14・最近なんですか?
コライユは、戻ってきたディアモンたちと中庭へ帰った。
ディアモンが眠ったままの弟を部屋へ運んでいく。
ブラン家の当主と父ペルルが楽しげに会話している。
父の顔が引きつっていないところを見ると、話題が変わったのだろう。
母リュビは、奥方の大きなお腹に触れていた。
「あはは、また蹴った。元気な赤ん坊だね」
「ええ……コライユさま」
「は、はい?」
「よろしければ、コライユさまも触ってみませんか?」
コライユは無言で頷いて、彼女の隣で中腰になった。
背後のフェールが片手にブーの箱を持ち、もう片方でコライユと奥方に日傘を差しかける。
「……あ」
お腹の中のディアモンの弟か妹は、本当に蹴ってきた。
「げ、元気ですね」
奥方が笑顔で頷く。
コライユはリュビから目を逸らし、奥方に言った。
「このまま元気な赤ん坊が生まれるといいですね」
少し声が震えてしまう。コライユには両親への罪悪感がある。
自分の体が弱いのも、ブーの足が動かないのも、それだけのこと。だけど──
奥方はなにかを察したような表情になった。
「はい。元気で幸せなら一番です。でも……元気じゃなくても幸せならいいの。私だって、体が弱くても幸せですもの」
彼女の実家は貧乏貴族で、体が弱いこともあり、聖騎士である夫との結婚は周囲に反対されていた。聖騎士に相応しい、元気な子どもを産めないのではないかというのだ。夫である現当主は武術大会で全勝し、彼女が勝利の女神なのだと宣言することで、みなを黙らせた。
お腹に触れていたコライユの手を、彼女の両手が包んだ。
「ディアモンはね、元気で不幸な子どもでした。だってあの子は、聖騎士になりたくなかったのですもの。あの子は貝が好きなの。小さいころからずっと、貝を拾ったり分類したりすることに夢中になっていたわ。夢中になり過ぎて、尿意に気づかず漏らしたことも一回や二回じゃないの。ふふふ」
奥方の手は、コライユのものよりも小さかった。
小さくて、それでもとても温かい、母親の手だった。
「ディアモンが幸せになったのは、あなたと婚約したからよ。だれかを好きになると、世界は変わるわ。見えなかった道が見えてくる。あの子を幸せにしてくれてありがとう。そして、気が早いけれど義母としては、あなたも幸せになってくれれば嬉しいわ」
「……奥方さま」
ふたりの母親が、コライユを優しく見つめている。
「コライユ……」
「お母さま」
なんだか胸がいっぱいになったとき、ディアモンが戻ってきた。
「リュビ殿、母上、お話し中申し訳ございません。コライユ殿をお借りしてよろしいですか? 俺の集めた貝をお見せしたいのです」
「コライユさまとリュビさまがよろしければ」
奥方に視線を送られて、コライユは頷いた。
リュビがディアモンを睨みつける。
「あたしも構わないけどさ。……ディアモンさま、今はあくまで婚約です。たかが商家の娘だと侮って、不埒な真似をなさらないようお願いしますよ?」
「ダメよ、ディアモン?」
奥方にも睨みつけられて、ディアモンは拗ねたようにそっぽを向いた。
「俺は、コライユ殿を傷つけるようなことはしません。では失礼します」
剣ダコのできた大きな硬い手が、コライユの手をつかんだ。
さっきまで奥方に手を握られていたから、感触の違いが大きい。
歩き出したふたりを、畳んだ日傘とブーの箱をかかえたフェールが追ってくる。
執事として当然の行動だが、たまには遠慮しろよ、ということをもっと女の子らしく上品な言葉で思わずにはいられないコライユだった。
銀髪の執事を廊下に締め出して、ディアモンの部屋に入る。
大きな玻璃の壺が机に飾られているのを始めとして、紐や鎖でつないで壁や天井から吊るしたり、床に置いた丸い籐の籠に山盛りになっていたりと、とにかく貝でいっぱいの部屋だった。
とりあえず、椅子を勧められて腰かける。
(海の底みたい……)
