29話
状況を受け入れるまで数秒。
空の魂が散っていき、あたりが暗くなるまでさらに数瞬。
胸を貫かれた姉が血を噴き出し倒れるまで、そこからさらに、永遠のような、一瞬。
――そして。
虫人たちの視線がベラに集まるのは、そこから一秒とかからなかった。
「違う! ベラさんじゃない!」
彼は慌てて否定する。
見ればわかることだ――ベラは弓を肩にかけたままだった。
それになにより、ここまで保身を主眼に置く彼女が、こんな敵陣ど真ん中でネクロマンサーを暗殺するなんていう自殺行為はすまい。
「周囲を警戒! 索敵! 残ったネクロマンサーを護衛!」
その声は彼のものではなかった。
声のした方向を見れば――そこにいたのは、青黒縞模様の、クモ虫人、アラクネだ。
彼女はバタバタ動き始めるアリたちを長い節足でまたぎ、接近してくる。
そして、足を折って、頭を垂れた。
「申し訳ありません。私の油断です」
「いや……」
油断。
それを言うなら、彼の方が油断していた。
これで終わるのか? と疑問を抱いていたくせに。
人類はこんなものか? と不可解に思っていたくせに。
復活の儀式中は安全なのだと、気をゆるめていた。
……彼は最近この世界に来た異世界人だ。
だから、慣れていないはずだった。
何度も何度も戦ってきたこの世界の人たちと違って、『一騎打ちが終わったら明日昼までは戦いがない』という刷り込みは行われていないはずだったのに――
「――俺が、姉ちゃんを守らなきゃいけないはずだったのに……!」
油断した。
そして――ようやく、思考が現実に追いついた。
守らなければならなかったはずの姉は。
胸を貫かれ倒れている。
「……姉ちゃん!」
もっと早く駆け寄るべきだった。
でも、一瞬、意識が逃避を選んでいた。
『また姉に先立たれる』という事実に耐えきれなくって、心が逃げていた。
駆け寄った彼は、姉を抱き起こす。
小さな体。
細い手足。
呼吸音は、ない。
「………………そんな」
なにも考えられない。
胸の奥でなにかがうずまいている。それは言葉にならないけれど激しいもので、あんまりにも体の奥でぐるぐると流れるものだから、吐き気がこみあげてきて止まらない。
喉奧からせり上がってくる苦くて熱いものを、彼はこらえる。姉を抱きかかえているのだ。はき出すわけにはいかない。
でも。
でも――どうしよう。
どうしたらいいんだろう――姉ちゃん。
死んだら、イヤだ。
「お姉ちゃんは私が復活させるのだわ!」
その声に、彼は弾かれたように振り向く。
輿から降りて彼の目の前に立つのは、金髪碧眼の幼い女の子。
人形みたいに綺麗でかわいいその子は――ネクロマンサー。
死者の蘇生という奇跡を可能とする、この世界にたった二人きりの――もはや一人きりの異能力者。
「できるの!?」
「ネクロマンサーに任せるだわ! でも――ここは私の儀式場じゃないから、今すぐは……」
「いつ、できる?」
「今から大急ぎで儀式場を私のものにすれば、明後日……ううん、明日の夜には、やってみせるのだわ!」
「明日……」
それまで、守らなければならない。
正体のわからない暗殺者から。
できるか?
いや、やるのだ。
今から気を張り続け、明日の夜までクレールを守り抜く。
自分ならそれができると彼は自分を奮い立たせ――
――認識の甘さを知ることになる。




