22.
近づいて見て、古いスポーツカーだと分かった。
(ニッサン・240Z……それもサファリ・ラリー仕様かよ)
元来はスポーツカーらしく低重心だったボディの車高を、アフリカ・サバンナを走らせるためにあえて持ち上げて肉厚のオフロード・タイヤを履かせた競技モデルだ。
(まあ、本物の筈がないから、模倣車だろう……それにしても再現度が高いな)
スポンサーのロゴ・ステッカーやゼッケンの類こそ貼られていなかったけれど、派手な赤黒のツートーン・カラーに塗られたボディの先端には、ご丁寧に追加ヘッドライトまで装備されていた。
「なんか凄そうな自動車だけど……」サトミが僕に尋いて来た。「やっぱり、古いの?」
僕は頷いた。「1970年代……フェンスの向こう側に積まれてる廃車と同じ時代の物だ」
路上に停車している240Zの横を徐行で通過して、その前方に自分のジムニーを縦列駐車させるような格好で、一旦停車させた。
「向こう側の錆び錆びな自動車たちと違って、ちゃんと走りそうだね」サトミが呟くような声で言った。
……そうだ……
同じ1970年代製でもこの240Zは、向こうの廃車置き場に積み上げられたクズ鉄とは明らかに違う。
キレイに塗装され、傷や凹みの類も無い。
たったいま工場から出てきたばかりの新品です、って言っても通用しそうな程のコンディションだった。
そして何より、このラリー・カーはフェンスのこちら側、僕たちのジムニーと同じ路上に停車している。
(つまり『誰か』が一本道を運転して来て、ここに停車させた、って事だ)
横を通り過ぎるとき、車内を覗いてみた。
……運転席にも助手席にも、誰も乗っていなかった。
240Zの前にジムニーを停車させた僕の顔を見て、サトミが「どうしたの?」と不安げな声を掛けて来た。
僕は振り返って、停車している240Zの真横あたりのフェンスを指さした。
「フェンスのワイヤーが切られている」
「ええ?」サトミも振り返って、僕の指さす方を見た。「あ、本当だ……」
メッシュ・フェンスの編みワイヤーの一部が切られて、ちょうど人間ひとり分の裂け目が出来ていた。
「誰かが、このクズ鉄屋の敷地内に侵入した痕跡かもしれない……例えば、この赤黒の自動車の持ち主が、大きめのペンチとかワイヤー・カッターを使ってフェンスの網目を切って、この廃物処理施設の敷地内に不法侵入してる、って可能性もある。だとしたら、その不法侵入者は今まさにこのフェンスの向こう側にいる」
僕の言葉に、サトミの手が無意識にドアの内側に伸びて指先がドア・ロックの施錠を確認した。
助手席のドアにロックが掛かっていると分かって一瞬ホッとした表情を浮かべ、次の瞬間また不安げな表情を作って、サトミが僕を見た。
「ねぇ……なんか、危なそうじゃない? 早くここから離れようよ」
「ああ……」
頷きながらも、僕は迷っていた。
この『迷いの森』の中を延々二時間も走り続けて、ようやく見つけた『人間の痕跡』だ。
廃棄物処理業者にしろ、駐車している240Zの持ち主にしろ、誰かと会って話が出来るのなら、その人たちから情報を得たい。
ここは一体どこなのか?
この森の歪んだ空間から脱出するには、どうしたらいいのか?
……反面、この廃棄物処理場と、道端に停車しているスポーツカーの佇まいに何か不気味なものを……『危険の匂い』を感じていた。
「ねぇ、なんか、ここ、ヤバいって。離れた方が良いって」サトミが繰り返した。
助手席を見ると、彼女が心配そうな顔で、僕を見つめていた。
急に……彼女を危険な目に合わせちゃいけない……僕が、彼女の安全を守るんだ、という思いが湧いた。
なんでその時そう思ったのかは、分からない。
「うん……そうだな」僕は彼女に頷いて見せ、再びエンジンを掛け、ソロソロとジムニーを発車させた。
道沿いに続いていたフェンスが終わり、廃棄物処理業者(?)の敷地が後方へ遠ざかっていく。
(あのクズ鉄置き場に誰かが居たとして、僕のジムニーを見られただろうか?)運転しながら、心の中で自分自身に尋ねてみる。(それとも気づかれずに済んだか?)
