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第二十話 自分で決めること

.優しいプロローグ



 優しさって何だろう?さっきから考えているけど、全然分からない。

 わたしは、わたしのことをもっと好きになってほしいだけ、もっとわたしを必要としてほしいだけ。だから、あんなに頑張ったんだ、けど、分かってもらえなくて、むしろ邪魔するなと怒られて喧嘩して...


 誰かに分かってもらえないと、優しさとは言わないの?相手にお礼を言ってもらえないと、ただの自己満足になってしまうの?そんな事はないと、自分で否定してるけど、答えがない、答えが出てこない。だから、自信が持てない。


 優しさって何?





.悲しいプロローグ



 これは、確かに人助けなんだ。

いきなり私の前に現れて、決められた時間に立入禁止区域の第三区へ来いと言われて、赴いた先で見知らぬ男達に囲まれて、武器と多額の金を見せつけられて、助けてくれ、とお願いをされてしまった。

 最初は勿論断ったさ、私に出来るはずがないと、それに犯罪に手を染めるつもりもないと。だが、向こうは予め私の事を調べていたのだろう、返せない金の苦しみはよく分かると、そう言われてしまい...気がついたら、一度も触った事がない拳銃を手にしていた。


 これは、確かに人助けのはずなんだ。私が動けば、救われる彼らがいる。それに、私だって苦しみから解放されるんだ。 

 だが、本当にこれでいいのか?いくら、自分に言い聞かせても、答えがまるで出てこない。


 ...本当に、こんな事で私は救われるのか?





1.



 良い夢を、見たような気がする。夢って不思議だ、いくら覚えたくてもあっという間に忘れていくんだから。

 相棒と中層を旅していた時は、眠った事なんて一度もなかった、だってその必要が無かったから。けど、今は彼女と同じように眠るようになって、その必要性がよく分かった...ような気がする。わたしや相棒は、グラナトゥム・マキナと呼ばれる、まぁ何だ、機械の人間みたいな存在だから、そもそも体が疲れる事もないし、睡眠を取らなかったからといって精神に支障をきたすものでもない。

 じゃあ、どうして取るのかって?それは気持ちがとても良いから!大好きな人と一緒に眠って、同じように起きて、朝日を浴びながらおはようと言い合う。また、新しい楽しい一日が始まると思うと、とてもわくわくする。

 けど、今日は楽しいどころか、今まで一番最悪な日になった。



「おはよう」


 隣に眠る彼女を見る、まだ眠っているようだ。早く起こして色んな事がしたかったけど、我慢した。昨日やっと、この家に帰ってこれたんだ、彼女はそんなに好きじゃないと言っていたけど、やっぱり自分の家が一番なのだろう、小さな口からよだれを垂らして寝ている彼女はどこか間抜けで、それでとても愛おしく思える。


(よし!お姉さんが頑張っちゃうもんね!)


 勝手にお姉さんになって、彼女のために家の事をやろう、そう思い立ち、まだ眠く少し怠い体を起こす。


(んん?あれ、下着がない…)


 おかしい、昨日眠る時は確かに付けていた、白いリボン付きの下着が無くなっている...寝苦して取ったのかな?えぇ自分で取るか?辺りを見てもない、いや、あぁ...え?まぁいいか。

 少し解放的になった胸をそのままにして、彼女の部屋を出る。出てすぐはダイニングとなっており、青と白で統一された爽やかな雰囲気がある。玄関よりの壁には彼女が使っている一人用のソファがあり、可愛い模様が描かれたラグの上には、毛布に包まり横になっている、中層からの相棒がまだ寝ていた。遠慮なくお尻を蹴る。


「おはよう!いつまで寝てるの!」


「いったぁ…何するの…」


 蹴られたお尻を擦りながら起き上がる。相棒の名前は、グガランナ。天の牛を由来に持つグガランナは、彼女の事になると度を過ぎた変態になってしまう、いざという時は頼りになる変態だ。変態しか出てこない。


「あれ、私、寝ていたの?嘘…眠ったのは初めてだわ…」


 寝ぼけながらおかしな事を言う。


「いつまで寝てるのさ、早く起きなよ」


「アマンナ…あなた達のせいでしょうに…」


 アマンナはわたしの名前。由来は知らない、あるのかな?

 ぶつぶつと文句を言うグガランナを無視して、キッチンに立つ。...あれ見た事がない物ばっかりだ。彼女の代わりに朝ご飯を用意しようと思ったけど、よく考えてみれば一度も用意なんてした事がなかったことを思いだす。

 彼女と出会ったのは、この街の地下にあるメインシャフトと呼ばれる中層と、ここ上層を繋ぐ大きな塔のようものがある。その中は全部で十階層もあり、一つ一つの階層にはさらに四つのエリアがある。その内の一つである居住区エリアと呼ばれる場所で、わたしとグガランナは彼女と出会った。出会ってからの彼女は、既に作られたご飯ばかり食べていたのだ、自動で作られたご飯に、既にあったご飯に...駄目だ、わたしは今まで彼女のご飯のために、役に立った事がない。


(よし!それなら作ってみよう!)


 ...どうすればいいんだ?やる気はあるのだが、作り方がさっぱりだ。

 あぁそうだ、サーバーで調べたらいいのか、早速調べてみよう。わたしの網膜に擬似投影されるログイン画面を呼び起こす、使った後は目がちかちかするのであんまり好きではない、けど文句は言っていられない。キッチンから見える室内の風景と一緒に、ログイン画面が見える。後は、わたしの虹彩に刻印されている生体パスワードを読み込めば、サーバーにログインする事ができる。久しぶりに見たメインメニューには...何のこのメッセージの数、見るだけで萎える。無視して、「料理 作り方 手早く 簡単」と検索ワードを脳内の言語野から直接入力し、よくよく考えたら簡単も手早くも同じ意味である事に気づく。まぁいい、検索画面に出てきたスクランブルエッグと呼ばれる料理がとても気に入ったので、早速作ってみる。


(えーと、まずは…)


 材料からだよね?あれでも、材料ってどこにあるんだ?キッチン周りを見てみても、よく分からない。

 あれ、この箱どこがで見たことあるな、ここかな?とくに考えもせずに扉を開けると、びっくりするぐらいの音が鳴り、慌てて閉めた、けれど音は鳴り止まない。


「わぁ、わわわわ!何で?!何で?!」


「アマンナ?!この音は何?!何をやったの!!」


「ち、違う!わたしはただ、扉を開けただけで!」


 そう言っている間も音は鳴り続けている、こんなに音が鳴ってしまうと、せっかく気持ち良く寝ている彼女が、


「こらぁ!何やってるの!駄目でしょ扉を開けたら!」


 起こしてしまった、それに怒られてしまった。


「ち、ちが、朝ご飯用意しようと思って…」


 大きな音が鳴り続ける箱の前に座り、もう一度扉を開けて、何やら取り出した。彼女の手に握られているのは、所々が黒く変色してしまった灰色の塊だ、それに甘いような、すえた臭いもしてきた。その塊を捨てて、新しい塊を入れるとあれだけうるさかった音がようやく止まった。


(あ、これって…あぁ!!しまった…)


「そんな余計なことしなくていいの!おかげで一個無駄になったでしょ!これ高いんだよ?!」


「ご、ごめんなさい…」


 余計なことって、わたしは朝ご飯を用意してあげたかっただけなのに...



2.



