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やめる見習い・新たな出会い



 先輩と並んで歩くことしばらく、竜仕官が複数人で使用している事務部屋に到着する。部屋はそれほど大きくない。机が複数と、同じ数の椅子。そして、部屋の壁を占めている本棚。扉は常に開け放たれている。中には必ず誰かがいて、机に向かっているからだ。夜だけは施錠される事になっているが、竜仕官たちは鍵を持っているので、夜ですら出入りするものがいる部屋だった。

 竜仕官は総勢二十人程。都市にやってくる竜と同じだけの人数がいるが、それだけしかいない。隣続きの三部屋を全ての竜仕官たちが使用していた。

 石の入った箱を、ルイスは棚の一番下に保管する。

 先輩は肩がこっているのか、右腕をぐるぐると回しながら自分の席に歩いていく。そして、山積みになっている書類をみて、うわっと声を上げた。一番上の書類を手に持って、眉間の皺を深くする。

「なんで、水道局からの申請書……」

「追加の〈息吹〉が必要かもって誰かが言ってたよ」

 ぼやいた先輩の言葉に、他にいた年若い竜仕官が食いつく。

「どこでよ」

「さあ」

「きいてないのかー」

 竜が人に与えてくれる〈竜の息吹〉は水を生み出す貴重な石。都市の水を管理する水道局からその手の話がやってくるのは、よくある事だった。

「確認するか」

 引いた椅子がぎいと鳴る。

 ルイスも自分の席につくと、見習いの評価書類を引き寄せる。書き方はこの前さらっと教えてもらったばかりだ。相手にしたのは数人の新人見習いだけだけれど、彼らのことを思い出しながら記入する。

 ルイスが書いている傍で、先輩二人の話は続く。

「都市内の水道局拠点の話?」

「そう。白亜宮からの水の供給だけでは都市内全体に水を行き渡らせるのは難しいからなぁ」

「ここの息吹の間の管轄は白亜宮の竜仕官に任されているけど、他の場所の水量管理してるのは、水道局だからそういう報告も上がってくるかとは思うんだけど、ちょっと早くない?」

「そういうときもあるだろ。竜の息吹一つが出せる水は、石によって違うし、見た目からの判断をするにしても、大まかなもので、かなり限界水量に開きはあるし」

「見た目でどれくらい水が出るか。正確に判断できればいいんだけどね」

「それはそう思うな」

 先輩たちの話が興味深くて、ルイスの手はいつの間にか止まっていた。

 竜の息吹は水の出る不思議な石だ。雫型のその石を、秘石でできた器に入れる事で、水を出す。一時に出る水の量は、その器の大きさにより、大きな器を用意すれば、一度に沢山の水を出すという性質を持っている。改めて考えれば不思議な話だ。最初にその性質に気付いた人はどうやってその答えにたどり着いたのだろうか。

「同じ大きさの石でも水量は違うんでしたっけ?」

「お、ルイス。興味あるか?」

「はい。とても」

 ベルデが話に入ってきたルイスに視線を向ける。突然話しかけたルイスだが、二人の竜仕官は快くそれを受け入れてくれた。

「大きさの他には内包される『竜気』が関係しているね」

「ほら、石の中に見える霞みみたいなやつ」

 竜の息吹は、石の中に、白い靄みたいなものがある。それを竜仕官たちは『竜気』と呼んでいた。それが濃いもの程、内包している水の量は多い。

「内包竜気の基準表ってあったんだっけか?」

「資料室に保管していたようなきがするけど……」

「あれ、見習いの時に習わないか? 俺はその頃に教えてもらった記憶があるんだが……」

「教えるかどうかは人によるよ。私は竜仕官になってから興味を持って調べたかな。ルイスも興味があるなら、四階の資料室に行ってみるといいよ」

 ベルデもその言い分にはうんうんと頷いた。ルイスもはい、と返事をする。自分が教える立場になって、いざ教えるときに知りませんでしたでは、見習いに顔向けできない。時間を見つけていってみようと思った。

 そう考えているルイスが神妙な顔をしていたからか、彼らはそのまま話を続ける。

「ルイスは見習いの期間が短かったからね。知っている知識も少し偏っているのかな」

「かもな。俺みたいに十年近くやってると、その間に知る事も多いし」

「ベルデは長かったよね」

「ああ、その間に辞めてった見習いも多かったけど、竜にようやく選ばれたとき、報われたなと思ったね」

「そうだよね」

 向かいの先輩もベルデの言葉に同意している。

「知識は蓄えておいて損はないよ。いつ何が必要になるか、わからないからね」

「そうですね。ありがとうございます」

 色々と知っていこう。

 改めてルイスはそう思った。

 話を切り上げ、各々の仕事に戻る。ルイスは、手が止まっていた見習いの情報のまとめに取りかかった。ルイスにも知識が必要だが、見習いたちにもまた、ルイスたちの書く、評価の積み重ねが必要なのだから。




 ふと時間が空いた昼下がり。資料室に足を運んだのは、この前の先輩たちの会話が耳に残っていたからだった。白亜宮に資料室はいくつかあるけれど、一番重要な情報が保管されているのはこの資料室だ。竜仕官長の部屋のほど近く、白亜宮四階の資料室。

