第23話 「道空、考える」
赤松の陣は、峠の北側に戻っていた。
道空は天幕の中で地図を広げていた。
一人だった。梶原にも下がらせていた。
負けたわけではない。
道空はそう思っていた。正面からぶつかって兵を無駄に損耗する前に退いた。武将として正しい判断だった。
だが、何かが違った。
あの音が引っかかっていた。
弓ではない。だが矢が飛んでくる。連続して音がする。岩場の上に人がいたが、大きな弓を持っている様子はなかった。
(明国の武器か)
道空は漢籍を読む習慣はなかった。書物より馬と刀の男だった。だが周囲から聞いたことがある。明国には弩という武器があり、引き金一つで矢が飛ぶと。
(あの小僧、明国の武器を使っているのか)
苛立ちよりも、別の感情が来た。
面白い、とは思わなかった。
ただ、認めざるを得なかった。
三郎という男が、正面から戦わないのは臆病からではない。正面から戦う必要がないからだ。地の利を使い、武器を工夫し、補給を断ち、捕虜を利用する。
一つ一つは小細工だ。だが積み重なると、じわじわと首が締まる。
天幕の入り口が開いた。
梶原が顔を出した。
「道空様、法円寺より使者が参りました」
「通せ」
入ってきたのは、墨染めの衣の若い僧だった。二十代前半だろう。顔に緊張があった。
「道乗様よりのご書状にございます」
道空は受け取った。
開いた。
読んだ。
短い文だった。
「『戦費はこれ以上は出せない。別の道を探ることも考慮されたし』」
道空は書状を畳んだ。
「返事はない。帰れ」
僧が一礼して出ていった。
梶原が残った。
「……道空様」
「聞こえた通りだ。道乗が手を引こうとしている」
「ならば」
「ならば何だ」
梶原が言いにくそうに口を開いた。
「……一度兵を引いて、態勢を立て直す、という選択肢は」
「引いたら負けだ」
「しかしこのまま攻めても」
「攻め方を変える」
道空は立ち上がった。
「梶原、城の南側の地図を出せ。大内城の背後から回る道がないか調べろ」
「南側は……大内の领地の端に山が」
「山があるなら山道がある。調べろ」
「御意」
梶原が出た。
道空は一人になった。
地図を見た。
大内城の南側。三郎が計算に入れているかどうか、分からない。
(入れていれば罠がある。入れていなければ、そこが穴だ)
道空は長い間、地図を見続けた。
◆
大内城に戻った三郎は、その日の夕方に孫七の作業場に寄った。
「連弩の音を聞いた。赤松の兵が一瞬止まった」
孫七が炉の前から振り返った。
「役に立ちましたか」
「十分だった。ただし次に使うときは、敵が音に慣れている可能性がある」
「慣れれば怖くなくなる」
「そうだ。次の手が要る」
孫七が少し考えた。
「威力を上げますか」
「威力よりも、射程を伸ばしたい。今の三十間を五十間にできるか」
「難しい。弦の張力を上げれば折れる。木材を変えれば重くなる」
「重くなれば持ち運べなくなる」
「そうです」
「持ち運べない武器を量産しても、算段が合わんな」
孫七が苦笑した。
三郎はしばらく考えた。
「射角を変えれば射程は伸びる。山の上から射れば、平地より遠くまで届く」
「それは……連弩の改造じゃなくて、使い方の問題ですね」
「そうだ。高い場所に配置することで補う。孫七、今のままでいい。ただし固定台を作ってくれ。岩場に固定して使える台だ」
孫七の目が動いた。
「固定したら持ち運べなくなりますが」
「一か所に固定して使い続ける場所がある。霧ノ峠の岩場だ」
「なるほど。岩に杭を打って台を固定すれば、手で構えるより安定する」
「射精度も上がる」
「それは……面白い考えですな」
孫七が久しぶりに表情を動かした。
「五日でできます」
「頼む」
三郎は作業場を出た。
外はもう暗くなっていた。
城に向かって歩きながら、道空が次に何を考えるかを頭の中で追った。
正面からは来られない。補給は細い。法円寺は手を引きかけている。
(追い詰められた男が次にやることは一つだ)
別の道を探す。
三郎は足を止めた。
城の南側。
そこに手が届いていたかどうか、確認が必要だった。
◆
城に戻ると、雪乃が廊下で待っていた。
「三郎様、妙善寺の浄阿上人から文が届きました」
三郎は受け取った。
読んだ。
短い文だった。
「『道乗様にお伝えいたしました。十日以内に返事があるとのことです』」
三郎は文を畳んだ。
「十日か」
「思ったより早いですね」
「道乗も焦っている」
三郎は廊下を歩き始めた。
「雪乃、南の地図を出してくれ。城の南側の山道を調べたい」
「南側、ですか。今まで気にしていなかった方向ですね」
「今日から気にする」
雪乃が小走りで書庫に向かった。
三郎は広間に入った。
左近が待っていた。
「三郎様、今日の戦の報告をまとめました」
「聞く」
「こちらの軽傷二名は回復の見込みです。運び込んだ赤松の重傷者三名のうち、一名が手当の甲斐なく亡くなりました。残り二名は命に別状ありません」
「亡くなった者は丁重に弔え。名前を記録しておけ」
左近が少し目を細めた。
「……承知いたしました」
「それと左近、城の南側の見張りを増やせ。今夜から」
「南側……何かお気づきになりましたか」
「気づいたわけではない。念のためだ」
左近が頷いた。
「御意」
三郎は窓の外を見た。
南の山が、暗闇の中に黒く沈んでいた。
道空ならどう考える。
正面が無理なら、別の道を探す。別の道があるとすれば、南の山越えしかない。
(あるかどうかは、明日地図で確認する)
三郎は目を閉じた。
一瞬だけ、疲れた。
それを顔に出さずに、また開いた。
第23話 了
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