11話
『みんなー! 今日も命を惜しまずがんばろー!』
ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
真っ青な空には半透明の姉が大きく映し出されていた。
キラキラという画面効果のせいで普段の七割増しかわいく見える姉が、ウィンクしたりくるりと回ったり謎のポーズをキメたりする。
そのたび沸き上がる兵士諸君たちは別の意味でキメているとしか思えない興奮っぷりで、彼のテンションは置いてけぼりをくらい、こうして戦争は終わらない。
周囲には目の綺麗な手足の太い巨大なアリども。
その中で彼は浮いていた。
精神が違う。
生命体としても違う。
ここは南部戦線であり、この最前線を構築するのは主に虫人族と呼ばれる、知性ある巨大な虫、あるいは虫と人とが合わさった特徴を持つナニカである。
その点彼は比較的爬虫類だし、色は黒でおそろいだけれど、周囲から頭二つ分抜き出るぐらいデカイし、翼生えてるし、角生えてるし、爪と牙は鋭いし、そんでもって一人だけ丸裸だった。
そういえばこの世界に来てから服を着ていなかったことを、彼はようやく思い出す。
周囲のアリどもだって似たようなものだけれど、ある者は鎧を着ていたりするし、全員が全員槍などで武装しているのだ。
見た目が妙にファンシーなせいで不思議の国感あるけれど、これから挑むのが殺し合いだと考えれば、槍や鎧による武装はしごく当たり前の備えである。
それなのに、全裸って。
でも不思議と恥ずかしくないのは、周囲がみんなほぼ全裸のお陰だろうか。
すげえこの戦場、みんな下半身丸出しだ。
『じゃあ、今日も、明るく楽しくアットホームな、死のない戦の最前線勤務、始めるよー!』
あがる歓声。
音の波が彼の全身を叩いていく。
それは夏の夕暮れに聞こえてくる潮騒のようだ。
なにもかもが遠い。
彼は彼自身をすら俯瞰的にながめていた。
たぶん、疲れている。
体ではなく、心が。
「コーチャン様」
誰かの――壮年男性のような声が聞こえる。
彼が音を頼りに探せば――そこには、全身真っ赤な、槍を持った、目の綺麗な巨大アリがいた。
「ええと……」
「あ、申し遅れました。赤アリのジャックと申します」
アリがお辞儀をした。
すげぇ絵面だと彼は思った。
ともあれ反射的にあいさつを返し――
「どうも。それで、あなたは……」
「アラクネ様より、あなた様に簡単な戦場チュートリアルを仰せつかっています」
「え、今ですか!?」
あともう少しで戦闘開始を告げる太鼓の音が鳴り響くだろう。
少なくとも姉による訓示はとっくに終わっていた。
「ちょっとあなた様のところまで来るのに時間がかかってしまい……申し訳ありません。ここは最前線の一番最前列でして――ほら、ご覧くださいよ。敵の最前列がものすごく近いでしょう? あっはっは」
ジャックが槍の穂先で前を指した。
彼は穂先の方角を見る。
――風で舞う砂塵の向こうに、たくさんのナニカが見えた。
ヒトだ。
そろいの鎧を着込み、そろいの槍を持った、人々。
そいつらは大きな盾を構えて、突撃に備えていた。
そこそこの距離はあるのかもしれないが――
彼の視力ならば、表情さえ見える。
緊張した面持ちで、力強く盾を地面につけ、相手の攻撃に備えている。
そこには気軽さなんか欠片もなかった。
当たり前だ。
ここは戦場だった。
生きるか死ぬかの瀬戸際に彼らは立っている。
いや、たとえ死んだとしても、生き返ることはできるのだろう――だが、普通、『それ』と『これ』とは別問題なのだ。
死は怖れるべきモノ。
たとえ、死を怖れずとも、痛みは怖ろしいはずなのだ。
だからこそ彼らは緊張をしているのだろう。
……なんていうことだ。人間たちは、この勝敗を決しない、死んでもよみがえる集団戦をああまで真摯に捉え、真剣に挑んでいる。
共感できる姿勢だった。
死を前にして挑む戦とは、あああるべきだと彼は深くうなずく。
だというのに――
「まあ、突撃して、敵戦列に穴を空けて、後続を続かせるのが、最前線最前列の役割というわけですなあ。見てくださいよあの、ガッチガッチの備え! 城壁かっつーの!」
