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16.

 蒸し暑い空気の充満する大温室の中を、僕らは木々をかき分けるようにして奥へ奥へと進んだ。

 人ひとりがどうにか通れる幅の、くねくねと曲がる細い道をしばらく歩くと、突然、目の前に木造の小屋みたいな建物が現れた。

「温室の中に……建物? ええ?」サトミが(つぶや)いた。

 つまり、一番外側に金属の骨格とガラス板で出来た巨大な温室があり、その中は鬱蒼(うっそう)とした熱帯の森(ジャングル)が人工的に再現されていて、さらにその人工の森の真ん中に小屋が建っている……という入れ子状態になっているんだ。

 その小屋は木造の平屋建てで、小屋といってもそれなりの大きさがあり、むしろ家と言っても良いくらいの大きさがあった。

 ヨーロッパ風の赤い瓦の屋根に、縦長の上げ下げ窓、それでいて壁は黒い焼き杉板という、まさに和洋折衷の建物だった。

 サトミの、僕の手を握る力が少しだけ強くなった。

「ねぇ……温泉カフェ〈富士桜亭(ふじざくらてい)〉って、これの事じゃない?」

「うん。そうかも知れない。奇妙って言えば奇妙なデザインだけど、なかなか洒落た建物だな」

「そうかな……ちょっと静か過ぎない? ちょっと不気味な感じがする」

「まあ、せっかくここまで来たんだ。中に入って何か飲んで行こうよ。腹も減ってるし」

 僕らは、その木造平屋和洋折衷の建物に近づき、スイングドアを押し開けた。

 扉の向こうは、二畳ほどの風除室になっていて、向こう側に、もう一枚ガラス扉があった。そのガラス扉を開けて中に入る。

「へええ。結構、良い感じじゃないか」僕はサトミに言った。

 二十世紀初期のアール・デコ様式と南国調の入り混じったデザインというか、レトロとモダンの入り混じったデザインで内装も調度品も統一されていた。

 テーブルが四つ、奥にカウンター。

 並んだ窓から外光が入って店内は明るく、掃除も行き届いていて清潔だった。

 冷房も良く効いていて、涼しい。

 カウンターの向こうに、いかにもバーテンダーといった黒ベストと蝶ネクタイの初老の男が一人。

 カウンターに立つそのバーテン風の男はこの店のオーナーだろうか?

 それとも、この建物も温泉施設の一部で、彼は施設に雇われているだけなのか?

 どちらなのか僕には判断がつかないけど、仮に、彼をこの喫茶店の店主(マスター)と呼んでおこう。

「いらっしゃいませ」

 マスターが僕らを見て言った。

「あ、人間だ」ちょっと驚いた風に言ったサトミが言った。

 僕は「しっ! そんなことを声に出すなよ」と(たしな)めた。

 まあ、しかし、サトミが驚くのも無理ない。

(この世界では、もう絶滅寸前の希少種になってしまった種族……僕らと同じ『人間』が、こんな場所に居るなんてなぁ……しかも喫茶店のマスターかよ)

「えっと、二人です」僕は指を二本立てて、僕らの人数を知らせた。

「お好みの席へ、どうぞ」

 僕らは外の景色|(といっても、巨大温室内に造られた人工の森だ)が良く見える窓際の席に座った。

 マスターが水とメニューを持って来た。

「今日は特別な日です。全ての飲み物と料理を無料で差し上げます」

「ええ? 本当ですか?」メニュを広げようとしていた僕は、驚いてマスターを見上げた。

「はい。このカフェ〈富士桜亭(ふじざくらてい)〉での、私の仕事は今日が最後になります。今日いらっしゃったお客様には、全ての品を無料で差し上げようと決めていました」

「このお店、閉店しちゃうんですか?」

「いいえ。私がこの仕事から引退するだけです。明日からは別の者が営業を引き継ぎます」

「はぁ、そうなんですか」

「ごゆっくりお選びください」

 そう言って、マスターは一旦(いったん)カウンターへ戻った。

「ラッキーだね」サトミが小さな声で言った。さっそくメニューを広げて見ている。

 メニューを読む彼女の目は、キラキラ輝いていた。

(子供のように純粋な目……て言うより、獲物を狙うハンターの目だな、こりゃ)

「な、ん、に、し、よ、う、か、なぁ……うわ、すごい、当店のジュースは全て百パーセント果汁です、だって」

 そう言いながらドリンクを物色するサトミから、自分のメニューに視線を下ろし、僕は何か食べ物は無いだろうかとページを()った。

富士桜亭(ふじざくらてい)サンドウィッチか……『看板メニュー』ってやつだな……地元Y県産和牛ローストビーフに、地元産レタス、地元産トマト、地元産アボカド使用か……ふうん、和牛にレタス、トマトは分かるけど、アボカドなんてのもY県で()れるのか」

