16.外(と)つ者は災いの兆し 漆
「大丈夫?酷い顔色よ、貴方。」
すぐ近くで声を掛けられ、はっと目をしばたたかせた。思わず周囲を見回す。
先ほどと変わらない薄暗い教会の中。隣の女性が気遣わしげにアーヤを覗きこんでいる。
何やら周囲が騒がしい。現状への諦めに停滞していた空気が震え、未知への期待と恐怖の渦がうなり始める。
突然戻ってきた元の景色に、感覚の切替が追いつかず戸惑いを隠せない。
「……何か、あったの?」
「外の音が止まったの。魔物の声も、男の人の戦う音も……何かが、起きたみたい。」
「それって………」
先刻まぶたの裏に見た光景が蘇るが、慌てて言葉を切った。
そんな不自然なアーヤの様子を気にかける余裕もないほど、周囲のざわめきは喧騒を増していく。不安を介して伝播していく、正体の見えない黒き暗雲。
「えぇい、騒がしい!何が起きている!」
礼拝堂の奥から、最初に出会った偉そうな男が苛立たしげに現れた。
小心者らしく余裕のない様子をあらわにしているが、それでも居丈高な態度は崩さない。それはそのまま、男のこの村における地位の高さを示していた。
(……ていうか、あの部屋って奥あったんだ。あの人、そこで今までずっと隠れてたってこと?)
初対面でラグナを蔑むような態度を取られたため、アーヤの男に対する評価は著しく低い。思わず眉間に皺が寄るのを感じた。
「外が気になるなら、見てくれば良いだろう。……おい、お前!様子を見てこい。」
「えっ、わ……私ですか?」
扉付近にいた痩せぎすの顔色の悪い男が、顎で示されて青ざめた。
「村の防衛に参加できないなんて、お前も心苦しいだろう?気の毒なお前に、村に貢献できる機会をやろうじゃないか。」
「っ、それは……、は、はい……」
痩せた骨と皮だけの見るからに病身の身体では、村の防衛に当たるのは無理だろう。そんなことは村の人間の方がよくわかっているだろうに、彼らは口を噤んだままそっと目を逸らす。
「……誰?あの嫌なヤツ。」
「ウチの村長。横暴なところがあるから目をつけられないように気をつけて。」
こっそり隣の女性に訊くと、小声で返ってきた。やはり面倒見が良い。
そしてなるほど、村長か。村の人間が逆らえないのも道理である。
指名された痩せぎすの男は明らかに気が進まない様子で、それでもしぶしぶと扉へ歩み寄る。
本来なら固唾を呑んでその動向を見守るべき場面だが、既に外の状況を知ってしまっているアーヤからしてみれば、緊張感のないことこの上ない。
ただ、ラグナを迎え入れる時にどんな顔をしていれば良いだろうとそれだけが気掛かりだった。
ギィ、と重い扉が開き、開いた隙間から外の光が差し込み始める。
「蝕が過ぎたぞー!」「俺たち、助かったんだー!」
途端に扉の隙間から、わっ、と外の歓声がなだれ込んできた。開放を告げる、明るい声。
この張り詰めた緊迫感とはかけ離れたあまりに明るい朗報に、逆に理解が追いつかなかったらしい。
一旦、礼拝堂が沈黙に包まれる。
「ねぇ、今なんて言ったの……?」
呆然と隣の女性がつぶやく。
「蝕が……過ぎた……」「助かった……?」
意味を理解しないまま、聞こえてきた言葉をただ鸚鵡返しに口に上らせる群衆。その言葉の意味が徐々に浸透するにつれ、ようやく皆の顔に希望の光が差し始める。
やがて、放たれた教会の扉から防衛に当たっていた男たちが帰還し始めた。
「アナタ!おかえりなさい!」「おとーさん!おとーさん!」
それを歓喜して迎える家族たち。わぁっ、と喜びの声で教会の淀んでいた空気が軽く、明るくなっていく。
「ラグナ!」
帰還する男たちの最後尾にラグナの姿を認めた。その瞬間、アーヤはどんな顔で彼に会おうと悩んでいたことなど吹き飛んでしまっていた。