ジャックは笑っていた。
緊張感の欠片もなかった。
彼は思わず問いかける。
「あなたは死が――痛みが怖ろしくないんですか?」
「我ら虫人族は、どうにも痛覚が人間と比べ極端に鈍いっぽいので、痛みは怖ろしくないんですなあ、これが!」
さっぱり共感できなかった。
会話をすればするほど心が離れていく感じさえする。
「ともあれ――我らはこれよりあそこに挑むわけですな。あの重厚なる盾にぶち当たって行き、うまいこと蹴散らし、敵陣へ切り込むのが役割です。ただ、あの盾を持った連中は槍も持っていますので、反撃はまあ覚悟した方がよろしいでしょうなあ」
「……ちなみに、敵戦列に穴を空けられなかったらどうなるんでしょうか?」
「後ろの連中が我らを踏んで行くだけですわ」
「……」
「相手最前列の槍が、こちらの最前列に突き刺さりますわな? そうすると、あら、不思議! 相手最前列の槍は、こちらの二列目には刺さらないんですわ!」
「なんでですか?」
「そりゃあ、こっちの最前列の体を貫いている最中だからですな!」
「…………」
「つまり、我らが槍で突かれたならば、二列目が我らの死体――まあ、我らは槍で突かれた程度では死にませんが、ともあれ死体寸前の最前列を踏み台にして、敵陣へ躍りかかるというわけですな」
「……でも、こっちの二列目が、あっちの二列目に迎撃されません? 死体を踏んで飛び上がった二列目が、下から突かれると思うんですけど」
「そこで三列目の登場ですわ」
「……」
「そんなわけでどんどん突撃していくので、『あ、無理、敵戦列に穴空けられない』と思っても立ち止まってはいけないわけですな。なんせ後ろから来る味方に踏み殺されますからなあ」
「…………」
「新兵はこの時、『ブルッて立ち止まっちまって、後ろの味方に殺される』っていうのを結構やらかすんですわあ」
「……」
「でも、コーチャン様は大丈夫でしょ! なんせ立派な体しとりますからなあ! あなた様が全力で向かってきたら、相手の方がブルッて逃げちまいまさあ!」
「戦争って、怖いですね」
「面白い冗談ですな」
ジャックは大笑いした。
彼は笑う気分にならなかった。
控えめに申し上げて、吐きそう。
「まあ最悪、手足の一本二本ちぎれたところで、まだあと五本か四本はあるので、とにかく進むことだけ意識してれば大丈夫ですな」
「あの……俺は腕も足も二本ずつしかないです」
「立派な翼が三組もあるようですな。足なら二本までいけるでしょう」
「……あの、ジャックさん……恥ずかしながら、初陣でして、緊張してるんです。もっと緊張がほぐれるような話とかはないでしょうか?」
「お、そしたらとっておきの話をしましょ。これはオチが最高なんですわ。昔々、まだネクロマンサー様がいなかったころ、人間の集団に襲撃された仲間がおってですな。そいつは絶体絶命の中、あることをして生き延びたんですわ。それは――」
ドォン!
戦争開始を告げる太鼓の音が、平原に鳴り響いた。
「――突撃ィ!」
「オチは!?」
「全力で駆け抜けて! 早く走らんと後ろの味方が渋滞を起こしまっせ!」
この世界の人には色々とついていけないが――
一番ついていけないのが切り替えの早さだった。
ともあれ彼は走る。
ジャックの言う通り、後ろから鬼の形相をした綺麗な目のアリたちがせまって来ているのであった。
体格的に彼が『踏み殺される』ことはないだろう。
だけれど、殺意をみなぎらせて走る背後集団の迫力は、思わず逃げ出したくなるほどであった。
もうわけがわからない。
彼は必死に走る。
目の前には盾を構え、槍をたずさえた人間の兵士たち。
後ろからは、槍を手に全力で駆ける味方の軍勢。
盾がぐんぐん迫る
相手の槍の穂先が近付き、後ろからは味方の槍の穂先が追いかけてくる。
隙間なく盾の並んだ戦列が迫り、迫り、いよいよ相手が槍を突き出すために引くのが見え、怒号と足音でうるさいし揺れるし、もうなにがなんだかわからないけれど――
やらなければやられる。
――彼は学ぶ。
本当に目の前に『死』が差し迫った時、倫理や常識などをかんがみる余裕などない、と。




