56話 ネクロマンサー
息を切らして、男がビルの裏道を走っていた。その顔には焦燥が見えて、周りを見る余裕もないほどにひたすら駆けている。
「くそっ、なんでいきなり接続が切れたんだ? 誰か強力な魔法使いがいたっていうのかよ。話がちげぇじゃねーか!」
苛立ちを言葉に乗せて、薄汚れた裏路地を駆け抜けて、細道に入る。そこは壊れた室外機が壁に貼り付けており、ゴミ箱が転がり、陽も刺さない。当初から予定されていた逃走路であった。
男はそこでようやく走るのをやめて、びっしょりとかいた額の汗を拭いつつ歩きにする。ここまでくれば大丈夫だ。そう考えており、事実人気もない。
『生命探知』
だが、念のためにと生命を感知する魔法を使う。周辺の生命の鼓動が明敏に感じられるようになり、敵がいないかを探る。しかし、ネズミや蜘蛛などの小動物以外の生命がいないことに、ようやく安堵の息を吐いた。
「焦ったぜ。誰も追っては来ないところを見ると、『ゾンビパウダー』の不具合だったのか? 使用時に変なところはなかったんだがな」
これが『ネクロマンサー』たる自分のしたことだと気づいた何者かがいるとすれば、きっと追いかけてくるだろうと後ろを振り向くが、シーンと静寂に包まれており、誰もいない。
考え過ぎで慌てすぎたかと、深く息を吐き、苦笑を浮かべる。
「なんだ、劣悪な『ゾンビパウダー』だっただけか。きっと効果時間が短かったんだな」
追手が来ないことから推察して、そうに違いないと呟く男であったが───。
「いえ、違いますわ。『ゾンビパウダー』は正常に効果を発揮していました」
どこからか機械音声らしき声が聞こえて、驚愕して身構える。
「誰だっ!」
ビルの狭間にある裏道。横幅は1メートルもない。ビル壁に挟まれていることで、前後のどちらかから聞こえて来たのだろうと視線を動かすが、誰もいないことに戸惑う。
だが、ピクリと肩を震わすと前方へと身体を投げ出すように飛び出す。地面へと手をつけて回転すると、振り向いて体勢を戻す。
そして、眼前に轟音と砂煙が発生し、顔を険しく変える。
たった今立っていた場所が砕けていた。もうもうと砂煙が起こり、コンクリートの細かい破片がビル壁や地面に転がっていく。そこには何者かが地面に足を突きこむ姿があった。
「勘が良いのですね、驚きましたわ」
まるで槍のように細い足を引き抜くとその者は振り向く。
「な、なんだぁ? コスプレヒーローのつもりか?」
袖から隠して持っていたワンドを持つと、口調だけはニヤニヤと余裕のふりをする。だが、軽い口調とは反対にその目つきは鋭く、相手へと警戒心を強く見せて構えており、油断を一切していない。
「コスプレヒーロー………そうですね、ふふっ、この姿なら特撮ヒーローでも良いかもしれません」
男の目の前に現れたのは、身体を完全に装甲で覆っている。隙間なく覆う虫のような漆黒の外骨格、その表面は虫のように波打っており、関節部分などの隙間も銀色に光る銀布が垣間見えて、その防御力の硬さが想像できる。そのフォルムはどことなく蟻を思わせる姿であった。
背丈は175センチくらいだろうか、その顔は仮面に覆われており素顔はわからない。声音も機械音声となっており、正体を隠すつもりなのは明らかだ。
だが、なによりも警戒するのは『生命力』を感じないところだった。『生命感知』を感じない、しかし死の匂いもしない。不気味な存在。男はなによりもそこに警戒した。
(俺がここに現れるのを知っていて、『生命隠蔽』をかけていた? それとも最初から隠れることを前提に『全隠蔽』を付与した魔法鎧を身に着けてんのか? わからねぇ……。ゴーレムの類ではなさそうだしな)
生命感知に引っかからないのは対抗策として『生命隠蔽』を使えば良い。だが、『マナ感知』などと違い『生命感知』はマイナーな魔法だ。『マナ感知』のように現在まで多くの人々に研究されて改造されたために、高度な感知機能を持っているわけではない。
マイナーなだけに研究もあまりされておらず、簡単に感知を防げるために、反対に誰も警戒しない魔法なのである。
だが、男はその類の魔法を得意としており、マイナーなだけに使い勝手が良かった。だからこそ対抗策を急に用意するのは難しい。
