15.外(と)つ者は災いの兆し 陸
一方その頃。
魔物たちから身を隠す、石造りの教会の中へと場面は移って。
重苦しい空気の中、沈痛な表情で祈りを捧げる村人たち。早くこの悪夢のような時間が終わってくれと、無言のうちに救済を求めて彼らは礼拝堂にて身を寄せ合う。
その中に混ざり、アーヤは気遣わしげな表情で天窓を見上げていた。
外の光が唯一差し込む天窓。あの空の下で、ラグナは今も戦っているのだろうか。
その無事を想うと、胸が潰れそうになる。
決して彼を侮っているわけでも、信用していないわけでもない。
むしろ、こんな危機的な状況でもラグナならなんとかできるだろうという無責任な確信すらある。
それでも胸が痛くて仕方ないのは、それに対して何もできない己の無力さが浮き彫りになるからだ。
ただ守られるだけ、敵から身を隠すだけの自分。何のために異世界に来たのだろうと、虚しい気持ちに陥ってしまうのも無理はない。
――何か、少しでも自分できることがあれば。
天窓から差し込む明るい陽光は、教会の礼拝堂の一番奥へと光を投げかける。その光は、さながらスポットライトのようだ。
そのスポットライトの光を一身に浴びるのは、一対の彫像。
男性と女性の夫婦神なのだろうか。寄り添う二人は神様ならではの包容力と傲慢さを湛えた表情で、礼拝堂に集まる人々に手を広げている。
せめてラグナの無事を祈りたいと、隣の席で目を瞑り熱心に祈りを捧げている女性にアーヤはそっと声を掛けた。
「私も祈りを捧げたいのだけど……ここの神様はなんという名前なの?」
「なんという名前って……まさかアナタ、太陽神シラト様を知らないの?」
「えぇと……目が一つしかないんだ?」
「そりゃ太陽は一つしかないでしょう!」
同じ年頃の少女に信じられない、という顔を向けられ、アーヤは身を縮める。
――なるほど、太陽を表しているから目がひとつなのか。
「ということは、隣は……」
「夜女神ディアナ様よ、当然。」
本当に何も知らないのね貴女、とため息をつかれる。
何か言い訳をしようと一瞬考えたが、曖昧に笑って誤魔化すことにした。下手な言い訳は、却って怪しまれるだけだ。
「太陽と月の化身であるお二人は、いつも私たちを見守ってくれているわ、」
話しかけた女性は、どうやら面倒見の良いタイプだったらしい。
お祈りの途中だったというのにアーヤに向き直り、神様のレクチャーを始めてくれた。
「シラト様はすごい神様だから、私たちみたいに目を二つも必要とはしないの。一つの目で、ぜーんぶ見通しちゃうんだから。太陽の下で起きていること、過去も未来も何もかもシラト様はご存知なのよ。良い?目が一つしかないんじゃなくて、一つで十分なの。」
わかる?と厳しい視線を向けられて、アーヤは慌てて頷いた。先ほどの自分の不用意な言葉が悔やまれる。
「そして太陽が沈んでいる夜の間は、奥方のディアナ様が二つの目で私たちを見守ってくれる。でも、ディアナ様はシラト様ほどのお力はないから、片目ずつ眠ってしまわれるの。それでも普段はどちらかの目が開いているから大丈夫なのだけれど、偶に両方の目が眠ってしまう時があって……だから月が二つとも出ない夜、外に出てはいけないのよ。ディアナ様が見ていない時を狙って、魔物たちが跋扈するから。」
「なるほど……」
興味深い話を聞くことができた。こちらでは、月の満ち欠けがそのように受け止められているとは。
月が二つあると、その解釈も独特だなぁとアーヤは素直に感心する。
それでも空を見上げて神様の壮大なロマンを思い描く感覚は、元いた世界と共通のものだ。……まぁあちらは神話の舞台となった天体の謎を、科学が明かしてしまって久しいけれど。
「お祈りに、何か作法とかある?」
「貧しい村だから神官が居なくて、細かいことは皆気にしてないわ。偉そうなこと言ったけど、私のこの知識も偶に来てくれる神官様のお話の受け売りで……あぁ、貴女の居たところはウチよりもっと田舎ってことかしら?それすら知らないんだものね。
まぁでも、心を込めて熱心にお祈りすればきっとシラト様に伝わると思うわ。だって、神様ですもの!」
自信満々に言い切られて、そういうものか、とアーヤは素直に納得した。
テキトー宗教の日本人が言えた話ではないが、ここの宗教は随分と素朴な信仰のようだ。
そういえば、アーヤという恵みの女神がいるんだった。ということは、太陽神・夜女神の二人以外にも神様がいる多神教なのだろう。
神様がいつでも見守っている、というのを含めその考え方は日本人の宗教観にもマッチしている。
「貴女の知り合いも今、魔物の討伐に当たっているのでしょう?一緒に、無事を祈ってあげる。」
「あ、ありがとう……!」
そう言って正面に向き直った彼女に改めてお礼を述べ、アーヤも二体の神様に向かって頭を垂れた。
いただきますをする時のように手を真っ直ぐに合わせ、ぎゅっと目を瞑って神様へと呼びかける。
(神様、神様、どうか……!私を助けてくれたラグナが無事ですように……無事、蝕を乗り切ることができますように……!)
――ふっと、周囲が白い光で包まれた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
(え……?)
