炭の戻る道
夜明け前の西門には、七人ではなく九人が来ていた。水運び三人・炭運び四人。そう書いたはずの板の前に、さらに二人が立っている。
一人は桶輪を直してもらう予定の老人、もう一人は昨日、壊れた鉈を預けた若い男だった。
ゴルツの顔が二人を見るなり嫌そうに歪んだ。
「増えてるぞ」
「増えていますね」
短く答えた。
「何で落ち着いてる」
「増えた理由を聞いてからです」
「面倒くせえ」
「面倒の中に、人手が入っています」
ゴルツが舌打ちしたが、帰れとは言わなかった。
門前の板に、今日の作業を書き直した。炭運び・水運び・鍛冶場補助・危険確認、四つに分ける。昨日は三つで足りたが、今日は足りない。
「まず足を見せてください」
レインが言うと、若い男が眉を寄せた。
「足?」
「炭置き場までの道はぬかるみがあります。靴底が割れている人を行かせると、帰りに転びます」
「転ばねえよ」
「転んだら炭袋が濡れます」
若い男は口をつぐんだ。
一人ずつ靴を見た。靴底が割れている者が二人、足首に古い腫れがある者が一人。手の皮が厚く背負い縄の扱いに慣れている者が三人、水桶を持つ姿勢が安定している者が二人。
「炭運びは、ゴルツさん、若い兵一人、背負い縄に慣れている三人。合計五人」
「増やすのか」
ゴルツが言う。
「一人あたりの荷を減らします」
「減らすのに増やすのか」
「はい。炭を濡らさないためです」
「力がある奴に多く持たせりゃいいだろ」
「帰り道で転びます」
「俺は転ばねえ」
「他の人が転びます」
ゴルツの口が反論しかけて、止まった。
「水運びは三人。鍛冶場まで二桶ずつ。走らない。こぼさない」
「分かった」
桶輪の老人が手を上げた。
「わしは」
「鍛冶場補助です」
「年寄りだからか」
「桶輪を三つ持ってきたので、桶の扱いが分かると思いました」
老人は少し目を丸くした。
「そう来るか」
「錆落としと、戻ってきた桶の水漏れ確認をお願いします」
「水漏れを見るだけならできる」
「見るだけではなく、漏れたら印をつけてください」
「字は下手だぞ」
「線で構いません」
老人は桶輪を腕から外し、頷いた。
その様子を横目に、台帳の余白へ「老人、桶確認」と小さく書き付けた。
「俺は」
壊れた鉈を預けた若い男が言った。顔にはまだ不満が残っているが、一人で森へ入ると言った昨日より、声は低い。
「同行者を連れてきましたか」
「連れてきた」
男が後ろを指すと、同じ年頃の男が気まずそうに立っている。
「二人で黒森寄りに行く」
「今日は行きません」
「何だと」
「鉈の危険確認が終わっていません。代わりに炭運びへ入ってください」
「森へ入るために来たんだ」
「炭置き場は黒森道の手前です。道の状態を見られます。戻ったら、明日の進入可否を決めます」
若い男は黙った。
「……半日で終わるのか」
「荷を濡らさず戻れば、昼前です」
「銅貨は」
「作業一刻分として、修理料から差し引きます」
「銅貨じゃねえのか」
「あなたは鉈の修理を受ける側です。先に労働で払えます」
若い男は隣の男と顔を見合わせた。
「なら、行く」
ゴルツが鼻を鳴らした。
「若いの。転ぶなよ」
「転ばねえ」
「そう言う奴から転ぶ」
「あんたこそ」
「俺は転んでも炭袋は離さねえ」
「転ぶ前提かよ」
小さな笑いが起きた。
「出発前に、袋の結びを確認します」
バルドが声を張った。
兵の一人が背負い袋を並べる。大袋ではない。中袋を五つ、小袋を二つ。
「中袋五。小袋二。帰りは小袋を前に」
「前に?」
若い男が聞いた。
「胸側へ持ちます。転びそうになった時、小袋なら守れます」
「大袋は」
「背中です。転ぶ時は膝をついて、横へ倒れない」
「転ばねえって」
「転ばない前提で準備すると、転んだ時に全部失います」
若い男は不満そうに口を曲げたが、紐の結びを確かめた。
ゴルツも同じように結びを確かめる。
「おまえ、戦の荷運びを知ってるな」
「少しだけです」
「少しでそんな嫌なこと言うか」
「嫌なことほど、早めに言う方が安いです」