再会を喜ぶ周りの家族と同じように、全身に喜びを迸らせてアーヤはラグナの元へと駆け寄る。
しかしアーヤと目が合ったラグナは、反対に一瞬怯えた表情を浮かべる。僅かな時間、視線が彷徨うように揺れ、彼の腰が引けた。
それでもそんな彼の様子にアーヤは敢えて気づかないフリをして、そのまま彼の前へと飛び出した。浮かべる笑顔は作ったものではない、心からのものだ。
「ラグナ、守ってくれてありがとう………!そして、おかえ……きゃぁっ!」
体当たりするかのような勢いで飛び出してきたアーヤの身体が、段差に躓いてぐらりと傾いた。ラグナがその身体を慌てて受け止める。
――二人の視線が至近距離で、ぶつかる。
逃げ腰なラグナに距離を取られる前に、と内心焦っていたらしい。その不安定な姿勢のまま、言おうと思っていた言葉がアーヤの口からこぼれ落ちた。
「おかえりなさい、ラグナ。」
「………っ!」
かぁっとラグナの顔が一瞬で赤くなった。
朱に染まった頬を隠すように、ばっと顔を逸らしてしまったラグナ。それでも、先に支えていたアーヤの身体をしっかり地面に立たせてくれたのは、彼らしい紳士的な対応といえよう。
そして顔を背けていても、後ろから見える耳まで真っ赤になっていることはしっかり見て取れた。
――何か変なことを言ってしまっただろうか。
ラグナの反応に混乱して自分の発言を振り返るが、思い当たる節はない。
と、そこで。
「こいつだ!こいつが蝕を引き起こしたんだ!」
耳障りな怒鳴り声が二人の間に割って入った。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
振り向くと、例の村長がどすどすと人混みをかき分けてやって来るのが目に入った。村人たちがそっと彼を避け、村長の周りに空間ができる。
そんな周囲をまるで気にせず、ずんぐりと太い人差し指をラグナに突きつけると、男は怒気を強めて声を張り上げた。
「この、災いをもたらした悪魔め!」
「村長、アンタは外に居なかったから知らないかもしれんが……」
ガタイの良い青年が、おずおずと口を挟んだ。真っ先に村の防衛に名乗りを挙げた青年である。
「コイツはさっきまで最前線で身体を張って俺たちと村を守ってくれたんだ。感謝こそすれ詰るのは……」
「はっ、」
嘲るような声で男の言葉を一蹴して、村長はラグナを顎で示す。
「それこそ貴様らは知らんかもしれんが、蝕の原因を作ったのはコイツだ!無害な魔物をわざわざ殺して、仲間を怒らせたんだ!」
自信満々に言い切る男に、ラグナは気まずそうに口を挟む。
「あー……、村長殿。ご存知とは思うが、無害な魔物なんて居ない。最初に言ったとおりアレは群れを呼び寄せるための斥候で、アレを倒していなかったらもっと大きな蝕が……」
「ふん、口だけでは何とでも言えようよ。」
吐き捨てるような口調で、村長はラグナの言葉を乱暴に遮る。
「それで、わざと蝕を引き起こして、村の者に取り入って……何が目当てだ?自作自演の蝕を退けてみせて、それで金でもせびるつもりか?……は!村の間抜けどもは騙せても、儂は騙されんぞ。この詐欺師!悪魔めが!」
バシーンっ‼︎
――もう我慢ならなかった。
ラグナが苦笑いで聞き流していようと、アーヤが耐えられそうになかった。
思いきりビンタした右手がじんじんと熱を帯びて痛むが、そんなことに構う余裕もなくアーヤは声を張り上げる。
「恥を知りなさい!」
しん、と静まり返った礼拝堂に自分の声だけが反響するが、そこで怯んでなどいられない。
「なんにも知らないくせに!勝手なことばかり言って!私たちのためにラグナがどれだけ……」
感情が昂ぶって、言葉が出てこない。
「許さないから!ラグナが気にしないフリをしても、私が許さない!」
