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第二十二章 男の友情

 小春日和のある日のこと。お弁当も食べ終わった昼下がり。お客さんが途切れた隙に倫子がいつも通り店の奥でうとうとしていると、控えめな調子でガラス戸を叩く音が聞こえた。

 ぱっと目を覚まして、倫子は入り口の方を見る。

「どうぞ、開いてますよ」

 そう返事をすると、ガラス戸を開けて入ってきたのはかの子だった。

「どうも、ごめんください」

 思わず倫子はかの子の周囲を見渡す。貞治か有治がいるのではないかと思ったのだ。けれども、あのふたりの姿はどこにも無い。どうやらひとりで来たようだった。

「こんにちは、かの子さん。今日はひとりなの?」

 かの子がひとりで来るのは珍しいのでそう訊ねると、かの子ははにかんで答える。

「有治は学校に行っていて、貞治さんはご友人に会いにいっているんです」

「ああ、そうなのね」

 貞治が友人に会いに行っているということは、今日はかの子の店は休みなのだろう。もしかしたら、有治も貞治もいなくて寂しくなってここに来たのかもしれない。

「今日はお店もお休みだから、倫子さんとおしゃべりしようかと思って。お邪魔じゃないかしら?」

「あら、邪魔だなんてことはないわよ」

 お互いくすくすと笑って、かの子が持っていた風呂敷包みを倫子に差し出す。

「お邪魔させてもらうのに手ぶらもなんだから、お饅頭を買って来たんです」

 倫子はそれを受け取ってかの子に言う。

「気をつかわせちゃって悪いわね。

どうぞ上がって」

 かの子に奥に上がってもらい、座布団を用意する。それから、炉と釜を出してお湯を沸かす。

「今、お茶も淹れますからね」

「はい、ありがとうございます」

 お茶が沸くまでの間に、倫子は風呂敷をほどいて中に入っていたお饅頭を皿の上に乗せて、かの子と自分の前に出す。

「そういえば、倫子さんは冬になるとお饅頭を焼いてるみたいですけど、あれっておいしいんですか?」

 お饅頭を見てかの子がそう訊ねるので、倫子はにこりと笑って返す。

「ええ、お饅頭を七輪で焼くと、香ばしくなるし、温かくなるからおいしいし、体も暖まるし、寒いときにはいいわね」

「そうなんですね。うちも今度、寒いときにやってみようかしら」

「それに、ちょっと固くなっちゃったお饅頭も、焼けばまたおいしく食べられるし」

「あら、うふふ、そうなんですね」

 そうしている間に、お湯がふつふつと沸いたので、茶葉を詰め込んだ急須に柄杓でお湯を注ぎ、用意して置いた湯飲みにお茶を淹れる。かの子と倫子の前にお茶を置き、おしゃべりをする準備は万端だ。

「ところで、今日は有治君も貞治さんも家にいなくて、寂しいからおしゃべりをしに来たの?」

 倫子がそう訊ねると、かの子は、少し伏し目がちになってお茶に口を付け、口を湿らせてからこう答える。

「実は、貞治さんがひとりでご友人に会いに行くのが気になってしまって」

「そうなの?」

「そうなんです」

 かの子は、貞治が友人にかまって自分が放って置かれるのが嫌なのだろうか。もしかしたら、自分を置いてでも会いに行ってしまう貞治の友人にやきもちを焼いているのかもしれない。

