黒幕
「お父様……」
「ウヌッ……伯爵様……」
俺を見ると、たちまち戦闘が中断される。どうやら、クリストファー・ラーマン伯爵という人物は俺が思っているよりも何倍も酷い奴のようだ。騎士団も傭兵も、俺を恐れている。
俺は真ん中を通って、教会に入ろうとする。
「いくら伯爵様とはいえ、息子の結婚には……」
トムが俺を止めようとするが、ひと睨みすると、
「な、なんでもありません……」
と引き下がる。
「お父様、大好きっ!!」
ニコールが青い瞳をキラキラさせて俺に抱きついてくる。やっぱり瞳の奥は凍っている。
「助けに来てくれたのですね。それでは、これをお返ししますわ」
ニコールは俺から借りた銃を返す。
俺は受け取ると、銃弾を捨ててから、銃を内ポケットにしまう。
「お、お父様、何をするのですか?」
俺は返事をしないで、教会のドアを開く。
すると、新郎のウイリアムと新婦のエマが誓いのキスをするところだった。
「騒がしいのが治まったと思ったら、今度は教会にまで入って来るなんて……。いくら伯爵様でも、止められませんよ。俺は死んでもいいから、エマと結婚します」
ウイリアムの目は本気だった。
でも、エマの目に覚悟はなかった。
「エマ、結婚してすぐに殺されても、俺たちの愛は永遠だよ」
ウイリアムがそう言うと、
「い、嫌よ。死ぬのなんてごめんだわ。私はただ、私は……」
とエマが拒絶して、うろたえる。
「私はただ、ニコールが欲しがっている物を奪いたかっただけなの」
俺はエマの言葉の続きを言ってやった。
「ど、どういうことなんだ? エマ、本当なのか?」
「お、お父様はいったい何を知っておられるのですか?」
ゆっくりとニコールが近づいて来る。
すると、教会にいた音楽団の1人が突然立ち上がる。
万年魔女のオフィスの近くでバイオリンを弾いていた少年だった。
その少年は、ニコールのもとに歩み寄り、
「ご、ごめんよ、ニコール。僕だよ、ウィルだよ。覚えているだろ。君に酷いことを言ってしまったウィルだよ」
「……」
ニコールは返事をできずに、逃げ出そうとする。
「待って!」
ウィルはニコールの腕を掴む。
「は、離してよ!」
「嫌だ! もう絶対に離すもんか! あのとき、ニコールが言っていたことは本当だったんだね。信じることができなくて本当にごめん。久しぶりにこの街に帰ってきて演奏していたとき、盲目のふりをして物乞いをしていた老婆がいたという話を聞いたんだ」
「今さらもう遅いわよ!」
「そうだね。遅いよね。遅すぎるよね……。でもさ、だからさ、その遅れた分の愛を、今の愛に足して、僕はニコールを愛することができるんだ」
ウィルはニコールにキスをする。
ニコールは拒まない。
何展開ですか? 途中から俺が考えていた展開と違うぞ。
俺は万年魔女のオフィスで映像を見ている途中で、ニコールから奪うようにバイオリンを買った女の子の執事が、誰だったか思い出していた。
そう、この教会にいてエマの“父親役”をしているこの男だ。
“母親役”をしているのは、きっとメイドなのだろう。
エマは貴族の娘なのだ。だから、靴屋を始めたのに売れなくても困ることはなかったのだ。
エマはきっと、近隣の国にまでそのイケメンっぷりが噂になっていたウイリアムが、ニコールと結婚することを知り、わざわざこの街に戻って来たのだ。あのとき、ニコールからウィルを奪い取ったときの快感を思い出して……。そして、そのニコールとウイリアムが結婚するのが許せなくて……。
俺はそのことをばらして結婚を台無しにすれば、ニコールとウイリアムがよりを戻して、ニコールが真実の愛に目覚め、善良な人間に生まれ変わるかもしれない……そう考えていたのだ。
ようやく、ニコールとウィルは長い長いキスを中断する。
「愛しているよ、ニコール」
「私も、ウィル」
「僕と結婚してくれるかい?」
「もちろんよ、ウィル」
そう即答したニコールの瞳の奥はもう凍っていなかった。
ニコールとウィルは誓いのキスをする。
牧師さんも、どうしていいかわからず茫然としている。
「ほらっ、ぼっーとしてないで、音楽で盛り上げてちょうだい!」
この声は! 妻のメアリーヌがいつの間にか、教会に来ていた。
すると、ウィルが誓いのキスを中断して、
「あっ、あなたは、僕に結婚式での演奏を依頼されたマダムではないですか? どうしてここに?」
多分、今ここにいる全員がそう思っている。
「娘の大切な結婚式ですもの。参列するのが当たり前でしょ」
す、すべて知っていたのだな!? なぜニコールが冷徹で非情な人間になってしまったのか……。いや、まて、そもそもそこから俺は勘違いをしていたのか……。
「もしかして、あの老婆……」
「ええ、私が仕込んだのよ」
「ええーーー!!!!!」
ニコールとウィルが息ピッタリで驚く。
「あなたは国を守る使命を背負ったラーマン一族の娘なのです。優しさだけでは国は守れないのです。またいつ戦争が始まるかわかりません。それまでに、ニコール、あなたは強くなる必要があったのです。私の期待通り、あなたはお父様にも負けないほどの冷徹さと非情さを身につけました」
これって、褒めているんだよな? そう言われると、褒めてもいいことなのかな? 俺もだんだんとラーマン一族の思考回路を身につけつつあるのかもしれない。
「そして、あなたは今、愛を知ったのです。真実の愛を。もう、大丈夫です。幸せになるのですよ、ニコール」
「お母様!」
ニコールがメアリーヌに抱きつく。
どうやら俺は警戒する相手を間違っていたようだ。
メアリーヌはとっくに、俺がなりすまし犯だと気づいていたのだろう。
寝ているふりをして、俺が朝、「クリストファー・ラーマン伯爵、クリストファー・ラーマン伯爵、クリストファー・ラーマン伯爵……」と復唱しているのを聞いていたのだろう。必死に笑いを堪えていたのかもしれない。
「楽しかったわよ、伯爵様。フフフッ」
やっぱりそうだ。メアリーヌはそう言うと、俺に別れのキスをした。入れ替わっているとはいえ、夫婦だからだろうか。なぜだか、俺にはそれが伝わった。
「古代の杖、ありがとうでちゅ」
えっ? メアリーヌ、今、何て言った?
2ヶ月間も昏睡状態だったらしい。
俺が目を覚ますと、恋人のサラが大粒の涙を流していた。
記憶が一気に蘇る。
音大の受験に失敗した俺は、自暴自棄になり、物乞いをしていた老婆のお金を盗んで逃げた。
すると、逃げている途中に、ボールを追いかけて道に飛び出した子供を見て、とっさに助けようとして……パトカーに……。
長い夢でも見ていたのかな。
ハハハッ。そんなわけないか。俺の口まで酒臭くなっているじゃねぇかっ‼︎
ニコール、ウィルと幸せに暮らすんだぞ……。そして、メアリーヌも結局一度も会えなかった本物のクリストファー・ラーマン伯爵と幸せに暮らしてほしいな……。
よし、怪我が治ったら、もう一度バイオリンを買いに行こう。