかかった、というだけだ。
「……あー、悪い悪い。ちょっと力が入りすぎたみたいだな。これ、弁償とかいるのか?」
俺は悪びれもせず、凹んだ門をペタペタと触りながら、目の前で顔面蒼白になっている兵士に尋ねる。
兵士は、壊れかけの門と俺の顔を交互に見比べ、わなわなと震えている。
「ひ……」
「ん? なんか言ったか?」
「ひぃぃぃぃぃっ!!」
兵士は短い悲鳴を上げると、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
他の兵士たちも、武器を構えるどころか、じりじりと後退りを始めている。
明らかに、俺を人間ではない何か、とんでもなく危険な存在だと認識した顔だ。
『……お、お主……またやりおったな……』
エルラードが呆れたような、それでいて少し面白がっているような声で呟く。
「いや、だって、門が思ったより脆かったんだよ」
「と、と、通ってよし……! どうぞ、お通りください……!」
へたり込んだ兵士が、震える声で叫ぶように言った。
身分証の確認も、荷物検査も、もはやどうでもよくなったらしい。
賢明な判断だ。
「お、そうか? そりゃどうも」
俺はあっさりと頷くと、壊れかけの門を通り抜ける。
肩の上のサンテアは、まだ少し呆然としているようだ。
リュックの中のギンは、静かにしている。
関所の内側に入り、振り返ると、兵士たちはまだへたり込んだまま、あるいは遠巻きにこちらを怯えた目で見ているだけだった。
「ま、結果オーライってことで。な?」
『……まったく、お主というやつは……。まあ、我の威光が通じたということにしておいてやるわ』
エルラードは、なぜか少し得意げな様子でそう言った。
こうして俺たちは、ある意味最もアンリヴァルトらしい方法で、無事に関所を突破し、新たな領地へと足を踏み入れたのだった。