「このっ……小娘が……!」
右頬を張られた村長が、怒りにどす黒く染まった顔で拳を振り上げた。
――殴られる、と恐怖に喉元を掴まれるが、アーヤは引く気はなかった。
ラグナの名誉を守るためなら、いくらでも受けて立ってやる!そんな想いを込めて、殴りかかってくる男を睨みつける。
「彼女に手を出すな、」
男の拳が振り下ろされる寸前、アーヤの後ろに控えていたラグナが軽々とその手を受け止めた。
「な……っ、離せ……!」
じたばたともがく男をまるっと無視して、ラグナは振り返る。その、優しい瞳と目が合った。
「アーヤ。」
ラグナはそっと首を振る。空虚な、諦めの混じった彼の笑みが胸に痛い。
「もう、良いんです。」
「だってそれじゃあまりにも……!」
――あまりにも、ラグナが報われなさ過ぎる。
あんなに苦しんで自分を削るようなチカラの行使をして……その結果が、身勝手な人間による糾弾だなんて。
それなのに、ラグナはもう一度笑ってみせる。
「良いんです、これで。」
捻りあげていた男の腕を無造作に捨てやると、呻きながら倒れる男には目もくれずにラグナは手を伸ばす。
「じゃ、行きましょーか。これ以上ここに居ても、揉め事のタネになるだけみたいですし。」
そうしてその場を切り上げようとする彼に、それ以上言葉を重ねることもできずアーヤはただ小さく頷いた。
「でも……ありがとう、嬉しかったです。」
最後に、付け足しのように告げられた言葉。思わずばっと顔を上げた。
その目に映る、ラグナの困ったような笑顔。今までの相手の妄言を受け流していた時の苦笑と似ているが、明らかに異なるその表情。
(……ああ、通じていた。)
思わず目頭が熱くなりそうなのを我慢して、ラグナの手を取った。
独りよがりの暴走かもしれないと恐れつつ、それでもアーヤはラグナへの侮辱を許すことができなかった。
その想いと……そしてその裏に隠された大切なメッセージは、しっかりと伝わっていたのだ。
実のところ、彼が特殊な人間ではないかということは薄々気が付いていた。当初はこれが異世界での標準なのかとも考えたが、普通の人は魔物に襲われれば簡単に死ぬし、広範囲の術を行使する術者の話も聞いたことがない。
そしてここに来て目にした、圧倒的なチカラで魔物を屠る彼の姿。それを見ても、恐怖や驚きよりも納得の感情の方が強かった。
――そう。だから。
彼の事情は知らなくても、彼の持つチカラが人の手には余る強大なものでも。
アーヤにとってラグナはラグナだし、評価が変わることなど無いのだと。それを、伝えたかったのだ。
きっと、そのチカラを奮うことで今まで何度も周囲の反応に傷つけられてきたのだろう。最初に目が合った時に見せた彼の怯えた表情は、その哀しみと諦めで満ちていた。
でも、この世界の常識を知らないアーヤなら……それをそのまま受け入れることができる。
身体を起こし、憎々しげな表情で二人を睨みつける村長を無感動に見やった。
ラグナなら一瞬で彼を絶命させることもできるし、実力の片鱗でも見せれば村中を平伏させることだって簡単だろう。
でも、彼はそれを望まない。ただそっと相手を助けることができれば、それで満足なのだ。
それなら……それで良い。
じっとこちらから視線を逸らさない村長をまるっと無視して、アーヤは笑って応えた。
「うん行こう、ラグナ。」
振り返る必要はない。
自分たちがどれだけ護られていたかも知らない哀れな愚か者たちを背にして、歩き出す。
目に見えずとも、二人の距離は村へ来た時よりもぐっと近づいていた……
初めてのポイントついたー‼︎
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