 体が重い、若い頃にはなかった倦怠感が、どれだけ眠っても残り続けている。いや、昨日はあんな事があったんだ、緊張、ストレス、不安、色々な悪感情が胸に居座り続けた中でも、よく眠れたほうだ。

 体を起こし、いつものようにトイレを済ませてから朝食を食べる。昔の人間は、材料から切ったり、潰したり、煮たり、焼いたりして作っていたそうだ。

 カリブン・ストーブに繋がれた冷温室から、いつもの朝食を取り出す。いい加減この味にも飽きてきた、冷温室のバージョンを変えたいが今は贅沢できるだけの金も無い。

 ...そうだ、金ならあるんだ。昨日、第三区で落ち合った連中から、見た事がない札束を見せつけられたのだ。契約金として、私の鞄にはいくらか入っている。

 玄関前にいつも置いてある鞄から、よれてしまった、だが確かに本物の札束を手に取る。これだけあれば、いくら返しても減らない元金をいくらか返し、冷温室のバージョンも変える事が出来るだろう。

 見せつけられた残りの金は、街に三ヶ所しかないカリブン受取所から強奪してくることだ。決められた量を奴らに納品すれば、あの大金を手にする事が出来る。だが、カリブン受取所の強盗犯は重罪だ、弁護士を付けることなく刑務所行きが確定してしまう。私が逃げられるように足と武器も、奴らはわざわざ用意してくれていた。

 どこで私の事を知ったのだ?しがないただの案内係である私を。それに、作ってしまった借金の額まで奴らは把握していた。まるで狙い撃ちだ、私なら断らないだろうと周りを固められているように感じる。不気味だ。


(もうこんな時間か…)


 手早く朝食を済ませ、身支度を整える。館内で着用する空間投影型の名札は規則として、通勤中には付けないことになっている。私が博物館で働いている事が周りに知られてしまえば、何に利用されるか分かったものではない。あそこには、貴重な物がごまんと眠っているので、過去に何度か窃盗騒ぎになったことがあった。犯罪に案内係が利用されないための規則だが、その規則に守られている私が今日、受取所を襲うなど誰も想像できまい。

 博物館に就職した際に記念として買った丸型のフレーム眼鏡をかけ、仕事に使っている鞄を持ち玄関の扉を開ける。今日が最後になるかもしれない我が家を振り返り、しばらく眺めた後職場へと向かった。


 これでいい、これでいいんだ。自分が動かなければ何も変わらないんだ。もう、これ以上返済の催促を受けたくない、ただそれだけのためなんだ。



3.



 料理作りは失敗した、彼女にも怒られてしまった、けどめげない。

 この街でも食事の取り方は、中層にいた時とそんなに変わらなかった。冷温室と呼ばれるあったかいのか冷たいのか分からない箱の中で、自動で作られるそうだ。その電気を送っているのが、さっきわたしが盛大な音を出してしまったカリブン・ストーブ。あれ、途中で開けるのはご法度らしく、中に入れてあるカリブンが使い物にならなくなるみたい。それに一個あたりのカリブンは、一ヶ月分のご飯代になるらしくとても高いらしい。それは怒られて当たり前だ。


(でも、あんな言い方しなくても…)


 余計なこと...だったのかな?でも、わたしも自動で作ってくれるなんて知らなかったし、サーバーで調べたらきちんと材料も書いてあったし。あれは一体何だったんだ?まさか大昔の作り方をわたしは見ていたのか?

 気を取り直して、今度は部屋の掃除をする。今、グガランナ達が朝ご飯の材料を近くのお店に買いに出かけているので、この家には誰もいない。本当はわたしも出かけたかったけど、さっきの失敗を取り返さないといけないので残ったのだ。


(やるぞー!)


 今度こそ部屋を綺麗にして彼女に褒められよう!そうだ、わたしは迷惑をかけたいわけじゃない、役に立ちたいのだ。

 今度はしっかりと調べる、サーバーには、「カーボン・リベラ 現代 掃除」と検索ワードを入力し、時代を間違えないようにする。

 出てきた検索画面に落胆してしまった。何もしなくていいって、そんなことある?すると、どこから出てきたのか丸型の小さな虫のような機械がわらわらと、壁や床、窓など至るところを掃除し始めたのだ。わたしの足にも丸型の虫が這い寄ってきている中、もう一度検索画面を見ると、各建物には、自動掃除機@丸型や、@人型、人型?さらには@絨毯型と呼ばれるものが備え付けられているらしい。何だ絨毯型って想像もできない。つまりは、本当に掃除をしなくていいらしい、どおりで彼女の家は、久しぶりに帰ってきたというのに綺麗なわけだ。この丸型の自動掃除機が綺麗にしてくれていたのだ。


「わたしの仕事…取られた?」


 そんな...虫ごときに?いや、虫ではないけど。こんな奴らに負けていられないと、わたしも自分に出来る事を考えて、床を水拭きして綺麗にしようと思い立つ。

 シャワールームに飛び込み、昨日わたしが使ったバスタオルを、一緒に入っていた彼女の青い柄の下着に少しドキドキしながら探す。


(昨日は、テンションがおかしかったから平気だったけど…)


 意外と大人っぽいんだなと、変な事を考えながら探し当てたバスタオルを手に取る。

 屈んでいた体を起こし、立ち上がろうとした時に腰が何かに当たった、痛いと思った時にはまた盛大な音が鳴り、わたしの足元がぬるぬるとした液体に覆われてしまった。


(あぁぁぁあ?!!何これぇ?!!)


 しまった、またやらかした。いやでも、まだ間に合う!急いで溢した何かの液体を拭き取らなければ、手にはちょうどバスタオルがある。急いで身を屈めたのが悪かったのか、今度はつんのめってしまい洗濯かごに頭からダイブしてしまった。かごに入っていた彼女の大人っぽい下着から、昨日わたしが買ってもらった新しい服なんかが散乱してしまい、さらには謎の液体に服もわたしも濡れてしまった。


(これは…どうしたら、いいの?)


 駄目だ、動けない...下手に動いたら絶対滑ってしまう。今は四つん這いになり、手と膝に微妙な力加減を加えてなんとか持ち堪えている。すると、わたしの騒ぎに聞きつけたのか、それともシャワールームも掃除担当?になっているのか丸型の虫が、わさわさと這い出てきた。 


(あれ、これマズくないですか…)


 埃やら汚れやらを吸い取る機能で、こんな液体を吸い込んで大丈夫...じゃなかったぁ!あぁ!液体に触れた丸型の虫が次々と沈黙していく。


(あぁ!虫さんが!虫さんが!わたしのせいで!)


 その場で動かなくなったり、吸い込んだ埃なんか撒き散らしている。何てことだ、この自動掃除機は個人の持ち物ではなく、建物の備え付けなので壊してしまったら弁償しなくてはならない。

 そんな時に玄関の扉が開く音がした。


「ただいまー、アマンナーお待たせー」


「あら?返事がないわね」


「アマンナー?あれ、私の部屋かな、って何これ?!何で洗剤が床に溢れてるの?!」


「まぁなんてこと…アマンナ!」


 買い物袋を持ったグガランナがシャワールームを覗き込み、四つん這いになった挙句、青い柄の大人っぽい下着を頭にのせた状態で見つかってしまった。


「何やってるの!アマンナ!あぁ?!これマンションの掃除機だよ?!あぁあぁ…」


 彼女が身を屈めて、動かなくなってしまった虫さん達を丁寧に手で取っていく。手のひらにのせて確認しているが、どうやら駄目らしい。その顔は青い。


「これ…弁償しないと、それにこれだけの数…もう!何がしたいのアマンナは?!私に迷惑かけたいの?!」


「違うよ!わたしはただ部屋の掃除をしようと思って!」


「だから何でそんな余計なことばっかりするのさ!全部機械がやってくれるんだよ?!」


「余計だなんて!わたしは役に立ちたかっただけでそんな言い方しないでよ!」


「全然役に立ってないじゃん!大人しくしててよお願いだからさ!これ私が全部弁償しないといけないんだよ!もぅ…こんな事ならアマンナに洋服なんて買うんじゃなかったよ…」


「なっ!そんな、そんな言い方しなくてもいいじゃんか!わたしだって傷つくんだよ?!」


「うそ!さっきあれだけ怒ったのに全然懲りてないじゃん!それに私の下着まで掴んでさ、ほんと何がしたいのさ!」


「アヤメだってわたしの下着取ってたじゃんか!!何でわたしばっかり怒られなきゃいけないの!!」


「そんな馬鹿なことするわけないでしょ!適当なこと言わないでよ!もういいよ私の家から出て行って!どうせ余計なことして迷惑しかかけないもん!いてもいなくても一緒だよ!!!」


 そんな...そこまで言わなくても...わたしはただ...アヤメの役に立って...


「…わかった、もういい、出て行く…」


「アマンナ、あなたね、ここは謝るところでしょう?」


「うっさい!バーカバーカ!バカグガランナ!!」


「こら!あなたね!」


「べーべーっだ!べー!!」


 濡れた服のままで、シャワールームを後にする。掴んでいた下着もバスタオルも適当に放り投げて、玄関先にかかっていたコートを引っ掴んでそのまま家を出て行った。

 怒っていたアヤメは、一度もわたしを見てくれなかった。

 アヤメは、彼女の名前だ。わたし達と出会ってから初めて見た、あんなに嫌そうな顔をしているところを。

 

 アヤメの家から見えている街の風景は、昨日と違ってよそよそしい風に吹かれて、建物から上がる煙りも、まるで他人事のように関係なく空へ向かって伸びていた。



4.



