9話
殺っちゃった。
「違うんです違うんです。俺はただ『なんでやねーん』ってやりたかっただけなんですまさかちょっとした突っこみのつもりが人体二分割になるなんて思ってなかったんですそりゃあ相手にものすごくイラッとしてて力がこもりすぎてしまったきらいはあるけれどそんなつもりじゃなかったんです本当です信じてくださいおまわりさん」
「大丈夫だよこーちゃん! この世界におまわりさんはいないし、いてもお姉ちゃんの味方だから! こーちゃんの逮捕ぐらい、お姉ちゃんがもみ消すよ!」
ひどい権力者の横暴を聞いた気がした。
輿の上である――彼と姉を乗せた輿はかなり重そうで、下で運搬している瞳の綺麗な兵隊アリたちが一歩ごとに「ぬうぅ!」とか「ふんぬぅ!」と汗臭い声を出している。
時刻はとうに夜だった――兵隊たちが槍から松明に持ち替えて照らされた夜の中。一騎打ちはそんなこんなで虫人族側の勝利に終わり、現在は帰路についているところである。
まだ『復活の儀式』なるものは行われていない。
まさしく凱旋の様相であった。
チョウチョみたいな虫人族たちが手に手に楽器を持ち、背中の四枚羽根で飛びまわり、奏で、勝利を祝う。
回れ右して輿を先頭に自分たちの密林に帰る人々は目が綺麗で誰も彼もが一仕事終えた顔をしていて、それから目が綺麗だった。
目が綺麗。
「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」「ぬうぅ!」「ふんぬぅ!」
奏でられる音楽に汗臭い合いの手がまじっていた。
音の異物混入事件である。
沈黙さえもできやしない。
彼は――輿の上で体育座りをしていた彼は、横で頭をなでてくれる姉を、視線を動かしてチラリと見た。
「……姉ちゃんはさ、この世界、慣れるまでどんぐらいかかった?」
違いすぎて、戸惑う。
文明、価値観、時代背景、倫理感、人種、戦争の意義、そして形式。
どれもこれも違って、その『違い』に慣れた自分を想像するのが怖い。
「慣れてないよ」
姉は微笑み、答える。
かがり火に照らされてぼんやり浮かび上がる姉の顔は、なぜだろう、彼に安心感を与えてくれた。
昔のまま。
容姿だけならば、彼が幼稚園児だったころのままの姉が、そこにいる。
でも――
「いや、俺から見ると、姉ちゃん、めちゃくちゃ染まってるよ」
「よくわかんないけど、慣れてないよ。お姉ちゃんは、一生懸命やってきただけだもん」
「一生懸命、ね……一生懸命なら、許されるかな。俺でも、俺のしてしまったことを自分で許せるのかな?」
「よくわかんないよ、こーちゃん」
「……ごめん。俺もよくわかんないや」
興奮と虚脱感が同時に体の中にあった。
頭はぐちゃぐちゃだ。
だから。
なにはともあれ――
「姉ちゃん、俺を呼んでくれてありがとうな」
「……うん。こっちも、ありがとう」
「俺がなんかした?」
「呼び出して、怒られるかと思ってたの」
「……」
「あのね、こーちゃん。お姉ちゃん、ほんとは、この世界に来た時、すっごく怖かったんだ」
「そうなの?」
「うん。だって、いきなり知らないところにいるんだもん。誘拐されたかと思ったよ。だからね、こーちゃんも同じこと思うんじゃないかって……」
「……」
たしかにそうだ。
異世界転生――転移だか召喚だか知らないが、それは神様による誘拐に他ならない。
姉は死んだ。
行方不明ではなく、死んだ。
だから遺された側は姉の不在を『死』として受け入れることができた――受け入れるしかなく、そういうカタチに当てはめて幼い少女の不幸を受け止める努力ができた。
でも、死後に『異世界』に放り出された姉側から見れば、どうだ?