好きな雰囲気だ。コライユの部屋も海を意識して、青と白でまとめている。
机に飾られている壺の中の貝が、特にお気に入りなのだろうか。
なにを見せてもらえるのかと、コライユは胸をときめかせた。
古来から、貝は芸術品としても人気がある。さほど詳しくないコライユが見ても美しさに溜息が出そうな貝たちは、装飾品に加工しないでも高額で販売できそうだった。
(……って! わたしったら、こんなときにもお金のこと考えて)
「コライユ殿」
「は、はいっ!」
ディアモンは、コライユの前の床に胡坐をかいた。
夜の海を思わせる藍色の瞳が、下から見上げてくる。
彼は、ひどく真剣な表情で口を開いた。
「ロッシュにあまり優しくしないでもらいたい」
集めた貝を見せるというのは、コライユを部屋に呼ぶ口実だったようだ。
「も、申し訳ありません。ブラン家の教育方針に反したことをしてしまいましたか?」
濡れた服を脱ぐのを止めなかったのが良くなかったのかもしれない。
聖騎士の家系では、だらしない格好をしてはいけないのだろう。
(あれ? でもディアモンさまだって……)
この前の神殿での姿を思い出して見つめると、彼は真っ赤になって顔を逸らした。
「君は、俺の妻になる人だ。婚約者なのだから」
(本気でわたしと結婚なさるつもりなのかしら。体が弱くて、すぐにお金のことばかり考えてしまう、このわたしと?)
「兄の妻に恋をしたりしたら、ロッシュが可哀相だろう?」
コライユは首をかしげた。ディアモンの考えがつかめない。
「ロッシュさまは、まだ九歳ですよ?」
「九歳の男の子は恋をしないと思うのか?」
「それは……」
七歳の女の子は、九歳の男の子に恋をした。
ディアモンは、さらに赤くなった顔を手で覆う。
「俺は九歳のときに恋をしたぞ。十年前、君に」
「ディアモンさま……」
さまざまな感情が渦巻いて、コライユの胸をいっぱいにする。
わたしもです、と口に出す前にディアモンが言葉を続けた。
「……俺も最近気づいたところだが」
「最近なんですか?」
「そうだ。ロッシュや団長たちに言われた」
「な、なにがあったんです?」
状況がつかめない。ディアモンは、本当にコライユに恋をしたのだろうか。
「前に話した通り、俺には婚約者候補がいたことがある。何人かいたのだが、その全員に向こうから断られた。当然だと、今は思っている。俺は彼女たちと一緒にいても、貝拾いや鍛錬を始めたとたん存在を忘れてしまう。夢中になり過ぎて、終わったころには顔や名前も忘れていた」
「ディアモンさま、それはひどいです」
彼は殊勝にうな垂れた。自分でも反省しているようだ。
「でも君は違った。十年前に会ってから、俺の心には、いつも君がいた。不思議な色の二枚貝は見せたくなったし、美しい巻き貝は贈りたくなる。鍛錬が辛いときは、鍛えておかないと今度会ったときに君を守れないと思って頑張れた」
この前神殿で会った聖騎士団の団長ジャッドも、断られ仲間なのだという。
ジャッドは婚約者候補だけでなく、自分から声をかけてつき合い始めた女性にも、すぐ振られてしまうらしい。
「団長が仲間に声をかけて集め、この部屋で俺たちの問題点を考えたんだ。ロッシュも混じっていた。神殿の宿所で話さなかったのは、結婚を禁じられた聖女さまの前でするのは失礼な気がしたからだ」
なんとなくわかる気もした。
「君のことを話したら、アンブル以外の五人に、それは恋だと言われて気づいた。俺はずっと、君に恋していたんだと」
「ちょっと待ってください、ディアモンさま。アンブルさまを除いたら、四人しかいません」
いつの間にか、ひとり増えている。聖騎士はいつの時代も五人までしかいない。
「最後のひとりは父上だ。ロッシュは団長が、俺より役に立つと連れてきたんだが、父上は気がついたら混じってた。アンブルは、十年もひとりの人間が頭から離れないのは、呪いではないかと怯えていたな」