 自宅を出て、いつも通勤で利用している最寄駅に到着した時、思いがけない人物と出会った。


「おぉ、おはよう、お前はこの駅だったっけか」


「館長?あぁ…おはようございます」


 私が働く博物館で館長を務めている男だ。髪は白く染め上がってはいるが、体は至って元気らしくよく他の案内係の人間と遊びに出かけている。私も何度か誘われて、彼の後について行ったことがあった。あまり楽しかった記憶はないが、だからと言って邪険に扱う程出来の悪い人間ということもない。


「館長、今日はどうされたのですか?まさか、朝帰りですか?」


「あっはっはっは!そのまさかよ、昨日はちょいと呑みすぎてしまったみたいでな、古い友人の所に泊まらせてもらっていたのさ」


 何の悪びれもなく豪快に笑う、職場でも同じだ。どんな失敗をしても最初こそ怒りはするが、最後はいつも笑って励ましてくれる。敵は少なく、味方が多い稀有な人物だ。


「そうですか、なら今日は博物館までご一緒することになるのですね」


「何だ?俺と一緒に行くのが嫌か?」


「まさか、いつも一人なので今日は賑やかな出勤になりそうかと思いまして」


「そうか、お前は今日、強盗をするというのに変わらず出勤するのか、度胸だけはあるな」


 自分の耳を疑った。館長は今何と言ったのだ...私が強盗をする?何故、それを知っているのか。


「何の…」


「すまんな」


 そう一言だけ残して、駅前の人混みの中へと消えていく館長をただ呆然と見送る。

 何故、彼は私に謝罪したのか、頭の中は混乱していたが、不思議と納得してしまった自分もいた。

 ...彼が私を第三区の連中に紹介したのか。いやだが、それなら彼は一体何だ?犯罪に手を貸していることになるのだ、彼はそういう男だったのか?

 駅に向けていた足を、隣のスーパーへと向けてそのまま店内に入る。朝の早い時間帯でも開いているこのスーパーの中には、通勤客や顔に幼さが残る学生達が利用しているイートインスペースがある。空いている席に腰をかけて、暴れる心臓をなんとか宥める。

 どうすればいい?このまま、本当に実行しても問題ないのか?彼は知っているのだ、私が今日、重罪を犯す事を。実行に移す前から他人に知られてしまったのだ、とてもじゃないがすべきではないだろう。だが、第三区の連中からは今日の正午に実行しろ、と指示を受けている。後は、強奪したカリブンを用意してもらっている車を使い、第三区まで運ぶだけだ。それまで彼らに連絡を取る方法が無い。


(どうすれば…私はどうすればいいんだ…)


 私の周りにいる顔も知らない通勤客や、ペーパーブックを片手に、呑気に試験対策をしている学生達の他愛無い会話が耳に入ってくる。羨ましい、ただ当たり前の朝を迎えて、何の苦悩も無くこれから始まる一日を過ごせる彼らが、妬ましく思う。



5.



 アヤメのマンションを出て、昨日の夜に見せてもらった景色をもう一度見ようと、うろ覚えの道を辿っていると、沢山の人が歩いているのを見かけた。皆んなの顔は沈んでいて、似たり寄ったりの格好をしている。それに、皆んなもやっぱりこの街の臭いが嫌なのか、口元を布や丸い形をしたプラスチックのような物で隠しているのだ、あれが恐らくマスクなんだろうなと、どこか上の空で眺めていた。

 昨日は歩きやすかった細い通りも今は、アオラに乗せてもらったものと少し似てるようで違う車が、次から次へと走ってきて少し危なかった。建物伝いに轢かれないよう身を寄せて歩いていたのに、大きな音を鳴らされて少しムッとしてしまう。


(何なんだ、まったく)


 歩いているわたしに構うことなく走ってくる車に苛つきながら、やっと抜けた先には左右に建物が沢山建っている通りに出る。確か、この通りを過ぎた先に景色があったはずだ。そう思い、今度はゆっくりとした気持ちで歩いていると建物の前で遊んでいる子供を見かけた。身長はわたしより小さい、とくに考えることもなく遊んでいた子供に声をかけた。


「おはよう!何してるの?」


「あ、」


 少し困ったようにわたしの顔を見ている...女の子かな?髪は短いけど目はぱっちりとしていて女の子か男の子か分からない。すると、困った顔から泣きそうな顔に変わった子供が、おかあさーんと言いながら家に中に入っていってしまった。


(えぇ…)


 話しかけただけなのに...家の中から現れたおかあさーんが、警戒したような顔をわたしに向けながら、勢いよく玄関の扉を閉めてしまった。

 ...わたしって怖いの?え、そうなの?そんなはず...でも...怖いのか...

 凄く嫌な気持ちになってしまった。昨日、ショッピングモールで話しかけた人達は皆んな、会話をしてくれたのに。

 取り直せる気もなくなってしまった感じだけど、アヤメの家には帰れないし...仕方なく目指していた場所へ歩みを進める。

 いつの間に下を向いていたのか、自分の足ばかり見ていた。景色が見える坂の上に来たというのに、ちっとも楽しくない。


「あーあ…わたしが悪かったのかなぁ…」


 昨日の夜に見た景色とは違う、明かりも付いていない視界を埋めるビル群を眺めながら、さっきの事を考える。

 頭に出てくるのは、アヤメの怒った顔や嫌そうな顔ばかりだ。それだけで、胸が苦しくなってくる、アヤメの言う通り何もしない方が良かったのだろうか。


(でも、わたしは…)


 それじゃあ失敗していなかったら?ちゃんとご飯も用意できて、買い物に行っている間に掃除もきちんとできていたら?アヤメは喜んでくれたのかな...怒りはしないだろうけど。分からない。誰かのために役立とうと、自分から動いたのが初めてだったから。


「むぅ…」


 周りに誰もいないことをいいことに、への字口にして唸る。すると、


「ふふ、面白い顔をしてるね、君」


「わ!」


「おはよう、こんな所で一人?」


「あれ?確か昨日の…」


 ショッピングモールでわたしに声をかけてくれた店員の人が、胸に名札を付けずにわたしの隣に立っていた。


「そう、覚えてくれてたんだ?」


「う、うん、あ!おはよう!」


「うん、おはよう」


 さっきの子供のこともあって、少し他人に怯えていたわたしに声をかけてくれた、何だかそれだけで少し嬉しかった。


「今日は名札は付けてないの?」


「まだ仕事中じゃないからね、いつも付けてるわけじゃないよ」


「そうなんだ、どうしてここにいるの?」


「朝のジョギング中だよ、良かったら君もどう?」


「行く!」


 それじゃあいこっかと、店員の人が手をわたしに差し出してくれた。握った手は、アヤメと違って温かい。何だか少し、胸がドキドキしてきた。


「優しいね、店員さんは」


「そんな事ないよ」


 わたしを見ずにそう呟いた、けど顔は笑っている。その後しばらく、今度は一人増えて当てもなく街を歩いて行った。



6.



 朝から溜息しか出てこない。それもこれも、最後だと言われた中層攻略戦から帰ってきたあの人が、毎日毎日健気に気をつかってくれるからだ。

 最初は嬉しかった、末永く一緒に暮らそうと決めたあの人は、元々口数が多い方ではなく、たまに何を考えているのか分からない時があった。それでも、あの人は一途に私を思ってくれる人だと、長くもなければ短くもない恋人同士の時間で分かっていたことだ、だから私は両親の反対も押し切って結婚した。

 それが今や...


「おはようー、今日も変な天気だねー」


 同僚のアインが、いつものようにおかしな挨拶をしてくる。時間もギリギリ、カリブン受取所の取得申請開始時間まで、あと数分もない。


「おはようアイン、今日もギリギリね、所長に叱られるわよ」


「へーきへーき」


 そう言いながら、自前の鞄から化粧道具を取り出す。ここでメイクをするつもりなの?

