第8話 勅書
「神ノ社の長、大宮司様。もし邪魔をするならば…如何にあなた様と言えど、教会の名の下に断罪いたします。」
「困ったシスターだねえ~…。ならば、しかたない…」
大宮司はそう言って、指をコキッコキッと鳴らす。白上衣の袖から覗く、血管が浮き出た太い前腕を見るにかなり鍛えこんでいることが窺い知れる。
大宮司から漂う強者の雰囲気を察して、シスターが斧槍を両手に持って構える。
「危ないから、君たちはそこを動かないように。」
(大宮司様…)
シスターが床を蹴って駆け出す。それを見て、大宮司がサッと白上衣の袖に手を入れた。
一気に大宮司との間合いを詰めたシスターが、斧槍を振り上げる。
「—ッ!?」
しかし、斧槍は振り下ろされることなく、大宮司が白上衣の袖から取り出して見せた一枚の羊皮紙よってシスターの動きは止まった。
「そ、それは…」
「そう、これは…王国を統べる国王陛下から賜りし勅書だ。」
「え、国王陛下の勅書?」
全く予想しなかった物が出てきたことに俺とホノカは驚き、シスターは言葉を失ってシロウが持つ紙を凝視していた。
王国を統治し、王国最大の宗教団体『教会』を管理下に置く国王。教会と教会の一員であるシスターにとって、信仰する神の次に絶対と言える存在。
国王陛下の勅書だという羊皮紙には、『王家の印』が記されていた。王家の印は、王族の者しか書くことが出来ない特殊な印であり、その印が記されているということは、大宮司が持っている紙が本物の勅書であることを示す事になる。
「本物の、国王陛下の勅書…」
勅書が本物であることを確信するシスター。
大宮司が勅書を読み上げる。
「『王国直轄の宗教団体、教会とその支持者よ。国王の名において、世界創造神の一柱 ベルゼファールの生まれ変わりである者の命を、むやみに奪う事を禁ずる。』」
「なんですって…」
勅書の内容を聞いて、シスターが愕然とする。
「陛下は何故、邪神を殺すのを禁じるような事を…?そもそも教会は、邪神の復活について伝えていない。いつの間に陛下は邪神の事を知って… 」
「私が陛下に拝謁して、伝えたのだ。」
勅書をもらって来たという事は、大宮司は実際に国王に会い、邪神の事を話したということになる。
(しかし、俺が邪神の力を覚醒させたのは今日だ。勅書を用意するにはタイミングが早すぎる… )
「王都まで勅書を取りに…。それで神の宮にいらっしゃらなかったのですか。」
俺の実家に神ノ社の団員が現われた事と本殿に用意された生活用品…。そして、勅書。思えばまるで、大宮司は最初から邪神の力が覚醒することを予め知っていたようだった。
ホノカの反応を見るに、勅書については知らないらしい。ならば、大宮司だけが今日起こる事を知って備えていたのか?
「ベルゼファールの力が覚醒するという情報は、とある方から事前に聞いていてね。教会の刺客が来る前に何とかしようと思っていたのだが、まさか勅書をもらいに王都に行ってる間に本社に乗り込んで来るとは。 」
(…とある方って、誰だろう?)
「し…しかし、私はそれでも…」
斧槍を強く握り締めて、ふるふると震えるシスター。あまりにも予想外の事に、どう行動すべきなのか迷っているのかもしれない。
「教会の…私の使命は、王国に住まう人々の平和と安寧を守るため、脅威となる悪を取り除く事。」
自分に言い聞かせる様に呟く。国王の命令に背いてでも、己の使命を全うすべきか葛藤しているようだ。
「たとえ陛下の命令であろうと、邪神の存在を見過ごすわけには…─えっ?」
シスターが本殿の一ヵ所に目を止めて、硬直する。
「…~っ、な、なな…なんですか!?あれはッ! 」
(え…?)
シスターが指差す方に、この場にいる皆の注目が集まる。
「何って…ああー!!」
シスターが指差す先には…――
本殿で生活する俺に、大宮司が用意した要らぬ気遣いである、あのいかがわしい雑誌があった。
ポツンと忘れ去られた様に本殿の隅に置かれた雑誌が風でパラパラっと開いて、かなり過激な内容のページで止まる。
「な…なな…っ」
それを見たシスターの肩が小刻みに震え出す。そして一時フリーズした後、噴火する様に怒りの声を上げる。
「なんて破廉恥なものを!どうして、神聖な本殿にあのようなものが!?」
「…ふむ。はて、何故だろうね?」
「………」
シラを切る大宮司を、ホノカがジトっと見る。
「…ハッ!?ま、まさか」
何かに気付いた様子のシスターが、いかがわしい雑誌から俺の方に顔を向ける。
(…え?)
