閑話 送り出す日まで、父親としてー村長視点ー
あの少年が目を覚ましたと聞いたとき、私はようやく胸を撫で下ろした。
村長としては、子供がダンジョンで負傷した以上、原因を調べ、今後の対策を考えなければならない。子供たちにも、準備の大切さや危険を感じたら引き返すことを教える必要がある。
だが、それ以前に、私は一人の父親だった。
「……まったく。子供というのは、どうしてこうも心配をかけるんだろうな」
誰もいない執務室で呟き、私は椅子の背にもたれた。
今回の件で、村の子供たちには改めてダンジョンの危険性を伝えることになった。勇気や努力だけでは、どうにもならない場面がある。準備を整え、仲間と行動し、危険を感じたら引き返す。
どれも当たり前のことだ。
だが、当たり前だからこそ、身につけるのは難しい。
あの少年も、レオンと娘の姿を見て、自分にもできると思ったのだろう。その気持ちは、私にも理解できた。
若い頃は、自分の力を試したくなるものだ。目標が目の前にあれば、なおさらだろう。
しかし、冒険者の世界では、一度の判断ミスが命取りになる。
私は深く息を吐いた。
村の子供たちを守ること。それも村長である私の仕事だ。
そして、レオンと娘についても、考えなければならなかった。
◇
レオンが初めて私の家にやってきた日のことは、今でも覚えている。
まだ赤ん坊だった。
どこから来たのか、なぜ一人だったのか。分からないことばかりだったが、放っておくわけにはいかなかった。
村の近くで捨てられていたあの子を私が拾い。レオンと名付けた。
最初は、保護した子供を育てるという意識だったのかもしれない。
だが、一緒に暮らしていれば、そんな区別はいつの間にか消えていく。
熱を出せば心配する。転んで泣けば駆け寄る。初めて何かができたときには、自分のことのように嬉しくなる。
いつしか、あの子は私にとって、もう一人の子供になっていた。
娘と喧嘩をしていれば、また始まったかと呆れる。二人で悪戯をして叱られていれば、どちらが言い出したのかと頭を抱える。
それでも、並んで笑っている姿を見ると、悪くないものだと思ってしまう。
……いや。
正直に言えば、私は少しばかり期待していた。
このまま二人が成長し、いつか夫婦になってくれたら、と。
レオンは娘のことをよく知っている。負けず嫌いなところも、無茶をするところも、きっと理解してくれるだろう。
娘も、レオンには遠慮がない。
気兼ねなく言い合いができ、困ったときには頼り合える。長く一緒に過ごしてきたからこその関係なのだろう。
親としては、これほど安心できる相手もいない。
もっとも、肝心の二人は、そんなことを考えている様子もないのだが。
「……ままならないものだな」
苦笑が漏れた。
私が勝手に期待しているだけだ。本人たちの気持ちは、本人たちにしか分からない。
それに、二人にはそれぞれの人生がある。親の都合で結びつけようとは思わない。
ただ、もしもいつか、二人が互いを選ぶ日が来たなら。
そのときは、きっと誰よりも喜ぶだろう。
◇
窓の外から、賑やかな声が聞こえてきた。
広場の方だ。
様子を見に行くと、案の定、レオンと娘が子供たちに囲まれていた。
「魔物を見つけても、すぐに飛びかかっちゃ駄目だよ。まずは相手の動きを見て、逃げ道も確認しておくんだ」
レオンが説明すると、娘が横から口を挟む。
「でも、逃げることばかり考えていたら、いつまでたっても倒せないじゃない」
「逃げる準備をするのと、逃げることしか考えないのは違うだろ?」
「それはそうだけどさ!」
娘が頬を膨らませると、周囲の子供たちが笑った。
レオンも困ったように笑っている。
いつもの光景だ。
だが、以前とは少し違っていた。
レオンは、ただ自分たちの冒険を楽しんでいるだけではない。自分たちの行動を見て、真似をしようとする子供がいる。自分たちの判断が、誰かの命に関わることもある。
