20.運命(さだめ)を覆す、そんな夢を見た 後編
咄嗟にクロろんを背中に隠して立ち上がった。
「あっ……、おはようラグナ。ちょっと朝早くに目が覚めちゃって………」
誤魔化すように笑みを浮かべて朝の挨拶を口にするが、ラグナの表情は険しい。
じり、と思わず左足が後ろに下がった。
「アーヤ、そこをどいてください。」
「…………。」
穏やかだが、有無を言わせない口調で詰め寄るラグナ。自分はもしかして、とんでもない猛獣を保護してしまったのだろうか。
「ピー?」
「あっ、クロろん!ダメ!」
不思議そうに顔を出したクロろんを、慌てて抱き上げた。ラグナの目が、すぅっと細められる。
思わずクロろんの身体をぎゅっと抱きしめた。
「アーヤ、ソイツを渡してください。」
「どうして……ですか。」
尋ねるアーヤの声は固い。警戒心をあらわにした彼女を見て、ラグナはため息をついた。
「アーヤ……残念ながらソイツは魔物です。人を襲う。」
「っ!クロろんは人を襲ったりなんかしません!人を見ても噛みついたりしないし、今だってこんなに大人しいじゃないですか!」
「確かになんでソイツが大人しく抱かれてるかは不思議ではありますが……でも、魔物は魔物です。殺すしかない。」
淡々としたラグナの言葉。そこに迷いは一切ない。
「嫌……です。」
「え?」
「ラグナのことは感謝してるし、信用もしてます。それでも……ヒトを傷つけたことのない小さな命を『そういうものだから』って殺すのは嫌です。だって、ヒトを襲う本能がある生き物が魔物なんでしょう?それなら、このコは魔物じゃない!」
「アーヤ……」
自分が我儘を言って困らせている自覚はあった。それでも譲る訳には行かない。理不尽な命の搾取を許したら、この憎しみの連鎖は止まらないのだ。
ふぅっと息を吸い、覚悟を決めた。ラグナの目を正面からひたと見据える。
「ラグナ、これは……チャンスなの。」
「チャンス?」
「ヒトを襲わない魔物が居るのなら、無闇に魔物を狩る必要はなくなるかもしれない。魔物と共存する道もあるのかもしれない。『そういうものだから』で諦めていた未来が開けるかもしれない。……そんなチャンス。今までなかった、可能性の塊なんだよ!」
「…………」
アーヤの言葉が琴線に触れたのか。一瞬、ラグナは考えるように動きを止める。さらに言葉を重ねようとアーヤが口を開いたところで。
「っ!ダメ!」
抱きしめていた腕から、クロろんがするりと抜け出した。
悲鳴のような声が上がる。このままクロろんがラグナに飛びかかれば、彼は容赦なく剣を振るうことだろう。
ところが。
飛び出したクロろんはラグナに襲いかかることなく、ラグナとアーヤの間に滑り込んだ。
そしてアーヤを背にしてラグナに向かって翼を広げ、クロろんは牙を見せる。低い唸り声をあげながら毛を逆立て、ラグナを近づけまいと懸命に威嚇する。
――もしかして。
「クロろん、守ってくれてるの……?」
背後のアーヤをちらりと見るが、クロろんは彼女を庇ったままラグナへの必死の威嚇をやめようとしない。
自分より何倍も大きな敵を相手に、足を震わせながらも彼は一歩も引く気配を見せなかった。
……ふっとラグナの表情が、和らいだ。
「……わかりました。」
「え?」
思わずきょとんと、ラグナを見上げる。
「確かにコイツに害意はあまりなさそうです。だから、一つテストをしましょう。」
「テスト……?」
「コイツをグースの家に連れて行く。そこで本性をあらわしたら、駆除。そうでなければ今回は目を瞑ります。」
『駆除』という容赦ない言葉に、凍りつくような気持ちになる。
それでも、せっかく与えられた機会だ。ここで引くことはできない。
「わかりました。……クロろん、おいで。」
「ピィー?」
大人しくアーヤの胸に抱かれたクロろんは、するりと懐の中にその身を納める。
「よーしよし、大丈夫だよー。人間は怖くないからねぇ、大人しくしてようねー。」
「ピギャっ、ピギャっ」
幼い子供を相手するように、アーヤは優しい口調でクロろんに言い聞かせる。承知したと答えるかのように元気よく答えるクロろんに、つい笑みがこぼれた。
「改めて言いますが……人間に敵意を向けた瞬間、俺はコイツを始末します。一瞬の隙も与えません。アーヤなら知っていると思いますが、俺にはそれができる。」
それでも、とラグナは魔物を抱き締めるアーヤに告げる。
「それでも、万一のことがあるかもしれない。誰かが怪我をするかもしれない、死んでしまうかもしれない。貴方の判断はそれぐらい危険な、重みのあるものだとしっかり自覚してください。」
甘えも逃避も許さない、厳しい言葉だった。
怖くて足が震える。自分の軽率な考えが、誰かの死を招くかもしれないのだ。
その重圧を無視できるほど、アーヤの心は強くはない。
――それでも。
