第1話 飛竜の国
フラヴィーア王国を出発してから約10日。検問所を通りしばらく行くと砂地となり、もう馬車は使えないということで、私たちはいったん外に出た。ここから城下町へは、少しだけ歩くみたい。
「うぅ、あちこちいろいろ痛い……」
背筋を伸ばしてぎゅーっと伸びをする。馬車に揺られ続けていたから、お尻と腰がめちゃくちゃ痛い。それにさっきからなんだかズキズキと頭が痛い。
「すごい……」
そこは圧倒的な世界だった。乾いた砂が延々と続き、真上から灼熱の太陽が容赦なく照り付ける。近くに城下町があるらしいけど、地平線は陽炎のように歪んでいて、前がよく見えない。乾いた空気で喉が貼りつく。体が火照っているのに、なぜか汗がでない。あまりの暑さに目の前がくらっとする。視界がだんだん白くなる。強い風に押されて、まずいと思った時には、すでに体が後ろへと大きく傾いていた。
「あ……」
「コロっ」
背後からアルシアスの声がして、倒れる前に、力強い腕が私の腰をがっしりと抱き留めた。アルシアスは私を自分の胸へ密着させるように抱え込み、そのままそっと座らせた。
「水だ、口を開けろ」
膝に抱えられたまま革袋を押し付けられ、私は夢中でごくごくと水を飲んだ。それで、こんなに喉が渇いていたってことに初めて気がついた。
「ネモ」
「はい」
アルシアスの声に応えるように、ネモが口からこぼれた水を清潔な布で拭ってくれる。それから塩が入った蜜蝋布の小さな巻物を差し出した。アルシアスが水をつけた指で塩をすくい取る。そのまま片手で顎を固定すると、躊躇なく私の乾いた唇のあいだに指を差し込んだ。硬い指先がぐいぐいと押し込まれる。
「吐き出すなよ、飲みこめ」
「うぅ……」
塩だ。口いっぱいに広がる強烈な塩辛さに、思わず顔をしかめる。
(水分……塩分……もっと、もっと欲しい)
ぼんやりとした頭の中、本能の赴くまま、私はアルシアスの人差し指を逃すまいとガブっと噛みついて、必死にハムハムと指を吸い始めた。
「お、おまえ。アルシアス様になんてことを!」
ネモの怒りの声が上から響いてきたけど、関係ない。私を抱えるアルシアスの視線には驚きが混じっていたけど、やがてそれはあきらめに変わったようだった。
満足するまで水分と塩分を取ったおかげで、ぼんやりとしていた視界のピントが合い、だんだんと元の世界へ引き戻された。
「はぁ……ごちそうさまでした」
「大丈夫か?顔色はだいぶ戻ったな。ずっと移動続きで、この国に来て急に気候も変わったからな」
「ごめん……もう大丈夫」
「アルシアス様、早く手を洗ってください」
怒り心頭のネモの声を聞きながら、ふらふらと立ち上がる。自分の体力のなさに情けなくなった。これでも日本にいた頃は、わりと体力に自信があったのに。男女の差はあるけど、やっぱりアルシアスやネモとは鍛え方が違うのかなぁ。今度なにか訓練してもらえないか聞いてみるのもいいかもしれない。
濡れた布を頭に被せられ、5分ほど歩くと砂の丘が途切れ、むき出しの赤茶けた大地が姿を現した。風食されたいくつもの巨大な岩柱が墓標のようにそびえ立っている。その巨大な崖を中心にして、頂上にはお城が、その下には城下町が広がっていた。
キュィー、キュィィ……。
城下町に入ったとたん、どこからか聞いたことのない鳴き声がする。鳥みたいな獣みたいな謎の音。鳴き声をたどって上を向くと、見たこともない大きな竜が空を悠々と飛んでいた。距離が遠く離れていてもわかる赤銅色の大きな体。おそらく翼まで入れたら10メートルくらいの大きさで、数匹が空をゆっくりと旋回していた。
「もしかして、あれが飛竜……?」
今まで伝説上の生き物だと思ってたけど、本当にいるんだ。すごい……感動して自然に口角が上がる。
「そうだ、飛竜はウルラザード王国にしか存在しない」
ぽかんと口をあけたまま空を見上げていると、アルシアスが教えてくれた。
