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維管束を毟って

 アネモネは僕と競うように足を速めて歩き、時々振り返りながら、言うこと聞かない家畜の尻を叩くみたいに僕の後ろへ回り込んで背中を押した。

 僕は頭を左右に揺らしながら、おそらく酷い猫背で、おまけに足の裏を地面に擦りながら、だらだらと続く山道を歩いている。

 空腹がどうも我慢ならなかった。奴隷と言う肩書を失った僕は、もはや空腹を理由に怠けることも厭わなくなった。


 アネモネは房になって実っていた果実を下から二つもぎ取って、その内のひとつを僕に寄越した。僕は掌にすっぽりと収まった果実を弄ぶ。

 外皮が赤黒く、酸化した血のような色だ。まばらに黄緑色の斑点があって、萼片と果梗の辺りも、やや黄色がかっている。


 アネモネは果実を両手で包み、両の親指を垂直に突き立てる。その後、僕に何か教える風に「いいかしら、ハンス? こうよ、こうするのよ」と何度も繰り返し言って、赤黒い果実に親指を沈める。

 彼女は親指を抜いて、左右に割った。中にぎっしりと詰まった維管束を、一本づつ指で剥がしていく。やがて紫色のまん丸い果肉が顔を出して、アネモネはそれを手の上で転がした。


「こうよ? わかった? この丸いのだけ口に入れるのよ。薄い皮があるからそれも剥くのよ。簡単でしょ?」アネモネはそう言って、薄皮を剥いた。剥いた皮を地面に捨てて、親指を舐める。


 僕は彼女がやった手順通りに果実を剥いていく。アネモネは僕の手を注視して「そうよ、そうするのよ」と何度もしつこく言った。それから小さい紫色の果肉を上へ放り投げて、口でキャッチした。果肉はアネモネの舌の先に当たって、コロコロと口腔に向かって転がっていった。彼女は実を長いあいだ舌の上に留めた後、奥歯で磨り潰した。


「気味の悪い食べ方をするんじゃあないよ」僕は維管束を毟りながら言った。


 彼女は「こう食べるのよ」と繰り返した後、口を窄めて砂粒ほどの種を吹き出した。種は樹木の幹にぶつかって、白と黒の斑な笠を持ったキノコの隣に落ちた。


「そういえばハンス。あなたはどこへ行きたいの?」


「ゴールデンパレスとノウザンクロス」


「ゴールデンパレスでは何をするのよ?」


「黄金の鉱石を取るんだよ。それ以外に無いだろ」


 アネモネは「ふうん」と鼻を鳴らして、歩みを速めた。


「きみは行き方を知っているのか?」僕はまだ維管束を毟っている。


「知らないわ、とうぜん。そんなの誰かに聞けばいいのよ」


「たとえば?」僕は言う。


「たとえば?」彼女も言う。


 夢中になって維管束を毟っているからか、僕らの距離は段々と遠くなっていく。僕はアネモネの歩調を憚らず、同時に彼女も白い繊維を毟っている僕を憚らなかった。互いに声だけが大きくなり、僕らは殆んど叫ぶみたいに会話をしていた。


「たとえば、そうね! クレヴァリーなんかがいいわ!」


「きみはクレヴァリーの居所を知っているのか!?」


「知らないわ! 年老いちゃいるけれど、奴は生粋の放浪人よ! 旅人とも言えるわ! 今もどこかを旅しているかも知れないのよ!」


「ヤヌザイの真似をするんじゃあないぞ!」僕はようやく維管束を毟り終わって、薄皮を剥き始めた。


「どうせ時間はあるのだから急ぐ必要はないわ! では先ず、ノウザンクロスに行きましょう!」


「ダメだ! 近くその辺りで戦火が上がるらしい!」僕は果実の薄皮を剥いて、一頻り観察する。紫色の実は透き通って、ちょうど真ん中に黒い粒が見えた。


「おそらく今朝には始まっているわよ!」


「なんだって!? 何できみにそんなことがわかるんだよ!」


「勘よ!」彼女は言う。


「勘よ!?」僕が言う。


 指で摘まんでいる果肉は嫌に硬く、どうにも食欲が湧かなかった。僕はアネモネがやった通り、実を真上に放り投げた。実は僕の鼻に当たって、顔の上を転がって、落下する。咄嗟に服の裾を広げて、実を受け止めた。僕はおとなしく口の中に運んだ。


