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旅人

「旅人とは珍しいですね」

「普段は隊商の護衛として都市間を移動してるんだが、この都市で一旦区切りがついたんだ。というわけでしばらくこの都市に滞在する事になる。初めての場所だし、情報は必要だろう?」

「そうですね。よろしければ案内しましょうか?」

「……いや、それはいい。あまり人と行動するつもりはないからな」

「そうですか、すみません」

「……謝る必要はない。俺がそういうのに慣れていないというだけだ」

「はい」


 少し踏み込みすぎたかもしれないな、とルイスは判断して情報の集まりやすい南大通りの宿を教える。宿には併設された酒場があってそこは都市の人も利用するから色々な話題に事欠かない。

 初対面のよく知らない相手に深入りするのは良くない。これではリリアナやアイクに警戒心が足りないと言われてしまう。


「助かった」

「いえ。わたしこそ本当に助かりました」


 男からすると、都市にやってきてさほど断たずに人を拾うなんて思いもしなかっただろう。そのまま素通りもできたはずなのにそうしなかった。


「あんたは? これから一人で大丈夫か?」

「ええ、こちらに家もありますし、行きつけの病院もあります」

「それならよかった」


 男は部屋の中を見回すと、荷物を背負い直す。そろそろ発つようだ。


「あ、そうだ。お昼の調達なら宿から通り二つ分北にある屋台通りがおすすめです」

「ありがとう。あんたも養生しろよ」

「はい」


 ボロ屋を出ていく男を見送る。立てかけただけの扉はそのまま開けていってくれた。外に出るルイスの怪我を鑑みてのことだろう。気が回る人だ。


 恩返しには足りない情報一つで、感謝を伝えて去っていってしまった。

 しばらく都市に滞在するというからまた会えればいいが、かと言って偶然すれ違えるほどこの都市は小さくない。


 ルイスは息を吐き出して自分の荷物をまとめ始めた。中央に残してきてしまった問題が頭をよぎる。

 そういえば。


「名前を聞き忘れたな……」


 恩人の名前も聞かず、別れてしまった。

 誰もいない中で立ちすくみ、ルイスは肩を落とした。



 ひと通り落ち込んだ後、ルイスは気合いを入れ直す。蜘蛛が天井から垂れ下がったのを見て荷物をまとめる。


 お守りを首にかけ、鞄の中身をチェックする。なくなっているものはない。僅かに持ち出せたお金もそのまま。丁寧に畳まれ、重ねられていた服を着る。中身の薄い鞄をを肩から下げると、空いたままの扉から外に出た。


 昼の温められた空気がルイスを包む。日陰だった室内よりも暖かい。黒の上着は暑いくらいだ。

 時刻はどれくらいだろう。

 天にある太陽は真上から少しずれていた。先ほど昼の鐘が鳴っていたから正午を少しすぎたぐらいだろうか。

 ボロ屋の近くは人気が少なかった。


 中身と反せず家はどこからどうみてもボロだった。長く人が住んでいないのだろう。周囲もまばらに同じような家がある。第三外周の一角には都市に住めなくなった人が出ていったこのような家がちらほらみかけられた。

 都市内に住むには金がいる。お金を払えなければ、都市を出ていくしかなく、そう言った人々は都市外に身を寄せ合って暮らしていた。そういうところが都市外区域と呼ばれる都市近郊の住居区域だ。


 都市を囲む壁の位置を確認し、ところどころにある尖塔の場所を探す。尖塔に割り振られた番号で第三外周のどの位置にいるのか大体知ることができた。

 どうやら今ルイスが居るのは都市の南門から少し西にきた地点、しばらく歩けば少し寄り道してもまだ日が残っているうちに目的の場所に辿り着けそうだ。


「数ヶ月ぶりの里帰りかな」


 中央を出たのは本意ではないが、久しぶりにやってきた外周区に、少し心が安らぐのを感じていた。


 途中の屋台通りでつまみ食いしつつも、今のお金で帰る分の食料を買う。明日は近くの医院に行くつもりだから、そのためのお金は残しておく。

 屋台の匂いに腹が鳴るのを抑えきれず、やや多めに買ってしまったが、これくらいは許容範囲だろう。

 軽くなった財布の中身を数えつつ、足早に通りを急ぐ。


 華やかで活気のある南大通りから西にしばらく歩くと人通りは少なくなる。ルイスは石と槌の看板がぶら下がる家の脇を通り、その裏口にやってきた。鞄から小さな鍵を取り出す。鍵を開けて中に入ると、中を見渡した。

 机が一つに椅子が二脚あるダイニング。奥には扉があって、そこを開けると祖父が使っていた小さな工房に繋がっている。工房はさらに正面入り口に繋がっていて、お客さんがそこをくぐるのをルイスは幼い頃に何度もみた。

 向かって左手側には階段があって、二階には祖父とルイスの部屋、そして書斎がある。大きな場所をとっているのは祖父が置いている石の標本だ。

 ここは祖父が中央から出て個人的に持っていた隠れ家のような家だった。幼い頃から学舎に入るまでの数年間、ルイスはここで祖父と大切な時間を過ごした。そんな思い出のある家。