「本当に嫌な奴だ」
炭置き場までは、南倉裏の小道を抜ける。以前、黒森道の荷車を止めた場所より手前だ。古い炭焼き小屋の跡に屋根だけ残った炭置き場がある。昔は村の鍛冶場と石灰窯へ回していた場所だが、今は誰も定期的に見ていない。
道は悪かった。朝露で草が濡れ、荷車の轍は古く、片側に水が溜まっていた。
先頭は歩かない。先頭は若い兵、次にゴルツ、その後ろに炭袋を持つ三人。若い男と同行者は最後尾の前、レインは最後尾から二番目を歩いた。
「右を踏まないでください」
レインが言った。
前の男が足を止める。
「右?」
「草が寝ています。水があります」
ゴルツが右足を浮かせると、草の下に黒い泥が見えた。
「よく見えるな」
「昨日の雨で水が残るなら、草の色が変わります」
「道ばっか見て歩くと、前から殴られるぞ」
「前は兵が見ています」
先頭の若い兵が、少し背筋を伸ばした。
炭置き場に着いたのは、日の出から半刻ほど後だった。屋根は傾き、柱の一本は根元が腐りかけている。床は土。奥に炭袋が積まれ、布は古く、口の紐は何本か切れていた。
ゴルツが近づこうとして、レインが止めた。
「先に屋根を見ます」
「炭を見るんじゃないのか」
「屋根が落ちたら炭どころではありません」
若い男は今度は笑わず、彼も屋根を見た。
梁の一部が黒く腐っているが、今日すぐ崩れるほどではない。問題は奥の柱だ。荷を出す時に押せば、傾く。
「左側から出します。奥の柱に触らない。袋を引きずらない」
「引きずった方が楽だぞ」
「布が裂けます」
「分かったよ」
ゴルツが文句を言いながら、左側の袋を持ち上げた。軽さに、顔が変わる。
「少ないぞ」
袋の中は半分以下だった。炭の塊は残っているが、底に炭粉が溜まっている。別の袋も同じで、三袋目は湿っていた。
「使えねえ」
若い男が言った。
「使えます」
湿った炭を手に取り、指で割った。外側は湿っているが、中はまだ乾いている。
「鍛冶場の炉にはすぐ使いません。南壁で乾かします」
「炭を乾かすのに人手を使うのか」
「買うより安いです」
「またそれか」
「はい」
ゴルツが、なぜか笑いそうな顔をした。
炭を三つに分けた。すぐ使える炭、乾かせば使える炭、炭粉。
「炭粉も持つのか」
「持ちます」
「鍛冶場じゃ使いにくいぞ」
「石灰窯の火持ちに回します。細かい火なら、鍋修理の下火にも使えます」
「粉まで使うのか」
「粉を捨てるほど、火に余裕がありません」
若い兵が袋を覗き込んだ。
「これ、門の火鉢にも使えますか」
「煙が多いです。門番の火鉢には向きません」
「そうですか」
少し残念そうなその顔を覚えた。
「今日持ち帰るのは、すぐ使える炭が中袋三。乾かす炭が中袋二。炭粉が小袋二」
「残りは」
「屋根が崩れる前に、明日以降で移します。今日は欲張りません」
「欲張った方が往復が減る」
ゴルツが言う。
「欲張ると、帰りに落とします」
「分かってるよ」
「言っておきます」
「言わなくてもいい」
「先に言っておきます」
ゴルツの口はもう返さず、代わりに若い男へ袋の持ち方を教え始めた。
「肩だけで担ぐな。腰の縄を締めろ。揺れると中で割れる」
「炭が割れて何が悪い」
「粉になる。粉は別袋だ。混ぜるとあの帳簿の兄ちゃんが嫌な顔をする」
「あんた、怖いのか」
「怖くねえ。面倒なんだ」
若い男は小さく笑い、腰縄を締め直した。
何も言わなかった。
帰り道で一度だけ事故が起きかけた。
若い兵が先に泥を踏み抜いた。足首まで沈み、背中の袋が揺れる。横へ倒れれば、炭袋が泥に落ちる。
「膝」
レインが言うより先に、ゴルツが怒鳴った。
「膝をつけ」
若い兵は反射で片膝をついた。袋は背中で止まる。小袋を前に抱えていた若い男が横から支え、炭は落ちなかった。
若い兵の顔は青い。
「す、すみません」
「謝るな。袋を見ろ」
ゴルツが言った。
若い兵は振り返り、袋を触る。破れても湿ってもいない。
「無事です」
「ならいい」
ゴルツが短く言い、目をこちらへ向けた。
「転ぶ前提、役に立ったぞ」
