2年郷谷奈美との初手合い
今回の登場人物
織田宗一 期待の新入部員
郷谷奈美 2年
小松佳子 3年
明石家さすり 2年
2年郷谷奈美が将棋を始めたのは入部した後であった。つまり将棋歴は1年。
しかし、彼女は早指しでは部内でも屈指の実力をあらわすようになった。
基本的にアマチュア将棋は早指しである。持ち時間は15分や30分。予選は切れ負け(時間が無くなったら強制的に負けになる)。よって早指しに強いというのは絶対条件である。
郷谷は早指しに強いのにはわけがあった。
①スペシャリスト
②詰将棋と次の一手が得意
覚えた定跡は右四間飛車のみ。そして毎日詰将棋と次の一手を解くのを続けた。それが実を結ぶのに一年も時間はかからなかった。
「そうだね。もうあまり時間がないから切れ負け5分でどうだい?」
「はい。お願いします。」
(10分切れ負けか・・・指したことないな。)
織田は早指しは経験があまりなかった。あってもせいぜい一手30秒。10分切れ負けのルールだと大体一手が15秒以内でないと相手を詰ます前に時間が切れてしまう。
一方郷谷はこの持ち時間での対局に慣れ親しんでいた。
「これは・・織田っちの本性がわかるかもしれんなあ。」
先ほど織田と対局し負けたばかりの小松が、織田の弱点をさぐるような目で盤をのぞいた。
同じような目でのぞいていたのは2年の明石家さすりだった。
「小松先輩。先ほど新入生君と対局なさってましたが、どっちが勝つと思いますの?」
「そうやね。棋力でいったらまだ織田っちのほうが上やろうね。ただし、早指しとなるとわからん。それに郷谷はガチで勝ちにいっとるし。」
「それって、自分は本気ではなかってことになるのでは?」
「まあな。」
先手郷谷:(2年)
後手:織田(新入部員)
▲2六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲7六歩 △4四歩
▲4六歩
「右四間か・・。」
右四間を得意にするのは郷谷だけではないだろう。プロではあまり見られないがアマチュアに絶大な人気を誇る戦法、それが右試験である。飛車角銀桂をフルに使う破壊力。これは大砲とでも例えればいいだろうか。単純明快速攻破壊力抜群。そして早指しにおいて右四間を正確に受けるのは難しい。
△3二金 ▲4七銀 △5二金 ▲5六銀 △4三金右
▲4八飛 △6二銀 ▲7八金 △5四歩 ▲6九玉 △5三銀右
▲6八銀 △4一玉 ▲5九金 △8四歩 ▲3六歩 △8五歩
▲7七角 △3一玉 ▲3七桂 △7四歩 ▲1六歩 △6四銀
▲1五歩 △7五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲4五歩 △5三銀
右四間に対する受けのポイントは3三に銀を上がらないことである。桂馬の当たりを避けるためだ。
そして もう一つのポイントは▲4五歩 には歩を取らず △5三銀と守りを加える。取り込んで ▲4五銀のぶつけには△5五歩 と角道を止める。右四間の大砲コンビネーションである飛車角銀桂馬4駒の最強コンビネーションを働かせないことが何より急務である。
▲4四歩 △同 銀 ▲4五銀 △5五歩 ▲4四銀 △同 金
▲4五銀
郷谷は再び銀をぶつける。
「私はこいつで攻めるのみ。」
「やっぱり郷谷は今が旬やね。この時期ってのは一番油が乗っている。自分の指し手に自信が出てくる時期や。」
「いやな時期ですわ。」
郷谷と同じ二年でありライバルでもある明石家は心底嫌な顔をした。
「さて、明石家やったらどう受ける?」
「取る手から考えたいですわね。優雅さのかけらもない銀にいばられたくないですから。」
「ふむ。でも桂馬をつかわれたらダメやな。」
織田は10秒ほど使い△4三銀を着手した。
「切れ負けだというのに時間を使ってしまった。」
銀には銀でという指し方だが、あまり指す気のしない手である。織田は時間を使っていくつかの受けの手段を読んだが、郷谷の攻めをいなし切る自信はなかった。
▲4四銀 △同 銀 ▲5五角
「これは!?」
目が覚めるような一撃。
角の只捨てであるが、とれば4一金の一手づめである。しかも飛車と銀の両取り。封じ込めておきたかった角が5五にいきいきと躍り出した。
