第四十八話 これからも
「なんでそれ早く言ってくれないんですか」
顔を覆って呻く劉全に、泰然は自分の時のことを思い出して申し訳ない気持ちになった。
「すみません、あまりにも劉全様が三蔵様に対して分別があったので、存じているのかと」
まかり間違っても三蔵の前で裸になろうとすることもなく、もともとの対応が丁寧であったこともあり、思い至らなかった。
「……いや、それは」
福原寺までの道のりを振り返って、劉全はさらに呻く。
「紫釉殿が間に入ってくれていたからですよ……」
心当たりがあった。
三蔵や劉全が着替えようとするとき、全く気にしない二人に対して、紫釉が注意を促していた。野宿で雑魚寝するときも、わざわざ三蔵と離れたところに茣蓙を敷き、寝る場所を誘導していた。子女に対する距離ではない近さで声を掛けたとき、名を呼ばれ、どうでもいい雑事を言い渡された。
「…………」
劉全は口元を片手で押さえて俯く。
それらを出過ぎた、行き過ぎた牽制だと思ったからこそ、劉全は、紫釉が三蔵に懸想していると感じたのだ。
「俺が三蔵様の性別を違えていたから」
いや、泰然の口振りからすると辿り着いた答えは誤解ではなかったようだが、三蔵から距離を取らせようと間に入った状況を思い出すにつけ、劉全が思った理由からでの行動ではなかったろう。三蔵の性別が分かった今、振り返れば振り返るほど、紫釉の行動は明瞭であり、不条理なところがなかった。
「……というか、三蔵様本人が気にしていなさすぎじゃないですか? あれでは周りばかりが負担になるでしょう」
紫釉は知らぬ内に評価を下げられそうになった。泰然は泰然で、今さっき劉全への対応に苦慮させられた。
「そうは言っても、三蔵様は性別を隠しているわけではないので」
「隠しているわけではない」
思わず劉全は復唱した。
隠しているわけではない。心内でさらに復唱した。
およそここまでの旅の中で、三蔵の性別に対して違和感を覚えたことはあったろうか。紫釉の言動に気を取られ、踏み込まないようにしていたから気付けなかっただけだろうか。どちらにしろ本人が隠そうと気を払っていないのに、ここまで寝食を共にした旅をしながら、全く気付かないなんてことがあり得るだろうか。いや、あり得たのだが。ここに実例がいるのだが、と劉全は両目を覆った。
玉瑛の婚約者として嫉妬を抱いていたが故の思い込みから気付けなかったのだろうか。ならば、本当に恋愛というのは人の目を曇らせる。気を付けていかなくては。紫釉が間に入ったときでさえ、三蔵が女人だからかもしれないという可能性を一顧だにせず、紫釉が身勝手に牽制していると捉えてしまった。
「……隠しているわけではなかったとしても、三蔵様はもう少し我々を気にしてもいいのでは」
無闇に警戒心を抱けと言っているわけではないが、あれば回避できる揉め事はあるだろう。
「どうやってですか」
眉を下げて困った顔をする泰然に、今度は劉全が答えに窮した。
「それは……」
男は狼だとでも言うのか? 怖い思いをさせるのか?
三蔵への信頼をここまで築いてきたであろう紫釉と泰然の立場を蔑ろにして?
「……ええ~」
思ったより難しい課題に、劉全は座り込んだ。
***
沐浴といってもお湯に浸かれるわけではない。お湯を張った桶を用意して、髪を洗い、垢を落とし、肌を拭っていく。寺院に寄る度にこうやって体を綺麗にさせて貰えているのは、きっと三蔵への配慮だ。わざわざ準備を頼み、入らせてくれていることくらいは分かる。
(紫釉さんと泰然さんがいてくれて本当によかった)
彼らは劉全がいてくれてよかったと言うが、三蔵にとっては二人がいてこそそう思えた。
知らない寺院で泊まらねばならないときも、そこで沐浴するときも、いつも二人がいるから安心できた。寺院にはおおよそ男しかいない。三蔵は別に、自分の性別が女であることの意味に無理解なわけではなかった。無理に隠そうとするほど切迫していないが、少年であると思われるならそのままにさせた方が過ごしやすいと思っていた。初めからそう思われているなら、気を付けなければいけないことが減るからだ。
中学のときも高校に入ってからも、女子制服を着るようになってからの異性からの反応が酷く億劫になった。己の自認とは裏腹に、周りは否応に書き換わる。特筆するような問題に巻き込まれたことがあるわけではないが、それでも本当の意味で無頓着でいられるほど世間知らずにはなれなかった。
そういう意味でも紫釉と泰然は特別だった。三蔵を安心させてくれる対応をずっととり続けてくれている。
長安で一人になってしまったとき、彼らが戻ってきてくれると信じて待っていたのは、紫釉が高熱を出して寝込んでも置いていこうなどと思えなかったのは、むしろ、三蔵の方が恐れていたからだ。
先に行ってくれと望まれてしまうことを。ひとり、旅をしないといけないことを。
後ろ盾があるようでない特筆すべき物を何も持っていない自分を、逃げ帰る場所がない心許なさを、紫釉と泰然は初めから守ってくれている。
劉全が加わっても、二人がいたから特別に気にしないでいられた。
「三蔵様、髪がまだ濡れています。きちんと拭いてください」
沐浴を終えて出てきた三蔵を、紫釉が見咎めた。
「これくらいなら放っといてよくない?」
「駄目です。以前より空気が冷たくなってきているので。冷えます」
ふわりと頭に手拭いを被せられ、丁寧に拭かれていく。
「ん~、ほんとだ。手拭いも紫釉さんの手もあったかいって感じる」
「……わかったなら後はご自分で拭いてください」
「はぁーい」
手拭いを引き継いでわしわしと髪を拭きながら、三蔵が紫釉を見た。
「紫釉さんは入ってかないの」
「三蔵様を部屋に送り届けた後、また戻ってきます」
「私、一人で戻れるよ」
「泰然が心配するので」
「そっか」
そうだった。化生寺で忽然と三蔵の姿が消えたことは、未だに泰然の悔恨となっていた。あれは夢の出来事だと言われても、三蔵にとってはそうではないという事実も拍車を掛けている。寺院の中であっても三蔵を一人にしないよう気を付けて動くようになったのは、泰然がそう提案したからだった。長安での出来事は、泰然に、三蔵を助ける力がないことを嫌になるほど分からせた。
「不自由な思いをさせて申し訳ありません」
それは紫釉にとっても同じ事だったからこそ、謝るしかなかった。
「あはは、何言ってんの。野宿のときと別に変わんないじゃん。不自由なんて思ってないよ」
守られているだけだ。
「むしろ、いつも気に掛けて貰ってて申し訳ないのこっちだよね。ありがと。これからもよろしくお願いします」
頭を下げる三蔵に、紫釉も同じように律儀に礼を返す。
「ええ、もちろんです。よろしくお願いします」
その生真面目さに、三蔵は顔を上げて笑った。
紫釉はあのとき言ってくれた。
三蔵がもしこの世界を救えなくても、それでも一緒に旅をしたいと。
だから三蔵は、恐れなくてよくなった。彼らと供にいることを。