他の資料室は建物の改築や増築で移動しなかった資料が、やや埃を被って保管されている。資料室を移動する際に、あまり重要ではないと判断された資料は、古い資料室に置いておかれるからだ。新しい資料室にはその目録だけが保存される。誰かが、必要になったときに目録を引いて、閲覧しに行くようになっていた。

 今までルイスの興味は竜の方を向いていた。知識が偏っているのは先輩に指摘された通りである。竜が好きで、竜と英雄の物語が好きで竜仕官になった。一本道を脇目も振らずに歩いた。人生の後ろを振り返れば、子供の頃から単純に真っ直ぐ続いている轍が見えるかもしれない。

 都市の外の事を知って、竜の知らないことを知って、違う世界をみて、そして竜を憎む人をみて、憧れたものは同じなのに、竜を傷つけてしまった人をみて、ルイスの世界の輪は大きく広がった。ずっと一緒にいた祖父の思いすらも、この世を去ってようやく知る事になった。

 そういう見逃してきたことを、拾い上げる時間が必要だろう。これからの自分の行く先には。

「精が出るの」

 そう、声をかけられたのは部屋に入ってから一冊資料を読み流した頃だった。

「オリクト様。お久しぶりです」

 やや小柄な体躯に、皺の入った穏やかな表情。竜仕官長のオリクト・エバリーがそこには立っていた。いつもの様な柔和な微笑みを湛えている彼は、その役職が示すとおり、竜仕官を束ねる長である。資料を持ち直して頭を下げたルイスに、オリクトは頷いた。

 久しぶりと言ったとおり、オリクトには数日会っていなかった。ここのところ竜仕官長は白亜宮を不在にする事が多く、部屋を訪ねてもいないことが多い。

事件を起こした元市長に代わり、タルテアンでは新しい市長が就任し、他局では人事の異動が多かったという。竜仕官は少人数組織であるが故に、人員に代わりはないが、その長である竜仕官長は変わっていく他の部署とのすりあわせも多いらしい。また、先の事件では竜と白亜宮が狙われた事から、白亜宮の調査と、関わる人の調査、並びに整理が長い間行われていた。それも、元市長の協力者だったと思われる人物を探すためである。警備に穴があったり、建物の構造に把握できていない抜け道があったりと、日々白亜宮を仕事にしている自分たちでも気がつかない事が多くある、と事件後に発覚した。

 思えば白亜宮を歩いている顔ぶれには、初めて見る顔も増えた。逆に頻繁に見ていた顔を見なくなった、と思うこともある。

「ところでオリクト様はどうしてこちらに?」

「休憩の時間をとろうと思ったのじゃ。最近人と会うことが多くての。流石に食傷ぎみじゃ」

 そう言葉にしてすぐに、片手をあげた。去ろうかと気を回したルイスを制するためだった。

「肩肘張るやりとりに辟易しておるだけじゃ。竜仕官とのやりとりにそういうのはなかろう?」

 聞かれて「はい」と応えるべきか逡巡していると、それを見抜いたオリクトはその顔に笑顔を浮かべた。

「ルイスはわかりやすくていいの」

「すみません」

 腹芸は苦手な部類だ。ただ、そんなルイスの事をみて、竜仕官長の雰囲気は柔らかくなる。

「そんなルイスに質問してもいいかの?」

「なんでも、お答えします」

「それでは、ルイスは竜を怖いと思ったことはあるかの」

 少し考えてルイスは発言する。

「……いいえ。全くありません」

 ルイスを覗き込むように見つめていたオリクトは、嘘がないことを感じて頷いた。

「わしもだ。そして、おそらくそれは竜と関わる竜仕官にとっては当たり前なのじゃろう、と思うことが増えた」

「先の事件の事で、誰かがそういうのでしょうか?」

「……」

 ルイスから外れた視線は資料室にある影に落ちる。棚の隅には、光の届かない場所がある。そういうところだ。

 聞いてはいけなかっただろうか。沈黙にルイスも思考する。しかし、咄嗟に口に出してしまったものは取り返すことができない。竜と日々接する竜仕官だからこそ、竜を怖いとは思わない。ルイスが先の事件で心底怖いと思ったのは、竜が害されること、それ自体だ。竜が自我を無くして暴走する姿は、ただただ悲しかった。竜と人を呪う石。その影響で、竜も、人も傷つく。

 呪いの石のなんたるかを、ルイスはあの世界――竜の墓場から戻ってきて、竜仕官長に語った。そして、竜仕官長の判断で、その石の事は竜仕官全員に伝えられた。石は呪いの石ではなく、希望の石でもなく、願いを叶えてくれる石でもなく、〈リンドウ石〉と名付けられた。音に竜を隠し、特別な石ではなくなる。ただ、わかる人は近づけば、そして触れればわかる。石が呪いを帯びる様を。