「わかりました。肝に、銘じます。」
掠れた情けない声だったけれど、ラグナの目をしっかり見てアーヤは頷いた。
懐にある、確かな命の暖かさを感じながら。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――そして。
「おはよー、お二人さん。朝から二人きりで密会たぁ、相変わらず妬けるねぇ?」
挨拶がてら揶揄って来るグースをいなし、ミミの美味しい朝ごはんをいただき、グースのアドバイスを聞きながら荷物をまとめ(あれだけの衣服が驚くほどコンパクトにまとまったのだから、元行商人の肩書きは伊達じゃない)、寂しがるキースを宥めながら三人にお礼と別れを告げ……
手を振る三人が見えなくなるほど村の遠くまで来たところで、ようやくアーヤはほぅっと息をついた。
「何も、起きなかったね……」
グース家の人といる間、クロろんは人間に襲いかかるどころか、チラリとも姿を見せずにアーヤの服の中に潜り込んで隠れていた。
それはもう、知らない人間に怯えているようにしか見えないほど徹底的に。
「そうっすね、……アーヤの主張は間違ってなかった。」
ラグナの張り詰めていた気配が、ようやく緩んだ。
気が抜けたようにへらり、と笑った彼を見て、わかってもらえた、とアーヤは改めて安堵のため息をつく。
クロろんおいで、と声をかけると、今まで息を潜めていたのが嘘のように元気よくクロろんが懐から飛び出してきた。
大人しくしていて偉かったね、とその喉元を撫でてやれば、クロろんはピィピィと誇らしげに鳴く。
突然の新顔の登場にポッチが不審そうに鼻を鳴らしたが、アーヤがそのツノを撫でればそれ以上彼はクロろんには興味を示さなかった。
「それで……アーヤ。ソイツをどうするつもりですか。」
え?と、ラグナの質問の意図を図りかねて、首をかしげた。
ラグナは困ったように頭をかきながら、言葉を続ける。
「魔物の生態についてはわかりませんが……その子供をそのまま野に放てば、ソイツが生き延びるのは厳しいでしょう。せっかくの「未知の可能性」とやらをそこで放り出すつもりですか?」
「それって……」
じわじわとラグナの言いたいことがわかり始めて、思わず期待に満ちた目で彼を見上げる。
「その、ラグナが良ければ……」
「俺は構いませんよ。」
照れたようにふいっと目を逸らすラグナに、思わず飛びついた。
「連れてきたい!クロろんと、一緒に旅がしたいです!」
「ピーピー!」
ナイスなタイミングで合いの手を入れるクロろん。
ありがとうラグナ、とそっぽを向いたラグナにお礼を述べると、ラグナの顔はますます赤くなった。
「……ただし!」
気を取り直したように、ラグナは咳払いをして指を立てる。
「人目のつく場所では、ソイツを絶対に出さないように。ソイツに敵意がなくても、周囲はそれがわからない。気配だけで魔物だと判断できる人間はそれなりにいますからね。」
「はい、大丈夫です!」
「まぁソイツ自身が人を怖がっているようだから、基本的には問題ないと思いますが。……さ、そろそろポッチに乗りますか、と。飛ばしますよ?」
ラグナの発言に思うところがあって、アーヤは馬具に足をかける前にラグナに向き直った。
脇の下に手を入れ、クロろんを高く掲げてラグナに見せる。
「……なんすか?」
「クロろんです。ソイツじゃなくて、ク・ロ・ろ・ん!」
「………………。」
黙り込んだラグナを前に、一歩も引くまいとクロろんを掲げたまま動かないアーヤ。
「ポッチといい、クロろんと言い……アーヤの名前のセンスって……」
「……え?」
「いや、良いです。はいはい、クロろんですね、と。」
「はい!」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
根負けしたラグナの返事に、アーヤは満面の笑みで頷く。そしてようやくポッチに飛び乗った。
その後ろに跨って手綱を捌きながら、やれやれ、とラグナは苦笑いを浮かべる。魔物の可能性についてなるほどと思わせるような熱弁を奮ったかと思えば、つまらない魔物の名前について大真面目に主張する。
彼女は本当に予想不可能で、面白い。
―― 『そういうものだから』で諦めていた未来が開けるかもしれない。
――今までなかった、可能性の塊なんだよ!
彼女の言葉が脳内で反響する。
――彼女と一緒に居れば、もしかしたら本当に。
駄目だ、と理性が叫ぶのにも関わらず、希望の光を見てしまった。
今まで諦めていた、『そういうものだから』と納得していた運命に疑問を抱いてしまった。
――可能性の塊なんだ!
眩しいものを見るように目を細めて、ラグナは遠くを見る。
ああ、そうだ。ありえないと思われていた人間に懐く魔物が居るのなら。
運命だって、覆すことができるのかもしれない。




