27話
「……手応えがなさすぎる」
集団戦を終えての感想が、それだった。
夕刻――あとは一騎打ちを控えるのみとなった時間帯。
互いの軍勢は緒戦こそ火花を散らす激しいぶつかり合いを見せたものの――
その後、人間側は防衛に徹するのみであった。
もっとも、意図がまったく想像できないというわけでもない。
ネクロマンサー引き渡しのタイミングによっては、夜に行われる『復活の儀式』ができなくなるのだ。
だから死者を減らすようつとめた。
もとより集団戦の結果は勝敗には関係ない。
それでも『集団戦で押し切って勝利だと言いくるめに来る』可能性を彼は想像したが……
人間側に大した増員はなかった。
ならば被害を抑える戦略をとるというのは、不思議というほどでもなかろう。
だが、一騎打ち。
これはさすがに、意味がわからない。
彼は正面に立つ人物を見て、しばし呆然とする。
「……ベラさん、なんでここにいるんですか」
杭と縄で囲まれたテニスコート二面分ほどの、急造の『決闘場』――
ここ、南部戦線の主な舞台である砂塵舞う平地の中央に設置されたこの場所で、彼は宿敵と向かい合う。
ベラ。
まだ幼い印象の、赤い髪の、毛皮でできた露出度の高い服装を身にまとった――
――弓兵。
彼はもちろん、ベラの実力を痛いほど知っている。
集団戦の時に出会う彼女は『脅威』の一言であった。
だがそれは、彼女が『どこにいるかわからない状態』で戦闘が始まり、『高台に乗り』、『周囲を盾を構えた兵士で固め』、『充分に矢に力をためて放てる』状況ゆえの『脅威』だ。
近距離で向かい合った状態から始まる一騎打ちにおいて、英雄ベラは最弱である――まあ彼は他の英雄を知らないので、比較はできないが、弱いのは間違いない。
それが目の前にいる意味。
彼は否応なしに、気付いてしまう。
「……人間側は、勝つ気がないんですか?」
そうとしか思えなかった。
そうとしか思えないが――そうである理由が想定できなかった。
負ければ、ネクロマンサーを失う。
デメリットしかない――現在の戦争は『互いに毎日死んだ兵士が復活する』ことでバランスをたもっているのだ。
復活手段を失った陣営は滅ぶのが必定である。
だというのに、やる気の感じられない集団戦。
そして、一騎打ちにおいては間違いなく弱いベラの投入。
これは彼が――虫人族全体が困惑を覚えるには充分だった。
「さあ、よくわかんねーよ」
ベラが肩をすくめる。
会話には応じてくれるらしい。
「知ってるかコーチャン、あたしらの一騎打ちはな、人気投票で誰がやるか決まるんだぜ」
「ええええ……そんなシステムだったんですか?」
「そうだよ。だからあたしみてーなのも選ばれる。コーチャンは知らないかもしれねーが、南部戦線にはもともと砦があって、それの奪い合いだったんだぜ。その戦況をあたしは一変させたんだ」
「一変っていうのは?」
「砦をなくした。それがきっかけであたしの名声はえーっと、なんだ、ウナギノボリ? だ」
「……」
『砦をなくした』。
政治的にとか、そういう話ではなかろう。
あの高威力の矢で『物理的に』なくしたのだ。
なるほど、彼女は『攻城戦の英雄』とか呼ばれてたな――彼は最初に一騎打ちをした時の記憶からそんな情報をサルベージする。
「んで、あたしの時代が来たわけだ。まあ、一騎打ちはご存じの通りの実力なんで、早々に降ろされたわけだが……」
「じゃあ、また返り咲いたっていうことですか?」
「それもあるかもって話だよ。お前とあたしの勝負は、あたしの人気を再燃させるに充分だった。集団戦で活躍するっていうのはつまり、そういうことでもある」
「なるほど」
