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三十五話 本当の私(完)

アレクと出会った海の見える公園で自分の本心に気付いたリリアンは、もう一度アレクに会い気持ちを伝えたいと思った。

だからアレクが領地に帰ってくるまでに、アレクの前に立っても恥ずかしくない自分になっていたかった。

後悔することのないように、今の自分に出来ることは全てやるつもりだ。

手始めにリリアンは出来上がった試作品を友人に渡し感想を求めたところ、すこぶる評判が良かった。

今までリリアンが手掛けたどのザボンよりも友人達の反応が良く、ロマンティックな気分になれたと喜ばれた。

そこでリリアンは両親に相談し、早速商品化することになった。

バラの花を模った香りの良いもの、マカロンを模したパステルカラーの可愛らしいもの、香水のようにカッティングの美しい容器に入れた高級感のあるもの。

リリアンの提案で店の内装を一部変え、ティーサロンで供される高級なお菓子のようにディスプレイすることにした。

貴族のお姫様が使う高級品のようなザボンに、港街の女性たちはときめき、たちまち評判となった。

今までのサボンより小振りで、価格も2割ほど高くなったことから、売れ行きを心配する気持ちもあったが、逆にそれが女性たちの憧れと特別感を刺激する結果となり注文が殺到した。

商品が人気になっていく様子を見ながら、リリアンは嬉しさと同時に切なさを感じていた。

この商品はどれもアレクのおかげで出来上がったものだとリリアンは思っている。

アレクはリリアンだけでは行けない所に連れて行ってくれ、普通に生活していれば知ることのない世界を見せてくれた。

グランヴィル侯爵邸の内部や庭、港街の高級なティーサロン、仕立屋、ホテル、王都のお洒落な店、王宮・・・。

リリアンのザボンはアレクに連れて行ってもらった場所からインスピレーションを得て作ったものばかりだ。

アレクがいなかったら新しいザボンの発想は生まれなかった。

そして何よりリリアンの胸にときめきをくれた。

いつもリリアンを大切に扱ってくれ、まるでお姫様にでもなった気持ちにさせてくれた。

リリアンはアレクへの想いを形に残したいと思い、彼への感謝を込めて商品を作った。

そして港街の女性たちにもお姫様のようになれるときめきと喜びを味わってもらおうと思った。

それは大成功で、リリアンのザボンは港街の女性の間で注目の的となった。


その評判は侯爵邸にいるローザの元まで届いており、商品を届けに行った折にローザから賛辞を受けたリリアンは面映ゆそうに微笑んだ。


「ローザ奥様のおかげです。奥様のお言葉で自分の心に嘘をついていることに気付けて、苦しいだけの思いから抜け出せました」

「それで本来の自分に立ち戻って、この活躍ぶりというわけね?」

「もう一度アレ・・・侯爵に私の気持ちを伝えたいと思ったんです。だから侯爵の前に立つのに恥じない自分でありたいと、自分の好きなことを自分らしくやってみたんです」


リリアンは王都にいる時も港街に戻ってきてからも、ずっとどこかで自分を責めていた。

どうして私はアレクの相手として相応しいものを持っていないのかと。

身分、地位、商才、財力、容姿・・・その中のどれ一つとしてアレクと釣り合うものがない自分を、このままでは駄目だと責め続けていた。

だが自分の気持ちに嘘をついていたことに気付き、本当の気持ちを意識するようになると、以前アレクが言ってくれた言葉の意味がわかるようになってきた。

自分を責めるリリアンに、記憶の中のアレクが囁きかけてくれる。



そのままのあなたでいい


身分を気にして他の何者かになろうとしないでくれ


あなたが気にすることはあなた自身の気持ちだけでいい



自分で自分を責め続けていたリリアンに気付いていたアレクは、ずっとリリアンの心を守ろうとしてくれていたのだ。

アレクの愛情を今更ながらに思い知り、リリアンの心は震えた。