「こいつはきいたろっ」
郷谷の指が腕がしなる。
(しかたない。)
織田は△8四飛と逃げるが、指し手に力がない。
▲9一角成 △8六歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲8五歩 △7四飛
▲7五歩 △同 飛 ▲7六歩 △同 飛 ▲5五馬 △4三歩
▲4六飛
「それならばっと。」
郷谷は香車を取った。織田の指し手に怖さがないことを見越した一手だった。
しかし織田はここからが本領である。
織田のいいところでもあり悪いところでもある。それは
困ってから初めてスイッチが入る。
気持ちのこもってない手を指した直後から猛烈に力のこもった手が繰り出される。そのギャップに対戦者は読みを狂わされる。
8六歩から織田の反撃が突如始まった。
しかし郷谷は▲同 歩 △同 銀と進んだところでノータイムで▲8五歩と指した。
「ノータイムですって?こういうところが優雅さがなくてあいませんのよ。」
「取れば7六金から銀が取れそうだな。こういう切り替えしに目ざといよね。郷ちゃん。」
切りかかった刃を懐に入ってさけるような郷谷の将棋はさらに織田の時間をつかわせた。
織田は歩を取らず横に逃げるがまたしても歩の連打から一段落したかというタイミングでふたたびただの馬捨て5五馬!たまらず歩で受けるのには4六飛車と、またまた大技が飛び出した。
「くっっ!」
大駒が飛び交う派手な展開に織田は声を上げた。
(飛車交換はだめだ。横からの攻めに弱すぎる。しかし飛車を逃げれば銀が取られる。馬を取るのは飛車をとられてさらに飛車成りが残って・・・)
全てを読むのには時間が少なすぎた。
「ええい!取る。」
△同 飛 ▲同 馬 △3三角 ▲7一飛 △2二玉
角を動かすことでなんとか玉の逃げ道を開けたが、囲いの差は歴然だった。
「それならこうだ。」
▲1四歩 △同 歩 ▲1三歩
郷谷はあざ笑うかのように逃げた玉に狙いを定める端攻め。
(このままでは負ける・・)
織田は時間も形勢も遅れをとっていた。
「僕も自分の嗅覚にかける!」
△7七歩 ▲同 桂 △5五銀 ▲4五馬 △5八歩 ▲同 玉 △5一歩
「なんだこの手順は!?」
ノータイムでくりだされる怪しい手の連発。まず△7七歩とたたいて、陣形を崩す。そのあと△5五銀と一転して今度は大駒を攻めて、△5八歩で玉を引きずり出してから、△5一歩と自玉を先に受ける。この数手で織田は局面を一気に複雑化させた。
「そうそう。これやこれ。織田っちの本性の一つ。彼は局面の複雑化がうまい。」
「複雑化?」
「将棋には金持ち喧嘩せずということわざががあるやろ。優勢な方は喧嘩はさけて穏やかな流れにすれば自然と勝てる。彼はその逆をやっている。」
「貧乏人はやたらに喧嘩を売れってことですの。劣勢の時はあえて喧嘩を売って激しい流れにする。」
「そう。ただ喧嘩を売るだけやったら勝てない。なぜならば金持ちのほうが喧嘩も強いからだ。やから彼はゲリラ攻撃をしかける。暗闇の中で殴り合えば金持ちも勝てるとは限らん。」
優勢を意識していた郷谷もここで焦らされた。思いもしなかった指し手の連発に、今までほとんど時間を使ってこなかった郷谷が時間をつかわされた。
しかし、冷静に見れば局面もまだまだ郷谷が優勢。時間も郷谷のほうが30秒ほど多く残っている。
「(まず最初にみえる端を攻める1四香車は1八飛車と打たれて王手香車取りにかかってしまう。これが△5八歩の効果か・・)」
郷谷の選んだ手は3五歩。角頭をせめる格調を感じさせる一手だが、どこか速度が遅い。
「こんなのノータイムで2五桂馬ですわ。端攻めにもなりますし、角が逃げれば飛車が再び働きだすのですから。」
「そう。普段の郷谷ならまちがいなく桂馬をはねていた。これが織田っちの怖いところや。複雑化させられたことによって自分も複雑な手を考えてしまう。」
▲3五歩 △4四銀 ▲3四馬 △3九飛
織田は△4四銀と一度出た銀を再び引き、3四馬と本来歩で行きたいところに逃げさせられてしまった。そのタイミングで3九飛車と敵陣に打ち込む。
「(飛車を手放したら1四香車ができる。これは次に12金打ちが厳しいぜ。さてどうする?)」
▲1四香 △3七飛成
3七飛車成り!