「……ただ、通例、一騎打ち候補から一度外されたら、よっぽど特別なことがない限り復帰はできねーはずなんだがな。そこが不可解っちゃあ不可解だ。選挙管理委員の考えてることはよくわかんねーな」
つまり、ベラもこの采配の理由はよく知らないらしい。
単純に人気再燃が理由の可能性もあるし――
――選挙委員会。
その組織が、誰かのなんらかの意図で動いた結果、『最弱の英雄』が配されるにいたったという可能性も考えられる。
なににせよベラから情報を引き出すことは不可能だというのがわかった。
「まあなんにせよ、奇跡みてーな再戦だ。ここはあたしも勝ちに行くぜ」
「……できますか?」
煽ったとかではない。
普通に疑問だった。
「ヘッ。なめてもらっちゃあ困るな。あたしが一度つかんだ金儲けのチャンスをそうやすやすと手放すかよ。こちとらたくさんの弟妹がいる身だ。――稼がせてもらうぜ、生活費」
「なんだか知らないけどすごい迫力だ……」
「それにな、こんなこともあろうかと、あたしは必勝法を考えてきたんだぜ」
「……」
その『必勝法』がなんなのか想像もつかない。
だが、ベラの顔には自信が満ちあふれていた。
まさかチャージなしであの『矢』を放てる、とかだろうか?
以前に二矢連続で放たれた時には度肝を抜かれたものだ。そしてあの時、二矢目にはチャージ時間らしきものはなかった。
あの矢を連射、あるいは速射、いや、一射限りの抜き撃ちみたいなものでもできるならば、ベラはもはや『一騎打ち最弱の英雄』ではない。
あるいは――チャージした矢をどう放つかではなく、矢の素材自体の改善などもありうるか。
『普通の矢が通らない』という彼のアドバンテージは、普通に通る矢を放たれるだけでかき消える。
彼は戦々恐々しながらとベラを観察する。
ベラはニヤリと笑い、
「コーチャン、あたしを嫁にしろ」
そんなことを言った。
……いや、どんな発言だ。
彼は一瞬、言葉の意味を理解できずに固まる。
危ない。
試合が開始していたら、不意打ちを食らっていただろう。
「……ええと、すいません、今、意味のわからない発言があったような……動揺を誘うなら成功ですけど、発言タイミング早くないですか? まだ開始の合図鳴ってないですけど」
「いや、動揺を誘うとか、そういうふざけた話じゃねえ。大真面目だ」
ベラの顔は大真面目だった。
彼はなんだか久々に思う――この世界の人の思考にはついていけない、と。
「いいかコーチャン、本当のことを言えば、あたしは戦場に婚活に来てるんだ」
「えええええ……」
「あたしは今、若い。今、英雄だ。今、強い。だがな――人間は老いるんだ」
「……まあ……」
「あたしは、戦場で稼げるうちに、素敵な旦那様を見つけなきゃならねえ」
声はあくまでも重かった。
ベラはあくまでも真剣な様子だった。
でも彼はノリについていけなかった。
「あのすいません、それでえっと、なんで俺なんでしょうか……?」
「調べたぜ、お前のこと」
「……」
「お前――そっちのネクロマンサーの弟らしいじゃねーか」
「……まあ」
「早く言えよな、そういう大事なことは。モンスター側最高司令官も兼任してると噂の、人類の裏切り者のネクロマンサーの弟で、本人も超強いとか――将来安泰じゃねーか」
「……あの、俺があの姉ちゃんの弟だという事実は受け入れられるんですか? そのなんていうか、姿とか年齢とか……」
「姿や年齢なんかささいなことだ。人同士の関係で大事なのはそういう外側から見えるもんじゃねえ。心だ」
「……まあ、はあ、えっと……とりあえず、続きを」
「おう。あたしは、経済的に安定しており、現在の仕事を長く続けられ、一定のペースで昇進が見こめる素敵な旦那様をいつでも募集してるんだ。そしてお前は条件にピッタリだった」
「……」
「そういうことだな」
