第12話 「白地の旗と足軽頭の値段」
朝靄が晴れる前に、源蔵は戻ってきた。
城の勝手口から入ってくるなり、濡れた草鞋を脱ぎ捨て、廊下を音もなく歩いた。
三郎の部屋の前で足を止め、障子の外から声をかけた。
「大将、起きてるか」
返事はなかった。
だが障子が内側から開いた。
三郎はすでに着替えていた。寝ていた形跡がなかった。
「白地の旗の話か」
源蔵は部屋に入り、胡坐をかいた。
「そうだ。早かっただろう」
「まあな」
源蔵は懐から細く折り畳んだ紙を取り出した。広げると、そこには小さな絵が描かれていた。白地に黒丸。その黒丸の中に、細い線で何かが書かれている。
「例の旗持ちに近づいた。月明かりで見えた分だけ写した」
三郎は紙を手に取った。
しばらく見た。
「……月輪か」
「何だそれは」
「仏教の紋だ。浄土系の寺が使う」
源蔵の眉が片方上がった。
「坊主か」
「寺方の何かが絡んでいる。赤松には縁のない旗だ」
源蔵は膝の上で両手を組んだ。
「となると、第三者が赤松の後ろについているってことだな。資金か、情報か」
「両方だろう」
三郎は紙を畳に置いた。
その紙を見たまま、しばらく何も言わなかった。
(赤松一人の問題ではなくなった)
頭の中で計算が動いた。
赤松が兵を動かせる理由は、銭がある、あるいは誰かが銭を出しているからだ。石高三千の大内家を攻めるのに、赤松が全力を出す動機は薄い。旨みに対して損耗が大きすぎる。
それでも動いているとすれば、誰かに動かされている。
「源蔵」
「なんだ」
「赤松の補給路を支えているのがその寺方だとすると、今どこから物資が来ている」
源蔵は即答した。
「北だ。霧ノ峠の倒木で南は詰まってる。東の山道は荷車が通れない。消去法で北しかない」
「北の山越えは」
「道幅が狭い。大した量は運べん。ただ、継続して小分けにすれば話は別だ」
三郎は立ち上がった。
「引き続き北の動きを見てくれ。荷の量と頻度が分かれば、あとで計算する」
「わかった」
源蔵は立ち上がりかけて、ふと止まった。
「大将。捕虜の足軽頭のことだが」
「まだ生かしてある」
「そっちの話じゃない。あいつ、何か知ってるかもしれない。例の寺方のことを」
三郎は少し考えた。
「今日、会いに行く」
◆
捕虜を入れている蔵は、城の北側にあった。
石を積んだ壁に、採光窓が一つ。五十七名を三つの蔵に分けて管理していた。足軽頭の権藤は、一番端の蔵に一人で入れてあった。
三郎が蔵の前まで来ると、見張りの若い兵が慌てて頭を下げた。
「三郎様、今日はいかがされましたか」
「用がある。開けろ」
扉が開いた。
中は薄暗かった。わら束の上に、がっしりした体格の男が座っていた。年は四十がらみ。鼻が曲がっている。捕縛時についた傷だろう。
三郎は土間に立ったまま言った。
「権藤」
男は顔を上げた。
三郎を見た目に、警戒と、それを隠そうとする意地が混じっていた。
「……いかにも、権藤権兵衛にございます」
「丁寧に答えなくていい。聞く。赤松の後ろに、寺方がついているか」
権藤の顔が動いた。
ほんの一瞬だったが、確かに動いた。
「……何のことやら」
「白地に月輪の旗だ。見たことがあるか」
権藤は黙った。
三郎は蔵の壁に背を預けた。急ぐ様子もなく、権藤が口を開くのを待った。
権藤が先に折れた。
「……見ました。されど、それが何者のものかは存じませぬ」
「どこで」
「赤松様の本陣に参ったとき、後方に旗がございました。それだけです。誰の旗かは聞かされておりません」
「赤松はその旗の主と、どこまで話をしていた」
「道空様が……詳しく話されていたかどうかは、私の立場では存じません。ただ、道空様がその旗の者を特別に遇していたのは確かです」
三郎は権藤を見た。
嘘はついていない。ただ、全部は言っていない。
「一つ聞く。赤松の首と、お前の釈放を換えるつもりはない」
権藤が少し目を見開いた。
「では、お前に払える身代金の相場を教えろ。足軽頭一人の値段だ。正直に言え」
沈黙があった。
「……二十貫、あるいはそのあたりかと」
「家族は」
「女房と、倅が二人」
「倅は何歳だ」
「十二と、九つでございます」
三郎は蔵を出た。
扉の前で見張りの兵に言った。
