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第二十一章 戦争の好景気

 涼やかな風が吹くようになった頃、倫子はおやつ時の前に、店で出た洗濯物を干していたものが乾いたので、取り込んで畳んでいた。

 この作業は店先ではなく、いつも座っている奥にある間よりもさらに奥、お客さんは立ち入らせることがない個人的な場所でやっている。

 以前はこの場所に立ち入るのは倫子ひとりだけだったけれども、今はもうひとり立ち入る人物がいる。それは、少し前に倫子と結婚した季更だ。

 季更は季更で、今も自分の仕事をしている。舶来品の仕入れをして、倫子の店だけでなく他の店にも卸すということをやっている。

 結婚するときに、倫子は今の店を続けたいと季更に言った。季更はそれを了承するどころか、応援してくれる形で結婚に到ったのだけれども、それなのに、季更には自分の仕事を辞めてこの店の仕入れにだけ専念しろとは、倫子には言えなかった。

 洗濯物を畳み終わって一息つき、そろそろ店先に戻ろうかと思っていると、裏口が開く音がした。

「倫子さん、ここにいたのか」

「あら、季更さんおかえりなさい」

 いつものように大荷物を持った季更が倫子の側に来て座り込み、洗濯物を避けて鞄を開ける。中には舶来品が沢山入っている。

「今回仕入れた舶来品はこんな感じだけど、どうかな?」

 季更の問いに、倫子は舶来品をじっと見て返す。

「あいかわらず、季更さんが選んでくるものはどれも素敵ね。でも、このお店以外から頼まれたものもあるんでしょう?」

 鞄の中に入ったハンカチや鏡、オルゴールなどを手に取りながら倫子が言うと、季更は鞄に入りきらなかった荷物が入っているのであろう風呂敷をぽんぽんと叩いてこう答えた。

「他の取引先に持って行くのはこっちにまとめてあるんだ。もちろん、この鞄の中にあるやつでも、倫子さんが店に出さないってやつは、他のところに持って行くけど」

「あら、そうなのね」

 そうとなれば、鞄の中身は全部店に置いていいということだ。どうするかと倫子は少し考える。これを全部一度には店先には置けない。けれども、売れる度に少しずつ出していったり、訊かれたときに奥から出せばいいかと、倫子は思う。

「それじゃあ、この鞄の中のもの全部いただこうかしら」

「わかった。お代は後ほどで」

「なるべく早めに払うわね」

 夫婦でやっていることとはいえ、倫子と季更の仕事は別々のものということにしている。なので、季更が仕入れたものを倫子の店が買い取ってから店先に出すやりかたは、以前より変わっていない。

