閑話:ある帰り道
19話:聖女のステークホルダー・マネジメントの後日譚です。
ジークムント国王陛下への報告を終え、ホーエンフェルス家に到着した頃には夜も更けていた。ヘルマンの母君であるイルムガルド様からは、陽が昇るまで邸で休んでいくことを勧められたが、万が一突発業務が発生した場合に居室にいないことは非常にまずい。よって一献だけ賜って休憩をし、逗留は丁重にお断りをして馬車を乗り継いだ。
往路よりも速度を落として走る馬車の室内、向かい合う護衛騎士の顔をまともに見たのは出発時ぶりだろうか。直接の対面はほぼなかったとはいえ、一日のうちに大司教と王という二人の最高権力者に会ったのだ。私のそれと同じように、ヘルマンの表情にも大分疲労感が滲んでいた。
「今日は疲れたでしょう。しかも護衛としてではなく、“演出”として貴方を使ってしまいました、ごめんなさいね。」
労いがてら、私は胸の内に残っていた罪悪感を吐き出した。自分の権力や立場を誇示する為だけに人を動かすなんて、元々の世界ではやめさせてたような業務だ。しかし今日は、それを分かっていながら手段として採用した。使えるものは全部使ってでも大司教に示す必要があったのだ。
私の言葉に騎士は常の通りに首を振ってから、略式の礼を取る。仕事中は嫌な顔ひとつせずに従ってくれるのは全くもってヘルマンの美点だった。しかしその時にかぎっては、私はどこか居心地の悪いものを感じた。それは長く続いた緊張状態からの疲労だったのか、それとも内省で顕になった虚無感が悪さをしたのかもしれない。何か言ってしまいたくなってしまった。
「……私に失望しましたか?大司教にとどまらず、貴方の主君まで上手く利用してやろうという聖女に。」
こごで言えば流石にヘルマンも反応を示す。片眉がピクリと上がり、私の真意を探るようにこちらを見つめた。この時点ではまず反論はせず、言いたい事があるなら全て言えと言わんばかりだ。私はさらにその態度を良いことに、言葉を続ける。
「私の行動目的はあくまでも聖女業務の標準化です。ひいては国のためにはなりますが、その過程までもが忠誠的であるかは保証できません。貴方の国への忠誠心が私の振る舞いを許さないことがあるならば、無理して仕えてくれなくても良いのですよ。――もちろん、代わりの人材の用意まではして欲しいですけど。」
ここまで言い切ると、室内には重たい沈黙が流れた。しばらく視線を逸さずにいた私だったが、居た堪れなさに軽く肩をすくめ、車窓の方へ顔を傾けた。が、残した側の頬にはヘルマンからの視線が刺さり続ける。
返したい言葉はあるだろう、そのように言ったから。ヘルマンは誠実に返答を選んでいるのか、口が開くまでに車窓の景色が変わるまで時間を要した。そうして返された言葉は少し意外なものだった。
「私まで遠ざけるおつもりですか。……アメリアだけではなく。」
私は否定も肯定もせず、目線だけをヘルマンに返して先を促す。
「アメリアをああいった場に連れて行きたくないというお気持ちは理解できます。しかし護衛はそうではないでしょう。危険な橋を渡すときにこそお使いください。実力不足だと断じられれば、先の暗殺未遂の件については返す言葉もありませんが。」
「――まさか。カスパーの件は仕方がないことでしょう?逆に迷いなく撥ねられてしまう方がちょっと怖いくらいですから。」
「ええ、ルツィアは寛大でいらっしゃいます。そうであるならば……一体何をお疑いなのでしょうか。私が陛下の間者となり得ると?」
私は疑いがあらぬ方向へと広がりすぎないように身体を向け直してしっかりと否定した。ヘルマンならば、滅多なことが無い限り護衛の任を放りだしたりはしないはずだから、とまで加えて。
「違います。それにたとえこれから調べることを陛下に漏らされたとしても、すぐには困らないわよ。つまり……私に長く仕えることが、貴方達の将来に悪い影響を及ぼさないか。そこが心配なのです。」
「――ご冗談を。何をおっしゃるかと思えば……良い影響こそあれ、悪い影響など考えられません。もうすでに歴史に名を連ねる偉業を成し遂げられておりますでしょう。」
その偉業がポーションの件を指しているのならば、私は本当にただ寝ていただけなのだけれど。と言っても終わらないやり取りになってしまうのは自明なので、私は口を噤んだ。
「私もアメリアもこの任に着いている事が誇りなのです。そしてお仕えする聖女がルツィア様であることはそれ以上に誇らしく、お役に立てているならば身に余る光栄です。」
ああ、かえって気を遣わせた気がする……。
私は短く礼だけ述べるとシワが寄りそうな眉間を先に指で押さえ、伸ばした。その後は互いに声を掛け合うことなく、車内には車輪の回転音と馬の蹄が石畳を叩く規則的な音だけが満ちた。時折感じる視線に何か応えようとは思ったが、暗く沈んだ風景から拾える話題などなく、やがて馬車は大聖堂へ到着した。
いつもはアメリアに連れられて客室から降りるところを、今日は代わりにヘルマンが私の手を取った。
その手は見えていたよりも大きく、硬く締まった皮に覆われている。その掌の剛健さと裏腹に、ふわりと柔らかく手を取ってスムーズにエスコートをこなす所作は、彼が騎士でありながら由緒正しき貴族の血筋の生まれである事を思い出させた。はじめてエスコートを受けた時は、初の謁見で私が緊張してガチガチになっていたので完全に認識の外であったが、2回目にしてはじめて知覚をした気がする。そのまま私の部屋の前まで見送りを受け、また明日と告げて扉に手を添えた刹那、ヘルマンは私の背中へと声をかけた。
「──ルツィア様。私は最初の一人ではなかったかもしれませんが、必ずや最後の一人となりましょう。私とアメリアは必ずルツィア様の側にて御身と御心をお守りいたします。」
「ありがとう。いつも頼りにしていますよ。」
いつもより随分と大袈裟に聞こえる忠誠の言葉に多少の違和感を覚えたものの、ヘルマンが選んだ言葉をそのまま受け取ればいいとだけ考えて、私はいつも通りの微笑みで返した。
最後とは一体いつになるのか。聖女の任を解かれる、その時までか。
扉の先に、まさに今飛び起きたかのような弾けんばかりのアメリアの笑顔が出迎えてくれた。それが、私のこの余計な詮索をいとも簡単に吹き飛ばした。
そしていつもの変わらぬ夜が訪れ、また朝が来るのであった。




