28話
「……本当に引き渡すのか」
あっけなく物事が進みすぎていると不安になるばかりで、彼はちょうどそんな心境だった。
帰り道。
彼のすぐ横を進む輿の上では、姉と――
金髪碧眼の、お人形みたいな少女が、仲よさそうに雑談している。
ネクロマンサーは本当に引き渡された。
そしてベラも仲間に来た。
ベラも、っていうか――
ベラとその家族。
それから、ベラ親衛隊(高台のそばで盾を構えていた人たち)も、だ。
「……大丈夫かなあ、人類……」
不安と不満が入り交じったような、不思議な感覚だ。
いや、もちろん、勝てたのはいいことだ。
ネクロマンサーが二人とも自陣営に来たことで戦争は終結に向かうだろう。
ここからモンスターが人類側に侵攻していく流れになるのかもしれないが――ネクロマンサーが虫人族の管理下にあり、虫人たちが協力的であるならば、どうにかなるかもしれない。
心情的には無理でも、ネクロマンサーという絶対的な力により抑えつけられ、人間とモンスターのあいだで、無理矢理な和平が成り立つ可能性は低くないだろう。
事態はおおむね理想的に推移している。
だからこそ不安、というか。
――人類はこんなものなのか?
そういった心配を、彼はぬぐい去ることができない。
「どうしたコーチャン、浮かない顔してんな。あたしらの勝利をもっと喜べよ」
隣から声がかけられる。
こうして横に並ぶと相対的にかなり小さいが――そこにいるのは嫁なのだった。
英雄ベラ。
何度も激戦を繰り広げ、殺し殺されたあいだがらだ。
それが今では嫁。
愛がはぐくまれたとかでなく、極めて謀略的に、そうするメリットが高かったという微妙にイヤな理由で婚約関係を結んでしまった相手である。
ちなみに彼女はどう見ても人間で、実際にさっきまで人間側にいた。
だというのにモンスター側の勝利をすでに『あたしらの勝利』とか言うあたり、図太いというか、なんというか……
この世界の人たちは、みなこのぐらいタフなのかもしれない。
「いや、戦いはまあ、勝ってよかったんですけど……人間側、いくらなんでも抵抗しなさすぎじゃないですか? 俺はそれが不安で……」
つい、ベラにぶちまけてしまう。
ベラは凱旋する虫人族全体の行進速度にあわせて歩きつつ、腕を組んでしばし悩み――
「たぶん、ネクロマンサーを賭けた戦いが、昨日約束されて今日起こったからじゃねーかな」
「……動きがにぶかっただけ、っていうことですか? なんていうか――政治的に」
「だと思うぞ。特に戦争がこういう形式になってから司令部はいちいち現場に指示を飛ばしてこねーようになってたし、頭がさび付いてて対応できなかったんじゃねーの?」
「……人間側でしたよね、さっきまで」
「おう。さっきまでな」
「にしてはボロクソに言いますね」
「いやだって実際、司令部のことはあんま好きじゃねーし。偉そうだし安全なところにいるし指示は現場の現実に即してねーし、給料は出来高制のくせにチェック甘いし、申請しないと保険もおりねーし」
「……うわあ」
ものすごく共感できた。
もちろん、この世界の『人間の上層部』のことは知らないが――なんていうか、元いた世界の上司とか会社とかを思い出す。
「モンスターはどうなの? コーチャンどんな生活してる?」
「不自由はしてないですけど……給料は、そういえば、ないかな? ただ別になくっても衣食住は保証されてるので……というか『衣』はまあそのなんていうか、俺にはいらない……」
「まあ『通貨』がねーみてーだしな。いいよいいよ、そういうのは人間を支配したら制度とか作ってこーぜ」
「…………あの、さっきまで人間側でしたよね?」
「人間側だったが、人間側があたしらに贅沢をさせてくれたことはねーからな。種族愛とか郷土愛よりも、重要なのは先立つもんだろ」
「……」
「まあ、コーチャンにプロポーズしたのはそればっかりが理由でもねーけどな」
「そうなんですか?」
「おう。経済、権力面は重要に決まってるし、そのあたりは外せないプロポーズ要因ではあるんだが――人柄の方もわりと好きなんだぜ」
「……」
「そのイカした見た目を差し引いても、うまくやってけそうな気がする。あー、『イカした』じゃなくて『イカれた』だったか? どっちだっけな……日本語の細かい言い回しは未だに迷うわ」
「個人的には『イカした』の方を推したいですけど」
