烏水 美禮
「ありがとう、おかげで体が温まったわ」
「良かったですね」
返答の声はやけに不愛想なものだった。しかし笑顔の宮田は気にも留めず、広い室内をぐるりと見回すので忙しい。セントラルヒーティングが完璧に稼働しているのだろう。屋敷中が、どこもかしこもとても暖かくて心地が良い。
宮田はふんわりとした白いタオルを首からぶら下げ、あらかじめ用意されていた無地の紺色のTシャツと黒い短パンを身にまとっていた。
「しかも悪いわね。シャワーだけじゃなく、服まで用意してもらっちゃって」
「いいえ。あの状態のお着物を召せば、風邪をひいてしまいますから」
突然の土砂降り。
豪雨に見舞われた二人は、とりあえず人気のない公園に逃げ込み、次いでハイヤーを呼んだ。開口一番に「お嬢様」と女を呼んだ黒服の中年男性が、こころよく濡れネズミな女二人を高級車でここまで運んでくれたのだ。
お嬢様……『烏水 美禮』の住むお屋敷へと。
そして、半ば強引に放り込まれたホテルのようなバスルームでしっぽりと温まった後が現在である。着る物まで用意されているとは、まさに至れり尽くせりという状態だ。
では、元から着ていた着物のほうはどうなったかというと、一応、洗濯機洗いができる安物なのだが、勝手によそ様のお宅の洗濯機に突っ込むわけにもいかず、大量の水を含んだままの状態でナイロンの袋にくるまれている。
美禮はクリーニングに出しましょうかと申し出てきたが、流石にそこまでしてもらうのは気が引ける。ましてや、帯やら着物やらを一旦クリーニングに出してしまえば、最低でも一週間は手元に戻ってこないことは確実だ。
それでは困るので、丁重にお断りしておいた。
ホカホカと湯気をあげる体で勧められたアンティークもののこげ茶のソファーに腰掛けると、疲れた心身が程よく沈み込んでいった。そして一人、なるほどなあと呟いた。
(これだけ室内の温度が高ければ、むしろ長袖やパンツなんか着てられないかもね)
ようやく彼女が、まだ肌寒い季節の中にあってもキャミソールとミニスカ着用の訳が判明した。だからと言って、そのままの恰好で寒い外にも出掛けるかと言えば疑問が残るのだが……。
キョロキョロと物珍しく辺りを見回していると、鈴のなるような美声の持ち主からお声がかかる。
「どうか、なされましたか?」
「いやあ、素敵な洋館だなあと思って」
てっきり、お住まいは薄暗い武家屋敷か何かだと思っていました――などという言葉は胸中のみで続けられた。
美禮が住んでいた場所は、彼女自身の持つ和風な雰囲気からは想像もつかないような立派な洋風建築の二階建ての館だった。そこは、美禮と出会ったほど近くにある公園から車を走らせること10分程度、都内でも金持ちが住むことで有名な一画よりもやや北に外れた場所に位置していた。しかしその分敷地は広く、こじんまりとしているが本格的なアーチがかかった、洋式ガーデンの姿が暗闇の中にぼんやり浮かんでいた。
きっと、これが陽光の下であるならば、今頃色とりどりの花たちを楽しむことも出来ただろうに。宮田は少しばかり、残念な気持ちになる。
しかし、深夜にどうも常連らしいハイヤーなんぞを呼ぶ時点で、棲み処も相当だろうと思っていたのだが、まさか高級畳の上ではなく、床暖のフローリングの上で生活をしているとは想像できなかった。
白い木材が大部分を占め、屋根や窓枠といった部分だけが濃い茶色に塗装されたこの洋館は、雨がけぶる深夜でも明るいお洒落なたたずまいをしていた。中に入って見てみても、明るい暖色系のインテリアの数々からは、どうもこの陰うつな女性が育った環境とは思えない。
窓際には、日本人形ではなく茶色いテディベアがちょこんと座り、そのつぶらな瞳で降りしきる外の景色を眺めていた。
「なんだか外国の映画に出てきそうな雰囲気。でも、最近どこかで見たような……あ。神戸にある北野異人館にそっくりですね」
「そうですか」
美禮は洗練された仕草で紅茶を淹れると、宝石のような赤が眩ゆい苺が乗ったショートケーキと一緒に宮田の前へと並べた。
(うっ、深夜にこれはギルティだわ……)
その赤い輝きに目を奪われながらも、次に見た柱時計の差す時刻に一瞬の躊躇を感じる。
美禮のスレンダーな肢体を羨ましく思いながら、宮田は明日の体重計に乗った後に起こるだろう悲劇を想像した。しかし、出された以上は食せねばならぬ。何故なら、もったいないからねと明日の自分に向かって言い訳しておく。
「私は北野異人館を見たことはありませんが、義父がとても海外好きの人間だったので、この館を一目で気に入り買ったのだと聞いてます」
「へえ、そうなんですか……。ちなみに、お義父さまのご職業は何ですか?」
宮田は紅茶のカップに口をつけながら、さりげなく聞いた。