「転んでいません」
「細けえ」
「膝をついたので、転倒未満です」
「本当に細けえ」
けれど、周りの顔は少し緩んでいた。
西門に戻ると、門前には昨日の紙がまだ貼ってあった。その下にメイナが新しい紙を用意している。炭受入――すぐ使用・乾燥待ち・炭粉。
戻った袋を量るため、ガレスが古い秤を出していた。片方の皿が少し欠けているが、釣り合いは取れる。
「遅い」
メイナが言った。
「予定より半刻早いです」
レインが答える。
「私の紙が早くできすぎました」
「それは遅いと言いません」
「待ちました」
「すみません」
メイナの表情は変わらなかったが、トマが横で笑いをこらえていた。
炭はすぐに分けられた。すぐ使える炭は中袋三、乾燥待ちは中袋二、炭粉は小袋二。
ゴルツが肩を回す。
「これで鍛冶場は夕方まで動くのか」
「はい」
「じゃあ俺は終わりだな」
「炭を南壁へ広げます」
「まだあるのか」
「湿り炭を乾かさないと、明日の分が減ります」
「俺は炭運びだ。炭干しじゃねえ」
「今日の置き場番でもあります」
「勝手に増やすな」
「昨日から継続です」
ゴルツの目が天を仰いだが、湿り炭の袋を持った。若い男も、それに続いた。
「どこに広げる」
「南壁の石の上です。直置きしないで、古い戸板を敷きます」
「戸板?」
「裏物置の外した戸です」
ゴルツの足が一瞬止まり、それから笑った。
「戸まで使うのかよ」
「捨てるには重いので」
「便利な言い方だな」
「便利です」
南壁の下に戸板を敷き、その上に湿り炭を広げる。炭粉は別に布へ包む。風が吹けば飛び、目に入る。子どもを近づけないよう、縄を張らせた。
「ここから先は、触らないでください」
門前で鍋を預けた女が、それを見て頷いた。
「黒い手になるからね」
「目に入ると痛みます」
「うちの子に言っとくよ」
鍛冶場では、老鍛冶師が炭を受け取り、火を起こし直した。昨日より赤が早い。乾いた炭は音が違う。ぱち、と軽く鳴り、湿った炭の鈍い煙ではない。
「これなら夕刻まで持つ」
老鍛冶師が言った。
「ただし、途中で鍋ばかり入れるな。農具も混ぜる」
「順番は決めています」
板を示した。午前は鍋三・桶輪一・共有鎌二、兵装小修理の確認。午後は鍋三・鍬先二・槍石突き三、危険刃物確認。
老鍛冶師が板を見て、鼻を鳴らした。
「人間が炉よりうるさいな」
「炉は字を読まないので」
「読んだら逃げるぞ」
「逃げないようにします」
老鍛冶師は少し笑い、火ばさみを取った。
最初の小鍋が炉に入り、次に桶輪。槌の音が戻った。昨日の音より、少しだけ続いて聞こえる。
門前の領民だけではない。兵も来た。槍を持った兵が三人・革帯の金具が壊れた兵が一人・盾の縁が浮いた兵が一人。バルドが腕を組み、全員を睨んでいた。
「隠していた数を言え」
「槍三、革帯一、盾一です」
「今まで黙っていた理由は」
「怒られると思いました」
「怒る」
兵たちの肩が縮む。
バルドの目が少し間を置き、こちらへ向いた。
「だが、飯は減らさん」
短く頷いた。
「夜の水運びで」
「夜の水運びだ」
兵たちの顔がさらに沈んだ。
「兵装小修理は、領民の鍋と同じ列ですか」
トマが聞いた。
「別列です」
短く答えた。
「同じ炉で直すのに」
「待つ理由が違います。混ぜると、兵が割り込んだように見えます」
「実際、急ぎですよね」
「急ぎです。だから別列にして、数を見せます」
「隠さない」
「はい」
トマの手が紙を一枚増やした。兵装小修理――品目・持ち主・危険度・修理順・夜の水運び。
最後の欄を見て、兵の一人が呻いた。
「書かれるんですか」
「書きます」
メイナが即答した。
「消せませんか」
「水を運んだら済印を押します」
「押すだけですか」
「押すだけです」
兵はなぜか少し安心した顔をした。
昼前、共有鎌二本が仕上がった。完全ではない。刃は短く、柄も新しくはない。だが、草は刈れる。
門前で待っていた農民四人が、順番札を受け取った。一刻ごとに使い、返却時に草の十分の一を飼葉置き場へ入れる。