「邪神が神ノ社の人達を誑かそうと、これを置いたのですね!この…、外道め!」
「えええええー!?」
「私達教会とは教義は違えど、神を信仰する善良な人々である神ノ社の団員達をこんな卑猥な物で堕落させようとするなんて…最低ッ!」
「ちょっと!?それは誤解!」
勘違いも甚だしいシスターが、変態!畜生!等と罵詈雑言浴びせてくる。俺は誤解を解いてもらおうと大宮司を見る。
「…ぷっ、ぷくくっ」
シスターの勘違いが面白いのか、大宮司は外方を向いて笑いを堪えていた。
「大宮司様!?」
(笑ってないで、助けて!)
「そ、それに…邪神!あなた、いい加減その手をどけなさい!」
(その手って…)
─ムニュ
「あ…」
「……ッ!!?」
俺は自分の手が柔らかいものを掴んでいる事に気付く。その掴んでいるものを見て、血の気が上がった後に急激に引いていく。
「あなた、いつまでその巫女の胸を鷲掴みにしているんですか!」
シスターに指摘された通り、俺の手は腕に抱えていたホノカの仲間の巫女さんの胸を鷲掴みにしていた。
「いつの間に!?なんで!?」
「白々いですよ!邪神!」
「私、目が覚めたら、その…ずっと触られてて」
胸を掴んでいる俺の手に触れながら、巫女さんが頬を赤らめて上目遣いで見てくる。
(全く記憶にない!いったいいつの間に俺の手は… ハッ!)
頭の中で不気味な声を聞いた後、記憶が飛んでいたが…もしかしたらあの時に無意識に手が動いて、たまたま胸を掴んでしまったのか。
「す、すみません!」
慌てて手を離す。
「い、いいえ…」
巫女さんが顔を真っ赤にして逸らす。
「この邪神!女性が気を失っている事をいい事に、変態行為に及ぶなんて!」
「違う!…っていうか、君が彼女を気絶させたんだろ!?」
「ぶぷっ、ぶはははははっ!」
「笑ってる場合じゃないですよ、大宮司様!」
「…君は真面目な人だと思っていたのだがな。」
「だ、だから誤解だって!」
シスターは今にも斬りかかりそうな勢いで怒り、大宮司は大笑いし、ホノカはお面越しでもわかるくらい残念なものを見る目で俺を見ていた。
「邪神を守る神ノ社、そして本殿に置かれたいかがわしい雑誌…そ、そういう事だったんですね…。神ノ社の人達は、すでに邪神によって堕落させられていたのですね…!」
どうやらシスターは、大変お門違いな結論にたどり着いてしまったらしい。
斧槍の長柄をギュッと握りしめたまま、ぶつぶつと呟き、もはやこちら(特に俺)の弁明を聞こうとはしていない。
笑い終わった大宮司がシスターに声をかける。
「シスターよ。勅書もあることだし、今日のところは退くべきだと思うが、どうする?」
「…勅書が本物である以上、教会の一員である私はその内容に従うしかありません。大司教様にも、陛下の真意について確認しなくてはいけませんし。それに…」
シスターは大宮司から俺の方に顔を向ける。仮面の向こうでは、おそらく俺を鋭い目で睨み付けているのだろう。
「これ以上ここにいたら、私まで邪神の魔の手によって堕落させられるかもしれませんから!」
「だから、誤解だって…」
「ふんっ!…では、私はこれにて失礼します。」
俺を鼻であしらった後、姿勢を正して大宮司に頭を下げる。
「うん。…あっ、そうだ。君には礼を言わねばならなかったね。」
「…?」
「君がこの本殿に行くまでに倒した神ノ社の団員達、一人も死んでいなかったよ。手加減してくれたのだろう?ありがとう。」
「…お礼を言われるほどの事ではありません。彼らは、断罪する必要がなかっただけです。」
シスターはそう言い、ホノカを見る。
「ただ…邪神を庇うあの巫女は、邪神断罪の障害となると思い、全力で命を奪うつもりで戦いました。…結果的に一人も死者が出なかったのは、単にあの巫女が強かったからです。」
そうホノカを評価するシスター。
「…シスター」
「それでは、失礼します。」
シスターはタッと駆け出して本殿を出て行く。
斧槍という重い武器を持っているとは思えない速さで境内を走り、鳥居を抜けてナカツクニ神の宮を後にした。
「やれやれ…やっと帰ってくれたか。」
大宮司が額を拭って安堵する。
「困ったシスターだ。教会とは衝突したくないから、そのために急いで勅書を取りに行ったというのに。まさか神の宮にカチコミに来るとはね。ぷくくっ…しかし、面白い子だ。」
「大宮司様…」
抱えていた巫女さんを腕から降ろすと、俺は付けていたお面を外して大宮司に頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございました。」
「なに、気にしないでくれ。私達神ノ社にとっても、君に死なれると困るからね。」
「俺が死ぬと困る?…それは一体どういう事ですか?」
「…まあ、そのことについては後で話そう。それよりもだ…」
大宮司はそう言いながら、俺の頭に手を置く。すると、その手から淡い光が顕れた。
「大宮司様…?」
淡い光が消え、頭から手が離れる。
「大宮司様、今のは?」
「古来より神ノ社に伝わる、神の力を封印する魔法さ。君の中に在る神の力を、少しだけだが封じさせてもらった。」
「邪神の力を…?」
「封印魔法で君の中の邪神の力を抑え込んだから、これで先程の様に力が暴走する事はないはずだ。」
「暴走…」
大宮司が来るまで少しの間の記憶が抜けていたが、邪神の力が暴走していたのか…。
「内なるベルゼファールの神気に蓋して抑え込んでいるようなものだがね。完全には封じたわけではないが、これで無意識に君の体から醸し出される神の気配を、シスターの様な勘の鋭い者に感知されることはなくなった。」
ということは俺はこの先、教会の刺客に狙われる事もなくなるのか…?