「帰ってきた」


 祖父が亡くなってからも定期的にやってきてはいたが、ここ数ヶ月忙しくて足を向けられていなかった。室内は少々ほこりのにおいがしているけれど、換気をして少し掃除をすれば暮らすのに十分な環境が整うだろう。


「掃除は、明日かな」


 まずはゆっくりとしたい。誰もいない椅子に座って机の表面を撫でる。


「ただいま帰りました」


 そう口にだしたら、自然と笑みが浮かんだ。





 その知らせがもたらされたのはいつもと変わらずに仕事をしていた時の事だった。

 リリアナは上司の執務室から退室しつつ、ため息をついた。日々の仕事はある。それに加えて最近起っている壁外の疫病騒ぎにも関わっていると、外周と中央のやりとりで大変だった。

 患者の状態は第三外周にいる医師にその観察を任せてあるが、報告と壁外訪問は自分の足を伸ばして、現地で調査をしたいというがリリアナの望みだった。いくら報告を聞いても、実際の目で見なければ感じられないこともある。叔父である市長なら、こんなことは無駄だ。やるべきものに任せろと言うだろう。為政者としてそれが正解だとわかっていても、書類上だけの物より、えられるものは多いはずだとリリアナは信じていた。


 頭を悩ませる問題を整理していると、迎えにきていた護衛官のアイクが音もなく近付いてくる。五家に数えられるリリアナには学舎に上がる頃から年の近い護衛官がついた。それがアイクだ。つきあいは長く、信頼している護衛官だ。彼の表情は読みにくいと言われているが、リリアナには簡単だった。精悍な顔立ちに少しの焦りが滲んでいるのを認めて、リリアナの眉間に皺が寄る。


「どうした」


 そう問うリリアナに、アイクは声をひそめ、いつもより半歩近付く。


「すみません。ここでは」

「わかった移動しよう」


 今日の仕事は終わっているし、この後の予定もない。それに、こんな顔をするアイクが何でもない事を報告するとは思えない。彼の話が気になった。


 リリアナはアイクと人気のない部屋に移動する。文官棟奥にある資料室だ。

 扉が廊下に一つあって、本棚がずらりと並んでいる。奥の壁際に資料閲覧用の机が設けられているが、扉からは距離がある。過去の記録を収めているそこには、用がある人間しかやってこないから、中を改めて入り口の扉を気にしていれば廊下にいる人に何かを聞かれる心配もない。一応アイクが中に人がいないことを確認した。扉からは離れた位置で、二人は声をひそめて話し出した。


「それで、どうしたんだ」

「それが、リリアナ様は今朝白亜宮方面の様子がおかしかったのを覚えていますか?」

「覚えている。珍しく走っている人たちが何人かいたからな」


 アイクが頷く。


「日中、時間があったので、少し探ってみたのです」


 護衛官といえど、四六時中共にいるわけではない。今日のように一日中同じ部屋で仕事をしているような場合は自由に動くことを許されていた。白亜宮は他の文官棟からは離れているけれど、普段と違った様子が主人の危険に繋がらないようにと、情報を仕入れるのも彼の職務の内だった。


「昨日の夜から今日の朝にかけて、竜の庭近辺で事件が起ったようで、それについて対応していたみたいでした」

「事件? なんだそれは」

「二階の廊下に血痕が落ちていたのだそうです。最初は誰のものか、どういった経緯で流れたものかわかりませんでしたが、昼になっても出勤しない竜仕官がおり、この事には竜仕官長の命令で口外禁止が言い渡されたと」

「口外禁止とは穏やかではないな」


 そんな情報をどんな伝手で手に入れたのかは質問するまい。そういうことをこの男は昔から得意としていた。

 

「ええ、関係者にあたりましたが、わからないことが多いのか、それとも口を噤んでいるのか、有力な情報は得られませんでした」

「そうか、それで、出勤しない竜仕官とは」

「ルイス・レイガートです」

「なに?」


 声が大きくなってしまったリリアナに、アイクが注意を促す。もっと声をひそめて聞き取りづらいが、彼女は聞いた。


「ルイスの行方は?」

「今日姿を見た人は見つけられませんでした。官舎にもあたってみましたが部屋にはおらず、現時点で行方不明です」


 資料室には重い沈黙が落ちた。


「一体何があったんだ」


 アイクは静かに首を振る。


「わかりません。白亜宮でどれだけ調査が進んでいるのかも今の所情報が入ってきませんでした。しかし、見つかった血痕と、いなくなったルイスに関連がないとは言い切れませんし、これからもできる範囲で調べてみるつもりです」

「ああ、頼む」

「はい」

「あと、知らせてくれてありがとう。おまえが不確定な情報を伝えるのをよしとしないのをしっているからな」

「今回のことは、友人のことですから。俺なら後でしったら悲しみます」

「そうだな」


 この静かな男は情に厚い事をリリアナは知っていた。深呼吸をして、頭を切り換える。そして友の無事を祈った。


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