「本当に十分の一か」
農民の一人が聞いた。
「はい」
「数えるのか」
「籠で見ます。細かくは数えません」
「じゃあ、少なく出す奴がいるぞ」
「いるかもしれません」
「いいのか」
「少なく出す人が多ければ、共有鎌は止まります」
農民は口を閉じた。
「分かった。少なかったら、俺が言う」
農民はそう言い、鎌を受け取った。
隣の農民が笑う。
「おまえが言われる側じゃないのか」
「うるさい」
また小さな笑いが起きた。
台帳に、午前の成果を書き付けた。炭受入、鍛冶場稼働は夕刻まで延長。修理完了は小鍋三・桶輪一・共有鎌二・兵装確認五。修理料受入は銅貨四枚・乾豆二握り・作業返済二刻分。飼葉見込み、籠二。
数字は小さいが、昨日の銅貨一枚より増えている。
ルシアが台帳を覗き込んだ。
「まだ足りない、って顔だね」
「足りません」
「でも、昨日よりは商売に近い」
「領地の維持です」
「商売も維持だよ。派手に儲けるだけが商売じゃない」
ルシアの目が飼葉置き場の方へ流れた。
「鎌の使用料を草で取るのは、悪くない。馬が動けば荷が動く。荷が動けば、私の荷も入る」
「まだ商人荷を増やす余裕はありません」
「知ってる。だから見てる」
「何をですか」
「この領地が、約束を守れるか」
返事はしなかった。
約束。銅貨一枚を炭代に入れ、鎌を一刻で返す。草を十分の一出し、兵が夜の水運びをする。ルシアの目がそれを見ている。
「見られて困るかい」
「困ります」
「正直だね」
「困りますが、見える方がいいです」
ルシアの口元が笑った。
「そういうところだよ、レイン」
分からないので、台帳へ戻る。
昼の粥が配られる頃、ミリアが鍛冶場へ来た。昨夜より少し顔色が悪いが、足を止めなかった。
「炭は戻りましたか」
「はい。夕刻まで炉を維持できます」
「水運びは」
「三人が二往復。こぼしは一桶の三分の一」
「多いですか」
「初回なら許容範囲です。次は桶の紐を替えます」
「修理料は」
「午前で銅貨四枚、乾豆二握り、作業返済二刻分です」
ミリアの表情に、すぐの喜びはなかった。
その顔を見て、少しだけ言葉を足した。
「昨日よりは、火を続ける理由が増えました」
「理由」
「はい。鍛冶場が動くと、鍋が直ります。桶が直ります。鎌が草を生みます。兵装の破損も出てきます。止める理由より、続ける理由が増えています」
ミリアの口から、静かに息が抜けた。
「それなら、午後も続けます」
「はい」
「ただし、私も午後はここに立ちます」
エルクがすぐに言った。
「休んでください」
「休みます。座って見ます」
「それは休みではありません」
「でも、領民から見える場所にいます」
エルクの口は、言い返せなかった。
椅子を用意するようトマへ頼んだ。
「背もたれのあるものを」
「はい」
「足元に水を」
「はい」
「話す回数を減らしてください」
ミリアが少しだけ笑った。
「それは命令ですか」
「お願いです」
「分かりました。できるだけ」
台帳の端に、領主代理休息と書きかけて、やめた。
「エルクさん」
「何だ」
「午後、説明が必要な時は、最初にエルクさんが短く言ってください。ミリア様は補足だけ」
「俺が?」
「はい。兵と農民には、短い言葉の方が通ります」
エルクの顔が、一瞬だけ困った。
「何を言えばいい」
「順番は紙にある。割り込みは受けない。危ない物は預かる。払えない者は作業で返す」
エルクの口が、それを一度だけ中で繰り返した。
「分かった」
ミリアが彼を見た。少し驚き、少し安堵した顔だった。
午後、鍛冶場の列は乱れなかった。不満も文句も出たが、エルクが短く止めた。
「順番は紙にある」
「危ない物は預かる」
「払えない者は作業で返せ」
そのたびに、ミリアが必要な分だけ補った。
「炭代に入ります」
「明日の火を残すためです」
「返却時刻を書きます」
作業台の横で数字を追った。午後の修理は鍋三・鍬先二・槍石突き三・盾縁一・危険刃物確認二・修理不可一。
