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美馬精神病学科のオンラインクリニック  作者: 端山 冷
第一病霊 『スチューデント・アパシー』
8/62

警察



「……帰ってくれ!!」




 会場に着いたとたん、男の怒声が響き渡った。その声に体が凍りついたように動かなくなる。周囲の騒めきもピタリと止まり、まるで水の中にいるかのような冷たい静寂が辺りに漂う。


 恐々と首をすくめてそっと辺りを見回すと、受付の近くでなにやら幾名かの男たちが揉めているのが分かった。その中には、この式の主催者である『高木 皆子』の父親の姿も見え、彼は口の端から泡を飛ばし一方的に罵声を浴びせているようであった。


「お兄ちゃん。あれ警察じゃないかな?」


「まだ、皆子のこと調べていたんだな」


 皆子の父がこの場から追い返そうとしているのは、俺たちではなかった。スーツを着ていても見て取れる、堅気とは全く違う雰囲気を持った男たち。それは幾度か俺たちも対峙したことのある国家権力。

 恐らく八尋と国彦の予想通り、警察の人間で間違いないだろう。


 思わず顔を見合わせた俺たちは、だがいつまでも会場入口に留まるわけにもいかず、俯きながらその集団の隣を足早に通り過ぎようとした。


 と、すぐそばで「あの子たちだ」っと小さく囁く声が聞こえた。こちらを凝視する視線を感じ、顔を上げた先に見つけたのは三年前とは違った刑事のものだった。



「よう来てくれたね。三人とも」


「おばさん、ご無沙汰しております」

 

 俺は頭を下げながら、皺が深く刻まれた棒のような手を見つめた。皆子の母親は会場の入口を見やって困惑の表情を浮かべている。彼女もまた、あの招かれざる客にどう対処すれば良いのか未だ決めかねているようであった。


「ごめんねぇ。バタバタしてるところ見せて。ここはいいから早く部屋でくつろいでてねぇ」


「ありがとうございます。そうさせて頂きます」


 国彦がそう言って懐から香典を差しだす。俺と八尋もそれに倣い、用意していたものを取り出した。皆子の母親は「ありがとうねぇ」と両手で香典袋を握りしめ、そのまま俺たちを控えの間へ案内するために一歩踏み出す。だがそれを遮るようにして、頭上からは落ち着いた雰囲気の声が届いた。


「君たち、ちょっといいかな?」


 きっと先ほどの刑事だろう。俺はそう予想立てをして、いつの間にか自分のすぐそばまでやって来ていた長身の影を仰ぎ見る。間近で見上げた刑事らしきその人物は、屈強な体を見るからに窮屈そうな黒のスーツへと押し込め、苦しげに襟へ手をやっていた。


 いかにも渋いベテラン刑事、という『いぶし銀』な雰囲気の男。おそらく四、五十代だろうと思われる。俺は今までに、この目の前にいる人物ほど断崖絶壁が似合う男に出会った事がない。それを本人が嬉しいと思うかは微妙なところだろうが。


 まるで二時間ドラマからそのまま飛び出してきた演者のようだ。現実感のないこの状況に一種の現実逃避をしてしまったのか、俺は見上げた男を見てそんな的外れな感想を抱いた。この人ならばきっと、脇役でも主役でもどちらもお手の物な名バイプレイーヤーになれるだろう、と。



 上を見上げて呆けていると、皆子の母親が慌てて制止の声をあげようとするが、やはり一歩遅かった。男はゆったりした動作でこちらを向き、


「犬桜 隼君は君かな? 五分でいいんだ。話しを聞かせてくれないかな?」


と、有無を言わせぬ威圧的な口調で、こちらを見下ろしてきた。視界の端に皆子の父親の姿が映った。必死にこちらへと追い縋ろうとしているのが分かったが、残念ながら行く手を別のスーツの男たちに邪魔されている。


 俺は隣から届く国彦の怒気と八尋の困惑を手で制して、ただ黙って男に向かい頷いてみせた。


「すぐ戻るから。先に席だけとっておいて」


 それだけを言い残し、俺はおとなしく刑事の後ろをついて行った。






 外の駐車場に出ると、まだ肌寒い風が吹いていた。思わず身震いしていると、目の前の影が急に立ち止まる。


「悪いね、急に。すぐ終わらすから」


 振り返った顔は先程までとは打って変わり柔和そうであったが、その目は相変わらずこちらを注意深く観察しているようだった。


「いいえ。ご期待には沿えないと思いますが、どうぞなんでも聞いてください」


 俺は、なんとなく風が吹いてくる方へと顔をやる。潮風に乗って、波の音がここまで聞こえてくるような気がした。


「どうしてそう思う?」


 穏やかな声が目の前から聞こえてきた。


「皆子さんの事は以前、お話したことで全部です。他にはなにも……」


 俺は静かにそう返した。


 刑事さんが知りたいことは、おそらく俺たち三人もずっと知りたかったことだ。なぜ彼女が三年前の今日、よりにもよって俺たちの目の前で溺死してしまったのか。その答えを。

 また一層、強い風が吹く。その隙間を縫うようにして耳に届いたのは、まるで独り言のようなポツリとした呟きだった。


「不思議な事故だったよね。三人も周りにいて、女の子一人、助けられなかったなんて――」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇■◇


 当時、大学に行かなくなった俺を連れまわすのが趣味だった国彦は、よく俺を海へと連れて行った。サーフィンが趣味で、大学卒業後はきっと海岸沿いに住むのだろうと周囲の誰もが疑わなかったくらい、昔の国彦は海にとり憑かれていた。


