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天のカリカチュア  作者: 綾崎 伊志
 第7章 孤独
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 17

 ハーブル様。


 初めてお手紙を差し上げる無礼をどうぞお許しください。私は小さな街の片隅で、石膏職人をしている者です。そんな俗衆の人間が、何の用かと思いになられるでしょうが、どうかお読み頂ける事を祈るばかりです。


 ハーブル様と私は、はっきりとした面識がある訳ではございません。ですが、アルティオ家と言えば、多少、名の知れた名門でありますから、少しは耳になさったことがあるかもしれません。私は、その古い旧家の次男として生まれ育ちました。しかし今では、職人の道を父に反対され家出同然に飛び出したものですから、何の関わりも持ってはおりませんが。父の方でも、私の事など勘当したつもりでいることでしょう。


 私のようなものが、どうして手紙を書いたのか……、少しばかり、私の話にお付き合い頂けると幸いにございます。


 一度にだけ、私はハーブル様を、この眼で拝見したことがあります。十数年も昔、私の故郷のエンリトに、貴賓としてハーブル様が訪問された時の事になります。その日、ハーブル様がお越しになられている記念に、祝賀会が開かれると、、私達一家はマルクル城に呼ばれました。礼服に着替えさせられ、父の手に引かれて、めったに行けない王宮に向かう私は、まるで遊戯場に行くような浮き立つ気持ちでいたものです。


 そこは、煌びやかな世界でした。城には着飾った男女で溢れ、美味しそうなご馳走を片手間に、楽し気に談笑している光景が見られました。わたしも、裕福な家柄で生活を過ごしておりましたが、その豪華さ段違いでした。幼かった私は、兄弟達と「凄いね」と言葉を交わしながら、夢のような一時を過ごしたのです。


 けれど、宴も佳境を迎えた頃、思いもよらない事が起きました。王座に座るグラハム王から、ナルシア様に剣の試合をさせたいとの、お達しがなされたのです。そして、なんと、その相手に選ばれたのが、私だったのです。


 どういう事かと、見上げる私に、父は囁きました。


「ナルシア様に、傷をつけるな」と。


 私は、群衆の前に押し出され、ナルシア様と向かい合わされました。私は、驚きと困惑で頭がぐしゃぐしゃになりながら、とりあえず持たされた剣を構えました。


 その重み。私は、自分が持っているものが、真剣だという事に気付きました。その瞬間、悟ったのです。自分に振られた役割というものに。私は、ナルシア様を引き立てるための、小さな駒でしかありませんでした。


 唐突に訪れた、死への恐怖。自覚した時、一斉に鳥肌が立ちました。砕けたように足腰から力が抜け、心臓は不揃いに動悸を刻んでいました。無責任に、やんやと喚きたてる観客の声。まさに……、地獄でした。


 私はすがるようにして、父を見ました。だけど、父は苦虫を噛み潰したような、後味の悪そうな表情を浮かべるだけで、押し黙っていた。その眼からは、一切の暖かみは感じられませんでした。


 父としては、王宮との太い繋がりを得る絶好の機会だったのでしょう。私は次男でしたので、家督を継ぐ兄さえいれば、それで良かったのです。だからこそ私を生け贄として使えたのだと思います。


 だけど、私は父を責める気持ちにはなりませんでした。仕方がない。それが、私の゛役割″だと諦めるしかありませんでした。


 そんな私の前に、ナルシア様は、ぼんやりとしたお顔で立っておられました。ピクリとも動かない表情の無い顔は、整った容貌と相まって、まるで精密に造られた人形のように見えました。


 何を考えているのか、思っているのか、わからない。ナルシア様は、試合開始の合図も聞こえなかったかのように、茫然としていました。その静けさと共に、会場は次第に息を潜めるようになっていました。


 どうしたのだろうか。見守るような沈黙の中で、少し俯いたナルシア様は、震える私の手を、一心に見ていました。


 それから、どれ程の間だったでしょうか、じりじりとした時が流れ、ある瞬間、ナルシア様は決心したかのように急に顔を上げました。


 いよいよだ。私はその動きに、死を覚悟しました。


 ですが、ナルシア様と眼があった時、私は一瞬、恐怖を忘れました。


 黄金の瞳が、ゆらゆらと蝋燭の炎のように揺れている。


 強者であるはずの彼の眼に、くっきりとした苦悩が浮かんでいるのを、私は驚愕の思いで見つめ返しました。


 そして、こみ上げてくる何かを放つかのように、剣を地面に叩きつけると、ナルシア様は唖然としている我々に背を向けて、その場から立ち去ろうとなさいました。


 私は、呆然とすると共に、心の底から安堵しました。生きていられる。その途方もない喜びが、全身を駆け巡るのを感じました。


 ナルシア! 次の瞬間、グラハム王の怒声が飛び、私は、ハッとしました。そのあまりの激しさに、私は、ナルシア様の背負っているものの重さに気が付いたのです。私が次男としての立場を決めつけられたように、彼もまた皇子としての役割を求められていた事に。


 おぼえて、いらっしゃるでしょうか。あの時、戸惑いざわめく群衆の中で、ただ一人、ハーブル様だけが優しく微笑みながら、ナルシア様の背に拍手をなさっておられました。


 私には、あの時の光景が、今でもはっきりと脳裏に刻まれております。


 長い話になりました。実は、奇妙なご縁にすがり、ハーブル様にお願いしたい事があるのです。  

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