道端で僕が友人とソースについて語り合うお話
五月二十日。連休の感覚が抜けて学校生活に順応しだした頃のことである。
あの恐い先輩と一緒の磐城と遭遇して以来、今日も彼と一切の接触がないまま学校は終礼の鐘を鳴らし、一度帰宅した僕はいつも通り森に向かうのだった。
その道中にあるT字路を曲がろうとしてミラーに目をやったとき、僕の目にその姿は飛び込んできた。
ジーンズに薄手のパーカー。そして一番目を引くのは蛍光色のスニーカー。服装は日によって大きく変わるが、履いている靴というものはあまり変わらない。そして、僕はあの特徴的なスニーカーのことを覚えている。初めて見たのはゴールデンウィークの図書館だ。
私服でいてくれて助かった。制服だったら気付かなかっただろう。いや、もしかするとこれ以外の目立たない私服の時も僕は彼と遭遇していて、その度に気付かず素通りしていたのかもしれない。
そう思うと彼に顔向けできない気がしてきたが、それはそれ。彼に気付けた今を無駄にする手はない。
僕は森とは反対方向だったが磐城のいる方へと舵を切る。
角を曲がっていきなり
「やあ、磐城じゃないか」
などと声を掛けたりはしない。本当は磐城じゃなかった場合、気まずいにもほどがある。
僕は角を曲がってゆっくり数歩進む。と同時にさり気なく視線を前に向けて前からやってくる人物に目を向ける。
凝視すること2秒。雑談するには短い時間だが、人を凝視するには長過ぎる時間だ。
そして僕は確信する。あれは磐城だと。手には駅前のファストフード店の紙袋を持っていた。
「やあ、いわ・・・」
「おお!山城じゃねえか!」
なんと、彼は僕の計画を上回る反応速度で言葉を発し、結果僕は満足な挨拶をすることに失敗する。
「あ、ああ…やあ」
「ん?私服ってことは、これからどこか用事か?」
今その事実に気付いたということは、まさか彼は顔だけで人を判別しているというのだろうか。
「いや、用事というか、散歩だよ」
「散歩か。そりゃいい。俺は買い食いだよ」
そう言って磐城は手に持った紙袋の中から黄金色の丸いものを取り出した。
「それは?」
「ナゲット。鶏肉で作った金塊、だな」
「いや、確かにナゲットは直訳すると金塊だけど…」
その説明の仕方だと錬金術が為されたように聞こえてしまう。
「それは駅前の店の?」
「ああ。笑顔を無償で提供してる店だ」
非常に店を特定しやすい説明だった。
「どうだ?ひとつ」
「え?いや…」
遠慮しそうになるが、ここであの日のアカネの言葉が蘇る。そして思う。ここでこの差し出されたナゲットを断ることは、彼からまた一歩遠ざかることになるのではないだろうか、と。
「いいのか?交換できそうなもの何も持ってないけど」
「気にするなよ。ナゲット一個だ」
「ありがとう。それじゃあ遠慮なく」
差し出された紙袋に手を入れて、最初に指に触れた一つをつまみ上げる。じんわりと温もりが指から沁みてくる。
「ソース使うなら中に入ってるぜ」
「あ、じゃあソースももらおうかな」
紙袋の中を覗き込むと、確かにそこにはソースがあった。が、未開封だった。
「あれ?ソース使ってないの?」
「ああ。帰りながら食うには手が一本足りないからな」
「手が…?ああ、なるほど」
紙袋を持つ手、ナゲットを持つ手、そしてソースを固定する手ということか。確かに紙袋はナゲットだけだとまだスペースに余裕があり、歩きながらだとソースの位置も定まらない。
「そうか。なら今日は僕も同じ食べ方してみようかな」
ナゲットそのものの味を楽しむ機会は今までなかったので、いい機会だ。
それに、こういう容器に入ったソースはお弁当などで使うのに便利だと聞く。是非とも持って帰ってほしい。
「山城はこのソース、どっち派なんだ?」
ナゲットを咀嚼していると磐城はそう問いかけてきた。
どっちというのは、マスタードかケチャップかという意味だろう。
「…マスタードかな。強いて理由はないけど、いつもそっちを選んでる」
「奇遇だな。姉さんもそっち派らしい」
「姉さん…というのはこの間のあの先輩のことか?」
「ん?ああ、そうだ。俺は一人っ子だからな。姉さんと言えばあの人のことだぜ」
磐城が彼女のことをそう呼ぶのは部の決まりらしいが。未だに彼らが何の部活をしているかは知らない。
「姉さん曰く、二つまでは無料でもらえるらしい」
部活について僕が質問するよりも先に、磐城が「姉さん」由来の知識を僕に分け与えてくれた。
「へー、そうなんだ」
「ああ。姉さんはナゲットを買うときいつも一つは使用用、もう一つは持ち帰り用にもらうらしい」
なかなかたくましい生き方をしている人だった。
「まあ、ちょっとした料理とかにも使えるし、もらえるもならもらっておくべきだろうね」
「ああ。ま、俺に関してはさすがに使わないものを二つももらうのは悪いから、いつも一つしかもらってこないけどな」
「そうか」
「そして姉さんに献上している」
「そ、そうか…」
かなりたくましい人なようだ。「姉さん」は。
「トマトケチャップの方はまだ試したことないな。いつもマスタードばっかりだよ」
「そうか。キャンペーンとかで色々イレギュラーな味もあるらしいけど、俺がこれまでにもらって帰ったのもマスタードばっかりだ」