 ふと、季更が置かれている洗濯物を見て倫子に訊ねる。

「洗濯物は、自分でやったのかい?」

「ええ、店で出た分だけだけれども」

 倫子が当然のように返すと、季更は困ったように笑う。

「家と同じように、店の洗濯物も使用人を雇ってやらせてもいいんだよ。

君には店のことに集中して欲しいな」

 その言葉に倫子はくすくすと笑う。

「この洗濯物は、店のことですもの。それに、使用人まで雇うにはこのお店は狭くて」

「ふふふ、そうか。君がそう言うのなら、それでいいか」

 店の話が出たところで、ふと、倫子がこう言った。

「そういえば、このところ急に店の売り上げが良くなってるのよ。

子供達は前と変わらないんだけど、前よりも高価なものを買う人が増えて」

 すると、季更はいささか真面目な顔をしてこう言った。

「今、清との戦争をしているだろう。それで、仕事が増えた人が多くて金が回ってるんだ。

それで景気がよくなってるんだよ」

「ああ、なるほど」

 たしかにこのところ、お客さん達から仕事が増えただとか、そういう話をよく聞く。景気のいい話だと思っていたけれども、実際に景気がよくなっていたのだ。

 倫子が納得していると、季更はさらにこう続ける。

「でも、この好景気はなんとなく不気味だ」

「え? どうして?」

 景気が良い理由は、倫子としてもあまり喜ばしいものではない。けれども、季更はそれとは別になにか憂えることがあるのだろう。

 季更が溜息をつく。

「今はいいけど、ある日突然景気が下向くんじゃないかって気がするんだ」

 景気が急に下向いたら、どうなってしまうのだろう。店を続けられるのだろうか。倫子がそう不安に思っていると、季更が、微かに笑って、倫子の頭を撫でる。

「まぁ、それならそれで、今のうちに稼いでもしもに備えたほうがいい」

「そ、そうね」

「お互い頑張ろう」

「うん」

 そんなもしもは、来ない方がいい。けれども、絶対にないとは言えないのだ。

「それじゃあ、俺は他の取引先に行かなきゃいけないから、そろそろ失礼するよ」

 季更がそう言って立ち上がるので、倫子はこう声を掛ける。

「季更さんも忙しいものね。お気をつけて」

「うん。また仕事が終わった後に。

あ、せっかくだから店のようすを見たいし、表から出るよ」

「そう? じゃあ一緒に行きましょう」

 今は、仕事が終わりさえすれば一緒に過ごす時間はたっぷりある。少し不穏な話が出たけれども、その時間を楽しみに、今日もしっかり商売をしようと倫子は思う。

 洗濯物を片付け、季更が持って来た舶来品も一旦片付け、倫子は靴を持った季更と一緒に店先に出る。

「あ、倫子さんお邪魔してまーす」

 店先に出るなり元気な声が聞こえる。子供達を連れた光喜が、店の中で駄菓子やおもちゃを見ていたのだ。

「あら光喜君いらっしゃい。

他の子も良い子にしてた?」

「ちゃんとみんな良い子にしてましたよ。

みんな、お買い物はちゃんと倫子さんに言おうね」

 光喜の言葉に、子供達は次々に倫子に声を掛けてくる。

「おばちゃん、せんべいちょうだい。ざらめのやつ」

「俺はビー玉欲しい。これ」

 わいわいと賑やかな子供達を見て、倫子は先程のいいようのない不安が薄らいだ。自然と笑顔になって、子供達の相手をする。

「はいはい。せんべいもビー玉も逃げないから、順番に勘定しましょうね」

 子供達の駄菓子やおもちゃの勘定が終わってから、倫子は光喜に訊ねる。

「そういえば光喜君、最近仕事の方はどう?」

「そうですね、最近仕事がすごく多いんです。

居留地の人だけでなくて、日本人の利用もすごく増えて、なにがあったんだろうって」

 それを聞いて、倫子は側にいる季更と目配せをする。

「ここ最近急にっていう感じなんですよねー。すごく不思議で」

 ほんとうに、なんで急にこんなことになったのかわからないといった顔をする光喜を見て、倫子は察する。光喜の仕事が増えたのも、戦争のおかげだ。

 ふと、光喜が季更のことを見てこう言う。

「そういえば倫子さん、その人取引先の人でしたっけ? 商談中でしたか?」

 それを聞いて、倫子はくすくすと笑う。

「商談もしたけど、この人は今、私の旦那さまなのよ。よろしくね」

 倫子の言葉に、季更はにっこりと笑って光喜に軽くお辞儀をする。光喜もそれに返すようにお辞儀をして、驚いたような声をあげる。

「なんか夫婦水入らずのところをお邪魔しちゃってすいません。

みんな、そろそろ外で遊ぼう」

 そそくさと子供達の背を押して店を出る光喜を見て、倫子は微笑ましい気持ちになる。季更も、隣でくすくすと笑っていた。

「いやぁ、俺ももう出かけるところだったのに、あの子達に気をつかわせてしまったね」

「光喜君は気が利く子だからね」

 季更は靴を下に置いたはいいものの、しばらく外で遊ぶ子供達を眺めていた。

「あんな子供の仕事すらも増えるだなんて、戦争ってのはすごいものなんだな」

 ぽつりとそう言う季更に、倫子はどう返せば良いのかわからない。

「みんなこぞって戦争に熱狂して、もうこの国は、勝つしかないんだなぁ」

「うん、そうね」

 この熱狂は、負けたときどのようになるのか。そして勝った後も、この熱がどこへ向けられるのか。それをを考えると、倫子はおそろしくなる。

 けれどもそのことは季更には言えなかった。

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