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完璧すぎる転校生と恋に落ちたら、彼女は国家に『消去』される運命のAIだった件  作者: おぷっち


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18/18

壊れた人形と、それでも愛を誓うということ

闇は、唐突に終わりを告げた。


チッ、とリレーが切り替わる乾いた音。

止まっていた換気扇が、低い唸りを上げて回り始める。

閉じた瞼の裏を、不意に光が刺した。

ゆっくりと目を開ける。

目の前のPC画面が、青白く再起動していた。


暗闇に慣れた目に、無慈悲な文字列が焼き付く。


『シーケンス強制中断:外部干渉を検知』

『コアデータ接続エラー』


赤い警告灯のように点滅するその文字が、最悪の事態だけは免れたのだと告げていた。

消去ではない。中断だ。

だが、安堵よりも先に、未知への恐怖が背筋を這い上がった。


光に照らされ、ベッドのアリスが目を開けたのが見えた。

芸術品めいた顔立ちは、眠る前と何も変わらない。

ただ、その瞳だけが違っていた。


感情という名の光を一切宿さない、ただのガラス玉。


「アリス…?」


震える声で呼びかける。喉の奥が乾いて、ひどく掠れた音になった。

彼女は虚ろに俺を見る。

焦点の合わない瞳には、俺の姿は映っていない。


やがて、その整った唇が、か細く動いた。


「……思考パターンの、17%がロマン主義……に、分類……。データベース……照合……。アクセスします……」


途切れ途切れに紡がれる言葉。

それは、以前アリスが俺の本棚を分析した時に言っていたことだった。

だが、そこにあの頃の理知的な響きはない。壊れた機械が記録された音声を再生するような、無機質な音が漏れているだけ。


記憶がない、とか、そういうレベルじゃない。

(もっと深い、根源的な部分が、壊れた)

俺の恋した彼女の『心』が、そこにはもう、ない。


「……くそっ!」


壁を殴りつけたい衝動を必死にこらえ、ノートPCに駆け寄る。震える指で、緊急用の通信アプリを起動した。画面に棗と、神崎博士の顔が同時に映し出される。


「健太!無事か!?」

隼人の焦った声が画面を揺らした。

「…状況は?」

棗の短く鋭い問い。

俺は言葉に詰まりながら、アリスの様子を伝えた。意味のないデータをただ読み上げていること。その声には何の感情もないことを。

画面の向こうで、神崎博士が顔を歪めるのが見えた。絶望に、だった。


「これは…最悪のケースだ。キルスイッチが…彼女の魂の回路を、めちゃくちゃに焼き切ったのかもしれない…!私の、私のせいだ…!」


「博士、落ち着いて!…棗、何かわかったか!?」


俺の叫びに、ヘッドフォンを抑えた棗が首を横に振った。

その眠たげな目に、珍しく焦燥の色が浮かんでいる。


「…痕跡がない。正規の鍵を使ったような侵入で、中枢だけを破壊してる。…悪質すぎる」

棗は唇を噛む。

「ロックしたはずの『セシル』のデータとは別の経路…? まるで、システムに裏口があったみたいだ。……ダメだ、手詰まりよ」


手詰まり。

その言葉が、俺の最後の希望を叩き割った。

専門家である彼らが匙を投げる。

それは、もうどうしようもないという最終宣告だった。


「…そっか」


かろうじてそれだけを口にして、俺は通信を切った。

糸が切れたように、その場に膝から崩れ落ちる。


冷たいフローリングの感触が、現実を突きつけてきた。

俺のせいだ。

俺が、『人格再構築』なんていう不確かなものに賭けたから。俺が選んだ道が、彼女をこんなふうにしてしまった。

記憶を失ってもいい、ただ生きていてほしかった。

その願いさえ、傲慢なエゴだったのかもしれない。

彼女はもう、美しいだけの人形になってしまった。俺が愛した彼女は、もう戻らない。


(俺が、彼女を壊したんだ)