イレギュラーな味、とは言いたいことは凄くよく分かるが、どうしてもやばいソースみたいに聞こえてしまう。
「それにしてもトマトケチャップってネーミング・・・まるでトマト以外のケチャップがあるみたいに聞こえるよな。全く・・・ミスリードな言い回しだぜ」
「ああ、そうだね。あ!そうだ。そうなんだよ」
「どうした山城。何かケチャップにまつわる面白い話でもあるのか?」
僕の唐突な興奮に戸惑いつつ投げかけた磐城の言葉は事実その通りだった。
「実はそうなんだよ。さっき磐城が言ったとおり、ケチャップにはトマト以外のものもあるんだ」
「なんだって!?」
海外のCMみたいなリアクションを取ってくれる磐城。つかみの部分でここまでの好反応とは、本編での磐城の反応が楽しみだ。
「ケチャップは元々アジアの魚醤だったらしいんだよ」
「魚醤・・・聞いたことはあるけど詳しくは知らないな。匂いが強いあれのことか?」
磐城が魚醤について詳しくないという事実はこちらにとって好都合だった。 実は僕もこの話をアカネから聞いたとき、魚醤というものをよく知らなかった。そして磐城と同じような反応をアカネに返したのだ。 その時のアカネの対応を、僕は今、そっくりそのまま磐城にする。
「魚醤っていうのは魚を発酵させて作った調味料だよ。豆を発酵させたのが醤油、魚が魚醤」
「と、いうことは磯の香りのする醤油ってところか?」
「そうだろうね。かなり塩味がきついらしいけど」
僕自身食べたことはないので想像の域を出ないが。
「ははあ、なるほど。魚醤については分かったが、何だか余計にケチャップから遠ざかったな。醤油がどう発展したらケチャップになるんだ?」
「ああ。日本の魚醤はさらっとしてるけど、海外の魚醤はドロッとしてるものもあるんだ」
「そうか、定義は『魚を発酵させたもの』だから色々か」
「うん。そういったものの中には野菜を混ぜたものもあって、そういうものの一つがトマトケチャップなんだよ」
「なるほどな。掘り下げてみると意外と深いんだな」
もらった知識をただ放出しただけだったが、幸いにも磐城にはちゃんと伝わったみたいだ。
「トマト以外だと、例えばバナナとか」
「バナナ!?そいつはまたトリッキーなフレーバーだな」
「そうだね。正直言ってどんな味か想像つかないよ」
「どこで買えるんだろうな。日本で売ってるのか?」
生憎とそこまでは調べていなかった。まあ、今は通販があるので日本国内でも手に入れることはできるだろうが。
「隣の駅の百貨店では売ってるんじゃないかな?」
「ああ。あそこなら色々ありそうだな。隣町のショッピングモールにもな」
隣町のショッピングモールとは少し前に新しくオープンしたあれのことだろう。
「おっと。もうこんな時間か。悪いな。つい長話しちまった」
磐城は左手の腕時計を見てそう言った。そこまで長いこと話していたわけではないが、立ち話にしては長話だった。ここらが別れ所だろう。
「いやいや。僕こそ久しぶりに話せてよかったよ」
「確かにこうして話すのは久しぶりだな。普段学校ではどこで何してるんだ?昼休みとか全然見かけないけど」
昼休みにどこで何を、と言われると「教室で」「お弁当を食べてる」という答えしか返せないので、僕はその通りに答えた。
すると磐城はきょとんとして僕に問いかけてきた。
「昼休み30分間ずっとか?運動場でサッカーとかしないのか?」
「いや、しないよ。確かにしてる人もいるけど」
「そうか。まあ、サッカーに関しては俺もしてないんだけどな」
では磐城は何をしているのだろうか。それについて聞こうとしたが、それよりも先に磐城の口は答えを与える。
「代わりに俺は部室で姉さんたちとゲームとかしてるな。教室でランチなんて久しくしてない」
「へー、そうなんだ。部室って…」
記憶が確かなら彼らの言う部活動というのは非公認のものじゃなかっただろうか。
不法占拠の匂いがする。
「厳密には委員会に入ってるもう一人の先輩の権限で使えてるだけだから『部活の』部屋じゃないな」
これは合法なのだろうか。多分こういうのを脱法というのだろう。
「だから部員じゃなくても歓迎するぞ。暇なら今度遊びに来いよ」
反射的に「遠慮しておくよ」と言ってしまいそうになるのをこらえて僕は言葉をひねり出す。
「ありがとう。いつかお言葉に甘えさせてもらうよ」
「おう。それじゃあまた、その時にな」
「うん。また」
そうして僕は磐城と別れ、森とは反対方向に歩きだす。
踵を返して森の方に向かって歩くと磐城に変に思われると思っての行動だ。何度か振り返ってみたが、磐城は森の方に向かって歩いていたので、迂回してから森には行くことにした。
今回の別れ方はゴールデンウィークの時のような後ろめたさは感じなかった。
こうして目的地と違う方向に歩いているという点においては磐城に嘘をついたような罪悪感に駆られるが、あの時の冷たい後ろめたさとは別物だ。
「あ、そういえば…」
先ほどのやり取りをぼんやりと思い出しているとあることに気が付く。
「部室の場所、聞いてないな…」
まあいいだろう。もしかしたら部室を探して教室の外に出てみると普通に遭遇したりするかもしれない。
今度会った時は部室の場所を聞き出してみるとしよう。
そう心に決めて僕は迂回ルートを進む。
そんなわけで道端で僕が友人とソースについて語り合うお話は終わる。