不死者でないのは『ネクロマンサー』たる自分ならどんなに『隠蔽』をしようとも、その死の匂いを感じ取れる。だが、その匂いを感じることはなく、それならばゴーレムかとも考えたが、地面から足を引き抜く動作と、振り向いて対峙してくるその様子は人間臭く、作り物には思えない。
思考を回転させて、推察していく。
「このデモを警戒していた奴らか。どこだ、雨屋の兵か? こんな小さなデモにも警戒するなんて用心しすぎだろぅが、おい?」
結論として、男はこの者があらかじめ警戒していた軍か警察の手の者だと判断した。そして、相手の様子を見ると、見た目と違い、優雅な所作で手を胸に添えて頭を下げる。
「雨屋ではなく、全世界のへーわを望む者たちです。たまたま通りすがったので、犯人を確保しようと思いましたの」
女性のような口調で、機械音声の者はゆっくりと顔をあげる。その顔は銀の仮面に覆われているが、男には嘲笑っているように見えた。なぜかその雰囲気に押されて、心が恐怖を感じてヒヤリとする。
「貴方は自然魔法派『黄泉平坂』の一員と思われますが、名を名乗って頂いてよろしいでしょうか?」
黄泉平坂は自然魔法派の中でも過激なテロ行為をすると噂の組織だ。男はその一員であり、見抜かれたことに舌打ちする。
「てめぇは名乗らねぇで、こっちの名前だけ聞こうってか。まぁ、良いだろう。俺は『黄泉平坂』の一人。『炎使い』のボーンだ」
目の前で見ても、マナの欠片も感じ取れない相手へと最大の警戒を持って、ワンドにマナを流し込む。
「自信満々で現れたようだが、一瞬で焼却してやる!」
『火球』
ワンドを敵へと向けて、火球を放つ。高熱の火球は一瞬で相手へと迫り、焼き尽くそうとする。
火球を迎撃するだろうと、男がニヤリとほくそ笑み、敵を見る。敵は火球を見て───素早くステップを踏んで、ビル壁を踏んで背面飛びで大きく上に飛びすさる。
立っていた横を輝線が走り、突風が巻き起こり、大剣が振りぬかれていった。敵の真後ろに鎧を着込んだ骸骨が現れたのだ。
火球は迎撃されることなく、大剣を振り抜いた体勢となっている骸骨戦士へと命中し、そのまま爆発することもなく、あっさりと消える。骸骨戦士の下位魔法無効化が働いたのだ。
「わざわざ炎使いなどと、ゾンビパウダーが使われた時点でネクロマンサーなのは分かっています。瞬時に召喚するその腕はお見事でしたが、小手先の技など通じませんよ」
骸骨戦士の頭上を超えて、体勢を崩すことなく敵は地面に足をつける。
火球に集中させて、敵の真後ろに下僕を召喚させての奇襲を仕掛けたのだが、読まれており舌打ちする。だが、それほどの腕前だとは推測していたために、ボーンはさほど動揺はない。
「そうだっ! 黄泉平坂の幹部たる『ネクロマンサー』たるボーンが相手をしてやるぜ。アンデッドナイト、壁を砕け!」
ボーンの命令に従い、骸骨戦士がビル壁に大剣を叩きつける。魔法付与されている耐久性の高いビル壁であったが、まるで発泡スチロールのように簡単に砕けて大穴が生まれる。ボーンはアンデッドナイトと共に、大穴へと飛び込む。
内部は使われなくなった駐車場であったのだろう。太いコンクリート柱が何本も立っているが、それ以外は何もなく、火災報知器が壁にぽつんと設置されているだけであった。
狭い裏路地では戦闘は不利だとボーンは考えて、場所を変えたのだ。ネクロマンサーの力は狭い場所では発揮できない。
駐車場の中心辺りで立ち止まり、アンデッドナイトを盾にするように前に立たせて振り向く。
虫のような戦士は大穴からゆっくりと入ってきており、小手に格納されていた2本の短剣を取り出す。
「その余裕、ネクロマンサーを前にしても怯むこともない様子から、かなりの強者だな?」
「私は『天地大柱』の荒御魂。荒御魂と戦えたことを喜び、今日と言う日を記念日にしてくださいませ」
「はっ、そうやって余裕の態度をとる敵とは何度も戦ってきたぜ。だが、その余裕の顔はすぐに恐怖の不細工な顔になっちまったがな」
「仮面をつけているのでわからないと思いますが?」
「『ネクロマンサー』の恐ろしさ、教えてやるよぉっ!」
『不死隊召喚』
ツッコミをスルーして、ボーンが指をパチリと鳴らすと、地面に11個の魔法陣が形成される。瞬時に描かれた魔法陣から、血で濡れたような赤黒い重装鎧を着込む骸骨戦士が次々と出現する。その召喚は数秒といったところだ。