 鞄から出てきたのは、先日発売された一番新しい化粧ポーチだった。ポーチの中から噴射式ファンデーションを手に持ち、鏡も見ずに化粧を始めた。


「あら、それって一番新しいやつよね?鏡を見なくても出来るって本当だったのね」


「これ、高かったけど便利だよー、さすがに電車の中でやったら、知らないおっさんに注意されちゃったけどさー」


 噴射式は手早くて出来て、手も汚れないから片付ける時は便利だが、毎回必ず鏡に自分のフェイスラインを記憶させないといけない。朝、何かと忙しい時に鏡の前で五分近くも待っているのがまどろこっしい。なので、私はいつも粉末状のものを使っている。


「おはよう二人共、アインはいつも時間通りに来てくれて嬉しい限りだよ」


「おはようございます、所長」


「おはようございます」


 カリブン受取所の所長が朝の挨拶をしてくる、スラリと細長く、髪も長く伸ばして後ろで纏めているので、遠くから見ると女性と間違えてしまう。

 嫌味を言われたアインは気にしていない。その図々しさというか、大らかな性格を少し羨みながら、所長からいつもと違った業務命令を聞く。


「今日は週末だから、いつもの通りに警官隊が見回りに来ると思うので対応よろしく、保管庫と監視室と、それから受取履歴のデータも確認するので、私のところに繋げてくれ」


「はい、分かりました」


「あー…恐らくだけど、お昼あたりは忙しくなると思うから、その時間帯は避けてもらうように」


「お昼あたり、ですか?何かあるのですか?」


「あぁまぁね、だから、警官隊には夕方頃に来てもらうように」


「いやあの、そもそも時間指定ってできましたっけ?」


「…あぁそれもそうか、私の方から警官隊へ連絡しておくよ、それじゃあ今日も一日よろしく」


 そう言い残し、所長室へと戻っていく。


「今の何?警官隊ってデリバリーだった?」


「さぁ…というかアイン、嫌味言われたの気づいてなかったの?」


 所長が奥へと戻ると同時に、正面扉のシャッターが開いていく。それと同じくして、受取所内の電灯も節電モードから切り替わり、無機質で質素な所内を明るく照らしていく。


「いちいち相手にしてらんないよ…おや?おやおやおや?あれって、シルダの旦那さんじゃない?ほらぁ、まぁ朝からお熱いことでまぁ」


 アインの言葉でドキリとし、入り口を見やると確かにあの人が待っていた。しかも先頭だ。


(はぁもぅ!恥ずかしいのに…)


 来るなら来ると先に言ってほしい、いや言われたところでどうなるものでもないけど。

 受取のために朝から並んでいた人達が、ぞろぞろと所内に入ってくる。先頭は私の結婚相手、その後ろには白髪頭の偉い人だろうか、恰幅の良いおじさんが申請カウンターにではなく、待合用のソファルームへと足を向けている。


(?)


 疑問に思いながらも、どこか嬉しそうな顔をした私の旦那の対応を始める。


「もう!ラジルダ!来るなら来るって先に言ってちょうだい!」


 小声で抗議をするが、あまり聞いていなさそうだ。


「いや、すまない、今日はデザートも入れようと思ったんだが、忘れてしまって」


「え?そのためにわざわざ?」


 まさか、カリブンの受け取りではなくそんな事のために...

 嬉しいやら、恥ずかしいやら、よく分からない溜息をついてしまった。



7.



 優しい店員の人と手を握りながら、街を沢山歩いた。

 アヤメが住んでいる建物と似たマンションの一階に、色々なお店が入っている通りをあれこれ聞きながら通り過ぎた。お店の入り口には、名札と同じようにホログラムで案内表示されていたり、人が手を振っていたり、今日はいつもより安く買えることを教えくれていた。

 通りを抜けて道に沿って立っている、葉っぱを落として寒そうにしている木を気にしながら、今度は大きな橋の下にやってきた。上はごうごうとうるさく何かが沢山、走っているみたいだ。店員の人にまた教えてもらって、高速道路と言うらしい。道路が高速で走っているの?それはうるさいはずだ。


「今日は、あのお姉さんとは一緒じゃないの?」


 うるさい橋の下も通り過ぎて、今度は少し空けた場所に出た時に、店員の人が話しかけてくれた。


「お姉さん?」


 多分、アヤメかグガランナのことなんだろうけど...どっちだ?


「そう…ほら、髪の色があなたと同じで、とても優しそうな人、私の同じ身長だったはずだよ」


 あぁ、グガランナのことか。


「うん、今日は一緒じゃないよ」


 少し、胸をちくりとさせながら答える。


「そっか、また良かったらお姉さんと一緒にお店に遊びに来てね」


「う、うん」


 すると、繋いでいた手を解いて、少し先を店員の人が歩き始めた。わたしはその後を、一生懸命追いかける。

 空けた場所になっていたのは、泉のようだった。その水面には、汚れた丸い物体がぷかぷかと一面に、まるで水面を隠すように浮いていた。あんな池は一度も見な事がなかったので、店員の人に聞いてみた。


「ねえ!あの泉は何?何で丸いのが浮いているの?」


「さぁ、何でだろうね」


「そ、そっか…」


 出会った時とは打って変わって、投げやりな、冷たく感じる態度に戸惑ってしまう。


(何かしたかな、わたし…)


 考えても分からない。さっきまでは手も繋いで、色々な質問にも答えてくれたのに。あれこれ聞いたのがまずかったのかな?そう思い、わたしも黙ってついて行く。

 丸い物で覆われて水面が見えない泉を、歩くスピードも速くなってしまった店員の後を追いかけて通り過ぎると、見覚えのある通りに出た。ここは、確か地下鉄の駅から登ってすぐの所だ。地下にある駅の入り口へ、次から次へと人が吸い込まれていく。その隣には、昨日は閉まっていたお店が扉を開けていた。

 話しかけても大丈夫かなと、手を繋いでもらった時とは違う胸のドキドキを感じながら、店員の人に声をかけた。


「あ、あの、」


「それじゃあね、楽しかったよ」


 そう笑顔で挨拶をして、わたしの言葉も聞かずに人混みの中へと消えてしまった。


(お礼、言いたかったな…)


 その場に立ち尽くして、店員の人が歩いていった方向を見る。どうして店員の人は、急に冷たくなったんだろう...わたしといるのが嫌になったのかな...ずっと騒いで、あれこれ聞いて、迷惑だったのかな。

 もう、歩く元気も話す元気も無くなってしまった。けど、行く当てなんか何もない。アヤメの家に戻りたいけど戻れない。


「あーあ…また一人ぼっちだなぁ…」


 その場で下を向いてしまい、やっぱりさっき別れた店員の人の事を考えてしまう。

 最初は優しくしてくれて嬉しかった、声をかけてもらえて、手も繋いでくれて、けどグガランナの話しをしたあたりから、急に態度が変わってしまった。


(わたしが今日一緒じゃなかったから?)


 そう、今日は一人だよと言った時から、変わったような気がするのだ。

 一緒だったら?グガランナと一緒に散歩をしていたら、あの店員の人は態度も変えずに優しくしてくれたのかな。


(それって優しさっていうのかな…)


 誰かと一緒じゃないと優しくしてくれない、そんな事ってあるか?それじゃあアヤメはどうなるんだ、特別、誰かと一緒にいたわけでもない、そもそも牛型のマテリアルで、人の言葉も話せないわたし達を気づかってくれたではないか。


(けど、そんなアヤメとも喧嘩するわたしって…)


 優しくしようとしたからこんな事になってしまったのかな、いつも通りにしていたら、今頃は家の中でアヤメともグガランナとも仲良くしていたのかな。

 …優しくしてはいけないなんてこと、あるのか。それこそ間違っているように思う、それなら、動けなくなってしまったわたしを気づかい、優しくしてくれたアヤメも間違ったことになってしまう。


(うぅ…分からない…)


 優しくすることが間違っているとは思わない。でも、どうすればいいのか、その正解が分からないから何度も悩んでしまう。


 いつまでもこんな所に突っ立っているわけにもいかないと、まだ入ったことがないお店の入り口に足を向けた。



8.



 「は?はぁ…はい、本日の夕方頃に、はい、はぁ、…あのすみませんが、うちはデリバリーではないので時間指定されても…はぁ、え?ヒルトン警視総監には話しを通している?はぁ…それなら、まぁ…了解しました」


 いつもご利用ありがとうございまーすとふざけながら受話器を置く。

 何なんだ、今の電話は。いつものようにパトロールに回ろうかと思えば、街の一番中心にあるカリブン受取所の所長から電話がかかってきて、事もあろうに今日の見回りは夕方にして欲しいだなんて。


「もうー!今日は予定があったのに!定時に終わんないじゃん!!」


「おいうるさいぞ!さっさとパトロールに行ってこい!」


 何だとう?誰が一番面倒臭い受取所の見回りに行くと思っているんだこの野郎。毎日毎日、ダンベル片手に出勤して来やがって...誰もあんたの筋肉になんか惚れてないんだよ!ちょっとは自重しろ!

 私が勤めているのは、カーボン・リベラ主要都市警官隊。様々な企業やお店、果ては個人経営しているお店から何から何まで、一手にその警護を業務として請け負っている。あなたの身辺をお守りするので代わりにお金をくれ、という事だ。

 警護対象に入っているカリブン受取所から、いつもは午前中に済ませている見回りを夕方に変更してくれと、挙句に時間指定までしてきやがった。


(はぁーもう、あそこは確認するだけで時間がめちゃくちゃかかるのに!)


