003
土曜日の朝。
寝たのは深夜であるにも拘らず、解人は六時に目が覚めた。
居間に行くが、まだ誰も起きていないようだ。
「はぁ……。オレ、死んじゃうのかな。……嫌だ、怖いよ……っ!」
溜息を吐き、頭を抱える。
小学四年生の彼にしてみれば、いきなり死を目の前に突きつけられる事には、戸惑いと恐怖しかない。
そこへ、麻太郎が起きてきた。
「……解人、大丈夫か?」
「大丈夫な訳無いよ! オレ、まだ十歳なんだよ!? まだ小学校も卒業してないし、大人になりたいよ! それなのにどうしていきなり、知らない間に任された仕事を出来なかったってだけで死ななくちゃいけないの!? 怖い、怖いよっ!」
ここへきて恐怖が爆発し、解人はとうとう泣き始めてしまった。
「うわあああぁぁぁぁぁっ!!」
そんな解人を、麻太郎は優しく抱きしめる。
「大丈夫だ、解人。何もかもうまく行くさ。落ち度はあちらにあるのだから、強気でいれば問題無い。もし責任を問われても、解人でなく、私に負わせる様に頼むから。解人が死ぬことは無いよ。安心しなさい」
優しく諭され、泣き止んだ。
「うう……本当に? オレ、死ななくていいの?」
「ああ。死ななくていい」
力強い肯定に、解人は安堵が心を満たすのを感じた。
「よし、じゃあ朝飯だ! 腹が減っては戦は出来んからな!」
***
朝食を食べ終わり、解人は着物に着替えさせられた。
「どうしてこんなの着なきゃならないの?」
「神の御前に参上するからには、正装をしなくてはいけないんだ。Tシャツに短パンなんて、偉い人の前には着ていかないだろう?」
「んー、まあ、確かに」
渋々納得するが、だからと言って着心地の悪さは誤魔化せない。
サイズが無く、麻太郎の大きな物を着たのでごわごわする上、帯の締め付けがまた窮屈なのだ。
「よし、じゃあ、行くぞ」
「……はい。ばあちゃん、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけて。絶対に、二人で帰って来るんだよ」
「……はい」
「麻太郎さん。絶対に帰って来てくださいね。好物のお刺身を用意して待っていますから」
「それは、帰らない訳にはいかんな。大丈夫。必ず二人で帰ってくるから」
これが最後の挨拶になるかもしれないと、三人は互いの姿を目に焼き付けるべく見つめ合い、やがてしっかりと頷いた。
解人と麻太郎は、安心させるように。
梅は、励ますように。
そして、二人は家に背を向け歩き出すのだった。
***
「そういえば、じいちゃん。どこに行くの?」
「神社だ」
「え、でもこの町に神社って、壊れた物しか無いじゃん」
「壊れても腐っても、神社の神域は変わらないからな」
「へえ……」
納得しながらも、麻太郎について行く。
やがて、色が薄くなった鳥居が見えてきた。
そこをくぐると、半壊した社が現れる。
解人は賽銭箱の前で一度立ち止まるが、麻太郎がそれをよけ、注連縄より奥へと躊躇わず入って行くのを見て、慌てて付いて行く。
草履を脱ぎ、裸足で中に入る。
所々傾いていたり、木材が割れて尖っていたりするので、解人はいつ怪我をしないか戦々恐々だ。
社の中は、朝が明けてかなりの時間が経っているとは思えないほど薄暗く、また空気がじめじめとしているので、とても陰気だ。解人は何となく、裏野ハイツもなんだかこんな風だったよな……と思っていた。
「解人。では、支配人を呼ぶぞ」
解人が頷いたのを見て、麻太郎は声を張り上げる。
「夢公園の支配人様、管理人でございます!」
えっ、それだけ?
大がかりな呪文や変な踊りとかをするのかな、と予想していた解人は拍子抜けた。
普通に人間を呼ぶみたいじゃん。
だが次の瞬間、解人は驚愕した。
社の空間の真ん中に、黒い渦が出現したのだ。
そしてその中から段々と、ヒトの形をした物が出てきた。
長い髪の頭、肩、胸、腹、足……。
それは、市松人形だった。
へっ!?
また拍子抜けする解人。
なんか可愛らしいし、この人形。
だが気楽にいられるのもそれまでだった。
――管理人か。
恐ろしく低い声が語りかけてきたからだ。
「うわっ!」
いきなり聞こえた低い声に驚き、思わず声が上がる。
――管理人に、次の管理人よ。何の用だ。
「支配人様。私の孫が夢公園にて、子供に会ったのですが……。その子供は亡くなってしまったのです。ご存じではありましょうが」
麻太郎は慣れているのか、動じずに人形に語りかける。
――次の管理人がか。その者には心に余裕が無かったのかね?