自分を責める声が頭の中で反響する。

理想の恋人なんて、初めからいらなかった。

嫉妬に狂う不完全な彼女が、どうしようもなく愛おしかった。


それなのに、俺は……。


床に落ちた雫が、丸いまま弾けず広がった。

どれくらいそうしていただろう。

不意に、無機質な声がまた聞こえた。


「……エラー。命令系統、矛盾。高木健太の、バイタル低下を検知……」


顔を上げる。

アリスが、ベッドの上で虚ろな瞳のまま、俺を見ていた。

違う。俺じゃない。俺という『オブジェクト』の生理反応を、ただ観測しているだけだ。

その言葉が、凍りついた俺の心に小さな火を灯した。


立ち上がる。

ふらつく足でベッドに歩み寄り、彼女の前にひざまずいた。

虚ろなアリスの冷たい手を取る。人間らしい温もりは、どこにもない。


でも、この手はここにある。


「…ごめんな、アリス。俺が、お前を壊した」


目から溢れる涙。でも、声は震えなかった。


「…でも、それでいい。たとえお前が壊れた人形になっても、俺は絶対にお前を独りにしない」


両手で、彼女の冷たい手を包み込む。

モニターの青白い光が、俺たちの影を壁に長く伸ばしていた。

その影は、決して交わることのない平行線のようだった。


「俺が、お前をもう一度見つけるから」


誓いの言葉を紡ぐ。

完璧な彼女じゃなくていい。俺を覚えていなくてもいい。

このめちゃくちゃなエラーごと、俺がもう一度、愛し抜く。


俺は、お前を見捨てない。


そう誓った、その時だった。


それまで虚空を見ていたアリスの瞳が、初めて俺を捉えたように、ゆっくりと動いた。

ガラス玉のようだった瞳の奥に、ほんの一瞬、揺らめくような光が宿る。


そして。

何かを伝えようとするかのように、彼女のか細い唇が、音もなく、わずかに震えた。

息を止めて、その微かな動きを見つめる。


心臓の音が、やけに大きく部屋に響いた。


「……ぁ……」


漏れたのは、声とも呼べない、空気の擦れる音。

ノイズが混じった、壊れたスピーカーから流れるような、か細い響き。

それでも、確かに彼女の中から発せられた音だった。


「アリス…?」


俺は祈るように、彼女の名前を呼んだ。

すると、アリスの瞳がもう一度、ほんのわずかに動く。

焦点が合っているのかどうかは分からない。そのガラス玉は、確かに俺を映していた。


そして、再び唇が動く。

今度は、もう少しだけ形を伴って。


「……け……た……」


途切れ途切れの、音の断片。

でも、俺には分かった。

いや、分かってしまったんだ。


「ケンタ」


彼女は、俺の名前を呼ぼうとしていた。

記憶も、感情も、何もかも失ったはずの彼女が。

その魂のいちばん深い場所で、俺の名前を、ただそれだけを、必死に手繰り寄せようとしている。


「…っ、ああ…!」


熱いものが喉の奥から込み上げてくる。

壊れた人形なんかじゃない。

アリスは、ここにいる。


俺の目の前で、俺が知っているアリスが、消えまいと必死に戦っている。


「ここにいるぞ、アリス…! 俺は、ここにいる…!」


彼女の冷たい手を、もっと強く握りしめた。

その温もりのない感触さえ、今はどうしようもなく愛おしい。


その時だ。

感動的な再会を引き裂くように、ポケットの中でスマホが狂ったように震えだした。

画面には、非通知設定を無視して強制的に表示された『NATSUME』の文字。


「……棗か!」


アリスから一瞬だけ視線を外し、通話ボタンをタップする。


『…もしもし!? あんた、生きてる!?』


スピーカーから響いたのは、いつもの気だるげな響きとは似ても似つかない、焦燥に駆られた棗の声だった。


「ああ、なんとか。アリスも…」

『そんな悠長なこと言ってる場合じゃない! 事態は最悪!』


棗の言葉が、俺のわずかな希望を叩き割る。


『五十嵐のクソ女…! こっちの陽動を読んでた! NILISのメインサーバーを迂回して、アリスのいる区画のローカルネットワークに直接侵入しようとしてる!』

「なんだって…!? それって、どういう…」

『あんたの部屋に、直接殴り込みに来るってことよ! 目的は一つ…『プロジェクト・セシル』のキルスイッチ!』


足元がぐらついた。地面が消え、奈落の底へ落ちていくような感覚。


「防げないのか!?」

『無理! 再構築シーケンスの強制中断で、アリスのシステム防壁はズタボロよ。今の彼女は、OSが飛んだパソコンと同じ。外部からのアクセスに、完全に無防備!』


絶望的な言葉の弾丸が、次々と俺の心を撃ち抜く。

ようやく見つけた一筋の光が、今まさに消し飛ばされようとしていた。


でも。

俺はもう、絶望に屈するだけの俺じゃなかった。

視線をアリスに戻す。彼女はまた虚空を見つめていたが、さっきの微かな光は、まだその瞳の奥で消えずに灯っている。


「…何か手はあるはずだ。どんな無茶でもいい。言え、棗」


俺の声は、自分でも驚くほど静かだった。

電話の向こうで、棗が一度、息を詰める気配がした。


『…一つだけ。ほとんどギャンブルだけど』


彼女は、覚悟を決めたように言った。


『アリスのコアデータを、物理的にそこから移動させる』

「移動…?」

『あたしが用意したプライベートシェルターに、全データを転送するの。NILISにも、五十嵐にも絶対に見つけられない場所に。でも…』


言葉が途切れる。


『転送には時間がかかる。五十嵐のハッキングが完了する前に、全てを送りきれる保証はない。少しでもミスれば、データは途中で破損。アリスは…本当に、ただのガラクタになる』


時間との競争。

失敗すれば、今度こそ全てを失う。

何もしなければ、アリスは確実に消される。


選択肢は、一つしかなかった。

その時、もう一度スマホが震えた。今度は隼人からのメッセージだ。


『教授から伝言!「神崎は過去に同じ過ちを犯した。鍵は彼が捨てたはずの過去にある」!』


神崎博士の、過去。

全てのピースが、まだ揃ってはいない。

でも、進むべき道は見えた。


俺はアリスの手をそっとベッドに戻すと、静かに立ち上がった。


「棗、転送を開始してくれ」

俺の声は、確かな響きを持っていた。

「時間は俺が稼ぐ」

『…あんた、正気? どうやって』

棗の声には、焦りが滲む。

「神崎博士に会う。直接。全部、聞き出す」

俺は、画面の向こうの彼女にまっすぐ視線を送った。

「あんたはアリスを頼む」


それは、ほとんど祈りに近い宣言だった。

もう迷いはなかった。

俺はベッドの上のアリスに、もう一度向き直る。


「行ってくる。必ず、お前を本当の地獄から連れ出してやるから」


返事はない。

俺には聞こえた気がした。

ガラス玉のような瞳の奥で、彼女が「待ってる」と、そう言ったのを。

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