 そう、とにかく時間がかかる。まずは建物周りに侵入した形跡が無いか、点検業者にやらせろよと毎回思うが、防犯システムに異常が無いかも見なくてはなならない。

 さらに所内も異常がないか確認し、カリブン保管庫もきちんと施錠されているか、一週間の間に誰が入って誰が持ち出したのか、さらにさらにカリブンを受け取った人の申請書にも不備が無いかを見なくてはならない。


「はぁーーーめんどくさっ!」


 指定するのはいいけどさ、こっちにもパトロールを回る順番ってものがあるんだよ?そこにいちいち確認を取らないといけないのだ。

 隊内に通話できる専用の受話器を取り、最近軍事基地から異動してきた友人に連絡を取る。


[はい、リアナです]


「おっはー私だよ、お願い事があるんだけどさ、ちょっといい?」


[えー何もう、また厄介事?私今日定時なんだけど]


「まだ何も言ってないじゃん!私も定時だよ!それよりさ、今日私が回る訪問先に連絡して時間を変えてもらうように言ってくれない?」


 見回る企業もお店も纏めて、警官隊は訪問先と言っている。


[だからそれを厄介事って言うだよ…えーどこに回るの?]


「博物館と、後は街の中央にある銀行と、とりあえずそこだけでいいや、後は個人店ばっかだからさ」


[それ、お店の人とトラブったら私らが文句言われるんだよ、お店の名前も教えて]


「いやぁやっぱりリアナだわ、めんどくさがりながらもちゃんと仕事してくれるリアナさんだわ」


[切るよ?]


 慌てて訪問先のリストを確認して、リアナに伝える。ご飯を奢る約束をして、今度は真面目に受話器を置く。

 ロッカールームに入り、防弾ジャケットを着込み、腰のホルスターに自動拳銃を入れる。使用される弾丸は、実弾ではなく強化ゴム弾だ。ゴムと言っても当たり所が悪ければ重傷になってしまうし、突発的に発生した事件に対応する時も、皆んな遠慮なく犯人の股間を狙っている。可哀想に...

 装備を整えて、パトロールに割り当てられた車に乗り込んだ時、耳のインカムにリアナから通信があった。


[あー、何て言えばいいのかな]


「は?何?」


 歯切れの悪い言葉だ、何かあったのかな。


[銀行に連絡したんだけどさ、担当者がいないからまた電話してきてほしいって、どうする?]


 私はそのままハンドルに突っ伏して、勢い余ってクラクションを鳴らしてしまった。道を歩いていた通行人に睨まれてしまい、ムカついたのでもう一度鳴らしてやった。



9.



 私の前には、空になった紙コップが五つも並んでいる。駅前で、館長と出会ってからスーパーのイートインコーナーでひたすら時間を潰していた。

 そもそも私は、館長と出会っていなかったらいつものように出勤していたのか?正午にはカリブン受取所へ行かなければならないのに?彼の言う通り、私は度胸だけはあるのかもしれない。正気の沙汰ではないだろう。

 鞄の中には、犯行に使う拳銃や、人質にした際に動きを封じる、プラスチックバンドや目隠しがある。

 そうだ、人質だ。誰にすればいいのか分からない。受取所に入り、私に一番近い人物にしようと思っているのだが、上手くいくのだろうか。近くに男性しかいなかったら?それに、腕力で勝てそうな女性を選んでも、その女性が格闘技などを嗜んでいたら、きっと勝てはしないだろう。

 後は、やはり館長の言葉が気になる。何故私が強盗することを知っていたのか、そして何故それを止めなかったのか。やはり、彼が協力者だからだろう。第三区にいた連中に私を売ったのだ。博物館も度重なる防犯システムのトラブルにより、見学に来てくれる人が減っているのだ。それを見兼ねた館長が、第三区の連中と結託し、カリブンを受取所から強奪しようと企てるのも、理解できてしまう。

 もう味も分からなくなってきたコーヒーを買いに行こうと腰を上げた時、思いがけない人を見かけた。下を向き、ポケットに手を突っ込みながら、どこか寂しそうにしているあの子は、昨日私が務める博物館に来てくれたはずだ。私はコーヒーを買わず、その子に声をかけていた。



✳︎



 お店に入って、しばらくぶらぶらしていると、昨日博物館でお世話になった人と出会った。丸い眼鏡をかけて、少し寂しそうに微笑みながら声をかけてくれた。


「おはよう、と言ってもお昼が近い時間だけど」


「おはよう…こんにちは?どっちかな」


「どっちだろうね、それよりどうしたんだいこんな所で、また喧嘩したのかい?」


「う、してない」


「そんな風には見えないけど?」


「う、した…」


 わたしが喧嘩した事を聞いてくれた。その人の足を見ながら答える、わたしはいつの間に下を向く癖がついたのだろう。


「良かったら聞こうか?どうして喧嘩したのか」


「…ほんと?」


 そこで顔を上げて、相手を見る。変わらず微笑みながら、わたしを見てくれていることに安心して、相談に乗って欲しいとお願いしていた。


「よかったら、君も何か飲むかい?」


「う、ううん、大丈夫だよ、相談に乗ってくれるだけで」


「子供が遠慮するものじゃないよ」


「ううん、本当に大丈夫だから」


 また寂しそうに微笑みながら、わかったよと言ってくれた。

 博物館の人についていき、窓際に並べられた椅子の一つに座る。机には、たくさんの紙コップが並べられていた。その内一つはくしゃり潰されていて、ずっとここにいたのかなと思った。



✳︎



「あなたも喧嘩したの?」


 席につくなり、そう声をかけてくる。


「…どうして、そう思うんだい?」


「机にたくさんコップが載っているから、ずっとここにいたのかなって」


 ...子供だからといって、少し舐めていたのかもしれない。

 だが、子供とはそういうものだろう、少しの違和感や、挙動で相手の心を読んでくるものだ。


「…うん、実は僕もそうなんだよ、喧嘩をしてしまってね、ずっとここにいたんだ」


「そっか、悲しいね」


 嘘がバレないように、この子に話しを振ってあげる。


「それよりも、君はどうして喧嘩したんだい?」


「…役に立ちたかったけど、逆に迷惑かけちゃって…もういいから出て行けって言われて…」


「そっか、悲しいね」


「…なぁに、わたしのマネしてるの?」


 少し拗ねながら、私の顔を見てくる。それに思わず笑ってしまった、私が置かれている状況にも関わらずに。


「ごめんよ違うんだ、僕も本当にそう思ったんだよ」


「そっか…」


 しばらく下を向き、何事か考えている顔をしている。

 私は、足元に置いた鞄を知らずに、少しこの子から遠ざけていた。


「けどね、誰かの役に立つって凄く難しいことなんだよ」


「そうなの?」


「そうだよ、役に立つと思って何かしてあげても、上手くいかなかったり、逆に怒らせてしまったり」


「うん」


「だからね、自分で決めるしかないんだよ」 


「………何を、何を決めるの?」


「優しさの在り方を、自分なりの優しさを、難しいことだけどね」


 私の顔を、驚いたように見ている。難しいことを言ったつもりなのに、この子には理解が出来たようだ。


「自分で決めて、自分で動いていくしかないのさ、それが例え、間違っていようとも、誰にも受け入れられなくても、一度決めた事をやり遂げる」


「…もし、駄目だったら?」


「チャンスがあるなら、もう一度すればいい、ないなら、そうだな…諦めるしかない、かな」


 今度は私が下を向いた、もう限界だった。


「そっかあるといいね、チャンス」


「…そうだね」


「相談に乗ってくれてありがとう」


 微笑みながら言われたお礼は、どんな催促よりも心に響いた。今まで味わったことがない程に。



✳︎



「ちなみに、君はどんな事をやったんだい?」


「う、そのぉ…ご飯を用意してあげようと思って…かりぶん・すとーぶを間違えて開けてしまって…」


「もしかして、使い終わっていないのに?」


「うん…すっごい音が鳴ってびっくりした…」


「それは誰でも怒るよ、昨日博物館で説明しただろう?」


「忘れてました…」


 痛い事を聞いてくる。でも、やっぱり誰でも怒るんだと分かって、少しだけ気が楽になった。

 ふと、博物館の人の手が握られていることに気づいた。どうしたのと、声をかけようとした時、


「…良かったら、僕がカリブンを受け取れる場所まで案内してあげようか?」


「ほんとう?いいの?でも、わたしお金とか持ってないし、行っても貰えないし…」


「お金なんていらないさ、事情を説明したら分けてもらえるから、ここからそう遠くないからさ、どうだい?」


「あ、でもわたし、でんしゃにも乗れないし…」


「それぐらいは僕が何とかするさ」


「うん…それじゃあ、行く!」


 そう言ってもらえて、元気が出てきた。無駄になってしまったかりぶんを持ってきたら、アヤメも喜んでくれるかもしれない。そう思うとさらに元気が出てきた。


「あ、わたし、この街に来るのが初めてだから、あれこれ聞くかもしれないけど、その…迷惑にならない?」


「あぁ、全然構わないよ」


「ほんとう?それじゃあ早速行こう!」


 あんなに萎んでしまった元気がもりもりと出てきた。急に冷たくならないし、ずっと微笑みながら接してくれる。


 さっき教えてもらった言葉、優しさは自分で決めるということ。難しいようで、簡単なようで、まだよく分からないけど。

 それでも、また頑張ろうと、前向きにしてくれたこの言葉を、大切にしていこうと、そう思えた。



10.