薄暗い礼拝堂で目を閉じていた筈なのに、明るく白い光が瞼の裏で輝いた。と同時に、自身の身体が釣り上げられた魚のようにぐんぐんと上に持ち上げられていくのを感じる。
反射的に身体を起こそうとしたが、自分の肉体の感覚がまるで無い。目を瞑っているのに視界は光の中でどんどんクリアになり、眼下の礼拝堂の全体がはっきりと見え始める。
その間にも身体は上へ上へと上がり続け、やがて天窓と同じ目線の高さまで到達する。
それでも上昇する勢いは止まることなく……
(ぶつかる!)
思わず身を竦ませたが、一瞬の暗転ののち視界がより一層開けた。
足元に見えるのは、今自分が祈りを捧げているはずの教会。上を見上げることはできないが、地面には魔物たちの影が暗く落ちている。
浮いている、というよりは視点だけがどんどん俯瞰的になっていくような感覚。
不思議と、恐怖はない。
あまり広くはない結界の範囲全てが視界に収まる程度の高さまで上り詰めたところで、壁の上に佇む一人の人影に気がついた。
(あれ……ラグナ……?)
村の防衛に当たっていた他の村人はどうしたのだろう。
そして、あんな幅20cmもないような安定の悪い足場の上で、彼は何をしているのだろう。あんな所では、結界の効力も十全に及ばないだろうに。
そんな疑問を感じ取ったかのように、視界が拡がるのが止まった。ラグナの姿を、視界の中心に捉える。
長く続いた戦いを示すようにあちこち擦り切れ、ボロボロになった彼の姿。それでも大きな怪我はなさそうなのが救いか。
ごぅ、と高所の強風がラグナに吹き付けた。フードが外れ、彼の髪がたなびく。
冷たい表情で空を見上げるラグナの顔が露わになる。氷の刃のように鋭利で、それでいて簡単に砕けてしまいそうな、どこか危うさのある佇まい。
旋風は衰えることなく彼を中心に巻き上がり、いつまでも吹き続ける。むしろ徐々にその勢いは強くなり、ラグナの服の裾を翻し、周囲の木々をざわつかせる。
異様な雰囲気を感じ取ったかのように、魔物たちもしばらく動きを止めていた。
細い糸一本でギリギリ繋がれたような仮初の静けさが、しばらくの間辺りを満たす。
その緊張感に耐えられなくなったように、パキン、と小枝が折れた。
その小さな音がやけに周囲に響き渡る。
一瞬の、考えるような静寂。
次の瞬間、場の均衡を崩された魔物たちが雪崩れるように怒涛の勢いでラグナに襲いかかる……!
その様子を、獲物と定められたはずのラグナはつまらなそうに見やった。
そして。
「滅べ。」
ぼそりと呟いた。
普段の彼とはほど遠い、平坦な感情のこもっていない声。
小さな声で発せられたその声は、しかし、くっきりと明確な質量を持ってその場に留まる。
――彼を取り巻いていた旋風が、ラグナを中心に緩やかにほどけていった。
ゆるやかに拡がる風の裾が、ラグナを狙って押し寄せる魔物の群れと接触したその、瞬間。
――なんの音も悲鳴もなかった。
ただその風に触れた途端、魔物の群れはさらさらと砂のように崩れだした。
形を留めていたのは、ほんの一瞬。黒く獰猛さを誇っていた鳥の爪は、牙は、翼は、見る見るうちに灰燼へと帰していく。
それはまるで海岸の砂山が波で崩されていくよう。約束された死への旅路。いずれは無へ帰す逃れられぬ運命。
空を覆わんばかりだった無数の鳥の群れは見る見るうちに無へと呑み込まれていく。気付けば、群れはごっそりとその数を減らしていた。
忘れられていた温かな陽光が頭上から差し込み始める。その優しい光は、しかし目の前に拡がる死の世界とはそぐわない。
目の前の出来事を信じられず、アーヤは呆然とその光景をただ眺めることしかできない。
聴覚を塗りつぶすように聞こえていた鳥の風切り音が次第に小さくなっていき、その代わりに耳障りなざらざらとした響きが耳元に届くようになった。
その音の正体を知って、アーヤは背筋が凍りつくのを感じた。
――この死の世界を前に、ラグナが笑っている。
心底おかしそうに、楽しそうに。
(あれは……本当にラグナなの……?)
恐怖に喉の奥がひりつく。それでも、彼から目を離すことができない。
ひときわ強い風が吹き上がる。ラグナの前髪がふわりと浮き上がり、普段隠されている右眼が露わになる。
血のように鮮やかな、燃え上がる朱い瞳。
優しい鳶色の左眼とはそぐわない、異形のその姿。
(あれは……一体、誰……?)
ラグナの笑い声は絶えない。
くつくつと笑いながら、ラグナは俯いて額に手を当てる。顔が隠されても漏れ出るくぐもった声と震える肩で、彼がまだ笑い続けていることがわかる。
その笑い声に応えるように、ラグナの纏う風はいつまでも吹き荒ぶ。
このままでは皆が避難する教会の中にまで累が及ぶのではないか、と不安に襲われたところで。
俯いた彼の頬が、太陽に照らされてキラリと反射した。
その意味に気づいたアーヤは、更なる混乱に見舞われる。
(どうして、泣いているの……?)
目を逸らすこともできず、ただ呆然とアーヤはその様子を見つめる。
と、何の前触れもなくラグナがふと顔を上げた。燃えるような朱い瞳が、突き刺すような憎しみの籠った瞳を向ける。痛みすら覚える、その視線。
彼の視線が、此処には居ないはずのアーヤを捉える。
(あ、目が合った。)
くらりと既視感を覚える。
――いつか、何処かでこの視線と出会っていたような。
何かを伝えたいと切望したような。
その正体を掴めぬまま、意識が自分の身体へと還っていく。
抗う間もない。
――目を開けばそこに映るのは、礼拝堂の灰色の天井だった。