気付いたら知らない場所で。
家族は誰もいない。
まだ幼い少女がそんな状況に追い込まれたら、その心細さは想像するにあまりある。
そして。
姉は、その恐怖を知っていながら、弟を同じ目に遭わせたのだ。
……そういうあたりだろう、『怒られるかと思ってた』というのは。
「……まあ、俺が幼いままだったら、泣いたし、わめいたし、怒ったし、責めたかもな」
「うん……」
「俺が大人でよかったな、姉ちゃん」
「……」
「親不孝ではあるけれど、姉不孝にはならずに済んで、俺もよかったよ。今程度に大きくなってれば、俺だって、姉ちゃんが俺を呼び出そうとした気持ち、理解できるし」
「……そうなの?」
「うん。俺が逆の立場なら、姉ちゃんを速攻呼び出そうしたと思う。だって――やっぱり心細いもんな。みんな優しいし、明るいけど、やっぱりここは異世界だよ」
「…………うん」
「だからさ、いつか父さんと母さんも呼び出してやろうぜ」
「……怒られないかな?」
「説得するよ。……いや、もちろん殺してでも連れてくるのはダメだよ? でもさ、俺も姉ちゃんも天寿をまっとうしたとは言いがたいじゃないか」
「ええっと……」
「姉ちゃんがばあちゃんになって、俺がじいちゃんになって死んだわけじゃないだろ?」
「うん」
「だから、ひと目だけの再会になってもさ、あんたたちの息子と娘は、親不孝だったけど、違う世界では元気にやってたんだよって、見せてやりたいじゃないか」
「…………そうだね」
姉は笑う。
でも、少しだけ、泣いた。
涙を隠すように、姉は彼の首に腕を回して抱きつく。
彼は姉の頭を慎重になでた。
記憶の中で大きかった姉は、今、こんなにも小さい。
「こーちゃん、大人だね」
「姉ちゃんよりは歳とっちまったからな」
「でも、こーちゃんは、こーちゃんのままだね」
「そうかな?」
「そうだよ」
「そっか」
軍団は進んでいく。
異様な景色、異様な体験――異世界の一日が、こうして暮れていく。
ありえないことが多すぎて、ありえてはいけないことも多すぎた気がする。
だけれど――なんだか、ようやく、『異世界に来た』。
この世界はうたかたの夢などではなく――
これから、ここで、姉と一緒に『第二の人生』が始まるのだと、そういう思いが、ようやく心にわき上がってきた――ように、感じた。
○
「『我は死を統べる女王である』」
周囲を広葉樹に囲まれた広場には異様な雰囲気がただよっていた。
あたりはかがり火と無数の虫人族に囲まれており、その誰もが静かに、熱をこめた瞳で集団の中心にいる人物を見つめている。
黒髪に黒い瞳の、幼い少女。
真っ黒な衣装に、真っ黒なマントを身にまとい、なにか巨大な生物の大腿骨に無理矢理宝石をねじこんだような薄気味悪い杖を持っている。
彼女が立つのは、土の地面に描かれた模様の上であった。
その模様は彼女の一言一句に反応し、光を――黒い光を放っていく。
「『執着を抱きし者ども、我が呼びかけに応じよ』」
彼は、模様の外から、姉の様子をながめていた。
――復活の儀式。
本日の戦死者はこの儀式によりよみがえるらしい。
死霊術士――姉はそう自分を表現するし、彼女が操るはこの世界で『死霊術』と呼ばれる技術なのだろうけれど、彼からすれば『蘇生術』という感じだ。
……ふと、空が明るくなる。
彼が視線をあげれば、真っ暗な夜空だったはずのそこに、無数の白い光の玉が集まっていた。
「アレらは、本日の戦死者の魂ですね」
カシャカシャとギャラリーをまたいで近付いてきたアラクネが解説してくれる。
彼は青黒縞模様の物静かな女性を見上げ――
「……すごい数が亡くなったんですね」
「毎回、このようなものです。そして、人間側にしかネクロマンサーがいなかった時、彼らは復活しませんでした」
「……」
「コーチャン様は人間だそうですね」
