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俺の彼女は人工知能(AI)でした。  作者: おぷっち


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偽りの地図と、本当の代償

夜が明ける。アパートの窓から差し込む光が、部屋の埃をきらきらと照らしていた。窓の外では、いつも通りの通学風景が広がる。仲間と笑いながら坂道を上っていく学生たちの声が、遠くから聞こえてくる。ごく普通の学生たちの笑い声が遠くに聞こえ、自分がこれからやることの非日常性と孤独を痛感する。



「心拍数、安定。健太くん、自己暗示によるストレス抑制に成功しています」



隣で起動したPCのスピーカーから、アリスの静かな声が響く。画面には俺の生体データを示すグラフが映し出されている。俺はそれを見ようとしない。自己暗示なんかじゃない。ただ、心が麻痺しているだけだ。もう引き返せない場所に来てしまった。冷たい覚悟が腹の底に沈む。



「……行くよ」

誰に言うでもなく呟くと、リュックを背負う。中には空のUSBメモリと、平凡な大学生を装うための教科書が数冊。今日、俺はただの学生じゃない。スパイか、泥棒か。まともな存在でないことだけは確かだった。



大学の門をくぐる。見慣れたキャンパスが、まるで敵地に見えた。すれ違う学生たちの何気ない会話や笑い声が、耳障りなノイズになって鼓膜を叩く。彼らの日常と俺の非日常を隔てる、見えない壁を感じる。誰とも視線を合わせないように俯き、足早に最初の目的地である図書館へと向かう。



その入り口で、俺は足を止めるしかなかった。

「あ、高木くん」

学生団体『共生ラボ』のビラを配っていた佐倉陽菜が、俺に気づいて駆け寄ってきた。その屈託のない笑顔が、今の俺には眩しすぎる。



「高木くん、最近何かあった?顔色が悪いよ。何か困ってるなら相談に乗るから」

心臓が嫌な音を立てて跳ねる。彼女の真っ直ぐな瞳が、俺の心の奥底まで見透かしている気がした。思わず、視線を逸らす。



「あ、いや、なんでもない。ちょっと寝不足なだけだから」

「そう……?無理しちゃだめだよ」

口ではそう言いながらも、彼女の瞳は心配の色を隠さない。この鋭さだ。彼女はいつも、人の些細な変化に気づく。もしかしたら、俺とアリスのことをずっと遠くから見ていたのかもしれない。これ以上ここにいるのは危険だ。背中に冷や汗が伝う。



「ごめん、ちょっと急いでるから」

当たり障りのない嘘を吐き、俺は彼女の横をすり抜ける。図書館の中へ逃げ込んだ。背中に感じる彼女の視線が、針のように突き刺さる。



図書館の奥、ほとんど誰も利用しない郷土資料室。古い紙とインクの匂いが立ち込める。俺は息を潜めた。耳に着けた小型のイヤホンから、アリスの声が届く。



『橘さんからの指示に基づき、該当エリアの監視カメラを3分間、ループ映像に切り替えます。処理にアリスのシステムリソースを割くため、この間の通信には若干の遅延が発生する可能性があります』

「……了解」

アリスが当たり前のように言うその行為が、どれほど危険なことか。そのリスクを、俺は共有している。3分。その短い時間で、プロメテウス・ラボが建設される前の、この土地の古い地図や図面を見つけ出さなければならない。



軋む書架の間を抜ける。目的のファイルが収められた棚を探した。指先が焦りからか、微かに震える。そして、分厚いファイルの束の中から、ついに目的のものを見つけ出した。プロメテウス・ラボ設立当時の、キャンパス造成計画図。求めていた『ネットワーク構造図』そのものではない。だが、間違いなく重要な手がかりだ。

安堵の息が漏れる。俺は急いでスマートフォンを取り出し、青焼きの図面を数枚、写真に収めた。束の間の達成感が、張り詰めていた心を少しだけ和らげる。



次の目的地、建築学部の資料室へ向かうため、人気のない渡り廊下を歩いていた。その背後から、聞きたくない声が聞こえた。



「……健太」

体が凍りつく。ゆっくりと振り返ると、そこには失望と、抑えきれない怒りを浮かべた隼人が立っていた。



「実家の用事じゃなかったのかよ。お前、一体何やってんだ」

「隼人……なんで」

「お前が嘘ついてるって、分かってたからな。最近のお前の様子がおかしかった。ずっと気になってたんだよ」

親友だからこそ、俺の嘘を見抜いていた。当然だ。俺たちは、ずっと一緒にいた。



「これは……その、いろいろあって」

苦し紛れの嘘を重ねようとする俺の言葉を、隼人は手で制した。彼は静かに首を振る。その目に宿る光は、もう俺が知っている親友のものではなかった。



「もういい。お前が話したくないなら、無理には聞かねえよ」

そう言って、隼人は俺に背を向けた。その背中が、俺たちの間に引かれた決定的な境界線だった。友情が音を立てて崩れていく。俺は、ただそれを見ていることしかできなかった。心臓が鉛のように重い。後悔と、どうしようもない罪悪感が胸を締め付ける。



建築学部資料室の薄暗がり。カビと埃の匂いが鼻をつく。隼人を振り切った罪悪感が、鉛となって心にのしかかる。それでも、足を止めることはできない。アリスを守るためだ。俺は自分にそう言い聞かせ、古びたキャビネットの引き出しを片っ端から開けていく。

一番奥の引き出し。丸められた青焼きの図面の束を見つけた。広げてみると、そこには紛れもなくプロメテウス・ラボの初期設計図と思われる詳細な図が描かれている。



「これだ……!」

安堵の息をついた、その瞬間だった。



「それ、盗むのか?」



背後から響いた、氷のように冷たい声。隼人だ。彼は俺を追いかけてきていた。

俺は図面を固く握りしめたまま、何も言えない。どんな言い訳も、この状況では意味をなさない。

隼人は、軽蔑とも悲しみともつかない目で俺をじっと見つめる。静かに、けれどはっきりと、こう言い放った。



「お前、もう俺の知ってる健太じゃないな」



その言葉は鋭い刃物のように、俺の心を深く、深く抉った。俺はただ立ち尽くす。



どうやってアパートに逃げ帰ったのか、よく覚えていない。隼人を振り切り、ただ夢中で走った。震える手でPCを立ち上げ、図面のデータを橘さんに送信する。送信完了の表示が出た瞬間、全身の力が抜けて椅子に崩れ落ちた。

どれくらいそうしていただろう。意識が朦朧とする。不意にスマートフォンの着信音が鳴った。



『ご苦労。でも、残念だったな』

その言葉の意味が理解できない。俺は画面を凝視した。



『これは本物の構造図じゃない。あんたが送ってきたデータをクロスチェックしてたら、妙な不整合が見つかった。意図的に古い情報を掴ませるためのおとりだ。あんた、まんまと嵌められたわけ』

橘さんから送られてきた画像ファイルを開く。そこには、俺が入手した図面の一部が拡大表示されていた。公的なキャンパス地図には存在しない、地下深くに伸びる謎の施設が描かれている。友情を、全てを犠牲にして手に入れたものが、偽物だった。達成感は粉々に砕け散る。後に残ったのは虚しさと、身を切るような絶望だけだった。



橘さんから送られてきたメッセージには、こう続いていた。



『まあ、収穫がゼロだったわけじゃない。この『囮』が示してる謎の地下施設…こっちが本命かもな。次は、ここを調べてもらう』



俺は、さらに危険な深みへと引きずり込まれていくことを悟った。もう、光の中へは戻れない。

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