線
休日の朝
私は一人で家を出た 目的は 滝の方角
舗装が途切れ 砂利道になるあたりまでだ
特別な装備はいらない
歩き慣れた靴と 両手が空く程度の軽さ
川の音が 少しずつ近づいてくる
鳥の声
風に揺れる木の葉
それだけの道だ 足を止めると
頭の中に 別の音が混じる
「正式申請 受け付けます」
あの一言 淡々としていた
肯定でも 否定でもない
結果は まだや 分かっている
だからこそ 考えてしまう
書類は揃えた 嘘も無い 盛ってもいない
それでも 結果は外にある
滝の手前
水しぶきが届く場所で立ち止まる
勢いよく落ちる水
同じ場所を 同じように流れ続けている
胸の奥に 小さな緊張が残っている
怖い と言うほど大きくはない
でも 無いとも言えない
失敗したらどうなる
続けるだけや 答えは いつも同じだった
滝の音に
志向が少しずつ削られる
数字も 期限も ここにはない あるのは
流れと 湿った空気だけ
私はポケットに手を入れた
スマートフォンは出さなかった
連絡が来るなら来る
来ないなら それも時間だ
深く息を吸う 冷たい
肺の奥まで はっきり分かる
大丈夫や
怖いのはちゃんとやった証拠や
少しだけ 肩の力が抜ける
帰り道 同じ道を戻る
何も変わっていない
足取りは少し軽かった
私の休日は 何かを決める日ではなかった
待つ自分をちゃんと 保つための日だった
五月の末
公民館には いつもより人が集まっていた
「基本設計の説明会」と書かれた掲示が
入り口に貼られている 大袈裟な会ではない
椅子は円形に近い配置で
前方にホワイトボードと
数枚のパネルが置かれていた
菫は配布資料を揃えながら深呼吸をする
私は 設計事務所の担当者と
最後の確認をしている
「では 始めます」
私が立つ 声はいつも通り落ち着いている
「今日は 道の駅の 完成形 ではなく
最初に作る形 を説明します」
パネルがめくられる
そこには
旧小学校の校舎を活かした
配置図が描かれていた
「校舎の一部を改修し 休憩所 トイレ
情報コーナーを 整備します」
「直売は
当面は屋外スペースを中心に運用します」
ざわ と小さな空気が動く
「…思ったより 小さいな」
誰かが呟いた
私は 直ぐに頷いた
「はい 最初は小さく作ります」
設計担当が補足する
「将来 利用状況に応じて
増築出来る余白を残しています」
別の住民が手を挙げる
「駐車場は?」
「現時点で 普通車二十台程度です」
「少ないんちゃうか」
「多すぎても 維持できません」
私の返答は 短い
沈黙が一瞬落ちる
菫が 柔らかく続ける
「まずは 止まれる場所 を作る段階です」
「売上より
使い続けられることを優先しています」
後方で 農家の一人が言う
「派手な建物はいらん」
「続くかどうかや」
その言葉に 何人かが頷く
別の住民が 図面を指す
「災害の時は?」
設計担当が答える
「避難スペースとして使える設計です」
「備蓄も 段階的に整備します」
年配の女性が小さく言った
「トイレが増えるだけでも ありがたいわ」
場の空気が 少しだけ柔らぐ
「工事は何時から?」
「補助金の採択結果によります」
私は正直に答えた
「順調なら 今年度秋の着工を目指します」
期待と不安 何方もはっきり表情に出ていた
説明会の終盤
設計担当が静かに言う
「この施設は
完成した時がゴールではありません」
「使われ続けることが 完成です」
会は大きな拍手もなく終わった
人々は 図面をもう一度見てから
ゆっくり帰っていく
片付けをしながら 菫が言う
「思ったより 厳しい意見
少なかったですね」
「はい」
私は図面を丸めながら黒い筒に入れた
「でも」
「期待も 現実も 両方出ました」
公民館の外に出ると
夕方の風が少し湿っていた
翌日
公民館のロビーには説明会で使われた
画面のコピーが掲示されたままだった
放課後 村の高校生が数人 足を止める
「これ 道の駅のやつやんな」
「そうらしい」
図面を覗き込む
「思っていたより 普通の建物やな」
「普通でええやろ」
笑いながら
指で配置図をなぞる
「ここ 休憩所って書いてある」
「観光客が座るとこ?」
「地元の人もやろ」
その時 一人の女子生徒が言った
「ここで バイトとか出来るんかな」
「ありそう」
「直売とか?」
「カフェ出来たら 働きたいわ」
別の男子が 少し離れた場所を見る
「防災スペースもあるんや」
「災害の時 ここ集まるんかな」
「そうちゃう?」
図面を見つめる時間が 少し長くなる
「俺さ」
男子生徒が ぽつりと言う
「卒業したら 村出ると思う」
誰も驚かない
「でも」
「帰って来た時に
こういう場所あるのは ちょっとええな」
女子生徒が頷く
「分かる」
「何も無かったら 帰りにくいしな」
もう一人が図面を見ながら言う
「まだ 線だけやのにな」
「な」
図面の白い部分が
少しだけ眩しく見えた
「出来たらどうなるんやろな」
誰かが言う
答えは出ない
それでも誰もその場を直ぐには離れなかった
まだ形もない未来を
少しだけ 想像していた