「じゃあそっちでいいや。……ま、とにかくさ、あんたは約束守るだろ?」
「……約束?」
「あの場限りの口約束にゃしねーだろ、って。プロポーズの返事をさ」
「まあそうですね」
「だったらあたしも、誠実に対応するよ。尽くす方だし、料理うめーし、共働きで、家事は分担だ」
「……」
「浮気はしてもいいが、生活費はちゃんとしてくれよ。あと弟妹が大きくなるまでは、欲を言えば同居したいが――まあそのへんは、そっちと相談するよ」
「……なんか、結婚するんですね、俺たち……」
「そうだよ。約束破らねーだろ?」
「破りませんけど……」
「だったらあたしも、破らねーよ」
彼女は格好良く笑う。
彼はというと――やっぱり心がついていかなかった。
カルチャーギャップなのかどうだかさえわからない。
彼が悩んでいると、隊列が停止する。
どうやら『復活の儀式』を行う場についたようだった。
彼の目の前には、大きく円形に拓かれた土地があった。
木々に囲まれたその場所には、不可思議な紋様が描かれている。
この紋様の上で姉がしゃべったり踊ったりすると、紋様が黒く光り、空は蘇生を待つ魂で真っ白く輝くのだ。
その光景は返す返す幻想的で、綺麗で――怖ろしくて、おぞましい。
「明日、こーちゃんとベラさんの結婚式しようね」
輿の上から声がかけられる。
彼がそちらを見れば、輿に座った姉が、笑顔で彼を見ていた。
「結婚式かあ……元いた世界ではしたことなかったなあ……」
「こーちゃん、独身だったの?」
「まあ……」
「独身貴族だったの?」
「いや、独身奴隷かな……」
社会の奴隷だった。
結婚とか考える余裕もなかった。
「でもよかったよ。こーちゃん、この世界に来た時からベラさんのこと気にしてたもんね」
「まあ初めての相手だからね……」
初めて殺した相手である。
気にならないわけがなかった。
もちろん、恋愛的な要素で気になったわけではない。
「お姉ちゃんより早く結婚しちゃったね」
「そうだね……今の姉ちゃんに結婚を申し込んでくる男がいたら、俺はそいつを殺さない自信がないよ……」
姉はまだいいとこ中学生なのである。
……まあ、世界が違えば常識も違う。
ベラなんかも幼く見えるし、実年齢を聞くのは怖かったりもするが、それでも周囲からの白眼視などはないので、この世界では十六歳とか十八歳を待たずとも結婚できるのかもしれないのだけれど……
それはそれ。
これはこれ。
「じゃあ、結婚式の話とか、ごあいさつはまたあとにして――復活させちゃおっか」
姉が輿から飛び降りる。
代わるように、輿の上を這いずって、金髪の方のネクロマンサー――クレールが彼に声をかけてくる。
クレールは不満そうな顔で言う。
「……絶対こんなの弟ちゃんじゃないのだわ」
「あの、疑う気持ちはごもっともなんですが、俺はたしかに姉ちゃんの弟です……」
「だってだって、お姉ちゃんの言う『弟ちゃん』は、私より小さくて、なにをするにもお姉ちゃんのあとをくっついていって、怖い話が嫌いで、泣き虫で、でもかわいい子なのだわ」
「……まあ俺もそう、なんていうか……二十年前ぐらいはそんな子だったかもしれないです」
「…………弟がほしかったのだわ」
「……」
「お姉ちゃんと弟ちゃんと三人で遊びたかったのに、来た弟ちゃんがこんな巨大な爬虫類で私はショックを受けているのだわ」
「……あれ? いちおう、認めてくれるんですか? 俺が姉ちゃんの弟だって」
「お前なんか信じないのだわ。お姉ちゃんがお前を弟扱いするから、お姉ちゃんを信じるのだわ」
「……」
「……お姉ちゃんが元気よく笑ってるのは、たぶんお前が原因なのだわ。私は賢いからわかるのだわ。お姉ちゃん第一人者なのだわ」
「第一人者は俺だと思うんですが」
「この大人げなさ……中身はきっと四歳児なのだわ」
「……いや、まあその……」
「でも、お前たちは常識がないから好きなのだわ。ネクロマンサーをこんなに怖れないのは、異世界人ぐらいなのだわ」
「……」
「だからお前とも仲よくしてやるのだわ。というか――仲よくしてほしいのだわ。こっちだとネクロマンサーの扱いがまるで違って戸惑うのだわ。輿に乗って移動とか初めてなのだわ」
「普段はどうされていたんですか?」
「籠で移送されていたのだわ。人目につかないように」
「……」