どういうことだ。
いや、わかる。このうえなく懇切丁寧な説明はなされている。
でもわからない。
心が理解できるところまで進んでない。
「えーっと、言いたいことは色々ありますが、とりあえず確実なことは、俺はモンスター側で、あなたは人間側なんですけど……」
「いいかコーチャン、いいことを教えてやるぜ」
「なんでしょう」
「陣営が違うとか、種族が違うとか、そんなのはささいなことだ」
「……」
「健康で安定した幸福な生活より重要なものなんて、この世にない」
なんにも否定できない。
彼は思わず言葉に詰まった。
そのスキに、ベラが近付いてくる。
弓兵のくせしてガンガン距離を詰めてくる。
「いいかコーチャン、これがあたしの必勝法だ」
「いや、その、えっと……」
「ここでお前が承諾すれば、あたしは潔く負けを認めよう」
「勝ってないじゃないですか」
「違う。一騎打ちには負けるが、人生には勝てる」
「……人生」
「あたしが今、一騎打ち代表に選ばれた時点で、流れは完全にあたしに来てる。ここであたしが負けを認めたらどうなる?」
「えーっと……まあ、モンスター側が勝って、そっちのネクロマンサーがこっちに来ますね」
「そうだ。モンスター側は優勢になるだろう。そしてあたしは、モンスター側トップの弟の嫁だ」
「…………」
「すごくない? あたしの時代が来てない?」
「あの、それって人類に対する裏切りな気がするんですけど、心とか痛まれないんですか?」
「そう難しく考えるな。あたしは幸せになりたいだけだ」
そう言われると反論できない。
彼は道徳や帰属意識を説ける立場にないのだ。
まあ、周囲のギャラリーからものすごいブーイングと大爆笑が起きているので、ベラの提案はきっとこの世界的にも『ねーよ』というものなのだろうけれど……
というかギャラリーが多すぎる。集団戦で全然人が死ななかったからだろう。
彼が困惑していると――
ドォン! と一騎打ち開始を告げる太鼓が鳴る。
彼は慌てて意識をベラに戻すが――
ベラは弓を構えることさえしない。
「どうだコーチャン、承諾か、許諾か、『はい』か、『オッケー』か、好きな返事をしてくれ」
「実質答えは一つじゃねーか……!」
「だがなコーチャン、ここであたしのプロポーズを断るメリット、そっちにはないはずだぜ」
「いや……いや、どうかなあ……ある気がするなあ! あるような、気が……」
考えたけど――
たしかになかった。
ベラが戦闘面での『必勝法』を確立していないとは言い切れないのだ。
それに対応し損ねて負ける可能性は、万が一にもない――なんて、言えない。
それがプロポーズさえ受ければ、戦闘なしで勝利できる。
ネクロマンサーを賭けた戦いで無血勝利だ――断るメリットがない。
でも、なんか……!
「こ、こういうの、いけないと思うんですが……!」
「とりあえず軽い気持ちで承諾すればいいじゃねーか」
「でも、プロポーズですよ? 俺たちはほら、お互いのこともまだよく知らないし……」
「いいかコーチャン、結婚に愛は必要ない。気持ちさえ、いらない」
「だったらなんにもいらないじゃないですか!」
「いや。お金さえあればいい」
「……」
「大丈夫だ。あたしはこう見えて尽くす方だぜ。愛なんて一緒に生活してるうちに生まれる」
すげー男らしいなと思った。
これが毎日命のやりとりをしつつ大家族を養う女戦士である。
思わず惚れそう。
「っていうかベラさん、実は謀略得意ですよね!?」
「いや、あたしは頭が悪いぜ。戦略とか戦術はサッパリだ。だがなあ――幸せになりたいっていう気持ちが、あたしに機を読む力をくれたのさ」
「運命が味方してる感がものすごいな!」
実はあの人、主人公なんじゃねーの?