「え、でもさ、飛竜がいたら他の国より圧倒的に有利じゃない?だって空も飛べるし戦力だってすごそうだし」
「そう考えるのは自然だな。だが、飛竜はここでしか生きられない。というよりこの砂漠気候でしか生き延びられないというべきか。防衛力と言う面では圧倒的だがな」
なるほど。飛竜は気候に左右されるのか。じゃあ、国の外まではなかなか行けないのかも。やっぱりこの世界っておもしろい。ウルラザードの城下町はフラヴィーアと同等か、それよりも大きいかもしれない。
「すごいね、この道、どこまで続いてるんだろう」
「……オアシスは限られる。だから住む場所は必然で限定的だ」
ネモがボソッと答える。ネモはなぜかさっきから空ばかり気にしている。もしかしたら竜が苦手なのかもしれない。通りで行きかう町の人の肌はみな浅黒く、背が高くスラっとして手足が長い。乾いた石造りの道に、刺すような光が反射していた。その沿道には見たことのない食材やフラヴィーア王国では見たことがなかった香辛料の匂いもする。
「ね、ね、ちょっとお店見ていい?知らない食材があるかも」
「……その前に行く場所がある」
アルシアスにお願いしたのに、襟首を掴まれて連れていかれたのは、なんと、大通りに店を構える一軒の仕立屋だった。
「おやおや、珍しいお客さんですね」
店内に足を踏み入れると、そこは異国特有の色鮮やかな織物の匂いにあふれており、小気味よいハサミの音が私たちを迎えた。
「なにかお探しですかな?」
上品な仕立ての衣服を纏った物腰が柔らかい老紳士が、カウンター越しに声を掛けてきた。
「崖の上の城へ行くために、防寒具が欲しい」
「……左様ですか、少々お待ちを」
アルシアスが告げると、老紳士は深く頷いた。そして奥の棚から、ずっしりと厚みのあるロングコートをいくつか抱えて戻ってきた。
「お城へのご登城となれば、飛竜の背に乗られるのですね。ならば、こちらはいかがでしょう。細かく目を詰めて織り上げた最高級の毛皮に、砂漠の風を一切通さない特殊な魔獣の薄革を裏打ちしております。仕立屋としての見栄えの美しさはもちろん、上空の凍てつく冷えから、お客様のお身体を余すことなくお守りいたします」
「え、飛竜に乗るの?誰が?私たち?」
「では全員分を用意してくれ」
はてなマークをいっぱいつけて、アルシアスに疑問を次々にぶつけたのに、まるっと無視されてしまった。店主が私のサイズに合う長さのものを探して、次々と体にコートを当てていく。
「お客様。空の上というのは、地上の灼熱が嘘のように冷え込む氷刃の世界でございます。それに飛竜の飛行速度が合わさると、お城に着く前に凍え死んでしまいますよ」
なるほど。飛行機の外に無防備で乗ってるみたいなものかな。そう考えると結構怖いかも。結局コートと一緒に、金細工があしらわれた上質な革製ゴーグルをまとめて購入した。城下町の一番端にある検問所でアルシアスが書状を渡すと、大きな鉄の門が鈍い音を立てて開く。そこには、先ほど空を飛んでいた赤銅色の大きな竜がつながれていた。すぐ側で見ると、大きいけれど威圧感はさほどなかった。丸みがある顔つきで目もクリっとしていて意外にもかわいらしい。
「ほら、しっかり準備しとけ」
アルシアスに注意され、ネモにゴーグルの位置を直される。地上は死ぬほど暑いのに、先ほど購入した厚手のコートを首元まできっちり締められて首が暑苦しい。前にはネモ、後ろにはアルシアス。私はその間に挟まれる形で竜の背にまたがった。先頭には竜使いが手綱を握っているけど、ものすごく怖い。
「では、出発します」
竜使いの言葉とともに、飛竜が勢いよく空中へ飛び上がる。ネモにぎゅっとしがみつき、背中はアルシアスに預けた。怖いけど、2人がいるからきっと大丈夫。飛竜が力強く羽ばたくたび、どんどん町の景色が遠くなっていった。




