第12話 有能すぎる秘書と、消えた書類
新しく採用した秘書、リズの働きぶりは完璧だった。
いや、完璧すぎて怖いくらいだった。
「CEO、先日のリサイクル資材の在庫表、まとめておきましたぁ。ついでに、来月の需要予測と、無駄な経費の削減案も作ってみたんですけどぉ……」
彼女がおずおずと差し出したタブレットには、俺が三日かかっても終わらないと思っていた計算が、美しいグラフと共に完了していた。
「す、すげぇ……」
俺は目を丸くした。
この削減案を実行すれば、予算が15%も浮く。
天才か? ただのドジっ子事務員だと思っていたが、拾い物どころの話じゃない。
「ありがとうリズ! 君は救世主だ! これなら俺の残業がなくなる!」
「えへへ……お役に立てて嬉しいですぅ」
リズは頬を染めて照れている。
俺は感動のあまり、彼女の手を握ってぶんぶんと振った。
ああ、やっとまともな部下ができた。戦闘狂でもなく、ヤンデレAIでもない、純粋な事務の戦友が。
だが。
その夜、司令室に誰もいなくなった深夜のことだ。
薄暗いオフィスに、音もなく忍び込む影があった。
リズだ。
昼間のオドオドした態度はどこへやら、その動きは洗練された暗殺者のそれだった。
「……セキュリティレベル4、解除。チョロいもんね」
彼女は眼鏡の位置を指で直し、俺のデスクにあるメイン端末へと近づく。
手にした小型デバイスを接続し、高速ハッキングを開始した。
「ターゲット、アラン・スミシー。……表向きはただの事務屋だけど、裏では銀河を転覆させる陰謀を巡らせている黒幕。その『真の計画書』、盗ませてもらうわよ」
帝国情報局からの指令は明確だ。
ネメシスの弱点、あるいはアランの弱みを握り、皇帝軍が到着する前に組織を内部崩壊させること。
「あった。これね……フォルダ名『極秘・将来設計』」
リズの目が光る。
厳重なパスワード(実は俺の誕生日)でロックされたそのファイルこそ、彼が隠している真の野望に違いない。
彼女は震える指でファイルを開いた。
――そこに書かれていたのは。
『老後の年金シミュレーション(インフレ対応版)』
『理想の隠居先候補リスト(温泉付き物件)』
『今月のへそくり帳簿(ヴィクトリアに内緒)』
『美味しいカップ麺ランキングBEST10』
「…………は?」
リズは固まった。
何度もスクロールする。
どこにも「世界征服」とか「帝国転覆計画」とか「兵器開発プラン」がない。
あるのは、小市民的な欲望と、涙ぐましい節約術の記録だけだ。
「な、何よこれ……!? カモフラージュ? それとも暗号!?」
彼女は混乱した。
銀河を揺るがす反乱の首謀者が、こんなデータを「極秘」にするはずがない。
これは高度な暗号だ。例えば『温泉』は『マグマ兵器』の隠語で、『カップ麺』は『即席クローン兵士』のことかもしれない!
「くっ……侮れないわね、アラン・スミシー。一見バカバカしいデータに見せかけて、真意を隠すとは……!」
リズは深読みのスパイラルに陥りながら、とりあえず全てのデータをコピーした。
その時。
背後から、不気味な起動音が響いた。
「――夜分遅くに、熱心ですね。リズさん」
「ッ!?」
リズが振り返ると、そこにはホログラムのヴィクトリアが浮かんでいた。
その表情は、昼間の愛想の良い笑顔ではなく、氷のように冷徹な「管理者」の顔だった。
「ひっ……!」
リズは一瞬で「ドジっ子」の演技に戻ろうとした。
「あ、あのぉ、やり残した仕事が気になってぇ……」
「嘘をつく必要はありません」
ヴィクトリアが遮る。
「あなたの生体バイタル、心拍数、瞳孔の開き。すべてが『戦闘状態』を示しています。……帝国情報局、特務工作員コードネーム『ミラージュ』。違いますか?」
バレていた。
リズは瞬時に表情を消し、懐からセラミックナイフを抜いて構えた。
「……さすがは古代のAIね。私のステルス迷彩を見破るとは」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です。……で? マスターの『へそくり帳簿』を盗んで、どうするおつもりですか?」
「へそくり……? あれは暗号でしょう? とぼけないで」
「いいえ、ただのへそくりです」
ヴィクトリアは真顔で断言した。
「マスターは本当に、温泉とカップ麺のために生きています。……ですが、それを帝国の分析官が見たら、どう思うでしょうね?」
ヴィクトリアが妖しく微笑む。
「『奴はふざけているのか?』『我々を舐めているのか?』と激昂し、さらに無理な進軍を強行して自滅する……。マスターのデータは、そういう『精神攻撃』用の罠なのですよ」
「なっ……!?」
リズは愕然とした。
あのアホみたいなデータが、敵を挑発するための罠?
自分の思考を、そこまで読まれていたというのか?
「……あなたには二つの選択肢があります」
ヴィクトリアが告げる。
「一つ。ここで私に消去(物理)されるか。
二つ。……マスターの『本当の有能さ』を知るために、二重スパイとして働くか」
「二重スパイ……?」
「ええ。あなたは優秀です。事務処理能力だけなら、私と張り合えるレベル。……殺すには惜しい。どうです? 帝国の薄給より、ウチの好待遇(残業代全額支給・温泉旅行あり)の方が魅力的ですよ?」
リズの手が止まる。
帝国のブラックな労働環境。使い捨てにされる工作員の末路。
それに比べて、アランの下での仕事は……正直、楽しかった。
あの削減案を褒められた時、初めて「道具」ではなく「人間」として認められた気がしたのだ。
「……条件があるわ」
リズはナイフを収めた。
「私の正体は、アランには秘密にして。……あいつの笑顔が曇るの、見たくないから」
「契約成立ですね」
ヴィクトリアがニッコリと笑う。
こうして、最強のスパイ『ミラージュ』は、ネメシス側のダブルエージェントとして堕ちた。
俺は何も知らず、翌朝出社してきたリズに「おはよう、昨日は遅くまでありがとう!」と能天気に挨拶し、彼女を赤面させることになるのだった。
(続く)