逆らえる気がしなかった。
というか、彼は気付く。
ベラが手を出してこない。
だからなんというか――彼女を殺そうと思えない。
覚悟は決めていたが、覚悟の外から攻撃をしかけられている。
激戦の末相手を倒しなんとしても勝利する気概はあったが――
――戦う気のない相手に向ける刃を、用意し損ねた。
だって、戦わなくても勝てるのだ。
プロポーズさえ受ければ。
「……でも、しかし……」
「コーチャン、深く考えるな」
「いやお互いの一生どころか、お互いの種族の命運を決める大事だと思うのですが……! 今深く考えないでいつ深く考えればいいんだというような事態のはずなのですが!」
「わかった、わかった。じゃあ、条件を詰めていこう」
「条件?」
「共働きでいい。でも、家事は分担しよう」
「話を進めないでくれませんか!? っていうか――戦えよ! もっと真剣に!」
「戦ってるよ! 真剣に!」
「……」
「婚活が真剣な戦いじゃねーと思ってんのか!?」
「いや、まあ、そうなんですが……!」
「そっちこそ、この一戦の意味がわかってんのか?」
「……ネクロマンサーを賭けた戦い、でしょう?」
「そうだ。この一戦を境に、戦争が終わりに向かう可能性が高い」
「……」
「そしたら戦うことで稼いでたあたしらはどうなる?」
「…………」
「わかるかコーチャン、今なんだよ。今しかねーんだ。今なら、あたしは、自分の運命を自分で決められる。今、戦ったら死ぬかもしれない。死んで――もうよみがえれないかもしれない。なのに、今降伏したら、生きて幸せになれるかもしれねーんだ」
「……」
「だから、あたしを幸せにしてくれ」
「…………いやでも、裏切り行為じゃないですか」
「人類の命運のためにあたしの幸福をあきらめろって? 冗談じゃねーよ。そんなヒロイン願望、あたしにはない」
「……」
「あたしは悲劇のヒロインより、素敵なお嫁さんになりたいんだ」
冗談みたいな話だが。
ありえぬべき提案だが――ベラは大真面目だし、真剣だし、これは彼女なりの戦いだった。
このあたりが『才能ある英雄』と『才能を姉により後付けされた一般人の自分』との隔たりなんだろうなと彼は思う。
自分は背負いたい。
種族の命運とか、今後の世界とか、そういうものを背負いたい――主人公になりたい。
ところが彼女は、背負いたくない。
強いからなんだ。大事な局面で大事な役割を背負うから、それがどうした。
自分の幸福と世界の命運だったら、自分の幸福をとる。
そういう人、なのだった。
……ああ、そして、なんとも大変なことに――
利害が一致してしまっている。
そして、ここから殺し合いを始めることは、彼には不可能だった。
この世界の人には追いつけない。
この世界の人は、愛を語りながら殺意を向けられるのかもしれない。
日常と戦場の境があいまいかもしれないが――
彼はまだ、そこまで思い切れなかった。
ようするに――これは敗北だ。
自分がまったく想定していなかった戦いを仕掛けられ、負けたと、そういうことだろう。
彼は――
「わかりました。お受けします」
――ベラの人生を背負うことに決めた。
他にどうしようもなかった。
勝たなければならない戦いで、たった一言で無血勝利ができるのだと示されたのだ。
そしてここから相手を殺して勝つこともできない。
ネクロマンサーが引き渡されるということは、復活できなくなる可能性をはらんでいる。
ベラを『殺す』ことは――
彼には、できない。
「結婚しましょう、ベラさん」
想定が甘すぎた。
殺し合う覚悟はできていたけれど、一方的に殺す覚悟は全然まったくできていなかったのである。
「よし、あたしの負けだ」
このテンションのまま、ベラが約束を反故にしたって対応できなかっただろうが――
――ベラは約束を履行した。
こうして、拍手とブーイングがない交ぜになる中――
――彼は異世界で嫁を手に入れた。




