第9話 「不協和音」
全員でダンジョンを出た時、外は夜だった。
ガルドのパーティと俺たちのパーティ、合わせて八人。
戦闘員二名はドルクが背負い、エルダは俺が肩を貸した。
ガルドは自力で歩いたが、何も喋らなかった。
ギルドの医療室に重傷者を引き渡して、その日は終わった。
※
翌朝。
ギルドマスターの執務室に呼ばれた。
オーゲンが樫の机の向こうに座っている。義手が机の上に置かれていた。
「パーティ『残響』による『哭壁の迷宮』20層踏破を認定する」
短い宣言。
「加えて、パーティ『鉄壁の盾』メンバー四名の救出を認定。救出報酬はギルドから別途支給する」
「ハイドラの素材は」
「止めを刺したのはガルドの剣だ。だが作戦を指揮したのはお前だ。ギルド規定では、合同作戦の場合は折半」
「……構わない」
ハイドラの亜種の素材は62万G。
折半で31万G。
パーティ「残響」の取り分から俺の2割は6万2千G。
残りは三人で等分し、一人あたり約8万2千G。
レナの借金は──3万G。
※
ギルドの受付で、レナが借金の返済手続きを終えたのは昼前だった。
俺は少し離れた場所で待っていた。
手続きを終えたレナが歩いてきた。
いつもと同じ顔。赤毛のショートカット。額の古い刀傷。腰の片手剣。
でも──何かが違った。
「……借金、返せた」
声が震えていた。
こいつの声が震えるのを、初めて聞いた。
「借りは──返す。いつか」
「返さなくていい。お前の剣がなければ、全員死んでいた」
レナは何か言いかけて、口を閉じた。
剣の柄に手を乗せ、そっぽを向いた。
耳の縁が赤くなっていたが、俺は何も言わなかった。
※
午後。
ギルドのロビーで記録の整理をしていた時、背後から気配がした。
振り返ると、ガルドが立っていた。
右腕に包帯。左肩に固定具。
しかし立っている。自分の足で。
俺とガルドの間に、2メートルの距離。
沈黙が降りた。
周囲の冒険者たちが、こちらを見ているのが分かった。
しかし口を挟む者はいない。
「……なぜ助けた」
ガルドの声は低く、硬かった。
「お前の剣の音が聴こえたからだ。まだ止まっていなかった」
「答えになっていない」
「俺にとっては、それが答えだ」
ガルドの目が揺れた。
唇が動きかけて──止まった。
代わりに出てきた言葉は、予想とは違うものだった。
「公式決闘を申し込む」
「決闘?」
「ダンジョン踏破速度勝負だ。同じダンジョンに同時に入り、先に最深部に到達した方が勝ち」
ガルドの声に迷いはなかった。
包帯の下の拳が握られているのが見えた。
「俺が勝ったら──お前はギルドの前で、俺のパーティの方が上だと認めろ。お前が勝ったら、好きにしろ」
数秒、考えた。
三年間見てきたプライドの高さからすれば、こいつは──謝れないのだろう。
だから決闘という形を選んだ。俺にはそう見えた。
勝負の土俵に上がることでしか、俺と向き合えない。
それは不器用だが──少なくとも、逃げてはいない。
「いいだろう」
ガルドの目が一瞬だけ見開かれた。受けると思っていなかったのかもしれない。
「ただし条件がある。勝敗に関わらず、負けた側に死者を出さないこと。危険と判断したら棄権を認めること」
「当然だ。俺は仲間を死なせるようなリーダーじゃない」
その言葉は──空気の中で、わずかに震えた。
つい昨日、仲間を守れなかったばかりの男が口にするには、重すぎる言葉だった。
ガルドはそれ以上何も言わず、背を向けて歩いていった。
※
公式決闘の申請がギルドに受理された。
場所は「双鳴の塔」。
地下ではなく地上に聳える25層の塔型ダンジョン。ギルドが管理する決闘用の施設で、二つの入口から同時に入り、別々のルートを通って最上階で合流する構造になっている。
オーゲンが裁定した。
「双方の同意を確認した。3日後に実施する」
義手が机を叩く音が、執務室に響いた。
※
決闘の噂は瞬く間にギルド中に広がった。
Dランクから這い上がった音の鑑定士と、元Sランクの剣豪。
冒険者たちが賭けを始めている。カイル側は不利と見られていたが、「無戦闘クリア」の噂が効いて、少数の支持者がいるようだった。
俺は気にしなかった。
賭けの倍率で勝負が決まるわけではない。
※
決闘前夜。
酒場でパーティの作戦会議を開いた。
「双鳴の塔は石造りだ。音がよく響く。《残響》にとっては最高の環境」
レナが杯を置いた。
「でも、ガルドもそれは分かってるだろ?」
「ああ。罠の処理で俺たちが有利なのは明白だ。つまりガルドは──戦闘速度で突き抜ける。圧倒的な火力で罠もモンスターも蹴散らして直進する」
ドルクが指を折った。
「つまり、相手は損失を許容して突き進む。我々は損失ゼロで最短を走る。どちらが速いかの勝負ですな」
「あたしの剣も使ってくれよ」
レナが杯を傾けた。
「もう飾りじゃないんだから」
ミラが黒板を掲げた。
『勝つ』
※
会議の後、一人で双鳴の塔に向かった。
夜のクラングハルトの北端。
石造りの塔が月明かりの中に聳えている。
外壁に手を当てた。
《残響》を発動する。
……微かに、聴こえる。
外壁越しでも、石の中に染みた音の残骸が拾える。
1層の構造はおおよそ把握できた。右に広い通路、左に狭い階段。罠の痕跡が二つ。
しかし5層以降は──壁が厚すぎる。外からでは届かない。
手を離した。
「中に入らないと分からない、か」
※
「カイル」
声がした。
振り返ると、エルダが立っていた。
夜風が編み込みの黒髪を揺らしていた。
いつもの冷静な表情──ではなかった。
唇がわずかに震えていた。
「……あの日、私は何も言わなかった」
エルダの声は静かだった。しかし、いつもの敬語のない、剥き出しの声だった。
「あなたが追放された時。あなたが正しいと分かっていたのに」
右手が動いた。
薬指を、左手で触れている。
この癖を見るのは、何度目だろう。
嘘をつく時。本心と違うことを黙認する時。
三年間、俺はこの指の動きを見てきた。
しかし今は──違う。
嘘をついているのではない。
今まさに、嘘のない自分を開こうとしている。その葛藤が、癖として出ているように見えた。
「あなたは──正しかった。ずっと」
「……知っていた」
エルダの目が見開かれた。
「お前の指が教えてくれた」
エルダの視線が自分の右手に落ちた。
薬指を触っている自分の手を見て──息を呑んだ。
「あの日、お前は黙っていた。でも薬指に触れていた。俺にはそれで十分だった」
嘘だと分かっていた。
エルダが俺の追放に同意していないことは、あの指が教えてくれていた。
長い沈黙が落ちた。
「……ガルドを頼む」
俺は言った。
「あいつは強い。だが──一人で全部を背負おうとする」
エルダが小さく笑った。
笑ったのを見るのは、初めてかもしれなかった。
「あなたもでしょう」
言葉が詰まった。
一瞬だけ。
「……かもしれない」
夜風が吹いた。
塔の石壁に当たった風が、かすかな音を立てて流れていった。
明日。
この塔の中で、全てが決まる。