 古いクラシックカーに乗り、流れてくるラジオを聞くともなしに聞きながら、今朝古い友人がかけてきた電話の内容を頭の中で反芻する。


(すまんが、あいつを助けてやってくれんか、取り分はお前に任せるよ)


 奴の悪い癖だ。どれ程勝ち目が見えている賭け事でも、ふとした拍子に弱気になり降りてしまう。一体どれだけ私が奴の尻拭いをしてきたことか。事もあろうに奴は、


(お前さんも、その歳で豚箱には入りたくないだろう?俺の最後の我儘だと思って聞いてくれ)


 このクラシックカーも随分と値段が張った代物だ、支店長の給料でもおいそれと買える物ではない。何度も危ない橋を渡ってきた、だがそれも、いい加減今回を最後にしないと落ちてしまうかもしれない。


(奴め…朝に見かけたからといって…)


 私の目の前には、ヘッドアップディスプレイに表示されている時刻と、カリブン受取所へ急ぐ人達が次から次へとやってくる景色が見えている。もう、ここの駐車場に車を停めて一時間近くは経っているだろう。

 都心部に置かれたこのカリブン受取所は、周りに高いビルやマンションが建ち並び、まるで上から誰かに見張られているようで落ち着かない。強盗犯に仕立てた男が、いつ現れるのか分からないため張り込みを続けているのだ。

 そもそもこんな予定では無かったのだ、奴が私に脅しをかけ、救ってくれと言われなければ今頃は支店長室でのんびりと、強盗事件が紹介されるだろうニュースを見ていたはずなのだ。

 流れていたラジオ番組が終わり、新しく始まった下世話な挨拶をする男の声を聞いていると、警官隊の車が駐車場に入ってくるのが見えた。私は慌てて、所長室にいるであろう甥に電話をかける。


「おい、警官隊の車が入ってきたぞ、どうなっているのだ」

 

[叔父さんか?何でそんなことを…いや待ってくれ、今何て言ったんだ?]


「一度で聞けんのか!カリブン受取所の駐車場に警官隊の車が入ってきたと言ったんだ!何故夕方に変更させなかった!」


[はぁ?そんなはずはない!朝一番にヒルトンおじさんにも話しは通してあるんだ!奴らが来るのは夕方のはずだ!]


「なら何故、今私の目の前に警官隊がいるんだ!お前、まさかしくじったのか?!」


[そんなヘマをするはずないだろう!それより、何で叔父がこんな所にいるんだ?そんな予定は無かったはずだよな?だいたい、パトロールの変更は他の場所にも連絡がいくはずだ、まさか変更の連絡受けてないとは言わないよな?!]


「私のせいだとっ!」


 そこで、警官隊の女が和かに笑いながら近づいてくるのが見えたので、慌てて電話を切る。



「こんにちは!レウィン支店長、こんな所でお一人ですか?」


「いやあ、いつも私の支店がお世話になっているよ、今日は妻の急な用事でね、ここの駐車場を使わせてもらっているのさ」


「そうですか、どおりで連絡が取れないわけですよ、いえねここの受取所がいつものパトロールを夕方にしてくれって言うものですから、支店に連絡したのですが…」


「あぁ、それはすまないことをした、何なら今から支店に行ってくれても構わんよ」


「いえ、せっかく来たのでここを片付けてから伺います、それでは!」


 このくそ女!

何とか呼びとめようとするが、


「あ、そうそう、ここの駐車場に不審な車が一時間近くも停車しているみたいなので、支店長も気をつけて下さい!」


 そう言われ、警官隊の女が去って行くのを黙って見守るしかなかった。



11.



「おはようございます!主要都市警官隊のマヤサです!本日もよろしくお願い致します!」


「私は、確かに夕方頃にお願いしたはずなんだけど…」


「いえそれがですね、銀行支店に連絡がつかなくてですね変更許可を貰えなかったので、通常の時間帯に来ました!では、早速行きましょう!」


「いやいや、私は警視総監に!お願いをして許可を貰っているんだ、勝手な変更は困るよ」


「警視総監は銀行支店の変更まで許可を取ってくれていましたか?そんな話まで現場は聞いていませんし、勝手な変更をして銀行支店から怒られるのは私達ですので!」


 全く言う事を聞きやしない。何なんだこの女は。


「それなら私から銀行支店へ話を通しておくから、今日のところは帰ってくれないか?忙しくて対応が出来ないんだ」


「今対応してくれているではありませんか」


(このくそ女が!)


「君が、時間を守ってくれていないから、対応しに来ただけだ!」


「それに、ヒルトン警視総監からの連絡では、この時間帯は所長が外出していると話だったんですが…」


「なら何故君はここに来たんだ!無駄足だと分かって来たのかね?!」


「いえ、もしかしたらもう帰っているかと思いまして…当たりでしたね!それでは、早速外の点検に行ってまいりますので!」


 そう言って、私の脇をすり抜けてずかずかと所内を行く。

 あーもうあのくそ女が、どうしてこのタイミングで無駄な頑張りを見せるんだ!

 不味い、これは不味い。強盗前に仕掛けた防護扉の不正がバレてしまう、犯行後ならいくらでも誤魔化せる事が出来るのに!

 私がここの受取所に就任してから最大の山場だ...何とかして切り抜けないと、主犯に仕立てた男がもう間もなくここにやってくる。

 だが、私の決意とは裏腹に、


「あっれー?あんたマーヤじゃん何やってんのこんな所で、え、まさか警官隊?あんたが?」


「見れば分かるでしょ、久しぶりアイン!ここのチェック表貰えない?今日大事な用があってさぁ、早く仕事終わらせたいんだよー」


「いいよーちょっと待っててねー、何?男?ていうか久しぶりに会ったんだからもっと話す事あるでしょう!」


「いいよ別に、アイン話すと長いしさ、それにネットに私生活上げまくってるでしょ?話すことなんてないよ」

 

「ひどくないそれ?久しぶりに会った友達に言う台詞か?」


「あははっそれもそうだね」


 あははじゃないんだよ!何やってんだあの子は!いつもふざけて仕事なんかまともにしないのに!


「いや、ちょっと待ってくれないか、私が対応をするよ、君、所長室に来てくれないか?」


「はぁ、あぁ申請書のチェックですか?」


 こうなったら背に腹は代えられない。強盗犯の仕業にしてもらおうか、勝手にやってきたくそ女が悪いんだ。そう思うと、どうということはない。


「あぁそうだ、一番時間がかかるからね、君も早く終わらせたいんだろう?」


「分かりました、ではお願いします!」


 そう言って、警官隊の女を申請受付の裏へと連れて行く。

 ここなんだよ、不正している防護扉は。有事の際には、建物内の至る所に防護扉が降りるシステムになっている。一つ目がこの申請受付、この裏からでないとカリブンが保管されている地下へ行けない。コの字型に作られた受付カウンターも、強盗対策のために自動でシャッターが閉まるようになっている。これでは、突破も糞もないので主犯の男が入ってきた時は、閉まらないようにしてある。まぁ、彼がカリブンを持ち出すわけではないのだが。


「それにしても、どうしてこちらに?もう用事は終わられたのですか?」


 気さくにもくそ女が話しかけてくる。カウンターから入って、左右に道が別れて、左に行けば所長室、右に行けば地下へと降りる階段があり、そこの保管庫にカリブンが置いてある。

 私は右を向くこともなく所長室へと連れて行く。


「いや、今からちょうど出かけようとしていたところだよ」


「あぁ、だから外でレウィン支店長がいらしたのですね」


 それだ、何故、レウィンの叔父さんはここに来たんだ?予定にないことをしてくれたおかげで、とんだ尻拭いをさせられてしまった。あの人はいつもそうだ、勝てる賭け事もいらない横槍を入れて盤面を狂わせてくる。 


「さぁ着きましたよ、あそこのソファに座っていて下さい」


 とくに返事をすることなく部屋に案内する。四方をガラス貼りで作られた、私のお気に入りの場所だ。ガラス越しには、様々なボロい車が停まり、いつも私の優越感を満たしてくれる。


「はぁ、綺麗なお部屋ですね、緑も見えてとても良い雰囲気ですね」


「そうかい、ありがとう」


 机の引き出しに入れておいた、小型自動拳銃を女にバレないように取り出す。ここも何かと狙われやすい場所だ、所長や職員が武器を携行しているのはおかしな事ではない。自衛のために持たせているのだ。


「ん?何故、拳銃を出されるのですか?」


 もう、話す必要もないと、くそ女に銃口を向けたタイミングと、主犯の男が受取所に現れたタイミングが重なった。所長室に置いてある防犯カメラには、黒い頭巾を被った男が女の子の頭に銃口を突き付けながら、喚いているのが見える。

 間一髪...か?


