第一話「恐怖! 怪人クモ男」 06
「やっと来たわね」
俺たちがビルの一室に入ると、ドーナッツをパクパクと美味しそうに食べているメイドが立っていた。彼女が俺たちの班長・立花雪である。彼女はメイド喫茶に派遣され、襲撃の際に客の誘導と俺たちの指揮を任せられている。
室内を見渡すと、数十台のモニターが並べられ、多角的に戦闘を写している。窓際はガラス張りになっており、目視でも確認可能。(その際はテレビカメラにご注意!)
なぜ、作戦中にドーナッツを食べているのかというと、彼女曰く「班長は頭を使うのよ。だから糖分が必要不可欠なの」らしい。なんとも自分の地位を利用した主張である。これを職権濫用といわず何という。
班で犯した罪は連帯責任なので、俺もドーナッツにお呼ばれしようと手を伸ばした。が、寸前で手の甲をパチッと叩かれ「これ、私のドーナッツ」と押し戻されてしまった。
「おおっ! みんな戦ってるっすね」
遅れてやってきた准が、モニター越しに指差す。
画面の中では我がブラック・デモンの幹部『クモ男』と正義の味方『イケナインジャー』が多勢に無勢で戦っていた。
口から出された粘着糸がイケナインジャーレッド(通称イケ・レッド)の身体に巻き付き縦横無尽に振り回す。
『あの、すみません。イケ・レッドを捕まえたのですがどうすればいいでしょうか?』
現在、戦闘を行っているクモ男からオープン回線で通信が入った。モニター越しで悪逆非道の限りを尽くす怪人だが、実は司令部の指示で動いている。小心者のクモ男に任せたら、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうのでこういった処置をしているのだ。
「十時の方角に投げ飛ばして下さい。そこなら誰もいません」
通信を受け取ったオペレーターが淡々と指示する。
『わっ、わかりました』
言われたとおり、クモ男がイケ・レッドを放り投げる。
空中に解き放たれたイケ・レッドは、弧を描くようにクルクルと回り、体操選手のような身のこなしで華麗に着地した。
『あの、次はどうします。なんかイケナインジャーの皆さんが集まってきてますけど』
「必殺技のサインだと思います。クモ男さんはそれをまともに喰らって下さい」
『えっ、まともにですか? あれ、けっこう痛いんですよね。避けちゃダメですか?』
「ダメです。必殺技を避ける怪人はいません。痛いと思いますが、医療スタッフを向かわせますので安心して喰らって下さい」
『……頑張ります』
心なしか、泣きそうな声で通信が切れた。
「そろそろ終わりっすね。自分たちの出番はないみたいっすね。いやー、何事もなくてよかったっす」
「こら准、なに言っているの。まだ、後始末が残っているでしょ。気を抜かない」
雪が一喝する。差し出された指にはチョコレートが付いていた。気を抜いているのはどっちだろう?
その時、画面の中から「痛い、痛い」と情けない声がした。
見ると、我がブラック・デモンの幹部『怪人! クモ男』が謎のおっさんに叩かれている最中だった。
「なんなの? このおっさん」
指先からドーナッツが転げ落ちた。
「不明です。リストには載っていない人物のようです」
オペレーターが顔写真入りの資料と見比べながら応える。
しかし、俺にはこのおっさんが誰なのか一目瞭然だった。
でっぷりとした腹。太い腕に濃い髭。間違いない。俺の働いていたファミレスの料理長だ。
「もしかして一般人? なんで誘導されていないの。誰の担当?」
俺の担当だ。しかし、言うわけにはいかない。いや、言えない。言ったら怒られる。
司令部は謎のおっさんの登場に動転して慌ただしくなっている。
この雪だるま。なんでファミレスで待機していないんだ。安全が確認されるまで出るなと言っただろ。
俺の意中を知らない料理長が、正義感むき出しにクモ男を殴りつける。一般的に俺たちは悪者なので、こういった輩は少なくない。だからこその誘導でもあるのだ。
「近くに戦闘員はいないの?」
「いません。全員、イケナインジャーに倒され悶絶しています」
事態は困難を極めていた。司令部からの指示がないので、逃げるしかできないクモ男。必殺技を構えているものの、一般人を巻き込んでしまうので撃つに撃てないイケナインジャー。
「しかたがないわ。私たちで行くわよ」
「行くって言ったって、どうするんだよ。相手は一般人だろ。攻撃していいのか?」
「カメラに撮られなければいいのよ」
雪はメイド服を脱ぎ捨てると、全身黒タイツで階段を駆け下りた。
「おお、やっと自分たちの出番っすね」
准が楽しそうに跡を追う。俺も続いて二人の跡を追った。
「くそっ。こうなったら、うまく失態を揉み消してやる」