「ネクロマンサーはそういうものなのだわ。見るだけで呪われる恐るべき存在――だっていうのにこいつらときたら、全然まったくそういう感じじゃなくって、戸惑うのだわ。あと、私は虫が苦手でさっきから地味に緊張しているのだわ」
たしかに緊張しているようだった。
たぶんクレール本人、自分がなにを言っているかわからず、心のまま口に出している感じがある。
「勢いで来ちゃったからお気に入りのぬいぐるみとかお洋服とか、なんも持ってこれなかったのだわ……」
「…………あの、考えて行動とかなさらないんですか?」
「お姉ちゃんを引き渡せっていう提案は妙策だったと信じて疑う余地もないのだわ」
「いえ、たぶんものすごい愚策だと思うんですけど……普通承諾されないですよ」
「お姉ちゃんなら『いいよ』って言ってくれるのだわ。言ってくれたのだわ」
「……まあ、そうかもしれませんが」
「これは私とお姉ちゃんの問題なのだわ」
「その結果、人類がヤバイんですが」
「だって勝たないから! というか一騎打ちィ! ねえ一騎打ちの人! なんで戦わなかったの!? 理解に苦しむのだわ!」
クレールがぷんすこしている。
ベラは「子供にゃわかんねーよ」と大人びた笑みを浮かべていた。
クレールはしばしうなって――
でも、ベラは無視して、彼に話しかけることにしたらしい。
「とにかく――お姉ちゃんの弟ということは、私の弟のようなものでもあるのだわ」
「その理屈はおかしい」
「おかしくないのだわ。だからお前は、私がいなくなった人類を守ってほしいのだわ……」
「……」
「こんなにおおごとになるとは思ってなかったのだわ……あとやっぱり、人類が全然やる気出してなかったのがすごく解せないのだわ……でも結果は結果なのだわ……私はお姉ちゃんとまた一緒に暮らしたかっただけなのに、なんか人類存亡がどうとかでものすごく怒られたのだわ」
「そこは本気で考慮できなかったんですね……」
「だって普段閉じ込められてるし……いつもなんとなく聞こえてくるのは、お姉ちゃんがなんかアイドルみたいなことしてるっぽい音声だけで……」
「アレ、どこまで響いてるんだ……」
「私もああいうキラキラした感じでやりたかったのだわ……」
「……かわいいと思いますよ」
「そんなわけで人類は好きじゃないけど、それでも滅んでほしくはないのだわ。だからお前は、なんていうか、私の弟として、私のやっちゃったことをどうにかうまく転がしてほしいのだわ」
「弟ではないですが、俺も人類滅亡は思うところがあるので、がんばります」
「正直、お前に頼るしかできないのだわ……どうしたらいいか全然わかんないのだわ……やっちゃったと気付いた時にはもう遅く……」
「まあ俺も、ツッコミ感覚で人殺しをしたことがあるので、気持ちはわからないでもないです」
「殺人爬虫類……怖っ」
「殺した相手が今、妻なんですがね……」
「怖っ」
たしかに怖い。
数奇な運命どころじゃない。
運命をたぐる神的な存在がいるとしたら、そいつは気が狂っている。
『本当は怖い異世界転生』をやっていると――
不意に、あたりが明るくなり始めた。
全然まったく聞いてなかったが、姉はどうやらすでに復活の儀式を始めていたらしい。
地面に描かれた紋様は黒く輝き、空には無数の――とはいえ、普段よりは少なく見える量の、真っ白く輝く魂たちが集ってきている。
これらすべてが、死にきれぬ命。
これらすべてが、今日消えた命。
美しいのに、なぜか、おぞましい、いつもの光景。
……おぞましさの正体がなんとなくわかった気がする。
彼の倫理観で、生と死は逆しまにならない。
それに逆行しようともがく生命の輝きは――あれほど美しい白い光を放っているのに、どことなくグロテスクなのだ。
だから彼は――彼ら全員は、空に視線を奪われる。
蠢く魂たちから目が離せない。
……だから、だろうか。
気付くのが遅れる。
――儀式が終わらない。
天に集った魂たちが、蘇生を開始しようとしない。
だから彼らは視線を下げ――
初めて気付くのだ。
――音もなく。
決して派手でもないし、決して威力があるわけでもない。
ただ、人を一人殺すには充分すぎるもの――
――一本の矢が。
詠唱中の姉の胸に突き刺さっている事実に――
しばらく、呆然と立ち尽くした。
――状況が、理解できない。