あの頃はアレクの想いをのせた言葉をちゃんと受け取ることが出来ていなかった。

アレクの言葉を信じきれていなかった。

だが今ならばアレクの言葉を信じられる気がする。

リリアンはただ自分を信じればいいのだ。

自分を信じて、自分の気持ちを大切にする。

それがアレクに相応しくある唯一の方法だとリリアンは気が付いた。


言葉にはしなくともリリアンの表情から何かを悟ったローザは温かい眼差しをリリアンに送った。


「リリアン。アレクが戻ってくる日を知らせてきたの。ちょうど一週間後よ」

「あと一週間で・・・」

「たぶん夕刻近くになると思うから、来週ザボンを持ってきてくれた後はそのままここで待っていればいいわ」

「奥様、でもその日だとアレクは疲れて・・・」

「大丈夫よ。馬車に座ってるだけだし、ああ見えて鍛えているし。帰ってきているのに会わないなんてモヤモヤして眠れないわよ」

「はぁ・・・」


ローザにおされてアレクが戻って来る当日に会えることになったリリアンは、もう今日から眠れなくなりそうだと密かに思った。







いよいよアレクが帰ってくる前日、リリアンは海の見える公園に来ていた。

アレクが帰ってくると教えてもらった日から今日まで待ち遠しく長かったようにも感じるし、あっという間だったようにも思える。

新しく作ったサボンが好評なため日中は忙しくて余計なことを考えずにいられるが、夜になるとアレクのことばかりが頭に浮かんでくる。

アレクと会ったら、何をどう伝えればいいのだろうとあれこれ考えを巡らせているうちに、夜がどんどん更けていくのだ。

なにを言っても傷つくのが怖かった自分を正当化する言い訳のようで、上手い言葉が見つからない。

だからリリアンは気持ちを整理するために、今日ここへ来た。

アレクとの思い出があるこの場所に来れば、自然と伝えたい言葉が見つかる気がしたから。

リリアンはベンチに座ったままアレクの瞳の色に似た空を見上げた。

身分に驕らず真摯に愛情を示してくれていたアレクを傷つけてしまったことに、リリアンの胸が痛む。

アレクに会えたなら傷つけたことを謝りたい。

そして何よりも感謝を。

リリアンの心をずっと大切に守ろうとしてくれていたこと、リリアンを愛してくれていたことへの感謝を伝えたい。

リリアンが王都を去ったあと、アレクがどうしているのか、すでにコーデリア嬢と婚約しているのかもわからないけれど、とにかくこの二つの想いだけは伝えたいとリリアンは思った。


気持ちがまとまり、そろそろ帰ろうかとリリアンが思ったとき、近くで馬の嘶きが聞こえた。

そして荒々しい蹄の音がどんどん近づいてくる。

この公園は馬を入れることを禁止しているはずである。

不安を覚えリリアンはベンチから立ち上がると、身を隠せる場所がないか辺りを見回した。

そうしている間に馬は近づき、リリアンがいる場所に繋がる歩道の前まで来てしまった。

馬から飛び降りる大きな着地音が響き、ベンチへ続く細道を大股で踏みしめる靴音が聞こえる。

人気のないこの場所に近づく不審な足音に身を強張らせたリリアンは逃げることもできず、ただその足音のする方向を凝視した。

伸びた草木を手で払いのけるようにして現れた姿を見て、リリアンは息を飲んだ。



「・・・アレク」


見開かれたリリアンの目に映ったのは、今この場所に居るはずのないアレクの姿だった。

騎馬の後のせいかいつもは艶やかなアレクの髪が珍しく乱れていて、こめかみには汗が光っていた。

驚きに固まるリリアンを真っ直ぐに見つめたまま、アレクは汗で張り付いた髪をかき上げながら一歩ずつ歩み寄る。

アレクがリリアンの目の前まで来たとき、リリアンは呆然と言葉を零した。


「どうして・・・帰りは明日じゃ・・・?」

「少しでも早く帰りたかったんだ。馬車の歩みでは遅くてもどかしいから騎馬で帰ってきた。あなたの店に行ったんだが、散歩に出ていると言われて。ここにいるんじゃないかと思った」