「強盗?!そんなこんな時に!早く避難を!私が相手している間にっ?!!!」


 私が引いたトリガーと共に女が崩れ落ちる。撃ったのは脚だ、動脈には当たらないようにしたが、素人目なのでどうかは分からない。


「あなたっ?!何故こんな事を!!」


「静かにしてくれないか、次はどこに当たるか分からないよ」


 せっかくここまでやってきたというのに、この女のせいで...我慢にならなかったのでもう一発、完全に動けないようにするため反対側の脚も撃った。


「うぐぅっ!!このくそったれ!!」


「お互い様だよ」


 あーそうだ、ヒルトンおじさんにでも面倒を見てもらおうか、それでいい。あの人は無類の拝金主義者だ。少し金を積めば、この女を黙らせてくれる。

 マニュアル通りに受付に座っていたどちらかが、防犯作動スイッチを押したのだろう。私が仕掛けた通りに防護扉が降りてくれた。        

 後は、彼らの仕事だ。



12.



「この子供の頭を撃たれたくなかったら!俺の言う事を聞けぇ!!全員エントランスに来い!少しも下手な真似はするなぁ!!」


 あんなに優しくしてくれた博物館の人が、わたしの腕を掴み、頭に銃を突きつけている。博物館の人が動く度に頭にごつごつと当たっているので痛い。

 痛いのは頭だけじゃない、わたしの心も痛かった。


(………………わたし、何で、この人に…ついて来たんだろう………)


 優しくされたから?カリブンを一緒に貰ってくれるから?何で?何でなの?どうしてわたしなの?わたしじゃないとダメだったの?


(もういやだな…)


 初めから、わたしを利用するつもりだったんだ、この人は。

 電車を降りてから、朝の店員の人と同じようにまた喋らなくなってしまった。聞いたのに、迷惑じゃないかって聞いたのに!それなのにまた冷たくされてしまった...嫌だった、怖かった、人が怖くて仕方なかった、アヤメに会いたかった、けど、受取所に着く前に黒い布を被って、腕を掴まれて...頭が真っ白になってしまった。気づいたら、ここに立たされて、頭を撃つぞと脅されて、もう訳が分からない。

 人間って...怖いな。何を信じたらいいのか、分からなくなってしまった。


「早くするんだ!!おい!そこのお前!集めた人間の親指を縛っていけ!下手な真似をしたらすぐに撃つぞ!!」


 カウンターに座っていた、長い髪をした女の人が、顔を真っ青にしてこっちにやってくる。可哀想、この人も何にもしてないのに、そんな事をやらされるのが可哀想だと思ってしまった。

 博物館の人が持ってきた鞄の中身を、手を震わせながら何かを探している。


「…だいじょうぶ?」


「?!!えっ」


 小声で、博物館の人に聞かれないように女の人に声をかけていた。わたしも不思議だった、どうして声をかけたんだろう、また冷たくされるかもしれないのに。


「何をしているんだ早くしろ!!」


「わかっ、わかりました、」


 天井に向けて、博物館の人が銃を撃った。それに驚いた女の人がさらに慌ててしまっている。

 離れていく寸前、わたしを見た...ような気がした。顔は強張っていて、涙でぐちゃぐちゃで、でも確かにわたしを見てくれた。わたしも見た。ちゃんと、励ますように、目で伝われ!と思いながら。


 また下を向きながら、考える。優しさって何だろうと。博物館の人は、わたしを利用するために励ましてくれただけかもしれないけど、確かにわたしは元気になったのだ。それに、さっきの女の人もわたしの声に反応してくれた。最後は、頷いてくれたと思う。

 ううん、思いたい、そうあってほしいと思いたい。自分で決めたやり方で、励ます事ができたと思いたい。

 だから、わたしは決めたんだ。



13.



 ここまでは順調だ。後は、唯一防護扉が降りてこないソファルームにある勝手口から、別働隊を中に入れるだけだ。外側からの合図を待つ。

 ...それにしても、何て気迫だ。あいつは、あんな事が平気で出来る奴ではない。博物館でどんな小さな子供でも、丁寧に対応している姿を何度も見てきた。

 外には、腐れ縁のレウィンが待機しているはずだ。俺の我儘だ、奴を主犯に選んでおきながら、救ってやりたいと思ってしまった。

 勝手口の扉から小さくノックする音が聞こえてきた、後は人質に取られた奴らが全員被り物をしてからだ。誰かに見られては、この計画が破綻してしまう。

 可哀想な奴だ、俺が言えた義理ではないが。全て俺達が作った茶番だ、あいつを主犯に見立て、人質を取ってからは別働隊にカリブンを取らせて、誰にも見られない内にとんずらする。所内に残ったあいつだけを犯人にして。

 ソファに隠れながら伺う、どうやら全員頭に被り物をしたようだ、奴の言いなりになっていた女には、子供を使わせて同じようにさせている。頭に銃を突き付けながら、そして最後に子供にも被り物をさせたのを確認してから、扉をノックした。

 外から装備を固めた奴らが音も立てずに入ってくる、ヒルトンの野郎に借りた元軍人の警官隊の連中だ。

 思いがけない連中に、奴が泡を食ったように慌てている。


「な、何だお前ら!何をしに、」


 初めは警戒しているような声だったが、次第に小さくなり、身動き一つしなくなった。恐らく自分の役割を理解してしまったのだろう、ここいらが潮時だと思い身を屈めて隠れていたソファから立ち上がった時、異変が起きた。


[今すぐにやめて、全部お見通しだから、無駄なことはしないように]


「なっ?!」


 子供の声?どこから?いや、これはスピーカーからか?でも何故だ。


[聞こえてるよね?所長室にいるダンドラ、ソファに隠れているニラタザ、駐車場にいるレウィン]


「…」


 何の...何の冗談だ?これは、何で俺が隠れている場所まで...いや、予定には無かったレウィンの居場所まで、何でこの子供は知っているんだ?それに、その三人の名前は...


[今日の強盗を計画した三人の名前だよ、いいからさっさとやめて]


 そこで、エントランスにいた奴が、真っ直ぐに私を見ている事に気づく、だが、その目は不思議と落ち着いているように見えた。


[今すぐにわたし達を解放して、保管庫に入っていった主要都市の警官隊の人達は、代わりに閉じ込めておいたから]


 わたし…達?それじゃあこの子供はこの中にいるということか。

 駄目だ、ペースを掴めない。逃げるも盗むも時間の勝負だと言うのに!

 一か八か、俺は奴に呼びかけた。


「今すぐ逃げろ!ここはおしまいだ!」


「?!」


 声をかけられるとは思わなかったのだろう、顔を見ずとも驚いた事が分かった。

 だが、奴は動こうとしない、それに外には警官隊のサイレンが聞こえてきた。時間切れか...

 もう一度、奴に呼びかけようとした時、


[励ましてくれてありがとう]


 何の脈絡も無く突然のお礼を言う子供、訳が分からなかったが、奴は違ったようだ。

 頭に被っていた頭巾を取り、俺を見たのだ。泣きながら、もう無理ですと言いながら。


「ごめんね」


 そう言いながら崩れ落ちたと同時に、警官隊が突入してきた。



14.



[何故、助けたのだアマンナよ]


[…]


[お前は確かに、あの男に利用されたはずだ]


[…]


[助ける義理がどこにあったのだ]


[…わたしにはあったよ、助ける理由が]


[それは何だ?とても興味深い]


[あの人は、確かに間違った事をしたと思う、けど、あの人に励まされたのも確かだったから]


[罪と報償は別だと?]