「いいえ。初めに来た時はそうだったらしいのですが、今ではすっかり立ち直っております」
「は、はい! そうです! で、でもオレ……じゃなくて、僕はそこが夢公園という所で、管理人にやがてなる事は知らなかったんです!」
ショックから立ち直った解人が、麻太郎に続いて答える。
――……そうか。だがな、次の管理人よ。この事は心配しなくても良い。責任を取るのはあの可哀想な子供を産み、虐げた者だから。管理人にはどうにも出来なかった事なのに責任を取らせるなどという事はしないからな。
「よ、よかった……。あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
言葉を聞いた二人は、安堵した。
だが、解人には疑問があった。
「あ、あの……支配人、様?」
――なんだ、次の管理人よ。
「僕は『次の管理人』なんですよね? だったらどうして夢公園に行けたんですか?」
――お前の心に余裕が無かったのと、お前の感情の波長が夢公園の波長と合致したからだ。
「波長? ……ですか?」
あわてて慣れない敬語を足す。
――ああ。形、と言った方が分かりやすいかな。お前の感情の形、夢公園が現れる為の形。これが合致すると夢公園への道が現れるのだよ。もともとお前という存在の形が似ていたのと、管理人一族だという事もあったから、余計にそうなりやすくなったのだ。
「分かりました。ありがとうございます」
納得し、頭を下げる。
それをみた麻太郎が、市松人形に向き直る。
「では、支配人様、我々はこれで失礼いたします」
――うむ。管理人が変わる時期になったら夢枕に立つからな。それまでは麻太郎、お前が管理人だ。
「はい、承知いたしました」
――では、これからも管理をよろしく頼む。
最後にそう言い、市松人形は姿を黒い渦の中に沈めた。
渦が無くなり、静けさがやってきた。
「じいちゃん、支配人様って優しかったね」
「……ああ、そうだな……」
「良かった、死なずに済んで」
「本当だな」
特に意味の無い会話を繰り返す。
ショックが大きいのもある様だ。
「じいちゃん、どうしてオレもじいちゃんも死なずに済んだんだろう?」
「それはおそらくだが、今回あの男の子が死ぬという事には、心の余裕とは関係かったからなんだろう」
「うん…………悲しいね」
「そうだな」
***
家に着いた解人と麻太郎。
ガラガラと扉を開け、
「ただいまーっ!!」
と大きな声で言う。
ドタバタという音と共に、梅が駆けてきた。
「解人、麻太郎さん……! お帰りなさい。よく帰って来たね……」
目に涙を滲ませ、労う。
「ただいま」
麻太郎も優しく言う。
「良かった、本当に、良かったよ……。頑張ったね」
流れてきた涙を拭い、梅は威勢よく言った。
「さあ、晩御飯にしよう。お腹空いただろう?」
言われて、二人はもう夜だという事に気付いた。
今までの出来事があまりに強烈だった為、時間の感覚が狂っていたのだ。帰り道も、ずっと考え事をしていた為、周りに気を配る余裕が無かった。
「言われてみれば……お腹空いてた」
「今日は、刺身だったっけな」
「作った料理が無駄にならなくて本当によかったわね~。ふふ」
冗談交じりに梅が言い、皆が笑った。
***
その日の夜。
解人は夢を見ていた。
何故か夢公園にいて、今日会った市松人形が立っていた。
夢の中だと認識しながらも、解人は訊ねた。
「支配人様、どうしてオレ……僕たちに責任を取らせなかったのですか? じいちゃんの話を聞いていると絶対に僕は死んでしまうような言い草だったので、今日会って驚いたんです」
――吾は責任が無い者にそれを問うなどという愚かな真似はせん。そんなことをしてはあの可哀想な子供を産み、虐げた者と同類になってしまうと、今回の事で気が付いたのだ。今までその様に責任を取らせた者達には、申し訳なく思っておる。
「そうなんですか……」
――あの子供が死ぬ事と、心の余裕には、直接的な関係が無かった事もある。間接的には関係していたがな。そういった事に気付かせてくれた、あの子供とお前には、感謝しておる。
「僕も、ですか!?」
――そうだ。あの子供の心は、少しではあったがお前のお陰で癒されておった。にも拘わらず死んでしまった。そこに関係が無かったと気付き、吾は初めてそこで己の間違いに気が付いたのだ。
「……」
――だから、次の管理人よ。お前には礼を言わねばならぬ。ありがとう。
「い、いえ!」
――管理人が変わることになったらまた夢の中で会おう。
「は、はい」
解人が返事をすると、市松人形は現れた黒い渦の中に吸い込まれ、消えた。
やがて夢公園の輪郭がぼやけ、解人は夢も見られない深い眠りに引き込まれた。
***
次の日。
解人は学校帰りに、またあの男の子が住んでいた裏野ハイツに寄った。
事件が発覚してまだ日も浅いからか、報道陣はまだちらほらいた。
といっても一昨日のように人垣が出来ている訳でもないので、どうなっているのかは窺う事が出来た。
だが103号室の周りに黄色い立ち入り禁止のテープが貼ってある事しか分からなかった。
やっぱりかと納得する気持ちと、なんだと拍子抜けした気持ちを同時に抱えながら、解人は家へと足を向けた。
「ただいまー」
いつもの様にそう言えば、
「おかえり」
とこれまたいつもの様に返ってくる言葉。
ああ、これからはまたいつもの様な『日常』が始まるんだろうな、と思いながら、解人は家に上がる。
夢公園の管理人になっても、それはいずれ『日常』になるのだろう。
次の新しい『日常』は、何時来るのだろう。
不安の中に、ワクワクとした期待が混じるのを感じる解人だった。