アレクの言葉にリリアンは瞬きをした。

王都帰りの侯爵がいきなり騎馬で押しかけて来るなんて、両親はさぞ驚いたことだろう。

そしてアレクがすぐに自分に会いに来てくれたこと、自分の居場所をすぐにわかってくれたことにリリアンの胸は熱くなった。


「アレク・・・ごめんなさい」

「リリアン?」


リリアンからの突然の謝罪にアレクは眉根を寄せた。

その謝罪はアレクの想いを受け取れないという意味に聞こえ、またもリリアンから拒絶されたのかとアレクは唇を引き締め、拳を握った。

アレクのその表情を見て、リリアンの瞳に涙がせり上がってくる。


「ごめんなさい、アレク・・・ごめんなさい」

「リリアン・・・」

「それから、ありがとうを言いたくて・・・」


突然のアレクの登場にリリアンは先ほどまで考えていた想いを必死に伝えようとした。

だがアレク本人を目の前にすると上手く言葉にならず、もどかしい。

自分の気持ちを伝えることに精一杯のリリアンは、突然謝罪と感謝を述べられたアレクの困惑に気付かず、さらに言葉を重ねた。


「今までありがとう。・・・それから・・・それから・・・好きなの」

「っ!!」

「まだ・・・好きなの・・・ずっと、好きなままなの」

「リリアン!」


感極まったアレクがリリアンを抱き寄せ、そのはずみでリリアンの瞳から涙が零れ落ちた。

リリアンは壊れた人形のように、「ごめんなさい」と「ありがとう」、そして「好きなの」を繰り返していた。

アレクはリリアンが懸命に紡いでくれる想いを漏らさないように、さらにきつく抱きしめた。


「私、傷つくのが怖くて、逃げて・・・あなたを傷つけてごめんなさい」

「もういいんだ、リリアン。謝らないで」

「本当はアレクの側に居たいの・・・。侯爵家の為に何もできることがなくて、アレクを困らせるだけかもしれないけど・・・それでもアレクが好きで・・・我儘でも、側に居たいの」


リリアンがもう一度ごめんなさいと口にしようとした言葉を飲み込むように、アレクの唇がリリアンの唇を覆った。

いきなりの力強い口づけを受け反射的に逃げようとしたリリアンの後頭部をアレクの手が優しく押さえ、なだめるように背を撫でる。

アレクの熱に押されていたリリアンだったが、やがてアレクの袖を掴みながら懸命にアレクに応えようとする。

その姿に煽られたアレクはますます強くリリアンの唇を求めることとなった。

力の抜けたリリアンを抱きかかえるようにベンチへ座らせたアレクは、彼女の手を握り、その瞳を見つめた。


「リリアン、私からも言わせてくれ。あなたはだた私のそばにいてくれるだけでいい。侯爵夫人としての仕事が手に余るようなら手伝える者を用意するし、サロンを無理に開くこともない。苦痛なら夜会への出席もしなくていい」

「でも、それだとアレクの社交範囲を狭めることになるのでしょう?私の存在がアレクの役に立たないどころか、社交の足枷になってしまう・・・。確かに夜会は慣れないけど、頑張れば何とか・・・」

「無理する必要はない。あなたが去ってから、私はもう一度あなたを迎え入れることが出来るだけの環境を整えてきた。夜会に出ようが出まいが侯爵家の力が衰えることはない。あなたはだたアレクシス・グランヴィルの妻であってくれたらいいんだ」


アレクはリリアンが自分の元を去ったとき、リリアンの心を守れなかった自分の不甲斐なさに歯噛みした。

だがずっと悲嘆に暮れていたわけではない。

リリアンをアレクの元から去らせる理由となった貴族社会との付き合い方を変えるべく動き始めたのだ。

情報交換や人脈作りが目的の夜会やサロンに出入りせずともやっていけるだけの社交関係の強化を図った。

ラルフにも頼り、身分差にこだわらない貴族や商会との連携を深め、確かな情報網を広げることで、リリアンを無理に貴族社会に引っ張り出すことをせずに済む環境を作っていった。

身分や伝統にこだわる一部の貴族からは疎まれたものの、アレクとしてはそんな柵からは解放されたいと思っていたのでどうということはない。

むしろ今までよりも素早く信頼性の高い情報を得ることに繋がり、そしてそれを有益に使える人物や商会との関係が強化されたことで、グランヴィル侯爵家の力はより盤石なものとなった。

