10話
男は力が抜けたのか、急に脚から崩れ落ちる。浩一は慌てて背中を支えると、男は寸前のところで自らの脚で踏ん張った。
「何から何まで助かったわい。後は自分で何とかする。お主は……」
「馬鹿! 何言っているんだよ、ここまで来て放っておけるか!!」
浩一は激昂する。それは両親を失い、1人でいる浩一だからこその言葉だった。
「……そうか、すまん。こぞ……」
男は戸惑ったように言葉に詰まる。初対面で、しかも命の恩人と言っても良い相手に小僧などと呼ぶのではあまりにも失礼だったからだ。
「ん? ……ああ、名前ね。俺は浩一。麻生浩一だ」
浩一は特に気にすることも無く自ら名前を名乗る。
「そうか、浩一か。ワシはア……いや、ワシのことは爺さんとでも呼んでくれ」
「爺さん?」
浩一は変に思う。確かに喋り方は変わっているが、見た目は老人と言えるものではなく、恐らく浩一自身とあまり変わらないであろうと思ったからであった。
「……そうじゃな。呼びにくいか。……バーンズと呼んでくれるか?」
「バーンズ?」
頭の中の辞書から言葉を探してみると、確か傷という意味の言葉だった。全身に傷を負ったこの男らしい呼び方だと浩一は内心で思った。
「まあ、良いか。バーンズさん、アンタ、なんでこんなところにいるんだ?」
「……戦いで、傷を負ってしまってな。逃げて、ここで死にかけていたところでお主が来てくれた、ということじゃ。助かった」
バーンズはほっとしながら言う。浩一はその状況から疑うことはしなかった。本日戦ったカインには左肩に大きな傷を負った以外には擦り傷や打ち身程度で済んでいるが、より強いカインとの戦いではより深い傷を負うことは容易に考えられたからだ。
「そうか。なあ、アンタ帰るところが無いなら俺のところに来ないか?」
「……お主の?」
「ああ」
浩一は彼を自分に重ねていた。戦い抜き、そして傷ついた彼を自分自身に。
「いや、お主にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかん。それにお主は……」
「ん?」
最後の方が聞こえず、浩一は疑問を口にした。だが、浩一にとって眼の前で死にかけている者を放っておくことは、出来なかった。また、本当はそれ以外にも理由があった。浩一自身はそれには気付きはしなかったが。
「とりあえず、そんな傷負ったままこんなところに居たんじゃ駄目だ。最低でも傷が落ち着くまでは家に居てもらうぞ」
浩一はそう言って背中を支え、バーンズの腕を首の後ろに再び通して無理矢理立ち上がる。
「じゃあ、行くぞ」
「……わかった。すまん、しばらく世話になる」
バーンズは観念したのか、項垂れながらもしっかりと歩きだした。浩一もそれに満足したのか、黙って歩いていく。
「こっからしばらく歩くけど、大丈夫か?」
「問題はない……。それより、ワシはこの格好じゃ。あまり人気のない道を、歩けるかの?」
バーンズの言う事はもっともだった。裸に近く、その上全身傷だらけでいる。この恰好を誰かに見られれば、警察に通報されても決しておかしいことではなかった。ましてや病院に送られて身体でも調べたら大変なことになることは目に見えていた。
「分かった、出来るだけ人気のないところを通るよ」
「頼む」
田舎であることと夜であった事が功を奏したか、物陰に隠れながらゆっくりと進んでいくことで、誰にも咎められることなく進むことが出来た。
「ふう、後少しだな」
浩一とバーンズの2人は、最初に浩一が居た公園にまで来ていた。ここまで来れば、後は田舎の街灯も無い道を歩いていけば良いだけである。時刻も既に10時を回り、辺りはすっかり静けさに満ちていた。2人とも公園の入り口から少し離れたところにあるベンチに座って休憩を取っていた。傷だらけのバーンズにあまり無理をさせ続けるわけにはいかないと言う浩一なりの配慮であった。
「後少しで帰れるから、もう少しだけ踏ん張ってくれ」
「ワシのことは気にするな……。それよりお主の方こそ大丈夫なのか?」
バーンズは浩一に聞く。ここまでバーンズを支えながら、バーンズにペースを合わせてゆっくりと歩いてきた。その上、誰にも見つからないように常に細心の注意を払ってここまで来たのだ。当然、心身共に掛かる負担は大きかった。
「フゥ、ハァッ。……ああ、大丈夫だ。こっから先で、誰かに見られることなんてないし」
と、その時だった。遠くからバイクの音が聞こえる。それも小型の原動機付自転車のようなちゃちなものではなく、長距離走行用の大型バイクの排気音だ。
「ん?」
浩一は音のする方向を見てみると音の通りの大型バイクが公園の入り口の手前で止まっていた。黒いオートバイで、バイクに詳しくはない浩一は知る由もないがツアラーと呼ばれる長距離走行を前提とした大型バイクである。
「……」
ライダーはオートバイと同様の黒いライダースーツに黒いフルフェイスヘルメットと黒一色で統一されている。その表情はヘルメットのせいで全く見えなかった。しかし、身体のラインがしっかりと見えるライダースーツは搭乗者が女性であるということを教えてくれた。
「何だ一体……?」
「……」
バーンズは何かに緊張しているのか、左手の親指に爪を突き立てている。それに浩一は気づいてはいなかった。
「バーンズさん?」
「……浩一」
「……」
浩一がバーンズに話しかけた直後だった。バイクは再び大きな排気音を上げて走り出す。バイクが走り去ったことを確認した後、バーンズは緊張が解けたのかガクリと肩を落とす。
「ふう……行ったか」
「バーンズさん、どうかしたのか?」
「いや……何でもない。ワシも後は自分で歩ける。済まぬが案内してくれるか?」
「そうか? ああ、わかった」
浩一は疑問を感じながらも立ち上がるとバーンズも立ち上がりゆっくりと歩き出す。2人はゆっくりと歩き、浩一の自宅のアパートへと向かって行った。
排気音を上げて走り続けていた漆黒のバイクは浩一とバーンズが居た公園から10キロ以上先にある山の中腹の休憩所に居た。既にバイクのエンジンは切られており、ライダーは黒いヘルメットを取る。その下には蒼い髪の少女、川島瞳の顔があった。
「……ふう」
瞳はヘルメットをバイクのハンドルに掛けると、ポケットから携帯電話を取り出す。あらかじめ登録していた番号に電話をかけると3コール目で電話がかかった。
「……はい、私です。……ええ、はい。……ええ、そうです。……はい。分かりました。……え?」
そこで瞳の表情が曇る。それは戸惑いであり、苦痛のような表情だった。
「……明日、ですが? しかし……はい、分かりました」
その一言で電話は切れてしまった。瞳は携帯電話を仕舞い、景色を眺める。田舎なだけあって、都会と比べて人口の光の少ない街。されど、空から降り注ぐ星の自然な光が輝く街。自分は決して嫌いでない街。友達も出来た。たった2日の高校生活。
だが、それももうすぐ終わる。
「……麻生君」
何故か呼んでしまった。何故かはわからないが、呼ぶと少しだけ気が楽になると同時にものすごく心が痛んだ。
「……」
彼女は再びヘルメットを被り直すとバイクに跨り、エンジンを掛けて再び走り出す。ただ、当てもなく、彼女は朝まで走り続けていった。