今回の件で、それを身に染みて理解したのだろう。
だからこそ、自分たちが学んだことを、他の子供たちにも伝えようとしている。
自分の冒険だけで手いっぱいでもおかしくない年頃なのに。
私は知らず知らずのうちに口元を緩めていた。
立派になったものだ。
ダンジョンに挑むと言っていた頃は、あれほど危なっかしかったのに。
もちろん、まだ未熟だ。知識も経験も足りない。これから先、思いもよらない危険に出会うこともあるだろう。
それでも、あの子は少しずつ成長している。
剣の腕だけではない。
自分の行動が周囲に与える影響を考え、他人のために動こうとしている。
私は、それが嬉しかった。
同時に、胸の奥が少し痛んだ。
あの子が成長しているということは、いつかこの村を出ていく日が近づいているということでもある。
◇
レベル十五。
この村で育った子供たちにとって、一つの節目となる数字だ。
ダンジョンで経験を積み、十分な力を身につけた者は、教会で転職をして外の世界へ進んでいく。
冒険者を目指す者なら、なおさらだ。
娘もレオンも、その日を目指している。
娘は昔から、村の外へ出たがっていた。
初めて冒険者の話を聞いた頃から、いつか自分もなりたいと言い続けてきた。剣を振るうことが好きで、知らない場所へ行くことが好きで、危険があると分かっていても冒険への憧れを捨てられない。
父親としては、できればこの村にいてほしい。
だが、それは私の願いでしかない。
娘が自分で選んだ道を、私の心配だけで閉ざすわけにはいかなかった。
レオンも同じだ。
あの子は慎重で、準備を怠らず、無理のない方法を考える。危険を軽く見ているわけではない。
だからこそ、いずれ自分の力で進めると判断したなら、村の外へ出るのだろう。
そして、私にはそれを止める理由がない。
……いや、理由ならある。
心配だからだ。
外の世界には、この村では想像もできない魔物がいる。腕の立つ冒険者もいれば、善良とは言いがたい人間もいる。どれほど準備をしても、運が悪ければ命を落とすことだってある。
できることなら、ずっとこの村にいてほしい。
朝になれば顔を合わせ、食卓を囲み、くだらない話をして笑う。そんな日々が続けば、どれほど安心だろう。
だが、それでは二人の望みを奪ってしまう。
私は村長である前に、二人を育ててきた大人だ。
子供がいつまでも自分の手の届く場所にいるとは限らない。いずれ巣立っていく。
頭では分かっている。分かっているのだが……。
「……親というのは、勝手なものだな」
小さく呟いた。
送り出してやりたい。
それでも、送り出したくない。
無事に帰ってきてほしい。
できることなら、危険な目になど遭ってほしくない。
相反する願いを、私はどうしても捨てられなかった。
◇
その日の夕食後、娘が主人公と一緒に居間へやってきた。
「お父さん、ちょっといい?」
「どうした?」
「この前もらった依頼の報酬で、装備の手入れに必要なものを買い足したいんだけど」
娘が話す横で、レオンが補足する。
「今の装備を長く使うためにも、手入れはきちんとしておきたいんです。次の探索に出る前に、必要なものを揃えておこうと思って」
「なるほど。いい心がけだ」
私は頷いた。
以前なら、装備が傷んでから慌てて相談に来ていたかもしれない。
今では、次に必要になるものを考え、先回りして準備しようとしている。その成長が頼もしかった。
「必要なものを揃えるのは構わない。ただし、金を使い切るんじゃないぞ。怪我をしたときの治療費や、予備の道具も必要になる」
「分かっています」
レオンは素直に頷いた。
娘も「はーい」と返事をする。
あまりにも軽い返事だったので、私は娘を見た。
「本当に分かっているんだろうな?」
「分かってるってば!」
少しむくれた娘を見て、主人公が笑う。