夜会でリリアンを傷つけた女性たちは、アレクが手を回したと気付く術すらなく孤立していき、緩やかに没落していくことだろうが、それはリリアンに伝えなくてもいいことだった。

戸惑いと喜びの両方を浮かべて揺れる瞳を潤ませているリリアンの両手をアレクはしっかりと握り、懇願するように胸元に引き寄せた。


「リリアン。あなたをずっと大切にすると誓う。あなたが幸せであるための努力は惜しまない。だからどうか私と結婚してほしい」


胸がいっぱいのリリアンは言葉にならず、何度も頷きながらアレクに身を寄せた。

アレクの首筋からはミントとゼラニウムの香りがして、自分と同じ香りのはずなのに、アレクから立ちのぼるそれは何故かリリアンの胸を熱くさせる。

その香りをゆっくり吸い込むと、リリアンはようやく口を開くことが出来た。


「はい・・・ずっと一緒にいてください」


返事の代わりに贈られたアレクの優しい笑みをリリアンは一生忘れないと思った。

リリアンの唇に降りてきたアレクの唇は優しく、誓いの口付けのようで、この公園から見える空と海が二人の立会人になってくれたようだった。









アレクとリリアンの結婚後、海の見える公園で二人が出会い、ここで逢瀬を重ね、プロポーズをしたという噂がいつのまにか広まっていた。

静かだった公園は恋人たちの聖地と呼ばれ、そのベンチに座った男女は結ばれるとまで言われるようになった。

グランヴィル侯爵邸のバルコニーで頬杖をつき海を眺めていたリリアンはふいにため息を漏らした。

リリアンを後ろから囲うようにして立っていたアレクは愛しい妻のため息に僅かに首を傾けた。


「どうした?」

「あの公園のベンチ・・・行けなくなっちゃいましたね。・・・二人の秘密の場所だったのに」

「そうだな」

「アレクの息抜きの場所がなくなってしまいましたね・・・」


リリアンのため息の理由がわかり、アレクは温かい気持ちに包まれた。

その想いがリリアンにも伝わるように、アレクはリリアンを背中から抱きしめた。

二人だけの秘密の場所がなくなることは残念ではあるが、噂が広まり公園に恋人たちが押し寄せるようになる前からアレクはすでにあの公園に行く必要がなくなっていた。


「私はあなたがいる場所ならどこでも安らげるし癒しの場所になるから大丈夫だ」


もうあの公園で弱音を吐くことも、愛を囁くこともないかもしれない。

あの場所から始まったささやかな逢瀬は想いと共に積み重なり、そこを離れても揺るぎない絆として二人の記憶に残ればいいのだ。

秘密の場所よりも、何よりも大切なものがアレクの腕の中にある。

自分の為に憂いてくれる愛しい存在にアレクはそっと口づけた。

リリアンはアレクの言葉と態度でその胸の内を理解した。

だがらリリアンもあの公園以上の居場所をアレクに与えられるようにと、彼の唇に自信の温もりを分けた。


「海の見える公園で会いましょう。」はこれで完結となります。

お読みいただきありがとうございました。

前作「その愛を覚えてる」のアレクに幸せになってもらうために書いた作品でした。

なのでヒロインの名前をこだわってみました。

リリアン・ヴァレイと名付けたのは、実はお花のスズランが由来なんです。

スズランは英名Lily of the valleyというそうで、花言葉は「再び幸せが訪れる」。

別名 君影草、谷間の姫百合とも言うそうで、百合恵との「百合」繋がりも見えつつ、新しい幸せを見つけるアレクのお相手にぴったりかな~と。


そしてついにムーンライトノベルズに投稿してしましました(汗)

「その愛を覚えてるシリーズ~ムーンライト~」というタイトルで、これまでこちらで書いていた「その愛を覚えてる」「海の見える公園で会いましょう。」の中では表現を自粛していたラブシーンを書いていきます。

「その愛~」が終わってから時間が経っているので、今さら感があるかもしれないのですが、もう一度本編を読みつつ、ムーンライト版であの話の裏はこうだったのねと楽しんでいただけたらと思います。

18歳以上の方でご興味のある方は是非のぞいてみてください。

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