2 リオ・フラマノル
俺の話をしよう。ダイジェストで。
ニルミナの街から南に5日ほど街道を進むとフラマという寂れた町がある。
その町の外れにあるフラマノル孤児院が俺の育った場所だ。
いつ、どんな経緯で孤児院に入ることになったのかは知らない。そんな話をわざわざ時間を割いて俺に話してくれるような奇特な大人はそこにはいなかった。
というか、院長と呼ばれる鬼のような婆アしかいなかった。
やたらとガタイのいいオーガのような婆さんで、俺たちガキ連中は朝から晩まで殴られ蹴られ踏まれて育った。一応、死なないようには気をつけていたようだ。『賜職の儀』までは。
人族の多くは9歳から12歳頃までに神殿の『賜職の儀』で真職を授かる。別に放っておいても12歳になるまでには自分がいずれかの真職を持ったことがわかるらしいのだけれど、まぁ、自分の素質が早めにわかるに越したことはないので、普通は9歳を過ぎたら早いうちに神殿に行く。
孤児院の子どもたちも。
これで良い真職を得た子は高く売られる。
平凡な真職を得た子は安く売られる。女子は娼館に。
人族と他の亜人種族の混血の場合、半分以上人族の血が流れていれば人族同様に真職が得られるそうだ。
生まれた日付なんてわからないから、歳の近そうな子どもたちとまとめて一緒に、俺も神殿に連れて行かれた。
リオ、という名はこの時についた。
それまでは名前すらなかったわけだ。
さすがに「ねこ」とか「耳つき」とか神官の前で呼ぶわけにはいかなかったのだろう。
なんでリオ、なんてつけたのか理由はわからない、というか憶えていないんだけど、俺が自分でつけたらしいね。
まぁ、由来はともかく、自分でつけたからなのか、この名前は嫌いじゃない。フラマノルってのは大嫌いだけど。
そんなこんなで、どうやら俺も半分は人族だったらしく、無事、真職持ちになった。
『盗賊』、だ。
勘弁してほしい。「賊」って……ねぇ。
『戦士』や『魔術士』は基本職とか一次職とか言われてて、真職を得てから8年から10年ほど経つと、上位職に昇格したり、別の職を追加で持てたりする。『戦士』から『騎士』に昇格だとか、『戦士』と『魔術士』の二つ持ちになるとか、実のところ一番多いのが同じ職の二重持ち、「ダブル」だったりするのだが。まぁ、聞いたところによると、最初の真職を得てからの経験や環境で選択肢が変わると言われている、そうだ。なんと選べるらしい。
ちなみに男子の7割、女子でも3割が『戦士』持ちだそうだ。筋力強化や回復力強化って才は使い勝手がよく腐らないので、農民になろうが商人になろうが役に立つのは間違いない。そして戦闘を生業とするものに一番多いのも『戦士』の「ダブル」だったりする。
一方、『盗賊』は特殊職だ。
他に特殊職としては『召喚師』とか『審偽官』とかがよく知られている。
昇格もしないし、別の真職を重ねて持てることもない。
ある意味、最初から上位職だと言ってもいい。レアなのだ!レア……なん……だけど。
強化量は控え目ながら、視覚や聴覚なんかを含めた身体能力全般の強化に、自己治癒を主とした回復力の強化、それに『陰魔装』を用いた隠形。残念ながら属性魔法は使えない。いわゆる無属性。そこまでは、まぁ、いい。
問題は『亜空庫』だ。
手で触れて自分の魔力で包んだ物を亜空とやらにしまってしまう。
便利だよ?容量は魔力量依存だから小物とかしか入らないけど。
何が入っているかは外からはわからないから盗品も隠し放題だし、なんなら魔術処理してない鍵なんか丸ごとしまって開けてしまえる。
正しく盗賊の才。堅気には向いてない。忌避される。
裏社会なら役に立ちそうなもんだけど、俺、「ねこまじり」でしょう?悪目立ちしすぎてコソコソ悪いことするのも向いてないっていう。
そりゃね、誰も雇わないよ。
だから俺は売れなかった。
なんでもこの国の法だと受け入れ先のない孤児院の子どもは、生きてる限りは院が責任を持って12歳になるまで育てなきゃならないらしい。浮浪児は増やすな、ということだね。
そして12歳になれば冒険者ギルドに加入できる。通常は成人となる15歳からなんだけど、孤児や貧困家庭の子の場合、見習いみたいな扱いでとりあえず仕事をさせてもらえる。どんなに働いても15歳になるまではずっと10級のままなんだけど。
俺の目標は冒険者になること、になった。
12歳まで生き延びて、冒険者になってさらに生き延びる。
生きてていいことなんて何にもなかったけど、死ぬのはほら、どうせ皆んな一度は死ねるわけだから。慌てて死ぬことはない。みっともなく足掻きながら死ぬまで生きよう、と。