合わせて12体のアンデッドたちが整列をして、大剣を構える。
「あら? 高位であればあるほど召喚には時間がかかったはず。随分と早い召喚ですのね」
ずらりと並ぶアンデッドナイトたちを見ても、恐れる様子もなく、荒御魂は不思議そうに言う。
『アンデッドナイト』はAランクオーバーのアンデッドだ。本来は早くとも数十秒はかかる召喚を数秒で行ったボーンに荒御魂は驚きの声をあげ、その驚きが聞きたかったのだと、自慢げに口元を歪ませる。
「俺の固有スキル『瞬間召喚』だ。『ネクロマンサー』とこのスキルの組み合わせの良さがわかるだろう。そしてぇぇぇ、これが無敵のコンボとなる!」
胸を張り、哄笑しながらワンドを掲げる。
『死の領域』
ボーンを中心に闇が地面を広がっていく。魂を掴まれて地獄に引きずり込まれるような闇は一瞬で元駐車場を染めていった。
そして燐のように闇の地面から小さな蛍のような光が浮いてくる。
「どうだ? この領域では敵の生命力と精神力を吸収していく。そして、吸収された生命力と精神力はこの俺に集まるという寸法だ。故に負けることはない必勝の陣! 『ネクロマンサー』に相応しい力と言えるだろう?」
この陣を前にしては、どんな強者でも、たとえ軍隊でも自分を殺すことはできない。現に何人もの敵をこの陣で倒してきた。負けることはないと確信の笑みを浮かべる。
「そら、徐々に命が削られる恐怖の中で死んでいきな! やれ、アンデッドナイト!」
「ウォォォ」
ボーンが命じると、アンデッドナイトたちは地獄から生者を憎む怨差の声をあげて走り出す。その数は3体。錆びた大剣を持って、荒御魂へと向かうが、その身体能力は凄まじく、たった数歩で間合いを詰める。
先頭のアンデッドナイトが上段から大剣を振り下ろす。大人でも持つことができない重量の大剣を軽々と扱い、その剣速は風を巻き起こす。
荒御魂へと振り下ろされた大剣はしかして、コンクリートに深く食い込み、破片を撒き散らすだけに終わる。
半身をずらして、ゆらりと揺れる柳のように躱すと、フラリと前に出てアンデッドナイトの首元へと荒御魂は短剣を入れる。スッと抵抗なくアンデッドナイトの首は切り落とされて、地に落ちていく。
「ウォォォ」
だが躱されることを予想しての、次の2体の大剣が迫る。一体は右からの横薙ぎで、もう一体は左からの袈裟斬りだ。
荒御魂は鋭い踏み込みとともに、身を屈めると横薙ぎを回避しながら、その両腕に左手の短剣を押し込む。多少の抵抗を見せながらもアンデッドナイトの両腕は切り落とされて、グラリと体勢を泳がす。
くるりと一回転して、荒御魂はその遠心力を味方につけて、右手の短剣をアンデッドナイトの頭へと振り下ろし、胴体と分断させる。
一瞬で2体の仲間が倒されたことにも怯むことなく、最後のアンデッドナイトが突きを繰り出す。まるで矢のように早く鋭い攻撃を前にして、荒御魂は短剣をちょこんとその先端に、高速の剣撃であるにもかかわらず、しっかりと合わせるとその軌道を大きくずらす。
そしてまるで通りを散歩するかのように、突きを崩されて横を通りすぎるアンデッドナイトの横を歩き、短剣を振るう。
最後の一体の首が落ちて、地面に倒れ込んだアンデッドナイトたちの鎧が金属音をうるさく響かせる。
「必勝の陣なのでは? これでは必敗の陣となりますよ?」
荒御魂の平然とした態度に、驚きを隠すこともなく、ボーンは今の戦闘を見て息を呑む。無駄の無い高度な戦闘技術であるのは、格闘戦に苦手な自分でも理解できたからだ。
「では、残り9体。精々楽しましてくださいませ」
楽しげな声で、荒御魂は短剣を構えるのであった。
◇
────ボーンから姿は見えないが、荒御魂の頭には仮想アバターの月ドールが座っていた。仮想アバターは人形へも移動できるのである。
その手には見た目だけだが、長方形のコントローラーを持ち、右隅のマイクに声を吹き込んでいる。マイク越しに機械音声となって相手へと伝わるのである。
その瞳はキラキラと輝いており、ふんふんと鼻息荒い。それは、ゲームがド下手な人間が神業プレイの実況動画をコントローラーを持ちながら眺めて、自分も神業プレイヤーだと思う様子に似ていたりするが、月はとっても楽しそうなので、優しいヨミちゃんはツッコむことはしなかった。
もちろんコントローラーには全く意味がない。単なる飾りである。




