外務局補佐
ノルト・アーヴェンチュアの職場は中央区政務棟南の朱玉宮の一角にあった。自分が所属している都市外業務担当局の事業はトゥレ・イリュジオ前市長の働きにより、縮小の動きがあり、元はもう少し大きかった局長の執務室も小さな部屋に移動と相成ったのが数年前の出来事である。
そんな前市長は、都市内の開発には力を入れていた反面、都市外の諸々の事は目もくれない傾向にあった。そういう訳で、都市のほんの目と鼻の先にある都市外居住区画に関しても病気が広がることを、なんの対策もとらずに看過していた。それに関しては、姪であるリリアナ・エレクシオンが度々進言していたところが目撃されている。
「病気が石の仕業なんて考えないか」
ぽつりと口から零れたのは、思考の延長だった。ふと漏れたその言葉にやれやれと首を振って立ち止まる。思考に沈む内に、ノルトは外務局の執務室付近まで戻ってきていた。左手にはつい先ほど使用し、回収した宝石箱を持っている。
朱玉宮の外は日が陰り始めていた。よく磨かれた窓には自分の姿が映る。対外用に貼り付けた笑みは消えていた。養父はその表情を、袖に隠したよく磨かれた刃物に例える事がある。
外務局の扉を叩くと、中から入室許可の声が聞こえてくる。
ノルトは軽く肩を回すと、部屋に踏み入れた。
「ノルトです。ただいま戻りましたよ」
「ご苦労様でした」
扉のわきに控え、そう言って宝石箱を受け取るのは、先ほど別れた人物だ。シアンホセ家の使用人に扮していた男である。糊のきいた上着にすらっと伸びた背筋、使用人のまねごとをしていた時にも大概それっぽかったが、本職は護衛官である。
「主がお待ちですよ」
「ヤサカも大変だな」
ヤサカ・オズロー。苦笑して頭を下げるのは、養父の唯一の護衛官だった。そして、その養父というのは、ここ外務局の新しい局長であるサントル・アーヴェンチュアその人だ。五家アーヴェンチュア家当主の四男。このたび前局長が市長就任と相成って、玉突きするように副局長から昇進し、そろそろふた月が経とうとしている多忙の身である。
「私などはそれほど。こうして戯れの演者にもなれるくらいですから」
護衛官でありながら線の細い優男は、ぐるりと狭い局長執務室を眺めやった。
そこはこの世の終わりもかくやと言うほどの荒れ地であった。
「この惨状は……」
ヤサカは微笑むだけで応えない。粛々と頭を下げて退室していく。ノルトがいるのなら、護衛は必要ないだろうというような態度である。この二人の関係は、護衛官と主という関係にしては時にとても自由だった。
ノルトは床を占める数々の物品から目を逸らし、奥へと滑らせる。
部屋の中には奥に局長の執務机が一台。そして手前にも補佐用の机が二台。片側の壁は棚で覆われている。元は大きくない倉庫だったはずだ。手狭になった倉庫が移動した代わりに、外務局の局長室が移動してきたため、不要品と判断されて残されたものが少しそのままになっていたりする。そういうものは大概局長の手慰みの遊び道具となった。だれだ、ボードゲームを持ち込んでいた奴は。
補佐用の机の一つは現在ノルトが使用しているものの、その上には書類が山となっている。ごく限られたスペースに、なぜがゲームの牌が転がっていた。
「やあ、彼はどうだったの?」
ノルトがため息を喉の奥に押し込んでいると、そんな緊張感のない声がかけられた。奥の局長執務机。数々の書類と、なぜか机を彩る緑の鉢植えの向こうにひょっこりを顔をのぞかせているのは、この部屋の主、そしてノルトの養父である、サントル・アーヴェンチュアだった。垂れ目の優しそうな目、やや目が悪いので、常に眼鏡をかけている。五家でありながら威厳のなさそうな雰囲気で、こちらに向かって微笑んでいる。話をするために近づくと、利き手にはペンではなく、霧吹きが握られているのがみえた。鉢植えの多肉植物に水をやっていたらしい。北の砂漠に生息するというその植物は、特徴的な丸っこい形に似合わず凶悪な棘を持っていた。
仕事は――見るからに飽きたらしく、現在は休憩中らしい。
「ルイス・レイガートの事ですね」
「うん、それに竜仕官の事もね。君の数年前の知識だけでは補えないところも多かったんじゃないかなと思って」