「そうだったんですか」
砂浜で会ったとき笑顔が引きつっていたのは、今もそう思っているからかもしれない。
「気づくのが遅かったけれど、手遅れではなかった。あ、一応言っておく。君の素性は父上や団長に教えてもらったが、プルプル商会に借金したのは策略ではない。コキヤージュで一番の豪商と聞いていたから、余っている金を貸してくれるかもしれないと思っただけだ」
(ディアモンさまって、やっぱり変。変だけど……)
「わたしのどこに恋されたっておっしゃるんですか? 十年前だって踊りの途中で動けなくなって迷惑をかけて、婚約してからだってなにも……わたし、お金の話ばかりで」
「俺が聞きたい」
ディアモンは、体を起こして膝を立てた。コライユと目線を合わせてくる。
「どうしたら、君に恋せずにいられるんだ?」
夜の海を思わせる、藍色の瞳がコライユを飲み込んでいく。
「婚約して、再会してから、ひと目見るたびに恋している。心臓がいつも張り裂けそうだ。苦しくて苦しくて、なのに、どうしてこんなに甘い……」
硬い指先が頬に触れた。彼の顔が近づいてくる。唇が重なりそうだ。
コライユが瞼を降ろしたとき、部屋の扉が開いた。
「姉上!」
泣き顔のロッシュが飛び込んでくる。扉を開けたのはフェールだろう。
ディアモンがコライユから離れた。
「俺がお話の途中で寝てしまったから、怒ったままお帰りになったのかと思いました」
「まさか。ロッシュさまは、ブーを助けてくださった恩人ですわ。怒ってなんかいません」
「良かった」
涙を拭いて、ロッシュはコライユの隣に座った。
服はもう、ちゃんと着ている。寝ている間にディアモンが着せたのだ。
「兄上、俺にも貝を見せてください」
「……わかった。が、覚えておけ、ロッシュ」
「はい?」
「コライユ殿は俺の婚約者、俺の妻になる人だ」
「知ってます。だから、俺の姉上なんですよね?」
耳まで真っ赤にしているディアモンには悪いけれど、兄弟のいないコライユには、ロッシュは可愛い弟分だった。ふたりは楽しく、ブラン家長男の収集品を観賞した。
蓮の花は早朝に開き、昼には閉じてしまうのだという。
泊まっていって翌朝見ないかと誘われたが、コライユは丁重に断った。
そこまで体力を保てる自信がない。
馬車に揺られて帰路につく。緊張で疲れた体に、振動が眠気を呼び寄せる。
「コライユ」
リュビの低い声に呼ばれて、隣に目をやる。
「ペルルのことは心配しないでいいよ。奥方さまは、すべてわかった上で受け入れてくださったんだ」
コライユは閉じそうになる瞼を上げて、母とは逆の隣に座る父を見た。
スリだった父は母に捕まった。しかしそれは望んでのことだ。
悪はいつも弱いものにつけ込む。
ひとりだけなら逃げられたかもしれないが、父はスリの元締めに操られていた子どもたちも一緒に解放したかった。父の証言で元締めは捕まり、罪を償った子どもたちは大人になって、今もプルプル商会で働いている。
「情けない父親でごめんね」
せっかく巻いた前髪もしょぼんと落としているペルルに、コライユは首を横に振った。
「……わたし、お母さまとお父さまの子どもで幸せです。ほかのだれでもない、今のわたしになれて、本当に幸せ」
父は小さな布を出して目尻を押さえ、母は窓に顔を向けた。
コライユは眠りに落ちていく。
両親のことを愛している。馬車を御しているフェールも家族同然に大切だし、彼の前身のキャラマールには憧れを抱いていた。膝に乗せた箱の中のブーも、今日出会ったブラン家の人たちも大好きだ。
思うだけで心が温かくなる。
(なのに……)
この世界で、ディアモンだけが特別な存在だ。
彼自身が言っていたように、思うと心臓が張り裂けそうになる。
苦しくて苦しくて、だけど甘い──コライユは彼に恋をしていた。
十年前も、今も、どうしたら彼に恋せずにいられるのかがわからない。