「ここにきて手抜きだと!」
郷谷はぞくっと背中が震えた。
「局面はいつの間にか殴り合いのけんかになっているわ。」
「殴り合いなら得意だぜ!」
▲1二金 △3一玉 ▲5二香
5二香!香車をまるで歩のように使う強手である!
「こうなるとあとは強いほうか、指すのが早いほうが勝つわ。」
△4六桂 ▲6九玉 △5八銀 ▲7九玉 △1二香
▲同歩成 △5九銀不成
織田は△4六桂▲6九玉△5八銀と鋭く切り込んだ。▲7九玉には△1二香と一度金を取っておいて △5九銀不成。
「(これは取らないと詰みだ。しかし・・・)」
▲同 銀 △5七龍 ▲6八銀打 △5二龍
しかたなく▲同 銀 ととるが △5七龍で詰めろ香取りとなっている。
「これは完全に逆転ですの・・」
「いや、力のこもった将棋は簡単には倒れへん。ほら。」
郷谷はまだ勝つ気を捨てていない。
▲5三歩 △6二龍 ▲8一飛成 △8七歩 ▲8九香 △7一香
▲5三歩 取れば桂馬で角龍両取り。
「(しかし、飛車にあてれば桂馬をとるぐらい。そしたら歩ぐらいで勝ちだろう)」
逆転に成功した織田は今度はできるだけ単純な局面にしたい。時間も2分ほどしか残っていないため、当然だ。しかし郷谷は8九香車と執念の粘りを見せる。
「粘りも局面を複雑化させる手段の一つやね。」
「ええ、郷谷は泥沼のようにしつこいですわ。」
「(そっちがその気なら・・・)」
織田は攻防にきく△7一香で心をおりに行くが、この手も郷谷の粘りの影響を受けた流れのゆっくりとした手であった。優勢な方は安全に勝とうと確実な手を選びたくなる。
そのタイミングで郷谷は再び牙をむいた。
▲2一と △同 玉 ▲2五桂
「これはうるさい攻めだ・・それに時間がない。」
織田は守りきるのは無理と判断した。なにより攻め合いが織田の棋風であった。部長も小松も攻め合いで活路を切り開いた。これが織田の将棋だ。
「なるほど。織田っちは勝ち切るときまだ甘さがのっことるわけやな。」
小松は織田の弱みをみつけたかのような悪い笑みを浮かべた。
△7六歩 ▲3三桂成 △同 銀 ▲1二角 △3一玉 ▲5四桂
郷谷は織田の王に向かって猛ラッシュをかける。
「(▲5四桂が入るとかなり狭くなる。)」
△5三龍 ▲7一龍 △7七歩成 ▲同 銀 △同銀成 ▲同 龍
△5三龍 には▲7一龍と香車をとり△7七歩成には▲同 銀 △同銀成 ▲同 龍と一転して守りに入る。
「早指しの醍醐味やね。簡単に負けない形をつくることが大事や。」
時間は両者とものこり数分。わずかに郷谷がリードしている状況である。織田はあと数分で郷谷の玉を詰まさなければ負けてしまう。
△5四龍 ▲5六香 △6四龍 ▲2三馬 △同 金 ▲同角成
「これは郷谷が明るいわね。」
自陣には龍、敵陣には馬。
そのとき織田の手がしなやかに動いた。
△6九金!