「これで君は、教会の連中に邪神だと気づかれることはないだろう。ホノカの機転のおかげでシスターに顔を見られずに済んだようだしね。」
大宮司が、俺の手から狐のお面を取ってひらひらと振って見せる。
「だから、明日から実家に帰るなり王都に戻って学校に通うなり、君の好きにするといい。」
「ほ、本当ですか!?」
本殿での軟禁生活を覚悟していたが、まさかこんなあっさり自由になれるなんて。
「本当は時間をかけてベルゼファールの力を完全に封印して、君を普通の人間にしたかったんだがね。だが、シスターがこの神の宮に来た時点で、君の居場所がバレてしまった。陛下の勅書があるとはいえ、別の刺客が来ないとは限らない。」
それならば、神の宮から出た方が安全だろうと大宮司は言う。
「さて…」
本殿内を見渡す大宮司。
「本当にずいぶん暴れてくれたものだ。本殿がすっかりボロボロだよ。」
「…すみません。俺をここに匿ったせいで」
「いいや、君のせいじゃない。そもそもここに連れて来るようにホノカに言ったのは私だからね 。 …とりあえず、後片付けするとしよう。」
―パンッ パンッ
二度柏手を鳴らし、呪文の様なものを唱える。
「――…かしこみかしこみもうす。」
そう言い終わると、突然現れた淡い光に本殿が包まれた。
周囲をぐるりと見ると、本殿内のあちこちに残った戦いの跡や傷が消えていき、時間が巻き戻るかの様に本殿の壊れた箇所が修復されていく。その光景はまるで、人体の傷が塞がって治るかの様で 、不思議な現象であった。
さらには、戦いで負ったホノカと仲間の巫女さんの怪我も回復していく。彼女達の衣服の破れまでも修復すると、周囲を包んでいた淡い光は消え 、本殿はシスターが来る前と同じく綺麗な状態に戻っていた。
「す、すごい…」
その不思議な現象を初めて見たのか、ホノカと仲間の巫女さんが唖然としていた。
「大宮司様、今のは?」
「この本殿に御座す、神ノ社が崇める神様の力さ。この本殿の祭壇には、『アマテラス様』の魂の一部が封じられている。」
「アマテラス様の魂の一部…」
強い力の気配を感じてその方を見ると、そこには祭壇に置かれたあの円い鏡があり、その丸い鏡から先程の淡い光が放たれていた。
(あの鏡に、神ノ社が崇める神様…アマテラス様の魂が宿っているのか。)
アマテラス様は、王国の東側の地方では古くから多くの者に信仰されている神様である。まさか、その神様の力を目の当たりにする事になるとは。
「後片付けも終わったことだし、とりあえずトウヤ君は今日ここで休みなさい。」
「…はい。ありがとうございます。」
俺は大宮司とホノカの仲間の巫女さんに礼を言った後、ホノカのもとに行く。
「ホノカ…。俺を守ってくれて、ありがとう。本当に助かった。」
「…いいや。私は君を守ろうとしたがシスターには歯が立たず、結局君に守られてしまった。私の方こそ助かった。礼を言う。」
頭を下げるホノカ。
「力が足りず、すまない…。」
その声からは、悔しさが滲んている様に聞こえた。
「いや、そんな…っ、俺の方こそ邪神の力が暴走して迷惑かけたみたいで…ごめん。」
守ってくれてたのに、力を暴走させて迷惑をかけるとは…。申し訳ない気持ちと自分への怒りを抑えて、ホノカを見る。
「…もう、邪神の力を暴走させないよう気を付けるよ。約束する。」
「…そうか。ならば、私は」
ずっと付けていた狐のお面を外すホノカ。
目を細めて、俺を真っすぐに見る。
「君がまた危ない目にあったら、次こそはちゃんと守ると…約束しよう。」
(ホノカ…)
芯の強さを奥に秘めた優しい目。その目を見て俺は…――
(…守られてばかりじゃだめだ。)
実家では暁の福音から俺を守るために両親が傷付き、今回はホノカや神ノ社の人達が傷付いた。
全て、邪神の生まれ変わりである俺が原因だ。もう、これ以上俺のために誰かを傷付けさせるわけにはいかない。
(邪神の事…自身について、ちゃんと向き合わなければならないな。)
…――俺は、そう強く決心した。