[そんなの知らないよ、わたしはただ、自分で決めたやり方をしただけ]


[それは何だ?]


[お返しすること、例え相手が間違っていようが、助けてもらえたら、今度はわたしが助ける]


[詭弁ではないか?お前は、励まされたのではなく、利用しやすいように手なづけられただけのことだ]


[そうだろうね、けどあの言葉は本物だったよ、わたしが元気になれたから、わたしを元気にさせてくれる言葉を偽物だとは思いたくない]


[例え、相手が間違った事をした人間であったとしてもか?その言葉に信憑性はあるのか?]


[わたしが決めたことだから、タイタニスにとやかく言われる筋合いはない]


[…確かに、見ない間に随分と口が強くなったものだ、アマンナよ]


[何それ褒めてるの?]


[あぁ、久しぶりに叩き起こされてみたが、良いものを見れた、感謝しよう]


[こっちこそ、お願い聞いてくれてありがとう、タイタニス]


[良い、頭の悪いグガランナは元気にしておるか?我がこの街を作った事も知らずに中層を旅していたはずだ]


[わたしの方から教えたから、大丈夫だよ]


[そうか、なら良い、ではな]


 そう言って、所内の電算システムにログインできるように手伝ってくれた、あの気難しいタイタニスが機嫌良く通話を切った。

 博物館の人は、アルトナという名前の人だった。わたしなりに恩返しをしたつもりだった、喜んでくれたかどうかは分からない。

 あの人も、わたしと同じように誰かに利用されていたのだ。初めは、あの顔を青くしていた女の人を助けようと、タイタニスにお願いしてシステムにログインした。けれど、今日の強盗は、わたしが名前を呼んだあの三人が計画したことが分かって、アルトナが利用されていることも分かって、助けてあげようと思った。

 無視しても良かった、けど、困っている人を無視して、それでアヤメに今まで通りに会えるかなと思った時に、自然と口が動いていた。アヤメの優しさに応えられるように、そんな自分になりたいと思ったから。


 わたしの周りには、沢山の車があって、足を怪我した人が運ばれたり、手を布で隠した人が連れて行かれたり、色んな人が誰かと一緒に慌ただしく過ごしていた。こんな時にも、わたしは一人ぼっちだ、誰も声をかけてくれない...








「あーあ…また、一人ぼっち「アマンナっ!!!!」」









 わたしを呼ぶ、声がきこえた...

どこだろう、そう思ってすっかり癖になってしまった重たい頭を上げた時、


「アマンナっ!良かったぁ、無事?!怪我してない?!大丈夫?!」


「…アヤメ?」


「ごめんねアマンナ、ひどいこと言って、本当にごめんね」


 そう言いながら、わたしをだきしめてくれた。


「アヤ…メ、」


「無事で良かったよ、テレビでアマンナが人質になってるの見た時はどうしようかと思ったよ、アマンナ」


 ほほえんでくれて、しんぱい、してくれ、て、やっ、ぱり、あやめは、あやべは、うぅ、うぅぐすっ、


「ゔぇえっゔぇぇえ!あやべぇ!ご、ごめんなざ、ごめんなざぁい!!ごわがっ、ごわがっだよぉ!!!!」


「うん、私の方こそごめんね、もう怒ってないよ、だからね、私の家に戻ってきて、アマンナがいないと寂しいよ」


「ゔぇぇええんっ!あやべぇ!あやべぇ!」


「お帰り…アマンナ」


「だだいまぁぁっ!!!」





 沢山泣いた、目も熱くなって、鼻はひくついて、胸はぎゅううっと苦しくなって、沢山泣いた。涙が止まらなかった、どれだけ騒いでも大声で泣いても、アヤメはわたしを離そうともしなかった。嬉しくて、心配してくれたことも、待っていてくれたことも。



 辛い一日だったけど...帰りを待ってくれていたアヤメとグガランナのおかげで、わたしの涙でアヤメの服がぐしょぐしょになるまで泣いた後に、ようやく元気が出てきた。

 あの人もそうであればいいのにと、わたしの代わりに涙を拭いてくれる大好きな彼女の顔を見ながら…そう願った。





.救われたエピローグ



 顔を上げる気力も無い。さっきまで変わる変わるに入ってくる警官隊の容赦ない詰問に、疲れてしまった。よく磨かれたスチールデスクには、くたびれた男の顔が写っている。ひどい顔だ、朝、鏡の前て見た顔とは別人のようだ。

 だが、昨日から胸の内にあった重い空気は、すっかりと無くなっていたのだ、それだけが救いだった。もう、人助けかどうか悩まなくていいんだと、喜んでいる自分がいた。


「入るぞ、お疲れだったな、アルトナ」


 入ってきたのは、最初に詰問を受けた警官隊の人間だ、名前など覚えていない。少し、柔らかくなった顔がやけに気になった。


「お前が、主犯ではない事が協議の上で決まったよ、すぐには出られないがな」


「そう…ですか…」


「怪我人も、死人も出なかった、カリブンも一つも盗まれていない、お前は何がしたかったんだ?」


 笑われながら聞かれても、私が困る。本当に、何がしたかったのか。あれだけ自分に人助けだと言い聞かせていたのに、結局は館長らが仕組んだ茶番に過ぎなかったのだ。


「最後に、お前に会いたいと言っている人がいてな、話してやってくれ」


 そう言ってまた颯爽と去って行く、警官隊に変わり入ってきたのは、私が勤めている博物館の館長だった。彼は入るなり、


「すまなかった、アルトナ」


「…いいえ、受けた僕も悪いですから」


「お前、そんなになるまで貸しを作っていたんだな、いくらだ?」


 とくに考える事もなく、作った額を指を折って彼に教えた。すると、


「たったのそれだけか?お前、そんな額で強盗するかまで悩んでいたのか?あっはっはっはっは!」


 ...彼の言った言葉が信じられない、これだけとは、では一体彼は...


「なぁに、同じ豚箱に入るんだ、そこでお前には、その額からでもさらに借りる方法も、とんずらかます方法も教えてやるよ、だから、気にするな」


 …涙が、涙が止まらなかった。私の話を聞いてくれる人がいるなんて、夢にも思わなかったからだ。


「いくらでも相談に乗ってやるよ、な?これで勘弁してくれ、とは言わないがな、あっはっはっはっは!」


「…それ、言っているのと、同じ、ですよ」


 涙声で返す。磨かれたスチールデスクの上には、いつの間に落ちていたのか、私の涙で濡れていた。


 利用するために励ましただけのあの子に救われただけでなく、私は、私を利用しようとした彼にも救われた。

 それだけで十分だった、自分で決めたことに対する報酬は。





.ここから始まるエピローグ



 怖かった。アヤメ、凄く怖かった。

泣き止んだわたしを見計らって、声をかけたきた警官隊の人にこれでもかと怒鳴りつけたのだ。


「ふざけないで下さい!ここまで疲れて事件に巻き込まれて怯えているのに?!さらに事件のことを詳しく教えろだなんて!!」


「い、いえ、ですから、落ち着いた時にでも、か、構いませんので、」


「これが落ち着いているように見えるんですか?!この子はまだ泣いて怖がっているんですよ?!人を守る警官が人を怖がらせてどうするんですか!!!」


「わ、わかりました、そ、それでは!」


 逃げるように去って行く。可哀想に...


「まったく!何なのあれ!」


「まぁまぁ、アヤメ」


「大丈夫アマンナ?怖くなかった?私また言ってこようか?」


「え、えへぇ、へいき、かな?」


 変な声が出てしまった。だって、こんなにも全力で心配してくれるのだ。

 

「ところでアマンナ、あなたどうやって所内のシステムにログインしたの?」


「うぇ?あぁ、タイタニスにお願いしたの」


「たーいたにす?」


「タイタニスよ、アヤメ」


「その人もマキナなんだよね?」


「うん、そうだよ、この街を作ったマキナだよ」


「え?!そうだったんだ…今その人はどこにいるの?」


「うーん?うぅむ…分かんない」


「そっか、第三区のこと教えてもらおうと思ったんだけど」


「あ、それならわたし分かるよ、ログインした時に入り方とかもあったから」


「…また、教えてね、今はアマンナの事が大事だから」


「えへぇーそうかなぁー、なんか照れるなぁー」


「…」


 ...そう言えば、グガランナは第三区に行く事を反対してたんだっけ。

 何でだろうと思った時、またアヤメがわたしを抱きしめてくれたので、どうでもよくなってしまった。




 赤い夕日が、わたしも相棒も、そして大好きな人も一緒に優しく照らしてくれている。ずっとこうあればいいのにと、強く、強く願った。

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