プロローグ
砲声の余熱が、まだ地面に残っていた。
ルーデン平原。
倒れた将軍旗、泥に沈む荷馬車、指揮の絶えた列。
負けた軍とは、こういうものだ。
「レイン様、まだ書いてるんですか」
折れた槍を杖にした若い兵が近づいてきた。
レイン・アストラは泥の上に膝をついたまま、顔を上げない。
手元の帳面に、数字を一つずつ書き留めていた。
水樽、割れていないもの、九。
動ける馬、三十九。
明日の昼まで持たない負傷兵、四十一。
剣は握らない。
魔法は使えない。
王国軍で「雑用係」と呼ばれる青年に、将校たちの目は最初から向いていなかった。
だが、レインだけは知っている。
負けた軍を、全滅させずに国境まで帰すのに必要なのは、英雄ではない。
数字だ。
「あんたが数えなかったら、俺たち、誰も帰れなかった」
兵は、そう言って去った。
レインは顔を上げなかった。
名前も階級も知らない兵だった。それでいい。知らないまま別れる方が、たぶん長く生きる。
——その十日後。
王都の会計室で、一枚の辞令が読み上げられた。
「レイン・アストラ。補給混乱の責により、ハルヴェイン辺境領への転任を命ずる」
誰も笑わなかった。誰も抗議しなかった。
責任は、最も弱い椅子に座っていた者が被る。この国の流儀だった。
レインは辞令を受け取り、一度だけ頷いた。
そして、帳面に新しい一行を書いた。
北東、ハルヴェイン。
街道、不通報告あり。
倉庫、空に近い。