「どこか港がある街から船でノウザンクロスまで行きましょう!」


「本気なのか!?」


 彼女は返事をしなかった。その代わりに羽をバサバサと動かした。塵が足元から流れて宙に舞った。


「オッカムは交易の街だから、海も空も船が出ているはずだ! つまり、ほんとうに行くのならだけど!」


 少し歩調を速めて、アネモネとの距離を詰めた。

 僕は紫色の実を舌の上で転がす。硬い実が外側から緩くなり、口の中に酸味が広がった。氷のように凝結していた蜜がゆっくりと溶けていく。唾液線から涎が溢れ、それに触れて緩くなった実は瞬く間に蜜へ変わった。

 僕は頷きながら、種を吹き飛ばす。なだらかな軌道を描きながら消えていった。


「ハンス見て、キャンプが張られている」


「なんだって!?」僕は大きな声で言った。


 アネモネは迷惑そうに右の肩を竦めて、顔を歪めた。「声が大きいのよ、ハンス。 おかしいのよ、まったくもう」


 前方の開けた場所に、屋根が尖がったティピーテントが張られていた。その裏側に炎が揺れて、何者かが薄暗い山の中に影を落としている。

 僕は構わず通り過ぎようと、足早にアネモネを追い越した。アネモネは首を回しながら焚火の方に視線を向けている。僕は歩調を緩めて彼女の隣に並んだ。そして肘で脇腹を突いて「ジロジロ見るんじゃない」と注意した。

 アネモネは肩を上下に揺らして「変な顔」と言った。僕は「あれは顔じゃないぞ」と小さい声で言った。


 キャンプの主は銀の串にキノコを刺して火で炙っていた。アネモネは立ち止まり、腹を擦った。腕を引っ張って「行こう」と言うと、彼女は黒い羽を動かして、僕の手を払った。


「あの変なヒトに火を借りましょうよ」


 僕は声を殺して言う。「ダメだ。僕は未だ嘗てあんなに変なヒトを見たことがないぞ。関わらないほうが賢明だ」


 キャンプの主は鳥のように首を素早く動かして我々の存在を認めた。キノコが刺された銀の串を焚火の傍に置いて立ち上がる。顔に被った木彫りの仮面を少し動かした。


「きみの所為で見つかったじゃあないか。なぶり殺されでもしたらどう責任を取るんだ」


「見てハンス。あの変なヒト小さいわよ。あたしの半分くらいしかないわ」


 確かにアネモネの言う通り、背は小さいようだ。けれど、半分と言うのは言い過ぎで、せいぜい彼女の肩の辺りほどだ。

 キャンプの主が被っている仮面は嫌に大きかった。仮面のデザインも異様で、出っ張った大きな目と縦筋の寄った大きな鼻がチグハグに並んでいる。一番特徴的なのが口だった。口と言っても唇では無い。分厚い唇があんぐりと開けられていて、その口の中から、一回り小さい新たな顔が覗いている。

 仮面は顔のパーツごとに原色で分けられていて、全体として何を貫いてこうなったのか、僕には考えが及ばない。


「もしもし、変なヒト。少し火を貸してもらえないかしら?」


「かまわんよ」仮面のヒトは、くぐもった高い声で言った。


 アネモネは僕を手招きして、仮面のヒトの斜向かいに腰を下ろした。僕は腰紐を外して、アネモネの隣に座った。

 イワトビトカゲはぐったりとしたまま動かない。先の割れた舌が白く変色していた。


「それは顔?」アネモネは仮面のヒトを下から覗き込んで質問する。


 仮面のヒトは「これはお面」と言い、串焼きのキノコを手に持った。仮面のヒトは仮面の顎のあたりを少し持ち上げて、キノコを食べる。


 僕がイワトビトカゲを火の中へ放り込もうとすると、仮面のヒトはポケットが沢山ついたズボンの中からナイフを取り出して、僕に寄越した。僕はそれに「ありがとう」と言う。


「あなたはこども?」アネモネが聞いた。


「どちらかと言えば大人」


「では、あなたの名前は?」


 仮面のヒトは最後のキノコを頬張って答える。「自分はシャキリ」


「シャキリ? 名前まで変なのね」アネモネはそう言って肩を揺らした。


 仮面のヒトは「ぬふぅう」と声を漏らしたあと、ゲップをした。

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