「輸入業者をしておりました。依頼を受けては、月に何度も海外に家具や物件を買い付けに行ってました」
「なるほど、それはすごいですね~」
「しておりました」「行ってました」……全ては過去形だ。通常なら特に気にも留めないような些細な言い回しだが、宮田はその義父とやらが既に故人であることを知っている。それも、病死でも事故死でもなく、綺麗に六等分にバラされて殺されたのだ――この義理の娘に。
『真夜中のピエロ殺人事件』の犯人――それこそが、まだ警察も知らない、この『烏水 美禮』の正体なのだ。
自白したわけでもないし、証拠があるわけでもない。
ただ、あの黒い白衣の悪魔、『美馬 隆二』がそう言うのならば、それは100%の確率でクロなのだ。
さて、ここからどうすべきか。宮田は一息つきながら、そっとため息をもつく。
自宅の場所を言いたくなかったので、適当な県外の住所をでっち上げている。だが、この様子なら彼女が本気で調べようとすればすぐにバレるのだろう。これなら最初から素直に言って、自宅まで送ってもらえば良かったのかも知れない。
それに――。
「こんな深夜に本当にありがとうございました。行くところがなくて困っていましたので、美禮さんには感謝しかありません」
感謝の言葉に対する目ぼしい反応は特になかった。先程からずっと、美禮の前には分厚いカーテンでも敷いてあるかの如く、うっすらとしたわずかな反応しか返ってこない。
ちなみに、宮田が述べた嘘八百とは、
『亭主が若い女と不倫をしてるその現場を見て飛び出てきた専業主婦の女が、あまりの憎さにその筋で有名な神社へと独りで丑の刻参りに来ていた』
というかなり荒唐無稽なホラ話であった。とっても苦しい言い訳だが、あの若い男が一目見て逃げるくらいに外見上はそれっぽい。持ち物も財布もなくて予備の五寸釘を数本と、部屋の鍵しか持っていなかった。
というか、それなのだ。
宮田が午前三時にあの物悲しい神社でしてた罰当たりなことは。
「いいえ、かまいませんよ。こちらこそ助けていただいたのですし、行くところが無ければ此処に滞在すればいいですよ」
何かしらのレスポンスを諦めたところに、ポツリと呟かれる。
――いつまででも。
女は感情のこもらない真っ黒な瞳でこちらを見て、奇妙に抑揚のつかない平らな声をだしていた。
(ほらね。やっぱり、そうだ)
今度こそ宮田は勘違いではなく、そうだと気づく。
――それにこの女は、私のことに全く興味がないのだ。
いかにナンパ男から助けられたとは言え、会ったばかりの人間に対してするには常軌を逸した提案だ。ましてや見るからに、いや、話を聞いても胡散臭い浹の素性をまったく疑問視していない。
誰か止める人間はいないのか。そう言えば、あの迎えに来た黒服の男も特に疑問も持たずに異様な二人を車に乗せていた。あるいは、こういう事態がすでに常態にまでキているのかも知れない。
きっと彼女は、宮田の正体が殺人鬼でも強盗犯でも強姦魔であっても、態度を変えたりはしないのだろう。彼女に害がなければ気にも留めない。宮田が極悪人であっても、何日でも家にいればいいと言うに決まっている。それ故、宮田の本当の職業を聞いたところで、ただ一言「そうですか」と言うだけだろうから、まったく隠し事をするだけ無駄なのだ。
隠し事とは、相手に興味関心を持たれなければする必要がない。ただの時間と労力の無駄である。
「でも、お家の方の許可が必要ではありませんか? あたしのような者が滞在すると迷惑に思うでしょうし……」
「……許可なら今、私が出しましたけれど」
美禮はさらりと黒髪を揺すって首を傾げる。気分を害したという訳ではない。ただ、何のことなのかが本気で分かってないだけらしい。
宮田は、オブラートに包むのをやめて直球勝負に出る。
「お母さまとか、……それに輸入業者のお義父さまの許可ですよ。あら、もしかしたら今も海外にいらっしゃるのかしら?」
「ああ」
美禮はやっと合点がいったという仕草で緩慢に頷いた。そして、あっさりと彼女は言った。
「彼らは殺したので、いまさら許可を貰う必要はありません。現在、この家に残った者も必要最低限ですから、宮田様はどうぞお好きなようにお過ごしください」
罪を罪とも思ってないような告白だった。
「……なるほど」
宮田はそれに頷き返した。
自身をつくろわないその態度。周囲に対する興味の薄さ。
罪悪感の欠落。殺し方、もしくは被害者への病的な固執……恐らく今夜の男が助かったのは、単に彼女の対象者からわずかに好みがズレていたためだろう。
そして、やたら暖かいこの家。
極めつけは――彼女の顔色。黒みがかった紫の唇。
(役満か……)
なるほど。彼女はレベル3だ。
『黒屍病』末期の患者
彼女はもはや、手遅れである。