ノルトが近づいても、サントルは立ち上がらず、ただ柔和な笑みを浮かべてこちらを見上げていた。手元をあやまりでもしたのか、眼鏡の下の方に水滴がひっついていた。書類は濡らしていないみたいなのでよしとする。
「しばらくは都市から離れていましたからね。やや情報のすりあわせはありましたが、おおむね問題ありませんよ。ルイス・レイガートについては、少し面白いとは思いましたが」
「ははは、だろうと思ったよ。リンドウ石の方はどうだった?」
「本物との確認が取れました」
「そうか……。本物でない方がよかったとは思うけれど」
「都市を壊滅させかねない石ですからね」
サントルは頷く。
「どうしてそんな石が『願いを叶える石』なんだろうね。石に願えば叶うものなど、本物とは言いがたいだろうに」
「全くです。石は竜仕官長が管理するよう、手配したんですか?」
「うん。ヤサカが持って行ってくれている。あんまり僕らみたいな徒人が持つべきじゃないと思って」
正解だろう。ノルトは頷いた。
「あーあ。それにしても本物か」
霧吹きを机に戻すと、養父は眉を下げて一部の書類をノルトに差し出した。
「こちらの仕事の重要性が上がってしまったね。本当はもう少し事務仕事を任せたかったんだけど、そうもいかなくなってしまった……」
「これは僕にですか?」
「そう、事務仕事よりも上手くやってくれそうだと思って」
分厚い書類を受け取って、ノルトは目元を引きつらせた。仕事を渡しながらも、やや情けないようにも見える表情を作るものだから、否やは言いづらい。
補佐用の机の端に腰掛けて書類をめくっていると、局長机の上にあったものが一部滑り落ちた。小さな悲鳴が聞こえたが、顔は上げなかった。
この男、頭の回転は速く、仕事に取りかかれば迅速なのだが、何せ休憩癖がある。ようよう取りかかりの遅い養父の尻を叩くのが、護衛官のヤサカの仕事にもなっているのだが、今はここにいない。この部屋の惨状は引き継ぎの仕事が山積みになっているからでもあるが、彼の元々の性格によるものも大きかった。
「少しは片付けをしたらどうです?」
「うん、そうしようとは思うんだけど、言われるんだよね『あなたは余計に散らかすんですから最低限でいいんです』って」
「ヤサカですか?」
サントルは頷く。甘やかされている。
「あーあとこれも。水道局長に打診してきて」
「またあの中継点ですか?」
受け取った書類は嘆願書だ。
「そう、内の管轄じゃないんだけど、なんかあると思うのよ。協力指示は出しておくから」
ようやくやる気をみせたサントルが、椅子に座り直していた。やれやれしぶしぶといった風情であるのは表情から読み取れる。落ちた書類はそのままだ。
「竜仕官長の方はどうだった?」
手元に書類を引き寄せながら、男は質問を重ねる。ノルトはこの前の竜仕官長を訪ねた時の事を思い出しながら答える。
「提示した問題解決に積極的ではありましたね。近いうちに形にしてくれるんじゃないかと思いますよ」
「あら、それはよかったね」
「向こうさんも同じようなことを考えていたみたいですから」
「うん、そうか」
相槌を打って眼鏡のブリッジを押し上げた。
「ちょっとずつ変わっていくね、色々と」
「変わらないものなんてないでしょう」
「それはそうだね」
変わらずあり続けられるものは少ない。人ならなおさら。人が作る組織だってそうだ。時代に合わせ、時勢に合わせ、変わっていくのが常だ。自分だってその一人。変わる中で、どこに身を置きたいかが、道筋を決める決め手になる。
「常に変わっていきますよ、都市の状況も、都市外の状況も」
「その通りだと思うよ。変化に敏感でなければいけない。小さな事柄が、大きな危険に発展する事もあるだろうから」
リンドウ石が厄災を運んできたように。
思ったけれど、ノルトは口には出さなかった。養父もそれはよくわかっている。幸いにも新市長は自分たちの味方だ。早めに問題は解決しておかなくてはならない。
「ノルトも複雑なパズルは得意だろう? ここは窮屈だろうけど、少しは気が紛れるんじゃないかと期待してるよ」
気を紛らわせるのに、仕事をふっかけてくるのもどうなんだと言いたいところではあるが、その通りなので反論はしないでおいた。面白い人間にも会えたことだし、退屈はしなさそうだ。
手元の資料を読み込むために、ノルトの思考は周りの雑音を遮断した。




