第一話 米が好きだったはずなのに
初投稿です。
米作りに疲れた現代の米農家が、江戸時代で爺ちゃんのコシヒカリを作る話です。
軽めのタイトルですが、米作りと人の笑顔を大事にした10話完結予定の物語です。
よろしくお願いします。
「なぁ、じいちゃん。俺はどうすればいいの?」
俺は、米が好きだった。
じいちゃんの作るコシヒカリは、世界で一番うまかった。
炊きたての白飯。
茶碗から立ちのぼる湯気。
箸を入れたときに、ふわっとほどける米粒。
それを一口食べるたびに、俺は思っていた。
米って、すげえ。
じいちゃんって、すげえ。
「コシヒカリは無敵じゃないぞ」
じいちゃんは、よくそう言っていた。
幼い頃の俺には、その意味がよくわからなかった。
こんなにうまい米が、無敵じゃないわけがない。
じいちゃんの米が、何かに負けるなんて想像できなかった。
でも、じいちゃんは笑わなかった。
「冷害もある。虫もある。病気もある。水を巡ってトラブルもある。」
じいちゃんは田んぼの方を見ながら、いつも同じように言った。
「米はな、作るんじゃない。つなぐもんだ」
その言葉も、当時の俺には難しかった。
俺にわかっていたのは、じいちゃんの米がうまいこと。
田んぼに立つじいちゃんの背中が、やたらとかっこいいこと。
それだけだった。
だから俺は、じいちゃんの田んぼを継いだ。
じいちゃんが守ってきた田んぼ。
じいちゃんが残してくれた農業倉庫。
じいちゃんの字でびっしり埋まった、古い農業ノート。
全部、俺が引き継いだ。
引き継いだ。
……はずだった。
田植えまで、あと三日。
本当なら、今が一番忙しい時期だ。
苗箱の状態を見て、田植え機を確認して、天気予報を見て、水の具合も見ておかないといけない。
やることはいくらでもある。
なのに俺は、農業倉庫の中で座り込んでいた。
目の前には、積まれた米袋。
奥には米保冷庫。
壁際には、古い手作業の農具。
机の上には、じいちゃんの農業ノート。
倉庫の中は、いつもと同じだった。
違うのは、俺の方だった。
肥料代は上がった。
燃料代も上がった。
田植え機の調子も悪い。
修理の見積もりを見ただけで、胃のあたりが重くなる。
ニュースでは、米が高いと言われている。
コメント欄では、好き勝手に言われている。
「農家は儲かってるんだろ。米くらい安くしろ。
昔はもっと安かった。」
違う。
そう言いたかった。
でも、言い返す気力もなかった。
米が高いと言われても、作っている俺の暮らしが楽になったわけじゃない。
むしろ、今年の米を作る前から、もう息が苦しかった。
じいちゃんは、こんな時でも笑っていた気がする。
朝早く起きて、田んぼを見て、泥だらけになって、帰ってきたら白飯をうまそうに食べる。
俺は、あの背中に憧れた。
でも今の俺はどうだ。
苗箱の前に座り込んで、請求書を見て、ため息をついているだけだ。
米が嫌いになったわけじゃない。
それはわかっている。
でも、米作りが好きかと聞かれたら、すぐには答えられなくなっていた。
「爺ちゃん」
声に出したら、自分でも驚くくらい弱い声だった。
「俺、米作るの、しんどいわ」
倉庫の中は静かだった。
当然だ。
じいちゃんはもういない。
返事なんて、あるわけがない。
俺は立ち上がり、棚に置かれた農業ノートを手に取った。
古い表紙。
擦り切れた角。
泥の跡が残ったページ。
何度も見たノートなのに、その日はなぜか開くのが怖かった。
ゆっくりページをめくる。
そこには、じいちゃんの丸い字があった。
――コシヒカリは無敵ではない。
――種を残せ。
――食う米と、つなぐ米を間違えるな。
――うまい米は、人を笑顔にする。
「……わかってるよ」
わかっているつもりだった。
でも今の俺には、米で誰かを笑顔にする余裕なんてなかった。
明日の準備すら、まともにできていない。
俺はノートを閉じようとした。
その時だった。
倉庫が、低く鳴った。
最初は地震かと思った。
床が小さく揺れた。
壁に立てかけてあった鍬が、カタンと倒れた。
積んでいた米袋が、ずるりと崩れる。
「おいおい、嘘だろ……」
俺は慌ててノートを抱えた。
揺れは収まらない。
むしろ強くなっていく。
苗箱が震えた。
天井の蛍光灯が激しく揺れた。
シャッターが、外から叩かれているみたいに音を立てた。
地震にしては、おかしい。
音が変だった。
ゴゴゴ、という低い音の中に、風の音みたいなものが混じっている。
倉庫ごと、どこかに引きずられているような感覚。
「なんだよ、これ……!」
足元が抜けた。
そう思った瞬間、目の前が真っ白になった。
音が消えた。
匂いも消えた。
ただ、じいちゃんのノートを抱えている感触だけが残っていた。
次に目を開けたとき。
最初に感じたのは、土の匂いだった。
俺は、倉庫の床に座り込んでいた。
床は同じだ。
壁も同じ。
米袋も、苗箱も、農具もある。
でも、空気が違った。
妙に静かだった。
いつもなら聞こえるはずの車の音がしない。
俺はゆっくり立ち上がった。
シャッターの隙間から、強い光が差し込んでいる。
「停電……か?」
そう呟いてから、違和感に気づいた。
電気が消えているだけじゃない。
外の音が、全部違う。
鳥の声。
風の音。
人のざわめき。
その人の声が、やけに近い。
俺はシャッターに手をかけた。
重い。
いつもより、ずっと重く感じる。
少しだけ持ち上げると、隙間から外が見えた。
アスファルトがなかった。
軽トラもない。
電柱もない。
家の屋根も、俺の知っているものじゃない。
土の道。
茅葺きの家。
水の少ない田んぼ。
その向こうに、何人もの男たちが立っていた。
髷を結っている。
着物を着ている。
時代劇みたいな格好をした人間が、怖い顔で、こっちを見ていた。
「……ここ、どこだ?」
誰も答えなかった。
男たちは、俺を見ているようで、見ていなかった。
視線は、俺の背後に向いている。
俺と一緒にここへ来た、農業倉庫。
トタンの壁。
鉄のシャッター。
灰色の大きな建物。
この村には、明らかに存在してはいけないもの。
痩せた子供が、母親らしき女の後ろに隠れた。
年寄りが、震える手で杖を握りしめている。
若い男が、鍬を構えた。
俺は息をのんだ。
目の前には、見知らぬ村。
その先には、去年の不作を引きずっているような痩
せた田んぼ。
そして背後には、じいちゃんの米と、種籾と、農業
ノートが詰まった倉庫。
ひげ面の男が、ぽつりと言った。
「なんだ、あの蔵は……?」
読んでいただきありがとうございます。
まだ無双は始まっていませんが、次回から江戸の村人たちと、爺ちゃんのコシヒカリが少しずつ動き出します。
続きを読んでもらえたら嬉しいです。