「飯を増やせ。怪我の手当てもしてあるか確認しろ」
「は、はい」
「逃がすな。ただし乱暴はするな」
三郎は廊下を歩きながら、頭の中で権藤の値段を計算した。
(二十貫は相場通りだ。ただし今払わせる必要はない)
捕虜は生かしておくほど情報を出す。今日の話だけで、寺方の存在が裏付けられた。
問題は、その寺方が誰に動かされているかだった。
◆
昼過ぎに、左近が広間に各部署の報告を集めた。
雪乃が帳面を持って隅に座っていた。三郎が入ると、帳面から目を上げて軽く頭を下げた。
「避難の状況を報告いたします」
左近が前に出た。
「昨夜のうちに、領内十二村のうち九村が山中の避難小屋へ移動を完了しました。残り三村は本日中に完了する見込みです。食料・家財の持ち出しも概ね滞りなく」
「家畜は」
「牛と馬は全頭確保。鶏は……半分ほどは逃げてしまいましたが」
荒木が口を挟んだ。
「鶏が逃げたのは仕方がないとして、三郎様。村人を全員山中に移したとして、赤松が村を焼きに来たとき、作物はどうなりますか。畑に残っているものは」
「今の時期、畑に残っているのは秋収穫前の穀物だ。焼かれれば痛い」
「それは……」
「だが焼くなら焼かせろ」
荒木が目を丸くした。
「焼いた後、赤松はどうする。領民はいない。食料もない。財産もない。兵糧がなければ野営もできない。空の村を焼いた武将が、次に手をつけるのはどこだ」
広間が静まった。
左近がゆっくりと口を開いた。
「……自陣に戻るか、あるいは」
「強引に攻めてくる」
三郎は続けた。
「追い詰められた獣が突っ込んでくる。それを迎える準備を今からする」
雪乃が帳面に何かを書いた。
三郎はそれを見た。
「雪乃。捕虜の食料消費と、こちらの備蓄の計算、今夜中にまとめてくれ」
「はい。……三郎様」
「なんだ」
「捕虜の身代金交渉の件ですが、相手方に使者を出すなら今のうちがよいかと。赤松が動き始めてからでは、連絡が取りにくくなります」
三郎は少し考えた。
「十日後に使者を出す。それまでは動かすな」
「……十日後、ですか。その理由は」
「赤松が次に手を打ってから動く。今動くと先手と思われる」
雪乃は帳面に書いた。
「わかりました」
三郎は立ち上がった。
「左近」
「はい」
「山中の避難民に仕事を割り振れ。木を切る者、食料を運ぶ者、夜の見張り。遊ばせるな。遊ばせると不安になる」
「御意」
「荒木」
「はい」
「霧ノ峠の倒木、まだそのままか」
「はい、昨日確認しましたが手つかずです」
「放っておけ。赤松が自分で片付けるかどうか見る」
荒木が頷いた。
三郎は廊下に出た。
一歩歩いて、止まった。
振り返らずに言った。
「今日の報告は全員よくやった。昨夜から一睡もしていない者がいるだろう。今夜は早めに休め」
広間から、誰かが低い声で「はい」と答えた。
左近の声だった。
◆
夜になった。
三郎は一人で城の物見台に上がった。
北の方角を見た。
山の稜線が、月明かりで黒く切り取られていた。
(寺方が動いている。赤松の後ろに資金と情報を流している者がいる)
問題は動機だった。
大内を潰して誰が得をするか。
播磨国の国人衆は複数いる。隣接する黒坂家、南方の浦崎家、そして幕府の守護代として名ばかりの権威を持つ高倉家。
その誰かが、赤松を使っている可能性がある。
(あるいは複数が絡んでいるか)
風が吹いた。
三郎は目を細めた。
問題を一つずつ並べた。
一、白地の旗の正体を突き止める。
二、赤松の補給を北から断つ手を考える。
三、捕虜の身代金交渉で赤松との間に楔を打つ。
四、寺方の動きを見極めてから次の手を打つ。
同時には動けない。
どれを先に動かすかで、後の展開が変わる。
(北の補給路が最優先だ)
三郎は物見台を降りた。
廊下を歩きながら、明日源蔵に何を頼むかを頭の中で整理した。
答えが出る前に、自室の前に着いた。
部屋に入った。
着替えもせず、横になった。
目を閉じる前に、もう一度だけ考えた。
(赤松が次に動くのは、三日以内か、あるいは十日後か)
答えは出なかった。
眠りが来た。
第12話 了
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