第3話 「沈黙と轟音」
踏破報告を終えた直後だった。
ギルド正面の重い扉が、乱暴に押し開けられた。
蝶番が悲鳴を上げる音。
続いて、金属が引きずられる音。鎧が石床を叩く音。そして──荒い複数の呼吸。
振り返ると、担架が二つ運び込まれるところだった。
担架の上に横たわっているのは、「鉄壁の盾」の戦闘員二名。
一人は完全に意識がない。もう一人は目を開けているが、顔が土気色だった。
その後ろから、ガルド・ヴェスターが自力で歩いてきた。
フルプレートの左肩が大きく凹んでいる。右腕から血が、ぽたぽたと石の床に落ちていた。
最後にエルダが入ってきた。
蒼白な顔。両手を戦闘員の一人に向けて、淡い光を放っている──《治癒の手》。
しかしその光は弱々しく、明滅していた。
エルダの手が震えている。
あの光の弱さは、使いすぎた後の症状だ。三年間同じパーティにいたから知っている。《治癒の手》は一日五回が限度。それを超えると術者自身の体力が削られる。
今の彼女の消耗具合から見て──既に四回以上使った後だろう。
ギルド内に緊張が走った。
食事中だった冒険者たちが立ち上がり、受付の職員が医療班を呼ぶ声が響く。
「風穴窟の5層で──」
ガルドの声が聞こえた。
俺たちがいるカウンターから十歩ほどの距離。
「──新種の罠に引っかかった。連鎖作動型だ。鑑定が──」
そこで、ガルドの口が止まった。
鑑定が。
その先を言わなかった。
言わなかったが──意味は明白だった。
鑑定士がいれば、罠の種類も周期も特定できた。
鑑定士がいなかったから、特定できなかった。
その鑑定士を追放したのは、他でもない──
「ざまぁ──」
隣で、レナが呟きかけた。
「言うな」
短く制した。
レナが俺を見た。眉を寄せている。
「なんで? あいつらがあんたを──」
「怪我人を笑う冒険者に、俺はなりたくない」
レナは口を閉じた。
剣の柄を握る指に力が入ったのが見えたが、それ以上は何も言わなかった。
※
広間の空気が変わったのは、その直後だった。
二階の執務室へ続く階段を、一人の老人が降りてきた。
白髪の短髪。太い眉。巨体は老いてなお衰えず、革の外套の下に元冒険者の筋骨が透けて見える。
右腕は──肘から先が、鉄と木で作られた義手だった。
ギルドマスター、オーゲン。
階段の最後の一段で立ち止まり、広間を見渡した。
それだけで、ざわめきが引いた。
オーゲンが大広間の中央まで歩き、受付カウンターの脇に立った。
義手で、樫の机を一度だけ叩いた。
硬い、乾いた音が広間に響いた。
「報告を聞く」
低い声。短い言葉。それだけで全員の耳が向く。
「まず──パーティ『鉄壁の盾』。風穴窟、5層にて撤退。死者なし。重傷者二名」
広間が静まる。
Sランクパーティの撤退。それ自体が異例だ。
オーゲンが息を吸った。
「次──パーティ『残響』。風穴窟、全8層踏破。時間、2時間3分。戦闘記録ゼロ。負傷者ゼロ」
静寂の質が変わった。
さっきまでの緊張とは違う。
信じられない、という種類の沈黙だった。
「パーティ『残響』の記録は──」
オーゲンが記録簿に目を落とした。
「──風穴窟の歴代最速記録を更新している。従来記録は4時間12分、Bランクパーティ『青雷』による」
どよめきが、波紋のように広がった。
Dランクパーティが、Bランクの歴代記録を半分以下の時間で塗り替えた。
しかも──無戦闘で。
視界の端で、ガルドが動いた。
俺に向かって歩いてくる。
右腕から血を滴らせながら。目が据わっている。
「てめえ──何を──」
ガルドの左手が伸びてきた。
胸倉を掴もうとしている。
避けなかった。
避ける理由がなかった。
「ガルド」
オーゲンの声が割って入った。
低く、重い。
義手が机を叩いた時と同じ音の質。
「儂の前で私闘は許さん。文句があるなら──記録で抜いてみろ。それがこのギルドのルールだ」
ガルドの手が止まった。
拳が震えている。歯を食いしばる音が、俺の耳には聴こえた。
数秒の沈黙。
ガルドが手を下ろした。
何も言わずに、医療室の方に歩いていく。
背中が揺れていた。怪我のせいか。それとも、オーゲンの前で言い返せなかった悔しさか。
その背後を、エルダが追った。
エルダが俺と一瞬目を合わせた。
唇がわずかに動いたが、言葉にはならなかった。
右手の薬指には──触れていなかった。
嘘はない、ということだ。あの目は本心だった。
エルダがガルドの背中を追って医療室に消えるまで、俺はその場に立っていた。
※
ギルドを出た。
「あんた、かっこよかった──」
レナがそう言いかけて、すぐに言い直した。
「……まあ、悪くなかったよ」
素直に褒められない女だ。
剣の柄に手を乗せて、そっぽを向いている。
「いやはや、1回目でこの利益率。出資した甲斐がありました」
ドルクが革の手帳に何か書き込んでいる。指を折って計算する仕草が忙しい。
ミラが黒板を掲げた。
『次はいつ?』
尻尾が大きく揺れている。
「まずは報酬を分けよう」
近くの酒場に入った。
夕暮れの客が疎らな店の隅で、テーブルを囲む。
風穴窟の踏破報酬は8000G。
俺の取り分は依頼書の契約通り、1割の800G。
残り7200Gを三人で等分して、各2400G。
硬貨を三つの山に分けてテーブルに並べた。
「あんたの取り分、少なすぎない?」
レナが眉をひそめた。
「俺は戦っていない。指示を出しただけだ」
「しかし」
ドルクが手帳から顔を上げた。
「あなたの指示がなければ、我々は一銭も稼げなかった。つまるところ──あなたは最大の投資先ですよ、カイルさん」
「なら、次のダンジョンで返してくれ」
俺は800Gを懐にしまった。
「もっと大きな依頼を受ける」
レナが肩をすくめた。ドルクが手帳に何か追記した。ミラが黒板に『了解』と書いた。
静かな酒場に、四人の呼吸だけが聞こえている。
※
酒場を出た後、三人と別れた。
夜道を歩く。
クラングハルトの裏通りは、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。自分の足音と、遠くの犬の鳴き声だけが石壁に反射している。
壁にもたれた。
左手がイヤーカフに触れた。
銀の、冷たい感触。
母さん──聴こえたよ。
俺の音が、届いた。
三人が──耳を傾けてくれた。
胸の奥に温かいものが広がったが、すぐに引き締めた。
まだ足りない。
Dランクのままでは、上のダンジョンには挑めない。
今日の記録は確かに歴代最速だった。
しかし風穴窟は初級だ。8層しかない。
中級は20層。上級は30層以上。
もっと深く、もっと複雑な場所で《残響》が通用するか──まだ分からない。
それに、あの「無戦闘クリア」の噂は広がるだろう。
注目が集まれば、邪魔も入る。
ガルドの目も──あった。
記録を積むしかない。
壁から背を離した。
夜風が通りを吹き抜けていく。
その音が壁に当たり、角を曲がり、路地の奥に消えていく。
全部、聴こえている。
俺は歩き出した。
明日も、壁に手を当てる。
聴こえる限り、進み続ける。