「え? は、はい、そうです。今は容姿がドラゴン寄りですけど……」
「あなたから見て、我らは化け物ですか?」
淡々と紡がれた問いかけ。
だがそれには、声音にこめられた感情以上の大事な意味があるような気がした。
「我らは駆逐すべき化け物として、人間に『討伐』をされていました。まあ、我らの見た目は彼らとあまりに違いますので、それが主な原因でしょう」
「……」
「実際のところ――『人間』の中には、人間以外もいます。人間に近しい姿の彼らは『亜人』と呼ばれ人間と共存し、我らのようにシルエットが違う者どもは『モンスター』と呼ばれ駆逐されているのが現状です。ですから、あなたも我らを化け物と思っていないか、おうかがいしたいのです」
「…………」
「……失礼。詰問のようになってしまいましたが……いくら生き返るとはいえ、我らの側に立てば、人間の対面に立つことになります。それはあなたにとってつらいことではないのかと、もしつらいなら――身の振り方もあるのだということを、言いたかったのです」
アラクネは気弱そうな顔をした。
それでも彼にとってこの会話はクモ糸でできた巣も同然だった。踏み出す位置を間違えれば、がんじがらめになるような緊張感がある。
どう答えるべきか悩む。
だけれど――悩んだところで答えが出ないのだと気付くには、そう時間がかからなかった。
正直に語る以外、どうしようもないのだ。
「……まあ、つらいは、つらいですかね。正直に言えば――あなたの容姿も、まわりの虫人族のみなさんの容姿も、俺はびっくりしてるし、受け入れがたいと思ってます」
「……そうですか」
「でもいずれ慣れるでしょう」
「……」
「世界に慣れるころにはきっと、あなたたちにも慣れていると、俺は思いますよ。俺はこの世界にはたくさんの『慣れちゃいけないこと』があると思うと同時に、『慣れていいこと』もあると思ってますし。まあ、みなさんと上手にやっていけるかはたしかに心配なんですけど、というかですね……」
「?」
「目下一番の心配事は、姉の成長にあるんです」
「……」
「倫理感とか、そういうのも心配なんですけど……姉が成長したら、よその兄弟姉妹みたいに仲違いしたりケンカしたり、姉のこと本気で嫌ったりするんじゃないかって、俺はそれが結構真剣に心配で、それ以外のことはそれに比べたら小さいっていうか――」
「……」
「――アラクネさん、笑ってません?」
「いえ」
キリリと表情を引き締める。
でも、一瞬だ――抑えきれなかったのであろう笑みが、彼女の顔にはこぼれていた。
「コーチャン様は、この世界で長く過ごすおつもりなのですね」
「……まあ。腰を据えるしかなさそうだし……それにこの世界には満員電車もイヤな上司もないわけですから、居心地はいいと想像してますよ」
「……なんだかよくわかりませんが、我ら虫人族は、あなたの一騎打ちを評価しています」
「相手のベラさんにとっては交通事故みたいな感じだった気がしますけど……っていうか俺、人を、人を……」
「悪いことをしたと思うなら、次に会った時に謝ればよろしいのです」
「……」
「ネクロマンサー様がいらっしゃる限り、我らはずっと『次』があります。これは素晴らしいことです。なにせ、ケンカをした相手が死んでも、翌日謝ることができるのですから」
「……そうですね。ポジティブに考えるのはいいことだ」
「ええ。とはいえ――私が今、物事を前向きに考えられているのだとしたら、それはネクロマンサー様のお陰なのですよ」
「そうなんですか」
「ええ。おわかりかと思いますが――あなたのお姉様は、結構すごい方なのです」
「それは知ってました」
彼は笑う。
アラクネも笑った。
――ふと見上げた空には無数の魂。
散った命が回収されていくその光景は、おぞましく、神々しく、おそろしく、それから――綺麗だった。