 倫子がそう思ってじっとかの子のことを見ていると、かの子は溜息をついてこう続けた。

「私、貞治さんのご友人について知りたいのに、いつも貞治さんにははぐらかされてしまうんです」

 やはりやきもちか。そう思った倫子は、かの子を落ち着かせるようにこう言う。

「でも、かの子さん。男の人には、女にはわからない男の友情というのがあるのよ。

だから、貞治さんがご友人に会いに行くのはしかたないのよ」

 すると、かの子はぱっと顔を上げて早口でこう言い始めた。

「もちろん、男同士の友情というのがあるのはわかりますし、貞治さんがそれをとてもとても大事にしているのもわかるんです。

だからこそ、私はその男の友情というものを詳しく知りたいんです。

貞治さんがご友人とどんなことを話したのか、ご友人と会っているときどんな気持ちなのか、聞かせて欲しいだけなんです」

 こんなようすのかの子ははじめて見た。思わず倫子が戸惑っていると、かの子はなおも話し続ける。

「貞治さんとご友人の友情を邪魔する気はさらさらないんです。むしろ、私としては応援したいくらいなんです。

貞治さんとご友人には、是非ともこれからも友情を育んでもらって、強い絆で結ばれていて欲しい。そう願っているんです。

ただ、私はその友情の話を聞きたいだけなんです。聞かせてくれさえすれば、ほんとうになにも言うつもりはないんです。

それなのに貞治さん、私にご友人の話を聞かせてくださらなくて……そのことだけが……私は……」

 なぜかの子は急にこんなに熱く語り出してしまったのだろう。そんなに貞治とその友人のことが気になるのかと思いながらも、倫子は、手でかの子の肩を叩いてから、お饅頭を指さす。

「かの子さん、一度にたくさん喋って疲れたでしょう。

お茶とお饅頭、いただきましょう?」

 その言葉に、かの子は頷いてお茶をまたひとくち飲み、お饅頭を囓る。倫子もお饅頭をひとくち囓る。ふわふわの皮に甘い餡子が包まれていて、この饅頭も焼いたらおいしそうだった。

 お茶を飲んでお饅頭を囓ったかの子は、少し落ち着いたようすだ。そこで改めて、倫子はかの子にこう訊ねる。

「それにしてもかの子さん、なんでそんなに貞治さんとご友人の話を聞きたいのかしら?」

「えっ?」

 するとかの子は、にっこりと笑って黙ってしまった。

 もしや。と倫子は思う。少し声を低くして、そっとかの子にまた訊ねる。

「かの子さんもしかして、貞治さんのご友人に気があるとか?」

 するとかの子は、しれっとした顔で微笑んでこう返す。

「それは無いですね。だって、私には貞治さんがいますもの」

「そう? それならいいんだけど」

 不貞を働くとか、そういう意図はないようだ。倫子が危惧したのはそのことなので、かの子があいかわらず貞治一筋だとわかって安心する。

「ただ」

 かの子がぽつりと言う。

「ただ、なんですか?」

 倫子の問いに、かの子は、うっとりと頬を押さえてこう言う。

「男の人同士で仲良くしているのを見るのが楽しいんです」

「楽しいんですか? それ」

「ええ、とても」

 一体なにを考えているのか、機嫌良さそうな顔でお茶とお饅頭を口にするかの子に、倫子は苦笑いをする。

「楽しいのはいいけど、あまり貞治さんに無理を言っちゃだめよ?」

「わかってます。ただ、友情の話を聞かせて欲しいだけで」

 友情の話を聞いたら、かの子は一体どんなことを考えるのだろう。それを思うと、貞治も大変だなと倫子は思ってしまう。

「ああ、貞治さん。ご友人とどんな仲なのかしら……気になって夜しか眠れないわ……」

「夜眠れてれば大丈夫ね」

 その後も、かの子は頻りに貞治とその友人の仲を気にしていた。倫子はそのようすを見ながら、この人案外だめかもしれない。と思ったけれども、それは口に出さない。

 お饅頭とお茶をいただいてゆっくりしていると、外から賑やかな声が聞こえてきた。学校が終わった子供達が遊びに来たのだ。

「おばちゃーん」

「倫子さんいるー?」

 子供達の声に倫子は返事をする。

「いるわよー。入ってらっしゃい」

 賑やかに子供達が入ってくると、ふと声が上がった。

「お母さん、こんなところでどうしたの?」

 なにかと思ったら、子供達の中に有治が混じっていた。

 かの子が有治ににっこりと笑いかけて返す。

「今日はお店がお休みだから、倫子さんとお話してたのよ」

「そうなんだ」

 たしかにお話はしていたけれども、内容は絶対に有治には聞かせられない。そう思いながら倫子は、駄菓子やおもちゃを見る子供達を見守った。

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