 その日は国彦の彼女で、俺の幼馴染でもあった皆子も一緒について来ていた。


 もともとは皆子は俺の姉、芹奈と同級生で、しかも生前二人は仲が良かった。彼女は姉の死を悲しみ、嘆いてくれた数少ない姉の友人だ。

 彼女は俺のアパートにも度々訪れ、手作りのお菓子や料理を差し入れてくれた。相手を思いやりそっと気を配ることができる、そんな優しい人だった。


 その日、当初の予定では、俺と国彦と皆子の三人で早めの海を楽しむはずだったのだが、なぜかそこに妹の八尋も途中から加わり、俺たちは最終的に計四名で泳いでいた。八尋がいた理由は思い出せないが、たしかに俺たちはあの日四人でいたのだ。もしかしたら八尋を誘ったのは、国彦であったのかもしれない。


 なぜなら、このときすでに国彦と皆子には別れ話が出ていたらしい。当時はまったく気づいてなかったが、たしかに……俺は皆子から近々相談に乗ってほしいことがある、と言われてはいた。



 そうして日が暮れ、そろそろ海を上がろうかといった時に、皆子は突然水中に潜ったまま出て来なくなった。


 最初はふざけているのかと思ったのだが、すぐ異変に気づき、俺たちは救助のため彼女の元へと走った。水中でもがく彼女の腕を取り、なんとか引き揚げようと試みたのだが、その体はまるで鉛製であるかのように重く沈み込んでいた。

 俺たちにはどうやっても皆子を水面へと浮かび上がらせることが出来なかった。水中に潜ってみても、当然、海の中には重石はおろか、そのほか目に映る怪しい物など有りはしなかったのだ。


 機転を利かせた八尋が、近くにいたサーファーたちを呼んできて彼らの助力も得ることができた。だが、それもまるっきり無駄であった。



 ……奮闘むなしく、彼女は大勢の前で溺れて死んだ。

 


 陸にあげられてから見た彼女の顔は、穏やかだった姉のそれとは違い、実に凄まじいものだった。

 苦しげに見開かれた目、もがいて水を掻いた傷だらけの手、開かれたままの口。あまりに惨くて凄絶で、その場にいた誰もが彼女をまともに見ることなど出来はしなかった。


 いや、ただ一人。たった一人だけは――。


 息が止まってからは不思議と自然に海面へ浮かんできた皆子の体。そのずぶ濡れの彼女を浜辺まで引っ張りあげ、最後まで諦めずに人工呼吸と心臓マッサージを繰り返していた国彦の姿が思い出される。



 その日から今日まで、俺が知る限り


 あれだけ海に焦がれていたはずの彼が、二度と海へ戻ることはなかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇■◇



「そうか……。だがもし、なにか不審な点を思い出したら、すぐここに連絡をくれないか?」


 一枚の名刺が差し出される。

 当時の状況からして俺たちはだいぶ警察に疑われていたようだが、あいにくほかにも目撃者が多数いたため、不注意による不慮の事故扱いとなった。


 誰もが事故などと到底納得できるものではなかった。当時の苦い思い出が胸によみがえる。一人娘を失くし、血を吐くような親の悲嘆と慟哭を――。その姿は、五年前には見ることが出来なかったものであった。



 俺は思い出してしまったそれらを振り切るように、目の前にある四角い紙を両手で受け取っていた。

 

「分かりました」


 そう言って素直に頷き、刑事の顔を見つめる。すると、短い髭がまばらに生えたその口許から、低い声で思わぬ言葉が発せられた。


「お姉さんの事故の件でも、なにか思い出すことがあれば連絡をくれ」


 俺は驚きに目を見張った。この人は姉の自殺を、他殺だとでも考えているのか? だとすれば第一発見者である俺は有力な容疑者だろうな、と他人事のように思った。


 俺は、皆子殺しを幽霊()の仕業じゃないかと疑ったことはある……。


 会場に戻ると読経が開始する直前だった。入口近くで陣取っていた二人の姿を見つけ、無言で空いているほうの席へと腰を下ろす。なにかを言いかけた八尋は、しかしすぐに読経が始まり口をつぐむ。辺りを漂う白い線香の匂いが、ひどく甘ったるいものに感じられた。






 式が終わり会場を後にした俺たちは、そのまま海までやって来ていた。途中花屋に立ち寄り、それぞれが別々に違う種類の花束を作ってもらっていた。


 青い花が好きだった彼女に、俺はハナショウブを選んだ。たしか、厄除けの花でもあったはずだ。国彦は白みがかったカーネーション、八尋は彼女が好きだった淡い水色のクレマチスを選んでいた。


 それぞれの花を海に浮かべて、それから静かに手を合わせた。夕日が水平線の向こうへと沈んでいく。それは死者のためではなく、生者のための祈りだった。




 パンプスを砂の上に置いて素足で浜辺を歩き始める八尋の姿が見えた。その隣には国彦が寄り添うようにして、二人は並んで歩いていく。

 俺はコンクリートの階段に座り、少し離れた場所から海を眺めていた。


 こんな風に三人でここに来るのは最後になる、そういう予感を感じていた。


 俺は飲み物を買いに行こうと立ち上がって、ふと、後ろから車のヘッドライトが背に当たるのに気づいた。夕日が落ちる狭間の時間、俺は振り向きざま、あまりの眩さに目がくらみ顔を歪めて手を前にかざした。




 手の隙間から、車の中にいるのが男だということに気がついた。一瞬見えた男は、――そいつは俺が知っている奴だ、そんな確信があった。

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