残念ながら院長婆アは「12歳になるまで」よりも「生きてる限り」に着目したようで、「殺すわけにもいかないからねぇ」と言いながら殺意ダダ漏れの折檻を繰り返した。
ちょうどその頃、孤児院の離れを間借りしていた流れの冒険者が、暇つぶしなのか気紛れで俺に槍の稽古をつけてくれていた。最初の槍の師匠だ。
年齢不詳のだらしない雰囲気の男で、折檻の様子を見たのだろう、俺の顔を見ると「なんで壊れねーの?」と、同情心なんて欠けらも感じさせない半笑いで言った。
さすがに一目でそれとわかるような大怪我はさせないようにしてんじゃないか、という俺に、なんでかやけに愉快そうな顔で「ちげーよ。身体じゃなくてココロのハナシだよ」と言って、ほらよ、と槍を放ってよこした。
一年ほど過ぎた頃、気がつくと師匠は姿を消していた。去って行ったのか、戻って来られなかったのかもわからない。
そして婆アは飽きもせず連日のように俺を殴り続けた。腕白かよ。回復力強化が仕事をし過ぎて、そこそこの大怪我でも翌朝にはケロっと治ってるくらいに育った。院を出られるまであと半年、という辺りで、婆アは本気で俺を殺しにきた。片手にメイスを握って。
「本当に気味の悪い餓鬼だよ!話せもしない頃から妙に大人びた昏い眼をしやがるかと思えば、若い女を見ると発情期の獣みてえなイヤラシイ眼をしやがる。このエロ餓鬼がっ!とっととくたばっちまえばいいものを……どれだけ痛めつけても半日もすればピンピンしてやがる。お前は悪魔憑きだよ!神に仇なす汚れた悪魔憑きさね!」
エロ餓鬼。
変だな?クール路線のつもりだったのだが。
「うおっ、と」
紙一重で躱したメイスの一撃は壁に大穴を空ける。ヤバい。あんなの直撃したら回復する間もなく人生が終わる。
アレだな、本気の殺意というのはやっぱりわかるもんなんだな。
今までどんなに痛めつけられても感じたことのない湧き上がる怒り。
恐怖で竦む?冗談じゃねえよ。腹が立って仕方がねえ。
命くらいしか持ってない俺から、その命すら奪うって?ふざけんなよ。
俺を殺そうとするのなら、俺が殺す。
いや、槍がなー。
持ってなかったんだよなー。
素手でオーガもどきはなー。
ひたすら逃げに徹して辛くも孤児院の敷地から脱出した俺は、院の裏手の森に逃亡した。
その後は昼間は森に潜み狩りで飢えをしのぎ、夜になると隠形を使って院に忍び込んで塩や野菜を盗んだり、こっそり屋根裏で眠ったりする生活でなんとか命を繋いだ。
半年後、町役場の下働きを連れて卒院の証明書きの署名を求めてきた俺を見て、婆アは「ぐぅ、ゴォガ■■アアッ!」と、ちょっと人族には聞き取れないような叫び声を上げた。というか吠えた。
剥き出した残り少ない前歯をギリギリと鳴らしながら俺を睨めつける院長様は、遂には「バキ」という鈍い音とともに前歯を折り飛ばし、飛んだ歯が顔を掠めた役場のにいちゃんが恐怖のあまり失禁するという事態を引き起こしていた。これ、もう、討伐対象でいいんじゃないのかな?デカい魔石が獲れそうな気がする。
斯くして、12歳まで生き延びフラマノル孤児院を卒院することが叶った俺は、フラマから半日ほど南のキリーアの街で冒険者人生の幕を開けることとなった。
見習い扱いの10級とはいえ、真面目に仕事をこなせばどうにか生きていけるだけの金は稼げる。パーティに誘ってくれる奴はいなかったけど、見習いの仕事なんて汚れ仕事の手伝いや街中の使い走りがほとんどで、ソロで困ることもそんなになかった。
ギルドの訓練場では改めて槍術の修行もできた。今度はそこそこ本格的に。指南番はギドさん。狼獣人のギルド職員で、無愛想ながらも、しつこく訓練場に顔を出す俺を邪険にすることもなく稽古をつけてくれた。第二の師匠だ。
昇級こそできないものの、およそ三年間の見習い冒険者生活で、経験を積み、一端の冒険者としてやっていけるだけの技能と自信を身につけた。
そんな15歳での本登録を目前にしたある朝、俺はギルドに向かう途中で街の衛兵に捕縛され牢にブチ込まれた。
フラマノル孤児院は敵性国家の特殊工作機関だった。婆アがその長。
あとで聞いた話だけど、実際に孤児院の出身者にそこそこの数の工作員がいたらしい。
いや、だけどよ?敵性国家ってアレだからね?人族至上主義宗教国家。
かの国の理屈だと俺は人じゃない。なんならケモノ以下。
婆アの俺への仕打ちも宜なるかな、ですよ。
まかり間違ってもそんな国のために働くなんてありえないじゃない?