 なかなか美味(うま)そうだ。

 値段を見ると、それなりに高い数字が書いてあったが、何、今日は全品無料の特別デーだ。いっちょう頼んでみるか。

「それからコーヒーだな……ええと……へええ、自家焙煎してんのか……百パーセント地元富士山麓の豆を使用」

 日本産の豆? 富士山麓? キリマンジャロやらブルーマウンテンなら名前くらいは知ってるが、富士山でコーヒーが採れるなんて話、聞いたことないぞ。

「サトミ、決まった?」

「うん。スペシャル・トロピカル・ミックス・ジュース」

「いきなりミックス・ジュースかよ……単品で頼んでそれぞれの果物の味を楽しんだ方が良くないか? いくら頼んでも全品無料(ただ)なんだから、次々に別の果物を頼んで行けば良いじゃん」

「うーん……でも、もう心がミックス・モードになっちゃったからミックスで良いや」

 カウンターを見た。マスターと目が合った。(すぐ)にマスターが注文を取りに来た。

「ええと、彼女にスペシャル・トロピカル・ミックス・ジュース……と、僕は、富士桜亭(ふじざくらてい)サンドウィッチってやつと、それからコーヒー」

 そこで、突然、気づいた。

「……そうか、温室だ……」

 言いながら、僕は、あらためてマスターの顔を見上げ、自分の推理を言ってみた。

「ひょっとして、ここに書いてある食材って、全部、この巨大な温室で採れた物ですか?」

「はい」

「ええ? そうなん?」サトミも驚く。

「はい。この五棟ある大温室で、ほとんどの食材を栽培しています」

「ここに書いてあるトロピカル・フルーツ全部に……コーヒー豆まで?」

「はい……本来なら、これだけ巨大な温室の温度を維持するためには莫大な量の燃料を消費せざるを得ません。しかし、この地下には高温高圧の温泉地下水脈が流れていまして、その地熱を利用することで、最小限のエネルギー・コストで温室を運営できます。さらに太陽光と同じ波長成分のLEDライトが天井に設置されていて、地熱自家発電を使ってそれを点灯させる事で、冬場の日照時間の短さを補っています。南国から日本までの輸送を考えると、この温室で育てたコーヒーやトロピカル・フルーツの方が(むし)ろ低コストな位です」

「すごいな……」

「では、調理してきます」

 マスターはそう言って、カウンターに戻った。

「ジャングルのような巨大温室に、そこで育てられたトロピカル・フルーツに、コーヒーか……」

 僕は窓の外を見た。

 木々の生い茂る窓の向こうは、ここから見る限り、まさに熱帯雨林のジャングルそのもの、といった感じだった。

 この喫茶店(カフェ)の椅子に座って外を眺めているうちに、ここが日本のY県で、富士山の(ふもと)だって事を忘れてしまいそうだった。

 しばらくして、サンドウィッチと飲み物が運ばれて来た。

 サンドウィッチはボリュームたっぷりで、コーヒーはアッサリとした中にもしっかりとしたコクと香りがあって、どちらも旨かった。

「うわっ! 濃厚!」

 ミックス・トロピカル・ジュースを一口飲んで、サトミが嬉しそうに言った。

「これ、きっと、いわゆる完熟ってやつだよ……美味しいわぁ……」

 た、たしかに、美味(うま)そうだな……そのトロピカル・ジュース……

 隣の芝生は青く見える。

 他人の注文した料理は美味そうに見える。

 これ食べ終わったら、僕もトロピカル・ジュース頼もうっと。

「ケンゴウくんも、飲んでみる?」サトミが飲んでいたトロピカル・ジュースを僕の方へ差し出した。

「え? 良いの?」

「うん。良いよ。あんまり飲んじゃダメだよ。一口だけね」

 一口飲んでみた。

 うおっ、このフルーツの味と香りっ! 濃厚っ!

「いぇーい、間接キッスぅ」サトミが僕を見て言った。

「お前、自分でジュース(すす)めといて何言ってんだよ。小学生かよ」

「さて、ここで問題です。いま私の唇は何味になっているでしょう?」

「はぁ? 知らねぇよ。そんな事」

「良いから、言ってみ」

「トロピカル・フルーツ味……?」

「さて? どうでしょう?」

 何で、はぐらかしてんの?

 何で、思わせぶりな表情つくってんの?

 ……てか、この遊び、何?

「自分で確かめてみて」

「え?」

 そ、それ、どういう意味?

 そのとき、喫茶店の扉を開けて、誰かが入ってきた。

 反射的に、僕は視線をサトミから、その新たに入ってきた客へ移した。

 新たな客は……尖った頭に……ピカピカ光る目の……

「ベンベロ、ズルベロロン、ベロベロ」


 ……だから、何なんだよ、この展開。

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