兵の槍石突きが直った時、持ち主の兵は何度も石突きを地面に当てた。こん、こん、と音が鳴る。
「これで立てられます」
兵が言った。
バルドの顎が、腕を組んだまま頷く。
「次から割れる前に言え」
「はい」
「夜の水運びは忘れるな」
「はい……」
兵は沈んだが、槍を隠そうとはしなかった。
夕刻、共有鎌の一人目が戻ってきた。草の束を二つ抱え、そのうち小さい束を飼葉置き場へ入れた。
「十分の一より多い」
レインが言う。
農民は目をそらした。
「細かく量るのが面倒だった」
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋じゃない。鎌を借りただけだ」
そう言って、農民は次の者へ鎌を渡した。その手つきは、思ったより丁寧だった。
飼葉置き場の横へ「飼葉受入、籠一と半分」と印をつけた。
夕刻の集計は、門前で行った。
メイナが読み上げる。
「炭受入。すぐ使用、中袋三。乾燥待ち、中袋二。炭粉、小袋二」
トマが写しを掲げる。
「修理完了。鍋六。桶輪一。共有鎌二。鍬先二。槍石突き三。盾縁一」
「修理不可。危険刃物一」
「受入。銅貨十一枚。乾豆四握り。大麦一握り。作業返済五刻分。飼葉、籠一と半分」
門前にいた者たちが、その数字を聞いた。ただ、昨日より少し長く、誰もその場を離れなかった。
「炭代には足りるのか」
桶輪の老人が聞いた。
短く答えた。
「今日の分だけなら、足ります。明日の分は、乾燥待ちの炭次第です」
「じゃあ、乾かさないとな」
老人はそう言って、南壁の方へ歩き出しかけた。
「今日は終わりです」
レインが止める。
「風で飛んだら困るだろう」
「縄を張っています」
「見てくるだけだ」
「足元が暗いです」
老人は不満そうにした。
すると、夜の水運びを命じられた兵の一人が、槍を肩に立てた。
「俺が見ます。どうせ水運びがあります」
バルドが目を細めた。
「どうせ、とは何だ」
「いえ、その、ついでに」
「最初からそう言え」
兵は慌てて頷いた。
その様子を見て、台帳に「夜間確認・南壁炭干し・水運び兵・作業ついで」と書き加えた。
ガレスが隣に立った。
「今日は、何枚だ」
「銅貨としては十一枚です」
「昨日の九枚より増えた」
「はい。ただし炭運びの作業返済があるので、実質は」
「そこまで聞いておらん」
ガレスの声が遮った。
「まだ足りない、と言うつもりだろう」
「足りません」
「だが、昨日より火は長く燃えた」
「はい」
「昨日より、持ち込まれた壊れ物は減っていない」
「はい」
「昨日より、隠れていた兵装の破損が出た」
「はい」
「それを、赤字が増えたと言うか」
すぐには答えられなかった。
壊れ物が見えるようになった。火が続き、草が少し入った。兵が自分の槍を出した。
「見えるものが増えました」
そう告げた。
ガレスの口がしばらく黙り、それから笑った。
「難儀な答えだ」
「すみません」
「だが、嫌いではない」
ガレスの目が門前の紙へ向いた。
「明日は、その形を数字にしろ」
「数字に」
「領主館の者にも、兵にも、職人にも分かる形でだ。銅貨だけでなく、買わずに済んだもの、戻った作業、減った危険。全部を一枚にまとめろ」
「一枚にすると、削る項目が出ます」
「削れ」
ガレスの声は低い。
「おまえの仕事だろう」
台帳を見た。一枚にまとめるには、何を残し、何を切るかを決めなければならない。
「分かりました」
その時、南壁の方から兵の声がした。
「レインさん」
振り返ると、夜の水運びをするはずの兵が濡れた布を手に立っていた。
「乾かしていた炭の上に、これが落ちていました」
布は黒く汚れているが、炭粉の汚れだけではない。端に、青い紐の切れ端が絡んでいた。先日見たものと同じ色だ。
布は受け取らず、まず周囲を見た。南壁・炭干し・水運び・暗くなり始めた門前。炭を濡らすには、まだ早い時間だ。
布が落ちたのではなく、置かれた可能性がある。
「誰も触らないでください」
自然と低くなった声で、そう告げた。
炭干し場の横で、別の火種が見えた。