「ちゃんと計算してから買うよ。必要なものと、後回しにできるものを分ければいいんだから」
「ほら、レオンは分かってるじゃない!」
「ミレアにも確認しているんだよ」
「むっ……!」
二人のやり取りに、私はとうとう声を上げて笑ってしまった。
こうしていると、やはりお似合い二人だと思う。
片方が先走れば、もう片方が引き止める。片方が慎重になりすぎれば、もう片方が背中を押す。
違うところがあるからこそ、うまくいくのかもしれない。
もっとも、本人たちは相変わらず、そのことに気づいていないようだった。
私は笑いを収め、二人の顔を順番に見た。
「二人とも、これから先も一緒に探索するつもりなんだな?」
「もちろん!」
娘が即答する。
主人公も頷いた。
「お互いに、相手がいた方が安全ですから。それに、一人より二人の方が、できることも多いですし」
「そうか」
私はそれ以上、何も言わなかった。
二人で行くなら、互いに支え合ってほしい。
だが、どちらかが相手に頼りきりになるのではなく、自分の足で立てるようにもなってほしい。
冒険者としても、人としても。
そして、いつか村を出るときには、二人とも自分の意思で進む道を選んでいてほしい。
それが、私の願いだった。
◇
二人が部屋を出ていったあと、私はしばらく居間に残っていた。
静かになった家の中で、昼間の光景を思い返す。
娘は、これからもっと強くなるだろう。
レオンも、さまざまなことを学びながら、自分の目指す職業を探していくはずだ。
レベル十五になれば、教会で転職できる。
そこから先は、今まで以上に広い世界が待っている。
そのとき、二人はどんな顔をしているだろう。
新しい装備を手に入れたときのように、目を輝かせているだろうか。
初めての魔物を倒したときのように、興奮して帰ってくるだろうか。
それとも、私が知らない誰かと出会い、知らない場所で暮らし始めるのだろうか。
想像すると、寂しさが込み上げてくる。
それでも、私は二人を信じたい。
私が教えられることは、できる限り教えよう。
危険なことは危険だと伝える。無謀な行動は止める。必要なときには厳しく叱る。
けれど、最後に道を選ぶのは、二人自身だ。
私にできるのは、その選択を支え、無事を祈ることくらいなのだろう。
……もしも。
もしも、レオンが娘を選び、娘もまたレオンを選んでくれたなら。
そんな未来が訪れたら、私はきっと安心する。
レオンなら、娘を一人の人間として尊重してくれるだろう。娘の夢を無理に変えようとはせず、それでも危険なときには一緒に考えてくれるはずだ。
もちろん、これは私の勝手な願いだ。
娘が誰を好きになるのか、主人公が誰を選ぶのか。それは二人の自由である。
それでも、親というものは、つい願ってしまうのだ。
「……まったく。あの二人は、いつになったら気づくのやら」
苦笑しながら、私は立ち上がった。
今はまだ、二人とも冒険に夢中だ。
それでいい。
恋や結婚を考えるのは、もっと先でも構わない。
ただ、その先にどんな未来が待っていようとも、私の願いは一つだけだった。
どうか、生きて帰ってきてほしい。
冒険に出るなら、無事に帰ってきてほしい。
傷つくことも、失敗することもあるだろう。それでも、命だけは大切にしてほしい。
そして、いつかこの村を離れる日が来たなら。
私は笑って送り出してやりたい。
寂しくても、心配でも、引き止めたい気持ちがあっても。
二人が自分の足で未来へ進もうとしているのなら、その背中を押してやるのが親の役目なのだろう。
窓の外には、夜の帳が降り始めていた。
明日もきっと、二人はダンジョンへ向かう準備をする。
私はその姿を見送りながら、また心配して、また小言を言うのだろう。
それでもいい。
いつか本当に送り出す、その日まで。
せめて今は、二人がこの家の近くで笑っている日々を、大切にしておこう。