「見習いが数人やめたのは知っておるか?」

「はい」

 ここ二ヵ月間、竜仕官見習いが何人か辞めたらしいと先輩から聞いていた。

「彼らは竜に触れる機会が少ないじゃろう? 仕方ないといえば仕方ないのじゃ。『怖いと思う心』は彼らのものじゃ。わしらはその心を正しく知る事はできん。離れていってしまう心と、人をつなぎ止めるには、わしの心は彼らには真に寄り添えん」

「オリクト様」

「じゃが、彼らはこうも言っておった。『竜を嫌いになりたくないから、離れるのだ』とな」

「……」

「一度怖いと思ってしまったとき、その傍から離れるという行動こそが、互いを救うのかもしれんの」

 ルイスは開こうとした口をとざした。ルイスにも、竜を怖いと思う感情がわからない。理解はできてもそれ以上踏み込むことができないから。いつだって竜を思うときは、自分の相棒の事が思い起こされるからだ。そこに愛はあれど恐怖はない。

「そうかもしれませんね」

「……すまんの、愚痴をはき出してしもうて」

「いえ」

「ルイスとおると、なんとなくテソロ様を思い出すのじゃ。テソロ様はよく下のものたちの事を気にかけてくださったから」

 曖昧に笑うオリクトの表情は、それでも優しかった。彼こそ、人の事をよく見ている。こうして話した事が、ルイスの重荷になりすぎないようにしてくれる。

 考えている事も多かろうに、その後はルイスの手に持っている資料の話をしてくれた。息吹のことをもっと知りたいのなら、別の資料の方がいいとも助言してくれる。ルイスは結局その資料を、貸し出しのカードに自分の名前と共に記入して資料室を出た。オリクトはもう少しとどまるという。休憩というのは本当のようで、文字を追うのは自分にとって自分にとって休んでいる時間と同じだし、何より、副産物として知識が身につくのがいいと笑っていた。

 ルイスも釣られて笑ってしまった。

 外はいつの間にか夕方の光が照らしている。随分と長く、資料室に居座ってしまったらしい。道理で先ほどから腹の虫が主張しようかどうしようかと、迷うようなそぶりを見せているはずだ。空腹に近い。先日は先輩に奢って貰ったが、今日は特に約束をしていない。リリアナとも最近一緒にご飯を食べていないが、彼女も彼女で忙しいらしく会えていない。

 水道局も人事の異動が激しく、その対応に追われていると、伝言にきたアイクが情報をくれた。言うことだけ言って足早に去って行く友人に、どこも同じかと思ったことを覚えている。

 そんなことを考えながら廊下を進んでいると、見慣れない男が竜仕官長の部屋の前にたたずんでいるのを見つけた。

 黒色の髪に縁取られた表情は無だ。細身の体躯は、文官の服に身を包んでいるが、その装飾は見たことがない。どこの局のものだろうと、ルイスは首を傾げた。

 すると、足音に気がついたのか、男がルイスの方を向く。色のなかった顔に、薄い笑みが張り付く。先ほどまで対面していたオリクトとは異質の表情だった。首筋を撫でられたような不快さを堪えてルイスは会釈をする。表情は少し引きつっていたかもしれない。

 そんなルイスを観察して男は同じ表情で言う。

「失礼、ご存知でしたらお聞きしたいのですけれども、竜仕官長のオリクト様はご在室でしょうか?」

「いえ、さきほど別の場所でお見かけしました」

「そうですか」

 男はしばし思案する。ルイスを少しの間眺めやって、ああと手を打った。大変わざとらしい仕草だと思ったのは、ルイスがこの男のことを疑ってかかっているからかもしれない。よくないなと小さく深呼吸した。

「自己紹介をしていませんでしたね。僕の名前は、ノルト・アーヴェンチュア。都市外業務担当局の局長補佐をしてます。局長からの言伝を預かっているのですが……。そうか、不在でしたか」

「都市外業務担当局の……」

「そうです、ノルト・アーヴェンチュアです」

 ルイスの言葉を引き継いだ男、ノルトが口の端をあげる。見ようによってはにっこりと笑っているようにもみえる。ルイスは姿勢を正した。自己紹介を受けたのならば、自分もそれに返さなければという義務感からだった。握手のために差し出された手に、ルイスも手を伸ばす。

「初めまして、私は竜仕官のルイス・レイガートです」

「存じていますよ。ルイスさん」

「えっ」

「都市を救った竜仕官さん、ですよね」

 軽く握った手が強ばった。多分皮膚に鳥肌が立っている事を、向こうも見抜いているだろう。目だけで笑った男はぱっとルイスから離れる。視線はルイスの向こう側を見ていた。

「外務局の方が、ご用ですかな?」

 竜仕官長が、こちらに来ていたのだ。放心しているルイスには「声が聞こえての」と補足してくれる。ルイスはそれに相槌を打つしか出来なかった。

 竜仕官長は客人の彼を招いて、自分の部屋に入っていく。ノルトと名乗った男はルイスにひらりと手を振って、同じように部屋の中に消えていった。

 去り際、その口が「じゃあ、また」と形作っていたことは、あまり考えたくなかった。

 しかしこれが、この男との最初の対面になり、これからも続いていく関係の最初の接触になるなんて、このときは思ってもいなかったのである。



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