視界を遮る相変わらずの豪雨に、エンジン音をかき消す雷鳴。
三十メートルも離れていれば、お互い、相手に気づかなくても不思議じゃない。
クズ鉄屋を後にして、さらに一時間、僕らは深い森の道を走り続けた。
(このまま走り続けていても埒が明かない……燃料を無駄に消費するだけだ)
ふと、バックミラーに目をやった。
僕らのジムニーの後方……降りしきる雨のカーテンの向こう側に、一瞬、何かが見えた気がした。
前方に注意を払いながら、もう一度、あらためてバックミラーに目を凝らす。
(……やっぱりだ……付かず離れずの距離を置いて、何かが僕らの後を追けている)
「サトミ……」僕は、バックミラー越しの後方と進行方向を交互に見ながら、助手席のサトミに声をかけた。「振り返って、後ろを確認してみてくれ」
「えっ?」
「後ろに何かいるみたいなんだ……誰かに追けられている」
「ええっ!」
サトミが慌てて振り返り、リアハッチのガラス越しにジムニーの後方を確認する。
「本当だ……あれ……さっきの赤黒の自動車だわ……さっき、クズ鉄屋さんのフェンスの前に停車していた赤黒のスポーツカー」
「やっぱり、そうか……」
「雨の向こう側に隠れるようにして、一定の距離を保って私たちの後を追けてるみたい……ど、どうする?」
「どうする? って言われても、どうしようも無いだろ」
「そんな……」
「腐っても鯛……半世紀前の自動車でもスポーツカーは、スポーツカーだ。こんな真っ直ぐの平らな道じゃ、僕のジムニーは、あの240Zに敵わないよ……それにあの外見……中身も相当にチューンナップされてる可能性が高い」
「に、逃げきれないってこと?」
サトミの問いに僕は頷いた。
彼女は、自分のジャケットの懐に手を入れた。
例の光線銃を使う気だ。
「やめろよ」言いながら、僕は、助手席に座るサトミの肘あたりに自分の左手を当てて、銃を抜こうとする彼女を制止した。
「この銃で撃って、動けなくしちゃえば良いじゃん」サトミが不満げな表情で僕を見て言った。「あんな古いポンコツ自動車、この銃ならイチコロだよ」
「あの240Zの運転手が僕らに危害を加えると、決まった訳じゃない」
「そりゃあ……そうだけど……何か危ない事されてからじゃ、遅いじゃん……先手必勝って言葉もあるし……」
「それに……古い自動車だからこそ、そのサトミの銃は、ヤツには通用しない」
「ええ? どういう事?」
「対象物が機械の場合、その銃は、制御している内部のコンピュータに作用して機能を停止させるんだよな?」
「そうよ……パパがそう言ってた」
「あの240Zには……おそらくコンピュータが搭載されていない。だから、いくら撃っても、お前のその銃は効かない」
「そんな……まさか……」
「僕の記憶が正しければ、自動車がコンピュータ制御されるようになったのは、1980年代からだ……あの240Zは1970年代製。つまりコンピュータが広く普及する以前の車体なんだ。燃料の気化は機械式のキャブレータ、点火制御はカムシャフトに接続された接点式のディストリビュータ……各種計器類も、機械式か、そうでなければ単純で原始的な電気回路だろう……精密電子部品は一つも使われていない」
「相手が原始的過ぎて、私のこの銃じゃダメージを与えられない……ってことか」
「自動車を走らせるために必要な要素技術は既に十九世紀末には確立され出揃っていたんだ。ただ動かすだけならコンピュータなんて必要ない……クルマってのは、案外、古い発明品なのさ」
「それは……分かったけど……じゃあ、どうするの? ケンゴウくん?」
サトミが僕の顔をジッと見つめて言った。
どうすれば良いんだ?
他に誰も居ない、逃げ場所も無い、雨の一本道。
見えるか見えないかの距離を保って、僕らのジムニーを追ける謎の自動車。
ヤツが本気を出せば、おそらく僕のジムニーなんか、あっという間に追いつかれる。
サトミの銃は、ヤツには効かない。
……どうすれば良い? どうすれば……