「まさか・・・・つ・・詰むのか・・・」
郷谷の血管が拡張する。
▲同 玉 △5八銀 ▲同 銀 △同桂成 ▲同 玉 △4六桂
「三桂あって詰まぬことなしとはよく言うが・・。さてどこに逃げる・・」
郷谷の玉は丸裸。それに桂馬というスナイパーに狙われている状況。
どこへ逃げ込めば助かるのか。それとも助かっていないのか。
「真上だ!」
郷谷はほとんど読む余裕もなく、直感で指した。
▲5七玉 △6五桂 ▲4七玉 △5八角 ▲3七玉 △3六歩 ▲2八玉 △2七歩
▲1七玉
郷谷の玉はすらりすらりと織田の攻めをかわし、ついに端までたどり着いた。
「(2八銀から詰むか?だめだ、時間がない・・)」
△1六歩 ▲同 玉 △2四桂 ▲同 馬 △同 銀
詰みを読み切れず織田は郷谷の馬を外しに行った。
・・・・・・
▲2二銀 △同 玉 ▲7二龍 △5二銀 ▲1三銀 △3二玉 ▲2二金 △3三玉 ▲2四銀成 △同 龍 ▲2三金打 △同 龍 ▲同 金 △4四玉 ▲5四飛 △3五玉 ▲2四銀 △4五玉 ▲5五飛 △3四玉 ▲3五歩 △4四玉 ▲3三銀不成 ▲2三金打 △同 龍 ▲同 金 △4四玉 ▲5四飛 △3五玉 ▲2四銀 △4五玉 ▲5五飛
ここから二人は手が止まることがなかった。
結果は先手郷谷の勝ち。織田玉を32手詰みに打ち取った。残り時間は2秒。
「ふー・・」
「はー・・」
二人はしばらく声が出なかった。文字通りの息が詰まる戦いだった。
「どうや、先輩の力を思い知ったか。」
「小松先輩!?それ私のセリフ」
「はい。完敗です。」
織田は悔しさを顔に出さないように笑ったが、目がひきつっていた。
「まだまだですね、自分。」
「織田君!?それも私のセリフ。」
「がっかりしてる暇はなくってよ。まだわたくしや神谷さんとの対局が待っているんですから。」
明石家は二人の対局に熱を当てられていた。
「さすがに織田君はつかれたやろうから。今日の部活はおしまい。また明日指したらええわ。」
「えー。いいですの?わたくしに研究の時間を与えても。」
「その方が面白いしな。」
こうして織田宗一の部活初日は終わった。
今回の棋譜
先手:郷谷奈美(2年)
後手:織田宗一(1年)
▲2六歩 △3四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲7六歩 △4四歩
▲4六歩 △3二金 ▲4七銀 △5二金 ▲5六銀 △4三金右
▲4八飛 △6二銀 ▲7八金 △5四歩 ▲6九玉 △5三銀右
▲6八銀 △4一玉 ▲5九金 △8四歩 ▲3六歩 △8五歩
▲7七角 △3一玉 ▲3七桂 △7四歩 ▲1六歩 △6四銀
▲1五歩 △7五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲4五歩 △5三銀
▲4四歩 △同 銀 ▲4五銀 △5五歩 ▲4四銀 △同 金
▲4五銀 △4三銀 ▲4四銀 △同 銀 ▲5五角 △8四飛
▲9一角成 △8六歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲8五歩 △7四飛
▲7五歩 △同 飛 ▲7六歩 △同 飛 ▲5五馬 △4三歩
▲4六飛 △同 飛 ▲同 馬 △3三角 ▲7一飛 △2二玉
▲1四歩 △同 歩 ▲1三歩 △7七歩 ▲同 桂 △5五銀
▲4五馬 △5八歩 ▲同 玉 △5一歩 ▲3五歩 △4四銀
▲3四馬 △3九飛 ▲1四香 △3七飛成 ▲1二金 △3一玉
▲5二香 △4六桂 ▲6九玉 △5八銀 ▲7九玉 △1二香
▲同歩成 △5九銀不成▲同 銀 △5七龍 ▲6八銀打 △5二龍
▲5三歩 △6二龍 ▲8一飛成 △8七歩 ▲8九香 △7一香
▲2一と △同 玉 ▲2五桂 △7六歩 ▲3三桂成 △同 銀
▲1二角 △3一玉 ▲5四桂 △5三龍 ▲7一龍 △7七歩成
▲同 銀 △同銀成 ▲同 龍 △5四龍 ▲5六香 △6四龍
▲2三馬 △同 金 ▲同角成 △6九金 ▲同 玉 △5八銀
▲同 銀 △同桂成 ▲同 玉 △4六桂 ▲5七玉 △6五桂
▲4七玉 △5八角 ▲3七玉 △3六歩 ▲2八玉 △2七歩
▲1七玉 △1六歩 ▲同 玉 △2四桂 ▲同 馬 △同 銀
▲2二銀 △同 玉 ▲7二龍 △5二銀 ▲1三銀 △3二玉
▲2二金 △3三玉 ▲2四銀成 △同 龍 ▲2三金打 △同 龍
▲同 金 △4四玉 ▲5四飛 △3五玉 ▲2四銀 △4五玉
▲5五飛 △3四玉 ▲3五歩 △4四玉 ▲3三銀不成
まで167手で先手の勝ち