婆アには殺されかけたくらいだし。
そんな俺をなんでわざわざ牢に入れる?
って、言ったんだけどね。
関係ないんだよね、そんなこと。
衛兵どもにとっては、怪しいやつを捕まえて取り調べてます、って体裁は整うし、暇も潰せるし、嗜虐心も満たされる。
「ねこまじり」相手には罪悪感も感じないようで、入れ替わり立ち替わり牢にやってきては俺を嬲っていく。
憐れな奴らだと思う。こんなことを愉しいと思えるほどにつまらない人生を送っているのだから。
牢には窓もなく、何日経ったかもわからない。飯は忘れた頃に鳥の餌かな?ってくらいの野菜屑が放り込まれるだけ。亜空庫の僅かな非常食はとっくになくなった。鍛えられた回復力強化のおかげで怪我は治るけど、そろそろ体力がマズい。
今が戦えるギリギリの状態だろう。次に顔を出した衛兵を始末して脱走することに決めた。
こんなところで衰弱して命を落とすくらいなら、お尋ね者になってでも生き延びた方がいい。
勝算?負ける方が難しいくらいだ。あいつら舐めすぎだよ。油断したままあの世へ行けばいい。
亜空庫から取り出した剣鉈を尻の下に隠す。
牢への通路の扉が開く音がする。二人、いや三人までなら決行だ。
「……よかった。無事……とは言えそうもないが、なんとか生きている様だな?」
鉄格子の向こうに立ったのは、やけに見目よい、上等な軍服を纏った若い男だった。
領軍の士官だというその男は、冒険者ギルドからの嘆願を受けて領都から査察に来たらしい。
「ギルドが?わざわざ俺なんかのために嘆願を?」
「弟子が殺されるかもしれない、なんとかしろ、ってね。あの槍使いの狼には、なんていうか借りがあってね」
……ギドさん。頭が上がんないな。
「すぐに治療院に連れて行こう。歩けるか?」
「あ、いや、怪我は大丈夫……っす。腹、減ってるだけなんで。なんてことない、です」
「……その姿を見て、このまま帰すわけにはいかないよ」
確かに、あちこち毟られて灰色の毛並みも疎らになっているし、汚れた床には剥がされた爪が散らばっている。
うん、大丈夫感は、ない。
「落ち着いては見えるが……こんな扱いを何日にも渡ってされてきたんだ、身体は勿論、精神のダメージも無視できないからね。心も傷つくものだし……壊れもする」
「いや、そういうのは、なんかわかんニャい……っすけど、大丈夫、っていうか、割と平気みたいなんで。その、環境に慣れやすいというか」
「いや!そんな……しかし……そう……なのか?」
そうなんです。
平気、はちょっと言い過ぎだけど、このくらいなら俺の精神は耐えられる。
婆アの折檻も、衛兵どもの虐待も、慣れるんだよね、心が壊れる前に。
それは俺が『超順応』なんていう妙な才を持っているから、なんだと思う。
超、って。
多分、生き延びるために心や体を状況に対応させる才、とかなんだろうけど。
回復力がやたらと強化されてきた理由も、恐らくは、これ。
他に聞いたこともないし、ギルドの資料室で調べてもそんな能力は見つからなかった。
ちょっと他人には言えないかな。
まぁ、端から心がない説もなくはない。
牢に居る間に15歳になっていた俺は、ギルドへ向かい冒険者としての本登録を果たした。10級は変わらないけど。
訓練場に顔を出すと、あちこち禿げ散らかしたような俺の姿を見たギドさんが、ちょっと形容しがたい表情をして、黙って俺を抱きしめてくれた。誰かに抱きしめられるのは物心ついてから初めてのことだった。
それから?
能力的には余裕があったからね、さっさと9級に上がるべく仕事を熟そうとしたけどね。無理だよ。
街には処分を受けた衛兵どもだけじゃなく、そいつらの仲間も家族もいるわけで。
俺は10級のままキリーアを後にした。
10級で移籍をすると前のギルドでの貢献点は持ち越せない。また一から出直しだ。
ところが次の街……ショボいダンジョンのあるフリスって街も、つまんねえ出来事で10級のまま立ち去ることになる。
そんで今、3度目の10級。ヒドい話だ。
「オラッ!仕事しろやッ!下っ端10級!」
え?俺、一生10級冒険者人生だったりしないよね?