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第5話 安定と停滞

「えっと……それで、今のは?」

「ねえ、ルクス! アレやってよ!」「ええ、それでは……ぅん!」


 ノクスがワクワクしたような声でそう言うと、それに応えるようにルクスが咳払いを始める。どうやら喉のチューニングをしているようだ。


「マスターからの解説を再現します――『この異空間を維持するため、屋敷は常に表世界の魔力を食べ続けている。その時に溜まる汚れた魔力が集まって、魔物が生まれるのだよ。ただ、ソレを表にそのまま放り出すわけにもいかないから、屋敷内で処理しているというわけだ』――以上で再現を終了します」

「わー! 似てるー!」


 パチパチとノクスが拍手する。

 そしてミリは、先ほど感じた安心感の正体に気付く。


(そうだ……ここでは誰かが守ってくれるんだ)


 家族を喪い、これまで孤独に生きてきた数年間、ミリを守ってくれる存在はいなかった。むしろ彼女を害する者たちに囲まれて過ごしていたのだ。


 だが、この屋敷では、親に代わって自分を守ろうとしてくれる存在がいる――先の魔物という "異常" が、奇しくもミリの求める ”普通” とを合致させていたのだった。


 ◆


 その後は異変(ミリ基準で)も起きなかった。


 途中で1時間のブレイクタイムを挟んで、あとはそれぞれの部屋をピカピカにしている内に時計の針が下を向く。時刻は午後5時を迎えようとしていた。


「勤務終了の時間になりました」「ミリちゃん、お疲れ様ー!」


 ミリは仕事で凝り固まった筋肉を伸びでほぐす。体中に血液の流れる感覚が心地よい。


「夜番の《召使》たちが」「夕食を作ってくれてるよ!」


 夕食と聞いて、ミリの胸が高鳴る。


 これまでミリに『食事』という概念はなかった。それは栄養を搾り取る『作業』で、更には腕に痛みが走る『苦痛』でもあった。

 食べることがここまで幸せなことだったとは、夢にも思っていなかったのだ。


(何か忘れてる気がするけど……まぁいいか!)


 ミリは軽快な足取りで食堂へ向かった。


 ◆◆◆


 それから屋敷での生活を始めて二ヶ月が経過した。


 朝昼夜のすべてを一通り担当し、料理も補助だけではなく、徐々に自分で何皿かを作れる程度にまで成長した。


「アルファ、おはよう!」「あっ、ミリさん! おはようございます~」

「シグマ、今日は何作る?」「今日は東の国から伝わりし ”SUSHI” に挑戦するぞ!」


 朝は厨房で《召使》たちの食事を作る。


「カイはミリくんを守って!」「らじゃ」

「私も少しは役に……!」「動きが止まった。みんな、今だよ!」


 昼は掃除をこなしながら、時おり屋敷の排泄にも対応する。


「ミュー、このボトルは?」「大森林アル・オペリア産のシャトー・ペトリカウス、55年もの。ナッツマッシュやチョコレートの複雑な香り、絹のように滑らかな口当たりが特徴じゃな」

「ゼータは魔力配分を見て欲しい」「ええ、ではミリ様は食料品チェックを」


 夜は地下のワインセラーを管理や、屋敷の魔力をどこに消費するか調整したりする。


 ◆


 その日の仕事が終わると、ミリは一階に備えられた集団浴場で身体の汚れを落とす。そして広々とした湯に肩まで浸かった。


「ふわぁぁぁ~!」


 思わず声が出てしまう。


 この屋敷に来てから素晴らしい体験ばかりだが、この「疲れた体で、温かい湯に浸かる」というのはトビキリだった。もうこれを知らない生活には戻れない……とミリは確信している。


「ふんふふ〜ん♪」


 仕事以外の時間は、基本的に自由だ。

 屋敷はとても広く、歩いて回るだけでも面白い。その中でもミリが特別好きだったのは二階にある書斎だった。


「何度見ても広いな~」


 1つの屋敷の書斎にしては広すぎる空間。聞いたところによると、その大きさはミレオリアの中央にある図書館にも匹敵するそうだ。


「さてと、今日はどれにしようかな~」


 ミリはそれらの本をランダムに手に取り、自室に戻って読むのが習慣となっていた。


 物語。歴史書。絵本。外国語。自己啓発。更には簡単な学術書まで。


 始めは文字を読むのに苦労していたが、今では一日に2,3冊のペースで読破するまでになっていた。


「あれ? これは……」


 ミリの足が、とある本の前で止まる。

 タイトルは『魔王と悪魔憑きの史学から読み解く魔法原理』。おそらく学術書かそれに近いものだろうが、不思議なことに、著者が背表紙のどこにも記されていなかった。


『来て』


 少し高いところにあるその本へ軽く命じる。すると本が鳥のように羽ばたき、ミリの手元へと収まった。これも《魔女》の埋め込んだ魔法の一種らしい。


「内容は……うーん、難しそう……」


 ペラペラと軽くページをめくってみるが、内容はどれも専門用語が使われていたりでかなり難解そうに見えた。これを読破しようと思ったら1週間は必要そうだ。


 とは言え、これも何かの縁。

 ミリは腕に抱えた本の山にそれを差し込み、部屋へと持ち帰ったのだった。


 ◆


「今日はこのくらいにして、そろそろ寝よっ」


 自室で読書にふけっていたミリは、時計の針が顔を上げ始めたことに気付く。本を置き、ナイトテーブルの照明を消してベッドに潜り込んだ。


「明日は来客かぁ」


 この屋敷は滅多に外から人が来ない。

 屋敷に来て二ヶ月のミリにとって、始めての来客だった。


「人が来れるってことは、一応ここも外とは繋がってる……ってことだよね」


 固く閉ざされた玄関の扉。

 ミリ1人の力ではビクともしなかったそれだが、来客があるということは、開いている姿が見られるのではないだろうか。


 ふと、頭の中にある考えがよぎった。


(――タイミングを見計らえば、ここから逃げ出せるかも)


 現状のミリは《魔女》からのタスクをこなさない限り、ここから一歩も出ることはできない。下手をすれば、屋敷で一生を終えることになるかもしれないのだ。


 もし逃げるのならば、明日は数少ないチャンスの1つとなる。


「だけど……」


 しかし。

 

「もういっそ、このままでいいんじゃないかな?」

 

 遂に本音を漏らしてしまう。


 今の生活に、ミリは何の不満もなかった。むしろその逆だ。

 おいしいご飯、まともな仕事。温かいお風呂、やわらかいベッド。


「わざわざ外に出る必要なんてある?」


 自分に問いかける。

 また外に出て、あの頃と同じ生活に逆戻りするのか? と。


「外は怖いよ……」


 自分を見た騎士は鬼のような形相でこちらを追いかけてくるし、人々は ”悪魔憑き” と好き勝手に罵る。普通の生活なんてどこにもない。

 ミリは頭から布団を被った。


(明日の来客だって、どんな人か分からない……怖い)


 この屋敷はミリに安心を提供してくれる。ここの ”普通” は決して壊れない。

 でもその日のミリは、あまりよく眠れなかった。

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